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第10話 第3章 助力①

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 フワリと吹く風が、優しげに光るライト・フラワーの種子を運ぶ。
「ここに来るとホッとするな」
「本当ね。愛すべき第二の故郷よ、ってところかしら」
 ダムのように高い市壁が町を囲み、二階か三階建ての建物が軒を連ねた街並みを黒羽達は歩く。
 道には商人や旅人が入り混じり、あらゆるところに植えられた植物のニオイが肺を満たす。
 ここは、花と笑顔が咲き乱れる町フラデン。八月に、彩希の兄であるカリムの手によって壊滅的な被害を受けたこの町は、驚くべき速度で復興を遂げていた。
(流石、商人の町っていったところか)
 黒羽は感心し、温かな太陽の光に包まれる街並みを眺めた。
「ほら、置いてくわよ」
「え? あ、悪い」
 黒羽と彩希の二人は、迷いのない歩みで南の大通りを進み、『憩いの宿アルシェ』の前で立ち止まった。
「ねえ、レア、エメ。二人とも、ちょっと良いかしら」
 ドアを勢いよく開けるなり、彩希は大声で呼んだ。
 一階の酒場は、昼から夕刻に切り替わろうとする時間帯だけあって、人はまだまばらだ。
 彩希の声は、驚くほどはっきりと響き、レアとエメはすぐに二人の存在に気付いた。
「あら、彩希さん。いらっしゃい。黒羽さんもご一緒のようね」
「はい。やあ、レア」
「こんにちは、黒羽さん、彩希さん。……もしかして、何か困ったことでも?」
 表情に出したつもりはないが、と黒羽は内心驚いた。
「ご名答。レアちゃん、この町で毒に詳しい人はいないかしら?」
 レアは目を閉じて黙考する。答えを導きだすまで、彼女の人差し指はくるくると回り続けた。どことなく小動物を思わせる可愛さに、黒羽はクスリと笑う。
「? どうしました黒羽さん。ええっとですね、レミルさんに聞くのはどうでしょうか」
「レミルって、組合本部の受付をしている人だよな」
 黒羽は、黒ぶち眼鏡の中世的な顔立ちの男を思い浮べた。
「ハイ。レミルさんは受付だけじゃなくって、本部に納品される品の全てを管理しています。薬草を扱っているお店に行くのも良いですけど、まずはレミルさんに聞くのがおすすめかな」
「どうして? 別に品の管理をしているからって毒に詳しいわけじゃないんだろ」
 黒羽の疑問に、レアはニッコリと笑って答えた。
「いいえ、とっても詳しいですよ。フラデンでは、旅人が護身用に毒を買い求めることが多いんです。でも、毒って扱いを間違えると大変なことになるから、毒を扱うお店は本部が定める厳しい基準をクリアしないといけないんです。
 レミルさんは、お店が基準を満たしているか、どんな毒を扱っているのかチェックしているから、下手すると薬草屋さんよりも詳しいかもしれません」
「へー、凄い人なんだ。じゃ、彼に質問するのが一番かな」
 黒羽は頷くと、礼を言って組合本部に向かおうとした。が、エメの手が、行く手を遮った。
「お待ちなさい。わざわざ本部に行くのは面倒でしょう」
「は、はあ」
「レミルさんに、ご足労願いましょう。エッロさん」
 エメの言葉が言い終わる前には、すでに中年男エッロは、奥の調理場から飛び出していた。
「ハイ、エメ様。何なりと」
「お使い頼めるかしら。組合本部に行って、レミルさんにエメが呼んでいると伝えなさい」
「ハイハイさ。すぐにでも行ってまいります」
 黒羽は大いに困惑した。エッロを前に見た時は、ここまで順応な男ではなかったはずである。
(き、気になる)
 黒羽は、脇を駆け抜けようとするエッロを呼び止めた。
「どうしたんですか? この前は、嫌々エメさんの言うことを聞いていたと思うんですが」
 エッロは、顔に深い皺をつくり、低い声で言った。
「黒羽の旦那。よく覚えておくんなさい。人は、己を律しなければなりやせん。自分に正直すぎると、痛い目をみますよ」
 エッロは助平な男である。その事実さえ知っていれば、誰でも事情が察せられる。
 黒羽はあきれてものがいえず黙り込んだ。しかし、エッロは神妙に教訓を聞いてくれたと勘違いしたのか、どこか誇らしげな顔で宿を飛びだした。
 ※
 待つこと数十分。けたたましい音を鳴らしてドアを開いたレミルが、息も絶え絶えに叫んだ。
「お呼びでしょうかエメさん! あなたの頼みだと聞き、鳥よりもドラゴンよりも早くこの場に参上しました」
 普段の彼らしくない。
 憧れの人に呼ばれると人はこうなるのか、と黒羽は苦笑した。
「ごめんなさい。母は、在庫切れだからって、買い出しに出かけちゃいました」
「そ、そんなレアさん」
「すいません。母にはきつく言っておきますので、今日のところは黒羽さんの力になってください」
 見るからに不満そうな様子で、レミルは黒羽の顔を見た。
「フン、あなたですか。また、無茶なことでも?」
「い、いいえ。ただちょっとレミルさんに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと。ああ、ということはエメさんの用事とはこれのことですか」
 盛大なため息を漏らすレミルを、宥めるような笑みを浮かべ、黒羽は切り出した。
「まずは、これを」
 黒羽は腰に結び付けていた小袋の中から、小瓶を取り出した。
「薄い黄色の液体。コレは?」
「ティポイと呼ばれる魔物の毒です。どういった毒なのか、詳細を知りたいと思いまして」
 レミルは見るからに怪訝な顔をした。黒羽の手から小瓶を受け取ると、真剣な眼差しで中身の液体を眺めた。
「ティポイの毒は、大変珍しい毒です。ウト大陸の熱帯地方に広がる森に、ティポイと呼ばれる魔物が住んでいます。
 大変獰猛な性格で、魔法でも簡単には討伐できないと聞きますね。でも、普段は森の奥に生息しているため、滅多なことでは遭遇しないはずです。ウーム、一般にはまず出回らないでしょう。私でさえ実物を見たのは初めてです」
 レミルが小瓶を左右に振った。すると、どろどろとした毒が緩慢に揺れる。
 彩希は気持ちが悪そうに毒を見つめ、口を挟んだ。
「この毒は、どれくらい危険なのかしら?」
「恐ろしいほどの猛毒ですよ。僅か一滴で、成人男性を数分以内に死に至らしめるそうです。この量ならば、小さな村であればすぐに壊滅できるでしょうね」
 黒羽はこめかみから流れる汗を拭うと、苦虫を噛んだような顔になった。
 ――やはり、あり得ない。山城さんがこんな毒を女王に盛ろうとしたなんて。
「……そうですか。ありがとうございました。彩希、このことを報告しに行こう」
 黒羽が踵を返そうとすると、レミルが慌てて呼び止めた。
「待ってください。黒羽さん、何か面倒なことに巻き込まれているのでは?」
「とんでもない」
 首を振る黒羽に、レアが真っ向から否定した。
「ウソです。余裕がない時の顔をしていますよ」
 思わず、黒羽はサッと顔に手を当てた。レアは、黒羽に歩み寄ると下から顔を覗き込んできた。
「話してくれませんか。私達、黒羽さんの力になりたいんです。いつもお世話になっているんですから、ちょっとくらい恩返しさせてください」
 黒羽が周りを見渡すと、レミルといつの間にやら戻っていたエッロが頷いた。
「皆、本当にありがとう。ここで話すのもなんだから、場所を移そう。レア、空いている部屋があったら案内してくれ」
 レアに先導されて、皆が後を追う。と、
「あ、エッロさんは、仕事に戻ってください」
「そ、そんな」
「お母さんに怒られますよ?」
 エッロはたった一言で、顔が青ざめ厨房の奥へと寂しげに消え去った。
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