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第六章 カリム強襲②

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 廊下から階段へ、階段から一階へ滑るように移動し、周りを見渡すと見覚えのある中年男が宿の客を外へと避難させていた。
「ん? あんたは黒羽さんか。丁度いいところにきた」
 脂ぎった顔をさらに汗で光らせた中年男エッロは、黒羽を見つけるなり近寄ってきた。
「大変だ。黒いマントを着た集団が急に襲ってきて、次々と町を破壊してる。それを止めようとしてエメ様が、外に飛び出して行っちまった」
 舌打ちをしたサンクトゥスは、エッロに質問する。
「まずいわね。もしかしてレアちゃんも外に?」
「そうだよべっぴんさん。中央広場の辺りへ突っ走っていったな」
 だとすれば、事態は一刻を争う。宿を出ると、人々が洪水のように中央広場から逃げ惑う姿に出くわす。
 黒羽は人の波をかき分けて進む。
 人々の顔には、混乱と絶望の色だけが張り付いている。
 泣き叫ぶ者。
 口から血を垂れ流す者。
 どれもが黒羽の知らないフラデンの人々の様子であり、知りたくもなかった様子だ。
 散らばっている商品を飛び越え、ぶつかった人々に謝りながらなんとか黒羽は目的地へ到着する。
「そんな……」
 ――広場は血染めの処刑場へと変貌していた。
 珍しい商品が並ぶ活気ある広場はどこだ? 
 しきりに自慢の品を勧める商人達がしのぎを削る光景はどこだ?
 地には鮮血に染まった死装束を纏う人々が、転がっていた。
「頭にきたよ……この野郎」
 この声は、怒った時のエメのものだ。広間の中央で戦闘態勢になった彼女の視線の先に、カリムと黒マントの集団がいた。部下に左右を挟まれる形で立つカリムの手には、ナイフが握られており、その切っ先はレアに向けられていた。
「まずい、カリムに捕まったのか。サンクトゥス、レアを救出するぞ――ってあれ?」
 後ろを振り向くが、サンクトゥスの姿は見当たらない。混乱のさなか、はぐれてしまったのか。
「おや? 貴様は黒羽か。会いたかったぞ」
 にやけた顔で話しかけてきたカリムに、黒羽は怒鳴り声で返答する。
「レアを放せ。何のつもりだ」
「ハハハ、実はな。アクア・ポセイドラゴンがお前らを助けたのを思い出してな。なあ、知っているのだろう。ヤツの居場所を。教えれば、この娘は無事に返そう」
 圧倒的優位な立場にいる者が、人を脅す時の態度がこれほど不快に感じることを黒羽は初めて知った。胃が苛立ちでただれてしまいそうだ。
「黒羽さん。教える必要なんかありません。私は大丈夫だから」
 震え声で首を振るレアの胸元に、ナイフを所持していない方の手を当てると、カリムは笑みを深めた。
「さて、俺の正体がドラゴンであることは知っているな? ドラゴンならば誰もが持つ力、ウロボロス。それを人に流しこむとどうなるかな?」
「うちの娘に危害は加えさせない。《風よ切り裂け》」
 エメが発動させたカマイタチは、カリムの顔に直撃するが、呆気なく霧散する。
「なぜ傷一つつかない!」
「言っただろう。俺はドラゴンだと。無駄なことはやめるべきだな」
 驚愕するエメが、黒羽へ視線を向けてきたため頷いた。このままでは、レアは殺されてしまう。策を考えるためにも、ひとまず時間を稼がなければならないだろう。
「お前、なぜアクア・ポセイドラゴンに執着している」
「知れたこと。ヤツは生命が生き続けるために不可欠な水の生成と操作する力を持っている。彼の力を得れば、人をより効率よく殺せる」
「どうかしている。だけど、残念だったな。彼はお前の味方にはならないぞ」
「だろうな。毒を用いてもなお態度を改める様子はない。――で、あれば殺す」
 鋭い視線にどことなく泣きそうな表情。コイツはやはりただ狂っているだけではないのか? 黒羽はこの疑問に対してもう少し考えてみたいと思ったが、状況がそれを許しそうにない。
「さあ、返事を聞かせてもらおうか?」
「教えないが返事よ」
 轟音。いつの間にか目の前に現れたサンクトゥスが、カリムを力一杯殴りつけた音だ。だが、拳はカリムの手のひらに包まれるように受けとめられている。
「来たか。姿が見えなかったのでな、こうすれば助けに入ると思っていた」
 はじめからそれがカリムの狙いだったのだ。黒き魔力を発動させたカリムは、レアを突き飛ばし、流れるような動きでサンクトゥスのみぞおちを蹴って、気絶させてしまった。
「サンクトゥス!」
「汚らわしい人間が、妹の名を呼ぶな! おい、お前達。黒羽以外の人間は殺せ。皆殺しだ」
 五人の黒マント達がナイフを手に、次々と人々に襲い掛かる。
「レア、レア! 目を開けなさい」
 エメが戦場と化した広場を駆け抜け、我が子に必死になって呼び掛けるが、レアはぐったりとしていて目を覚まさない。
「エメさん。さっき、突き飛ばされた時にウロボロスに触れてしまったんだ。たぶん、魔力欠乏症だと思います」
「魔力欠乏症……そうね。この感じはそうかもしれない。黒羽さん、あの男がドラゴンなら私達ではどうにもなりません。逃げましょう」
「ええ、そうしてください。エメさんはカリム以外の黒マント達を相手にしつつ、町の人々を避難させてください。ヤツは僕が止めます」
「そんな……無茶です。おやめなさい! 自警団の到着を待って彼らに任せるべきです。黒羽さん!」
 エメの制止を振り切り、黒羽はカリムに接近する。怒りと狂気が入り混じるカリムの顔目がけて、拳を思い切り突き出す。
「おっと。そんなものか」
 避けもしなかった。手は岩を殴ったかのように痺れ、拳からは自身の血が流れ出る。
「やっぱり駄目か」
「おや、諦めたか」
「ああ、だから彼女の力も貸してもらう」
 もう片方の腕をしならせて、カリムの腹を目がけて掌打を放つ。今度は……止められはしなかった。砲弾のように勢いよく宙を舞ったカリムは、建物の壁を突き破り室内まで吹っ飛んだ。
「起きろサンクトゥス」
 倒れている彼女の肩を揺さぶると、ゆっくりと目を覚ました。
「カリムは?」
「思いっきり殴ってやった。けど、あれくらいじゃ効かないだろうな。……ハア、ほらな」
 土煙舞う中、カリムは憤怒に突き動かされながら、現れた。
「ウロボロスの力を人間が、だと。あり得ぬ。あってはならぬ。認めんぞぉぉぉぉぉぉ!」
 ――来る。
 手品のように側面に移動したカリムからの斬撃。黒羽は、身をかがめて躱し、蹴りをお見舞いする。
「ぐぅ」
 動きが止まったカリムに、サンクトゥスが拳を振るう。回避しようと動くが、彼女の拳はもろに顔面を捉えた。
「ぬぅぅ」
 瞬時に態勢を立て直したカリムが繰り出す連撃を、黒羽は薄皮一枚で避けて接近し、
「フン」
 懐に入ったとみるやカリムに当て身を喰らわせ、背負い投げで地面に叩きつける。
 この前の戦闘が嘘のようだ。動きに対処できる。
「ふざけるなぁぁぁぁ」
 さらにウロボロスの濃度を高めたカリムが、黒羽に襲い掛かる。
 ――速い!
 咄嗟に身を捻ったが、カリムの一撃を完全には躱せなかった。黒羽はわき腹を押さえ、後ろに飛びのくと、逃すまいとカリムが距離を詰める。
「離れて! フヒュ!」
 サンクトゥスが真横から回し蹴りを叩き込んでくれたおかげで、カリムは追撃を諦めた。その隙に彼女は黒羽に近寄ると、瞬時に刀へと変化した。
「サンクトゥス、サンクトゥス、サンクトゥスゥゥゥゥゥゥゥ。我が妹。なぜだ! 人間の味方をするな」
 雄たけびを上げて、カリムがナイフを振るう。黒羽は刀で受けとめた瞬間、折れると判断して真横に飛ぶ。
「大丈夫! 秋仁」
「ああ、なんて一撃だ。ウロボロスを纏った状態でこんなに手が痺れるとはな」
「落ち着いて。兄さんは冷静さを失っている。普段の彼なら付け入る隙はないけど、今ならいけるわ。練習していたあれをやるわよ」
 彼女の言葉に、黒羽は笑みで答える。
「何を喋っている貴様ら」
 カリムの猛烈な突きに対して黒羽は、下段の構えで出迎える。この構えは、守りを重視したものであり、あらゆる攻撃に対応するのに適している。
 繰り出されるナイフを、最小限の動きで防ぎ、決して攻撃はしない。力任せとはいえ、一撃一撃が必殺の威力だ。防ぐだけで体力を消耗する。
(まだだ……まだまだ。もう少し……今だ!)
 タイミングを見計らいカリムのナイフを跳ね上げると、返す刃で反撃する。
「その程度!」
 カリムはその一撃を躱した……はずだった。しかし、彼の顔面を襲った一撃は、刀によるものではなく、変身を解いたサンクトゥスの蹴りだった。
 吹き飛びはしないものの、体勢を大きく崩すカリム。黒羽はすかさず刀へ変化し直したサンクトゥスを掴み、足、肩、腕を致命傷にならない深さで切った。
 ――やれる。このまま押し切る。そう黒羽が思った時だった。カリムの体を覆っていたウロボロスの量が増加し、姿を見失ってしまう。
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