喫茶店のマスター黒羽の企業秘密

天音たかし

文字の大きさ
上 下
15 / 32

第四章 契約②

しおりを挟む
 翌朝。比嘉に店を任せた黒羽は、サンクトゥスと共にトゥルーへと旅立った。空は綿あめを千切って放り投げたように、沢山の雲が浮かんでおり、太陽の姿は隠れてばかりだ。
「さて、憩いの宿アルシェに行くんだったわね」
「ああ、何か進展があるかもしれないからな」
「その前に、少し良いかしら」
 隣を歩いていたサンクトゥスは、前に出て黒羽についてくるように合図した。彼女に誘導されて森をしばらく歩いていると、コンテナが横に二つ並べられるほどの開けた場所に辿り着く。
「ちょうど良い場所があったわ。ちょっとわがままを言って良いかしら」
「わがまま?」
「私と模擬戦をしてほしい。理由は後で話すわ」
 柔らかい朝日が足元の草を照らし、濃い森の匂いが立ち込める中、一人の人間と一匹のドラゴンとの間で、ピンと張り詰めた空気が満ちる。
「……分かった。どうしても戦う必要があるんだな」
「ええ、ごめんなさい。でも、やるからには本気で来なさい。兄さんほどでないにしろ、私も結構強いわよ」
 腰から折れた刀に代わり持ってきた木刀を引き抜くと、黒羽は油断なく構えた。木刀を掴んだ瞬間から、頭と体を経営者の黒羽から剣士の黒羽へと切り替え終えている。闘志を心の底に深く沈め、適度に脱力しきった黒羽は、まさに達人と呼ぶにふさわしい剣士だ。
「凄い圧力。気を引き締めないとやばいわね」
 拳を握りしめると、サンクトゥスはウロボロスを発動させた。純白の輝きは天女の羽衣のように、彼女の体からゆらりと立ち上る。魔力が頭のてっぺんから足のつま先に至るまで満ちて溶け込み、人の限界を超えた膂力を得る。
(来る)
 黒羽は、一歩後ろに下がる。途端にサンクトゥスの蹴りが鼻先を僅かに掠めた。とても目で追えたものではない。地面が爆ぜたと思った瞬間には、目の前にいる。黒羽は目で追うのを止め、剣士としての直感に頼った。これまでの戦闘経験、血が滾るほどの闘志、そして生存本能。それらが混ざり合った時、人は驚異的な勘の良さを発揮する。
「やあ!」
 蹴り、突き。サンクトゥスが抉るように繰り出す打撃技を、黒羽はすんでのところで躱す。風切り音が彼女の一撃の重さを伝え、心がざわめきそうになるが、呼吸を乱すマネはしない。
 冷静に淡々と、体の反応に任せて攻撃を回避しつづける。
 そればかりか
「フン」
 反撃を開始した。
 躱しざまに斬撃を放つ。
「なんて人……これならどうかしら」
「クソ、ちょこまかと」
 どちらの攻撃も当たらず、一進一退の攻防が続く。
「……?」
 瞬きすら許されない戦いのさなか、黒羽はとあることに気付いた。
(地面の爆ぜ方で位置を割り出せるかもしれない)
 相変わらず彼女の姿は見えないが、地面が爆ぜた位置の直線上に攻撃が来る。
 真正面の地面が爆ぜれば前から、真横の地面が爆ぜれば、横から攻撃されるのだ。
 パターンが分かればどうということはない。黒羽は目を瞑ると、音がした方向に袈裟切りを仕掛けた。
「そんな! もう慣れたというの」
「喋っている場合か! そら」
 袈裟切りが空を切ったのを見届けた瞬間、黒羽は流れるように足払いをかける。
「わ!」
 倒れたサンクトゥスの喉元に、ピタリと木刀を突きつける。
 サンクトゥスはポカンとした表情をしていたが、体を震わせると大声で笑い出した。
「アハハハハ、凄いわ。まさか負けるとは思わなかった」
「ウロボロスだっけ? 確かに凄いけど、君の動きはカリムと違って、あまりにも直線的すぎる。読むのは簡単だ」
「参ったわ。でも、自惚れないで。ウロボロスの濃度はまだまだ上がるわ。つまりもっと早く動けるってこと」
 黒羽は、やれやれとため息を吐く。そんな様子を見て、さらに笑うサンクトゥスに黒羽は手を差し出した。
「ありがとう。うん……これほどの強さを得るためには、心技体の全てをかなり鍛え込まないと駄目なはず。合格よ」
「合格ってなんの話だ」
「あのね、提案があるの。あなた、川の水をどうにかしたいんでしょう」
「ああ」
「たぶんだけど、兄さんが一枚噛んでいる気がするのよ。あの強さ。いくらあなたでももう一度会えば、どうなるか分からない。そこでなんだけど、私と”異種契約”しない?」
 仕事柄上、契約と言う言葉はよく聞くが、恐らく違うものだ。黒羽は、怪しげな商品を売りつけてくるセールスマンと接している時と同じ顔をする。
「ちょっと、何よ。話を詳しく聞く前に、そんな顔するのは感心しないわね」
「ごめん。で、異種契約って何だ?」
「読んで字のごとく、異なる種族同士が交わす契約のことよ。条件を提示して、互いに合意する。それ以降は、契約を破棄しない限りその条件に縛られる。これから私がしたい契約は、そういうものよ」
 にわかには信じがたい話に、黒羽は面食らう。
「そんな契約が存在するのか?」
「ええ、あるわよ。この契約を用いれば、あなたに私のウロボロスを使わせることだって可能になる」
「は? 俺がウロボロスを使えるようになるだって? 冗談だろう」
「本当よ。あなたにはヒュ―ンがないから、ウロボロスを使っても魔力欠乏症になる心配はない。だから、使おうと思えば使えるはずよ」
 先ほどの戦闘を思い出して、黒羽は身震いした。あの力があれば、カリムと渡り合うこともできるだろう。魔法を使えない黒羽としては、安全を確保するという意味でもありがたい申し出だ。しかし、
「嬉しい申し出だが、君に何の得があるんだ?」
 サンクトゥスは黒羽を見つめ、ポツリと話し始めた。
「私はね、兄さんを止めたいの。あの人の憎悪は、自分でも歯止めが効かない状態だわ。人を恨んで、殺して。そんな悲しい生き方は、誰にとっても幸せな結果にならない。だからね、唯一の肉親である私が止めてあげるのよ。あなたには、その手伝いをしてほしいの」
「止めるって……もしかして、その、殺すとか」
「……それは分からない。できれば、生きてあの人には罪を償ってほしい。あ、でも安心して。殺しの手伝いをしろってわけじゃないの。あなたができる範囲で手を貸してくれればいいわ」
 ずっと吹いていた風は止み、葉が鳴らす音さえ聞こえなくなった。静けさはまるで、二人を中心に森全体へと広がったようでさえある。
 黒羽は悩む。多くのお客達と接してきたからこそ、人を見る目には自信がある。口元をきつく締め、思いつめたかのようなサンクトゥスの表情からは、兄を止めたいという気持ちが溢れ出ている。だが、ここで簡単に協力すると言っていいものかどうか。
 サンクトゥスは、そんな黒羽の迷いが透けて見えているようだった。歩み寄ると、二本の指を立て微笑んだ。
「提示する条件は二つ。一つ目は契約者に危害を与えることは互いにしない。二つ目は互いができる範囲で助け合い、無理強いはしない。どうかしら? この条件なら安心でしょう」
「確かに随分とフェアな条件だな」
「でしょう。私は兄さんを止めたいから、協力者がほしい。あなたはウロボロスという力が手に入る。互いにメリットがあるわ。それにね……私はあなたのこと気に入ったの。何かに夢中になっている人ってとても好きよ」
 熱湯をかけられたかのように顔が熱い。むずがゆく感じて、黒羽は頭を掻いた。
「契約か。……ん? 待てよ。契約を破ったらどうなるんだ?」
「さあ?」
「さあって」
「分からないわ。でも、誓いを破った契約者は消滅すると言われているわね」
 随分と重いペナルティに、和やかな気持ちが薄氷を踏んでしまったかのように、あっさりと砕かれる。じんわりと滲む汗が、スーと背中から腰にかけて流れ、肌が粟立つ。
「おい。それは本当か?」
「ごめんなさい。私も初めて契約するし、はっきりと断言はできないわ。ただ、確かなことは、私が眠りに就く前の世界では、当たり前のように契約が行われていたということだけよ。契約をしたら分かるって、あの子達は言っていたけれど」
 古いアルバムを眺めているような目で、サンクトゥスは遠くを眺めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

知識スキルで異世界らいふ

チョッキリ
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします

Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。 相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。 現在、第三章フェレスト王国エルフ編

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...