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第18話 第5章 支部長ディック登場①
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黒の絵の具を水に溶かしたように、夜が深まっていく。第一、第二、第三階層を仰ぎ見る形で広がる第四階層は、さらに暗闇が濃く淀んでいる。
「しつこいわね」
彩希は物陰に隠れ、追手をやり過ごした。そこら中から、足音が鳴り響き、事情を知らぬ者ならば、火事でも起こったのかと勘違いすることだろう。
「秋仁、もうちょっとで宿につくから我慢してね」
ぐったりとしていて返事がない。彩希は、焦りから泣きだしそうになったが、グッと堪えた。
「ハア、ハア、ハア、着いた。レアちゃん」
彩希は宿に飛び込むと、突風のように階段を駆け上がり、ドアを開けた。
「彩希さん、どうしたんですか!」
「レアちゃん、急いで回復魔法をかけて。ネメリアちゃん、よく聞いて。私達は追われているわ。あなたも逃げたほうが良い」
彩希は現状を手早く説明した。二人は、話を聞くにつれて、暗い表情になってしまった。
「じゃあ、宿屋連盟のウトバルク支部代表に会いに行けば良いんですね。私、場所を知ってますよ」
「本当に? 助かるはレアちゃん。秋仁、回復したかしら」
黒羽はベッドから起き上がると、体の調子を確かめた。
「ああ、おかげで助かったよ」
「はあ、ッ……良かった」
「心配かけたな。ああ、でも、まずいな。さっきウルドに攻撃された時に、鍵を落としちまった」
黒羽は切り裂かれた胸元を指差した。
「じゃ、じゃあ。移動は徒歩で行くことになりますね」
「ああ、急ごう。この宿に居ても見つかるだけだ。えっと、この恰好のままだとまずいな。何か羽織るものを」
「これを使え」
ネメリアは、黒いマントを三人分手渡した。
「どうしてこんなに持ってる?」
「予備だ。私は心配性でね。常に持っておかないと不安なんだ」
黒羽は苦笑すると、頭を下げた。
「ありがとう。おかげで闇に紛れることができる」
「れ、礼には及ばない。命を助けてもらったんだ。私もできる限り協力する」
黒羽はニッコリと笑うと、ネメリアの頭を優しく叩いた。
「あ、見てください。彩希さん、またですよ」
「ええ、またね。天然タラシがなにかやっているわ」
二人は口元を手で隠し、白けた視線を黒羽に投げかけた。だが、黒羽には何のことだか見当がつかない。
「おい、なにをコソコソ話しているんだ。行くぞ」
黒羽達は外に出た。高床式の建物が乱雑に並んでいるので、森の中に潜んでいるような錯覚にとらわれる。
「レア、案内を頼む」
月光りのない闇の中に溶け込みながら、黒羽達は歩く。追手がそこら中を走り抜け、高床式の建物では、視線を遮るところさえない。黒羽は緊張で噴き出る汗をぬぐいながら、見つからないようにと願った。
「思ったよりも見つからないわね。夜が幸いした。建物が高所にあるおかげで、影が多いわ」
「ああ、昼間だったら丸見えだったな。でも、この臭いは何とかしてほしいな」
ゴミが腐った匂いが、鼻を刺激する。そよ風すら吹かない夜だ。淀んだ臭いが、いつまでも居座り続けているのは、不快でしかない。
「ここは、物乞いで生計を立てている者も多いらしい。女王は平等を目指したいらしいが、果たしていつになるのだろうな」
ネメリアの声は、感情の色が見えない。けれども、黒羽はひどく悲しみを帯びているように感じた。
「ネメリア、君は……いや、何でもない」
――同情はかえって傷つけるだけだ。
黒羽は、言葉を飲み込んだ。
「宿屋連盟の支部は、第三階層にあります」
レアの言葉に、彩希は顔を曇らせた。
「じゃあ、一段昇らないといけないわね。今頃、上層に上がる階段は封じられているでしょうし、空を飛ぶのは目立つわ」
「待て、どうして目立つ。夜だぞ」
「私一人だけ変身して行くぶんには大丈夫。でも、人を乗せて飛ぶにはそれなりに大きい魔獣にならないといけないわ。暗くても目立ってしまうし、羽ばたく音で気付かれてしまうかも」
黒羽は口をつぐんだが、すぐに「あ」と言葉を発した。
「じゃあ、こうしよう。レア、君は顔が割れていないから、宿屋連盟の関係者といえば、通してもらえるんじゃないか」
「え、ええ。私だけ、上に行くんですか?」
「いや、用事を達成するならそれだけで良いけど、追われる身だ。できれば、俺達も宿屋連盟の支部にかくまってもらいたい。そこでだ」
黒羽がにやりと笑みを浮かべると、レアが苦笑した。
「なーんか、悪いこと考えていませんか?」
「いやいや、悪いことじゃない。けど、子供じみた方法かな」
首を傾げるレアに、黒羽はこっそりと耳打ちした。
※
「何? 宿屋連盟の関係者だと。証拠のバッジは……あるな。よし、通れ。あ、第二階層には行くなよ。第三階層までだ」
「はい。ありがとうございます」
弾む声で礼をいうと、レアは一目散に階段を駆け上がった。
「上手くいきました。もう、心臓が鳴りっぱなしで飛び出そうです」
レアは建物の影に隠れると、独り言をつぶやいた。
「あら、そうなの? 楽しそうだったけど」
否、独り言ではない。レアの手に収まっていたバッジが光ったかと思うと、瞬時に人の形になった。
「相変わらず見事な変身です。助かりました。バッジなんて、お母さんしか持ってませんしね」
「こんなのお茶の子さいさいよ。さあて、さっさとあのマスター様のいうものを探しにいきましょう」
「はい、道具屋さんはどこでしょうか?」
二人が楽しげに探索を開始する。
※
――数分後。
「あ、ネメリアさん。あったみたいだ」
「本当にあんなので行くの?」
第三階層から第四階層に向けて、縄梯子がかけられた。上を見れば、彩希とレアが手を振っている。
「ほら、ネメリアさん」
「あ、ああ」
断崖絶壁の岩石にピッタリと張り付く梯子に、黒羽は足をかけると、「あのな」と声がかかった。
「実は、私、高所恐怖症なんだ」
「え?」
「だ、だから。置いて行って」
黒羽は声を押し殺して笑った。
「笑わないで。冗談言ってるんじゃないぞ」
「ごめん。大人びていてしっかりしているから、イメージと合わなくって。可愛いところあるんだな」
ネメリアは、頬を真っ赤に染め、フードを掴み顔を隠した。
「置いてかないよ。君は非常に危険な立場にいる。どうしても、怖いかい」
ネメリアは何度も頷いた。黒羽は、しばし悩んだが、仕方ないと呟いた。
「じゃあ、俺がおんぶして昇るよ。君、紐とか持ってない?」
「おんぶって、人一人を担いでここを昇るのか?」
ネメリアは垂直に立つ岩壁を見上げた。
「どう見ても、二十メートル以上はありそうだが」
「大丈夫。今日は風が吹いていないし、気合いで何とかする。喫茶店のマスターの気合いを見せてやるさ」
「う、うん」
不安そうなネメリアは頷く。黒羽はそんな彼女におかまいなしに背を向け、しゃがみ込んだ。
「しつこいわね」
彩希は物陰に隠れ、追手をやり過ごした。そこら中から、足音が鳴り響き、事情を知らぬ者ならば、火事でも起こったのかと勘違いすることだろう。
「秋仁、もうちょっとで宿につくから我慢してね」
ぐったりとしていて返事がない。彩希は、焦りから泣きだしそうになったが、グッと堪えた。
「ハア、ハア、ハア、着いた。レアちゃん」
彩希は宿に飛び込むと、突風のように階段を駆け上がり、ドアを開けた。
「彩希さん、どうしたんですか!」
「レアちゃん、急いで回復魔法をかけて。ネメリアちゃん、よく聞いて。私達は追われているわ。あなたも逃げたほうが良い」
彩希は現状を手早く説明した。二人は、話を聞くにつれて、暗い表情になってしまった。
「じゃあ、宿屋連盟のウトバルク支部代表に会いに行けば良いんですね。私、場所を知ってますよ」
「本当に? 助かるはレアちゃん。秋仁、回復したかしら」
黒羽はベッドから起き上がると、体の調子を確かめた。
「ああ、おかげで助かったよ」
「はあ、ッ……良かった」
「心配かけたな。ああ、でも、まずいな。さっきウルドに攻撃された時に、鍵を落としちまった」
黒羽は切り裂かれた胸元を指差した。
「じゃ、じゃあ。移動は徒歩で行くことになりますね」
「ああ、急ごう。この宿に居ても見つかるだけだ。えっと、この恰好のままだとまずいな。何か羽織るものを」
「これを使え」
ネメリアは、黒いマントを三人分手渡した。
「どうしてこんなに持ってる?」
「予備だ。私は心配性でね。常に持っておかないと不安なんだ」
黒羽は苦笑すると、頭を下げた。
「ありがとう。おかげで闇に紛れることができる」
「れ、礼には及ばない。命を助けてもらったんだ。私もできる限り協力する」
黒羽はニッコリと笑うと、ネメリアの頭を優しく叩いた。
「あ、見てください。彩希さん、またですよ」
「ええ、またね。天然タラシがなにかやっているわ」
二人は口元を手で隠し、白けた視線を黒羽に投げかけた。だが、黒羽には何のことだか見当がつかない。
「おい、なにをコソコソ話しているんだ。行くぞ」
黒羽達は外に出た。高床式の建物が乱雑に並んでいるので、森の中に潜んでいるような錯覚にとらわれる。
「レア、案内を頼む」
月光りのない闇の中に溶け込みながら、黒羽達は歩く。追手がそこら中を走り抜け、高床式の建物では、視線を遮るところさえない。黒羽は緊張で噴き出る汗をぬぐいながら、見つからないようにと願った。
「思ったよりも見つからないわね。夜が幸いした。建物が高所にあるおかげで、影が多いわ」
「ああ、昼間だったら丸見えだったな。でも、この臭いは何とかしてほしいな」
ゴミが腐った匂いが、鼻を刺激する。そよ風すら吹かない夜だ。淀んだ臭いが、いつまでも居座り続けているのは、不快でしかない。
「ここは、物乞いで生計を立てている者も多いらしい。女王は平等を目指したいらしいが、果たしていつになるのだろうな」
ネメリアの声は、感情の色が見えない。けれども、黒羽はひどく悲しみを帯びているように感じた。
「ネメリア、君は……いや、何でもない」
――同情はかえって傷つけるだけだ。
黒羽は、言葉を飲み込んだ。
「宿屋連盟の支部は、第三階層にあります」
レアの言葉に、彩希は顔を曇らせた。
「じゃあ、一段昇らないといけないわね。今頃、上層に上がる階段は封じられているでしょうし、空を飛ぶのは目立つわ」
「待て、どうして目立つ。夜だぞ」
「私一人だけ変身して行くぶんには大丈夫。でも、人を乗せて飛ぶにはそれなりに大きい魔獣にならないといけないわ。暗くても目立ってしまうし、羽ばたく音で気付かれてしまうかも」
黒羽は口をつぐんだが、すぐに「あ」と言葉を発した。
「じゃあ、こうしよう。レア、君は顔が割れていないから、宿屋連盟の関係者といえば、通してもらえるんじゃないか」
「え、ええ。私だけ、上に行くんですか?」
「いや、用事を達成するならそれだけで良いけど、追われる身だ。できれば、俺達も宿屋連盟の支部にかくまってもらいたい。そこでだ」
黒羽がにやりと笑みを浮かべると、レアが苦笑した。
「なーんか、悪いこと考えていませんか?」
「いやいや、悪いことじゃない。けど、子供じみた方法かな」
首を傾げるレアに、黒羽はこっそりと耳打ちした。
※
「何? 宿屋連盟の関係者だと。証拠のバッジは……あるな。よし、通れ。あ、第二階層には行くなよ。第三階層までだ」
「はい。ありがとうございます」
弾む声で礼をいうと、レアは一目散に階段を駆け上がった。
「上手くいきました。もう、心臓が鳴りっぱなしで飛び出そうです」
レアは建物の影に隠れると、独り言をつぶやいた。
「あら、そうなの? 楽しそうだったけど」
否、独り言ではない。レアの手に収まっていたバッジが光ったかと思うと、瞬時に人の形になった。
「相変わらず見事な変身です。助かりました。バッジなんて、お母さんしか持ってませんしね」
「こんなのお茶の子さいさいよ。さあて、さっさとあのマスター様のいうものを探しにいきましょう」
「はい、道具屋さんはどこでしょうか?」
二人が楽しげに探索を開始する。
※
――数分後。
「あ、ネメリアさん。あったみたいだ」
「本当にあんなので行くの?」
第三階層から第四階層に向けて、縄梯子がかけられた。上を見れば、彩希とレアが手を振っている。
「ほら、ネメリアさん」
「あ、ああ」
断崖絶壁の岩石にピッタリと張り付く梯子に、黒羽は足をかけると、「あのな」と声がかかった。
「実は、私、高所恐怖症なんだ」
「え?」
「だ、だから。置いて行って」
黒羽は声を押し殺して笑った。
「笑わないで。冗談言ってるんじゃないぞ」
「ごめん。大人びていてしっかりしているから、イメージと合わなくって。可愛いところあるんだな」
ネメリアは、頬を真っ赤に染め、フードを掴み顔を隠した。
「置いてかないよ。君は非常に危険な立場にいる。どうしても、怖いかい」
ネメリアは何度も頷いた。黒羽は、しばし悩んだが、仕方ないと呟いた。
「じゃあ、俺がおんぶして昇るよ。君、紐とか持ってない?」
「おんぶって、人一人を担いでここを昇るのか?」
ネメリアは垂直に立つ岩壁を見上げた。
「どう見ても、二十メートル以上はありそうだが」
「大丈夫。今日は風が吹いていないし、気合いで何とかする。喫茶店のマスターの気合いを見せてやるさ」
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