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第31話 第8章 決戦⑤
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「ウルド様の遠吠え。ここは退くぞ」
ネメリアは周りを見渡した。
町はあちこちから炎が上がり、黒煙のせいで視界が良くない。
剣と剣がぶつかり合う音、怒号、……そして、むせかえるような血の臭い。
ネメリアは、それらから目を背けた。
――私のせいじゃない。私が情報を漏らしたせいじゃ。
少女は、黒いマントをひるがえし、仲間とともに戦場から遁走する。
「逃げるつもりか。させるものか! 皆、追跡するんだ」
ディックの声が、遠くから聞こえた。
自分は裏切り者だ。見つかれば、間違いなく殺されるだろう。
ネメリアは、吹き出す汗をぬぐう手間さえ惜しみ、走った。
――嫌だ。
物が散乱する道に、躓きそうになりながら駆け抜ける。
――死にたくない。
躓いた拍子に、膝をすりむいてしまう。まっ赤な鮮血が、黒いマントに沁み込む。
「ひ!」
それが、地面に横たわる己の姿を連想させて、少女は痛みを気にせずに駆け出した。
――誰か、助けて。
悲しくて涙が零れた。汗と混じり合って、後ろに飛ばされていく。
ただ生きたいだけなのに、どうしてこんなにも難しいの?
裏切りたくなかった。誰かにいてほしかった。暖かい食事を食べて、誕生日には笑って、祝ってくれる家族が本当にいて、抱きしめてくれたら、後はなにもいらないのに。
どうして、当たり前がこんなにも遠いのだろう。
「誰だ、あれは?」
すぐ隣を走る男の声で、ネメリアは現実に戻された。
涙で滲む視界に、一人の少女の姿が映った。
明るめの金髪を長く伸ばし、大きくて青い目が特徴的な少女。
「どうして」
ネメリアは、胸を突くような痛みを感じた。
目の前の少女は、可愛らしい花柄の刺繍が施された、黄緑のエプロンドレスを可憐に着こなしている。
「この花柄の刺繍はね、私の生まれ育ったフラデンって町にとって、象徴的なデザインなんですよ。自然豊かな町で、ネメリアちゃんもきっと気に入ってくれると思うな」
優しい声が、思い起こされた。
ネメリアは、どうしようもないほど悲しくて、立ってはいられずに尻餅をついた。
慈愛満ちたあの青い目は、今は冷ややかな銀の瞳に成り代わっている。
「ネメリアちゃん」
ビクッと、ネメリアは肩を震わせた。
レアの表情には感情がなかった。笑顔の絶えなかったあの顔が、大好きだったのに。
どうして、……ああ、私のせいだ。
私が、あの人の笑顔を奪ってしまったんだ。
「う、あ、うう」
せめて謝ろうと思った。けれども、言葉が出てこない。とても、言葉では償いきれる気がしなかったから。
「何だ、この女。我らの邪魔をするな」
自分のことで必死になり過ぎて気付いていなかったが、ネメリアの他に三十人ほどの仲間がいた。
(こんなにいたなんて。レアが殺される)
ネメリアは、やめろと声を張り上げようとしたが、間に合わず。漆黒のマントを翻した仲間が、次々とレアに殺到する。
「〈風よ、吹き飛ばして〉」
凛とした声に具現化された魔法の風が、黒マント達を吹き飛ばす。
「え?」
信じられなかった。仲間達は、体術・魔法ともに鍛えに鍛え上げられた精鋭だ。こうも簡単にやられるような人達じゃない。
「ば、化け物が。一斉に仕掛けるぞ。〈爆炎よ、敵を討て〉」
立ち上がった黒マント達が、同時に爆炎魔法を放つ。地を這う火炎の海は、触れればたちまち燃えつきてしまうだろう。
だが、
「〈水よ、飲み込んで〉」
レアの生み出す水の魔法が、大海の如く炎を飲み込んでいく。
「馬鹿な、ウワァァァ」
まるでお話にならなかった。たった一人の魔法に敗北してしまうさまは、夢を見ているようでひどく現実味がない。
「邪魔です。〈雷よ、意識を絶ちなさい〉」
雷撃が、瞬く間に仲間達の意識を刈り取る。次々と地面に倒れゆく仲間を見て、ネメリアは、目を閉じた。恐怖が心に渦巻き、どうにかなってしまいそうだった。
「ネメリアちゃん」
レアの足音が近づいてくる。足音が鳴るたび汗が拭きだし、歯がカチカチとなった。
「あ」
温かな感触。遅れて花のような香りがした。
恐る恐るネメリアは目を開けた。
「あ、え?」
レアに抱きしめられている。優しく背中をさすっている。理解が追い付かず、ネメリアは呆然とする。
「やっと見つけた。色々と探し回ったんですよ。まさか、こんなことになってるなんて、思わなかったけど」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。死にたくなかったの。私、ウルド様に逆らったら殺されちゃう」
「……大丈夫だよ。私とお母さんが守ってあげる」
ネメリアは、ギョッとした。
「だ、駄目。私はウトバルクと宿屋連盟にとって裏切り者。迷惑をかけてしまう」
「私のお母さんが経営する宿はね、憩いの宿アルシェっていうの」
突然なんの話だ?
ネメリアは困惑するが、レアは構わずに話し続ける。
「憩いの宿って言葉は、お父さんがつけたの。誰にとっても、心安らぐ場所であるためにって。
人は誰だって間違えることがある。それは取り返しのつかないことよ。でも、これからどうするかはあなた次第なの。
憩いの宿アルシェは、誰にでも寄りそう宿。疲れを癒してもらって、旅立つ時にそっと「頑張れ」って背中を押すような場所を目指しているの。だから、私とお母さんはあなたを見捨てない。それが、うちの宿の誇りだから」
「誇り? そのためにリスクを負うというのか?」
レアは体を放すと、ニッコリと笑った。
――ああ、なんて鮮やかに笑うんだろう。
悪意がない純真な笑みは、どこか太陽を思わせた。
「う、うう。こんなこと、言える立場じゃないけど、私を、どうか私を助けてください」
「……嬉しい。その言葉が聞きたかったの」
温かな感触が心を満たす。
ネメリアは、レアを真似てぎこちなく笑った。人生で初めて、笑えた気がする。
ネメリアは、レアに抱きつくと、幼子のように大声で泣いた。
ネメリアは周りを見渡した。
町はあちこちから炎が上がり、黒煙のせいで視界が良くない。
剣と剣がぶつかり合う音、怒号、……そして、むせかえるような血の臭い。
ネメリアは、それらから目を背けた。
――私のせいじゃない。私が情報を漏らしたせいじゃ。
少女は、黒いマントをひるがえし、仲間とともに戦場から遁走する。
「逃げるつもりか。させるものか! 皆、追跡するんだ」
ディックの声が、遠くから聞こえた。
自分は裏切り者だ。見つかれば、間違いなく殺されるだろう。
ネメリアは、吹き出す汗をぬぐう手間さえ惜しみ、走った。
――嫌だ。
物が散乱する道に、躓きそうになりながら駆け抜ける。
――死にたくない。
躓いた拍子に、膝をすりむいてしまう。まっ赤な鮮血が、黒いマントに沁み込む。
「ひ!」
それが、地面に横たわる己の姿を連想させて、少女は痛みを気にせずに駆け出した。
――誰か、助けて。
悲しくて涙が零れた。汗と混じり合って、後ろに飛ばされていく。
ただ生きたいだけなのに、どうしてこんなにも難しいの?
裏切りたくなかった。誰かにいてほしかった。暖かい食事を食べて、誕生日には笑って、祝ってくれる家族が本当にいて、抱きしめてくれたら、後はなにもいらないのに。
どうして、当たり前がこんなにも遠いのだろう。
「誰だ、あれは?」
すぐ隣を走る男の声で、ネメリアは現実に戻された。
涙で滲む視界に、一人の少女の姿が映った。
明るめの金髪を長く伸ばし、大きくて青い目が特徴的な少女。
「どうして」
ネメリアは、胸を突くような痛みを感じた。
目の前の少女は、可愛らしい花柄の刺繍が施された、黄緑のエプロンドレスを可憐に着こなしている。
「この花柄の刺繍はね、私の生まれ育ったフラデンって町にとって、象徴的なデザインなんですよ。自然豊かな町で、ネメリアちゃんもきっと気に入ってくれると思うな」
優しい声が、思い起こされた。
ネメリアは、どうしようもないほど悲しくて、立ってはいられずに尻餅をついた。
慈愛満ちたあの青い目は、今は冷ややかな銀の瞳に成り代わっている。
「ネメリアちゃん」
ビクッと、ネメリアは肩を震わせた。
レアの表情には感情がなかった。笑顔の絶えなかったあの顔が、大好きだったのに。
どうして、……ああ、私のせいだ。
私が、あの人の笑顔を奪ってしまったんだ。
「う、あ、うう」
せめて謝ろうと思った。けれども、言葉が出てこない。とても、言葉では償いきれる気がしなかったから。
「何だ、この女。我らの邪魔をするな」
自分のことで必死になり過ぎて気付いていなかったが、ネメリアの他に三十人ほどの仲間がいた。
(こんなにいたなんて。レアが殺される)
ネメリアは、やめろと声を張り上げようとしたが、間に合わず。漆黒のマントを翻した仲間が、次々とレアに殺到する。
「〈風よ、吹き飛ばして〉」
凛とした声に具現化された魔法の風が、黒マント達を吹き飛ばす。
「え?」
信じられなかった。仲間達は、体術・魔法ともに鍛えに鍛え上げられた精鋭だ。こうも簡単にやられるような人達じゃない。
「ば、化け物が。一斉に仕掛けるぞ。〈爆炎よ、敵を討て〉」
立ち上がった黒マント達が、同時に爆炎魔法を放つ。地を這う火炎の海は、触れればたちまち燃えつきてしまうだろう。
だが、
「〈水よ、飲み込んで〉」
レアの生み出す水の魔法が、大海の如く炎を飲み込んでいく。
「馬鹿な、ウワァァァ」
まるでお話にならなかった。たった一人の魔法に敗北してしまうさまは、夢を見ているようでひどく現実味がない。
「邪魔です。〈雷よ、意識を絶ちなさい〉」
雷撃が、瞬く間に仲間達の意識を刈り取る。次々と地面に倒れゆく仲間を見て、ネメリアは、目を閉じた。恐怖が心に渦巻き、どうにかなってしまいそうだった。
「ネメリアちゃん」
レアの足音が近づいてくる。足音が鳴るたび汗が拭きだし、歯がカチカチとなった。
「あ」
温かな感触。遅れて花のような香りがした。
恐る恐るネメリアは目を開けた。
「あ、え?」
レアに抱きしめられている。優しく背中をさすっている。理解が追い付かず、ネメリアは呆然とする。
「やっと見つけた。色々と探し回ったんですよ。まさか、こんなことになってるなんて、思わなかったけど」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。死にたくなかったの。私、ウルド様に逆らったら殺されちゃう」
「……大丈夫だよ。私とお母さんが守ってあげる」
ネメリアは、ギョッとした。
「だ、駄目。私はウトバルクと宿屋連盟にとって裏切り者。迷惑をかけてしまう」
「私のお母さんが経営する宿はね、憩いの宿アルシェっていうの」
突然なんの話だ?
ネメリアは困惑するが、レアは構わずに話し続ける。
「憩いの宿って言葉は、お父さんがつけたの。誰にとっても、心安らぐ場所であるためにって。
人は誰だって間違えることがある。それは取り返しのつかないことよ。でも、これからどうするかはあなた次第なの。
憩いの宿アルシェは、誰にでも寄りそう宿。疲れを癒してもらって、旅立つ時にそっと「頑張れ」って背中を押すような場所を目指しているの。だから、私とお母さんはあなたを見捨てない。それが、うちの宿の誇りだから」
「誇り? そのためにリスクを負うというのか?」
レアは体を放すと、ニッコリと笑った。
――ああ、なんて鮮やかに笑うんだろう。
悪意がない純真な笑みは、どこか太陽を思わせた。
「う、うう。こんなこと、言える立場じゃないけど、私を、どうか私を助けてください」
「……嬉しい。その言葉が聞きたかったの」
温かな感触が心を満たす。
ネメリアは、レアを真似てぎこちなく笑った。人生で初めて、笑えた気がする。
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