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第17話 第4章 揺れ動く大国⑤

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「秋仁、大丈夫?」
「あ、があ」
 全身が痺れて、ろくに動けそうにない。ぎこちなく視線を彷徨わせると、彩希以外の全員が地面に伏している。
「おや、彩希様。なぜ、お主は平気なんじゃ?」
 扉を通って誰かが入ってきた。黒羽はその人物の顔を見て、苦い感情が沸き起こった。
「ペドロ・ホドリゲス。酒場で密約していたのはあなただったのね」
「そうじゃよ。酒場の奴らはワシが買収した。最近、コソコソと嗅ぎまわっているヤツがいると酒場のマスターから聞いてな、背の高いやつと密約していると嘘をつくように命じておったのよ」
 彩希は、歯を食いしばった。
「おお、そう怒るでない。せっかくの美貌が台無しじゃ。……く、辛抱溜まらん。どれ、さっそく楽しませてもらうとするかのう」
 ペドロは、興奮した様子で彩希に歩み寄ると、手を胸のほうに伸ばした。彩希は魔力を漲らせ、苛立ちをぶつけるように拳を振るった。
「馬鹿者が」
 拳は、白銀の毛におおわれた手に阻まれた。
「ウルド、何をするんじゃ?」
「貴様、本当に隊長か? 魔法が効かぬ相手ということは、この女はドラゴンだ」
 チッと彩希は舌打ちをすると、反転し、黒羽を抱えて駆け出した。
「お……い」
「ウロボロスを発動しながら逃げるには、ソフィアちゃんは置いていくしかないわ」
 身が焦がれるような感覚に、黒羽は苛まれた。なにもできない自分が、悔しくて……どうしようもないほど、惨めだった。
「逃げれると思うのか」
「あなたは、ワーウルフね。確かにドラゴンと並ぶほど強者ではあるけれど、逃げれないほどではない」
 嵐のような白きウロボロスが、彩希の身体から噴き出る。
(限界まで魔力を高めているのか)
 彩希の考えを看破したウルドが、手を伸ばす。だが、彩希の姿は霞が如く消え去った。
「なんという速さ。廊下か。逃がさん」
 彩希は、遥か後方から聞こえるウルドの遠吠えに、舌打ちをした。
「秋仁、ウロボロスで体を強化して。でないと、これ以上速度を出したら死んじゃうわ」
「う、うう」
「秋仁、ウロボロスを操作できないの? このままじゃ追いつかれる」
 廊下を踏み鳴らす音が、近づいてくる。それに伴って、肌を炙るようなプレッシャーが増していく。
「さ、き。俺を、おいて」
「駄目よ。置いていけるわけないじゃない。危ない!」
 咄嗟に、彩希が黒羽を放り投げる。宙を舞う黒羽の服が、わずかに破けた。
「上手いこと躱したものだ」
「私の相棒を殺そうとしたわね。ただじゃおかないわ」
 彩希は、額から滴る汗を拭うと、長く息を吐いた。ウルドも彼女に合わせるように、息を吐くと、巨大な爪を構える。
 場の空気が、引き絞った弓のように張り詰めていく。
 ――その時、ウルドの後方から白刃の刃が煌いた。
「ぬう、誰だ」
「我が名はキース・ベルナール・シリル・ダミアン。我が主君に傷をつけた貴君らは、万死に値する」
 キースは、剣を構えると、チラリと彩希を見た。
「キース、危険だわ。相手はワーウルフよ」
「百も承知です。あなた方は、お逃げください。そして、願わくば宿屋連盟のウトバルク支部代表に、このことをお伝えください」
 彩希は、理由も聞かず俯くと黒羽を抱えた。
「駄目だ。と、めろ」
「私達なら、あのワーウルフにだって対抗できる。でも、こんなに敵に囲まれている状況じゃ無駄死にするだけよ。機会を待ちましょう」
 彩希は、城の壁を蹴り壊すと、そのまま外に飛び出した。
 ふわりとした感触を感じながらも黒羽は、ジッと城を見つめ続けた。不出来なコーヒーを飲むような苦さが胸を締め付けた。
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