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第7話 第1章 驚くべき出会い⑥

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 車は住宅地が密集する場所を通り過ぎ、国道五十八号線に出る。朝の出勤時間を少し外した時間帯だが、それでも車は豪雨で勢いの増した川のように走っている。
 黒羽は、第二車線に車を滑りこませると、ドリンクホルダーからコーヒー缶を取り出し喉に液体を流しこませた。
「なんだか、昔となんもかもが違うな。ん! たぶん、今通った辺りに馴染みの調理器具屋があったはずだけども、潰れちまったみてえだな」
「そうなんですか? 僕が子供の頃は駄菓子屋でしたよ。今はラーメン店になってますけどね」
「そうか……」
 ――言葉がしばし途切れる。
 
 時の流れは残酷だ。人の意思を差し込む余地を与えず、ただ淡々と流れゆく。
 
 山城は、
(浦島太郎の気持ちってか)
 と自嘲気味に笑い、見覚えのない故郷を眺める。間違い探しをするように、物の輪郭を網膜に映していく。
(あ、あれは。お、こっちも)
 ポツリポツリと懐かしく感じる景色はある。が、真新しい建物が見えるたび、古い記憶が色味を失って消えてく気がして、山城は目を閉じた。
「じきに慣れるわよ」
 天気雨のような唐突さで、彩希が呟く。
「どういう意味だ、嬢ちゃん」
「そのままの意味よ。……私ね、ドラゴンなのよ」
「ど、ドラゴンだって。そうには見えねえが」
「人間に変身しているのよ」
 一度言葉を切ると、彩希は鬱陶しげに前髪を払った。
「昔、兄の凶行を止めようとして、私は大怪我を負った。ダメージが大きすぎて、何十年、何百年も寝ては目を覚まし、また眠りに就いて目を覚まし。それを何度も繰り返したのよ。
 ――目を開けて、世界を見た時、時間は私を残して、周りだけを歩ませる。そう、何度も思った。けれどしばらく外の世界を眺めていると、寂しいと感じる気持ちが弱まっていくのよ。……馴れていくの」
「……そいつぁ」
 酷く恐ろしいことだ、と山城は感じた。今、山城の心を覆う冷たさが、当たり前になる。それは、
「冗談じゃねえや」
「ホントよね。……でもね」
 彩希は運転席を見て、染み入るような顔で笑った。
「酷いことばかりじゃないわ。昔には出会えなかった人と出会い、絆を結んでいく。一緒に泣いたり笑ったりしながら経験を積み重ねていくと、この瞬間を生きる”今”に居場所ができるの。それって、素敵なことだと思わない?」
 山城の頭の中に、はじけるようにトゥルーでの日々が思い出される。色鮮やかで、充実した日々。それは大切な経験で、異世界に飛ばされて最悪だったと切り捨てるには、……あんまりにも輝いていた。
「へ、そうかもしれねえ。いや、きっとそうだ。悔やんでもしゃあねえや、俺ぇらしくねぇ。ヘヘヘ、あんがとな」
 山城は朗らかに笑い、前を向く。黒羽はホッと息を吐くと、バックミラー越しに親指を立てた。
 ※
「ここ……ですか?」
 車は川沿いにある道路の脇に止まる。
 周りは住宅地が密集する場所で、中央には久茂地川が流れ、道路がそれを挟み込む形で走っている。
 黒羽達がいる道路の反対側は、モノレール線が並行し、景色が違って見えた。
「いつの間にあんなものが?」
「十五、六年前くらいに開通したんですよ。壮観ですよね。モノレールが通るレールを、あの見上げるほど巨大な柱が支え、等間隔に並ぶ景色は」
 複雑な顔で川沿いに、一定間隔で並ぶ柱を眺める山城とは対照的に、彩希は嬉々として車から飛び出した。
「凄いわ。あ、あの細長い箱の中に人が乗って移動するのね。ねえ、秋仁。箱にはタイヤがないけど、どうやって走っているのかしら?」
「え、さあな?」
 サイドブレーキをかけ、エンジンを切った黒羽は車から降りると苦々しく頭を掻いた。
「分からないの?」
「あのな。専門家じゃないと分からないよ。お前だって、自分の体が変身できるメカニズムを説明できないだろう」
「む、感覚的にだったら説明できるわよ。しゅわーときて、グンと体が別の感覚に変化するの」
「意味不明」
 面白くなさそうに睨む彩希に見えぬよう、黒羽は顔を背けた。
(やった、やっと一本取った)
「あー、黒羽さんよ。もう帰ろうか」
「え、もうですか?」
 山城は、自身の目の前に立つ建物を眺め、ゆっくりと首を振った。
「俺ぇの家は、ここにあったはずなんだよ。けどなあ、知らねえ建物が建ってやがる」
「……そうですか。ちょっと、待ってください。聞き込みをしてみましょう」
 黒羽は周りを見渡し、道に水を撒いている中年の女性に話しかけた。
「すいません」
「はい? 何」
「そこに建っているマンションは、いつ頃からあるんですか? 昔は山城ってご夫婦のご自宅だったはずなんですが」
 女性はバケツを置くと、訝しむ目で下から黒羽を見上げた。
「確かに山城さん夫妻が住んでた家があったけど……、アンタは誰?」
「あ、黒羽さん。ちょ、ちょっといいかい。間違いねえ、俺ぇだよ、やっちゃん」
「……この声、嘘でしょ」
 口に手を当て、女性は食い入るように山城を見る。
 ――やがて、得心がいったのか、瞳から涙を零した。
「ああ、こんなことってあるのか。とっくに死んじまったと思ってたのに」
「やっちゃん……」
 山城は女性の肩を叩き、心配かけたな、と呟いた。
「今までどこに?」
「……ちょっとな、連絡も取れないような外国にいたんだ。中々帰ってこれなかったんだけど、やっと沖縄に来れたんだよ」
「今時そんなところあるのかい? まあ、愛妻家の誠さんのことだから、それくらいの事情がないと帰らないってことはないか」
 女性は、チラリと黒羽に視線を向ける。
「あ、ああ。悪いな黒羽さん。この方は黒羽秋仁さん。俺が帰れずに困っていたところを助けてもらったんだ。
 こっちは中松千恵子、俺が嫁さんと一緒にここに住んでいた時に仲が良かったご近所さんだ」
 黒羽が頭を下げると、中松は近寄り手を強く握りしめた。
「ありがとうございます。本当にもう、何といってよいやら」
「い、いいえ。大したことはしていませんよ。それより、奥さんはどこにいらっしゃるんですか? 山城さんの元気なお姿を早く見せたほうが良いでしょう」
 サッと中松の顔が曇る。
「梅子さんとは、ずっと連絡を取ってないんです」
「それは、どうして?」
「あの日、誠さんが行方不明になったって連絡を受けた時に、梅子さん、しばらく塞ぎこんじゃって……。一ヶ月くらいかしら、誰とも話さなかったのよ。そしたら、急に「家は売り払って、遠くに引っ越します」っていってそれっきり」
 黒羽は顎に手を当てると、問いかけた。
「ご連絡先は?」
「気まずくって何年も連絡を取っていないんですよ。数年前までは、固定電話を使ってたから、ノートに連絡先を残していたんだけど……、スマホに変えた時に、捨ててしまって。もう、連絡先は知らないのよ」
 内心、黒羽は舌打ちをした。これでは、見つけるのは容易ではないだろう。
「ごめんなさいね、力になれなくって」
「いいんだよやっちゃん。俺ぇ久々にアンタの顔見れて良かったよ。ま、梅はじっくり時間をかけて探すさ。
 また、今度思い出話でもしようぜ。梅と一緒によ」
「そうね。あ、ちょっと待ってね」
 中松は、スマホを取り出すと、自身の電話番号を表示した。
「いつでも連絡取れるように、連絡先を交換しとこう」
「では、僕の連絡先と交換しときましょう。山城さんは携帯電話をお持ちではないので」
 きちんと交換し終えたことを確認してから、黒羽は車に乗りこんだ。
「山城さん。気を落とさないでください」
「……でぇじょうぶだ。そんな気がしてたんだ。それよか嬢ちゃんはどこに行ったんだ?」
 黒羽は車内を確認し、次に外を見た。――いつの間にか、いなくなっている。
「ったく、どうりで会話に交じってこないなと思ってたんだ」
 黒羽は車を徐行させながら、彩希を探す。……彼女はすぐ近くにいた。
「黒羽さんよ。あそこだ」
「え? ああ、いた」
 安堵のため息をつき、黒羽はクラクションを鳴らした。
「わあ!」
「わあ、じゃない。どこほっつき歩いてるんだ」
 彩希は後ろを振り返ると、ムッとした表情で非難する。
「びっくりするじゃない。もっと優しく合図なさい」
「急にいなくなったバツです。まったく、何をしていたんだ?」
「あれよ。あれを見ていたの」
 指差した先は、『メンソーレ探偵事務所』の看板だ。ほっそりとした小道に面する形でそびえるビルの二階にあり、色が抜け落ちた看板がどことなく寂しく感じさせる。
「この探偵事務所って、たしかcмでやってたところか」
「やっぱりそうなのね。まだ字が読めないから確証がなかったけど、カタカナと漢字の並びでそうかなって思ったわよ」
 ん? と黒羽は思いつく。
「山城さん。この探偵事務所に奥さんの居場所を探してもらいましょうよ」
「あー、なるほど。けどよ、手掛かりがねえぇぜ」
「大丈夫よ。手掛かりなんぞいらねぇ、絶対安心人探しってテレビで言ってたわ」
 山城は苦笑いで答える。
「そりゃ、大丈夫かね。かえって心配だぜ」
「ま、たぶん大丈夫でしょう。常連の方が知人を見つけてくれたって喜んでいましたから。まあ、見た目で判断すると、ちょっと不安ですけどね」
 黒羽はニヤリと笑うと、コインパーキングを探すために車を発進させた。
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