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第四章 契約①

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 本日の琉花町は、降水確率ゼロパーセントの快晴。相変わらず酷暑と呼ぶにふさわしい一日であった。
 黒羽は朝早くから店に訪れ、店が閉まるまで汗水流して働き、今ようやく椅子に座って体を休めていた。
「お疲れ様。コーヒーを淹れるわ。と言いたいところだけど、私じゃ無理ね。水なら用意できそうだけど」
 黒羽の肩を叩き、労ったのはサンクトゥスだ。
「ありがとう。でも、いいよ。俺がコーヒー淹れるから、座って待っていてくれ」
 黒羽はカウンターに入ると、コーヒーミルで豆を砕く。
 昨日、過去話をしている最中に「敬語は堅苦しい」とサンクトゥスに言われたので、友達に話すような口調で話しているが、少し照れくさい。
「コーヒーというのは凄く美味しいわね。昨日飲んだのは、トゥルーの豆でしょう。じゃあ、これは?」
「この豆は、始まりの世界の豆さ。ジャマイカって国で栽培されている豆でね、トゥルーの豆とは風味が全然違うから、飲み比べてみると楽しいよ」
 ネルドリッパーに砕いた豆を入れ、ドリップポットから水滴を垂らす。一滴一滴垂れるごとに、豆が濡れ、香りがゆっくりと漂ってくる。
「そんなまどろっこしくお湯を注がないと駄目なの?」
「まあね。コーヒーは手を抜けば抜いただけ不味くなる飲み物なんだ。……昔、爺ちゃんがさ。コーヒーを淹れるのは、人の生き方に似ているって言ったんだ。いい加減に淹れたコーヒーが不味いように、努力もしない楽ばかりを選択する生き方は、不出来なコーヒーそのものだってね」
「へえ、奥が深いわ」
 ネルドリッパーから緩やかに降ってくる抽出液を、コーヒーサーバーが受けとめる。透明だったコーヒーサーバーが茶色い液体によって曇り、中の様子が不鮮明になった。
 それを興味深そうにカウンター越しから眺めているサンクトゥスは、朝からずっと喫茶店アナザーにいた。何をするでもなく、席の一角を陣取り、ジッと黒羽の仕事ぶりを眺めていただけ。客は絶世の美女と呼ぶに相応しいサンクトゥスに釘付けで、傍から見てて凄くおかしいと黒羽は何度笑っただろう。
「ほいよ。失礼」
 気だるげな声で誰かが店内に入ってきた。
 ほっそりとした体型で、アルミフレームのメガネに、ボサボサのくせ毛がすだれのように垂れている。見るからに不健康そうな男に、黒羽は親しげに接する。
「よう。相変わらず病人みたいだな。淳一」
「おいおい。呼ばれて来てやったのにあんまりじゃないか。あい! そこのちゅらかーぎー(美人)は誰ね」
「私? そうね。黒羽の良い人かしら」
 人差し指を唇に当てて妖艶に笑うサンクトゥスを、黒羽は困った顔で見つめる。
「おい。誤解を招くようなことを言うなよ。淳一? どうした」
「嬉しいさ。とうとう秋仁に女ができた。そうか、結婚するのか」
「誤解するな。この人はサンクトゥスさん。あっと、ごめん。突然でビックリしただろう。この男は俺の友人で比嘉純一っていうんだ」
「サンクトゥス? 変わった名前さ。外国人?」
「いや。異世界人だよ。淳一」
 あっさりとばらす黒羽に、視線で良いのかと確認を取るサンクトゥス。黒羽は頷くと、コーヒーカップを三つ用意して、お湯を入れて温めた。
「トゥルーの人って意味だよな。凄いさ。いつからこっちへ?」
「昨日だ」
「昨日? どこで一泊した」
「? 俺の家」
「羨ましい! お前のことだから何もしてないだろうけど。それでも羨ましい」
 床に這いつくばる比嘉。大げさな動作にサンクトゥスは少し驚くが、黒羽にとってはいつもの光景。淡々とコーヒーの用意を済ませて、カウンターに二つカップを並べた。
 この男、比嘉純一は黒羽の幼馴染で、地元の企業で食品分析の仕事に携わっている。企業や国から依頼を受け、食味構成要素や食品の安全性などを調べるのが仕事だ。商品の差別化を図りたい企業や農薬混入・食中毒などの問題に対処したい国にとって重要な存在である。
 異世界トゥルーの存在を打ち明けた数少ない人物のうちの一人で、時々トゥルーから持ち込んだ原料の成分を調べてもらっている。
「まあ、いいさ。それで、わんを呼んだのはなんで?」
「わんって何かしら。犬?」
「ハハハ。違うさサンクトゥスさん。わんっていうのは沖縄、つっても分からないか。この地域の方言で、私って意味がある言葉さ」
 楽しそうにサンクトゥスと話す比嘉。黒羽はそんな彼に話しかけようとするが、踏ん切りがつかず黙りこんでしまう。比嘉は、黒羽の様子を不審に思い、問いかけた。
「どうした? またトゥルーの食品を調べてほしいのか。良いよ別に」
「いや。別に安全かどうか調べてほしい食材があるわけじゃないんだ。ただな……」
「なんね。はっきりしない。ドンとわんに任せろ」
「本当に、ドンと任せて良いんだな」
「おうよ。あ、コーヒーもらうね」
「恩に着る。あのな。明日から三日間、この店で留守番をしてくれ」
「ゲボ! ハ?」
 盛大にコーヒーを吹き出す比嘉。隣で美味しそうに飲んでいたサンクトゥスが、非難がましい顔で睨む。
「俺は今、夏季限定メニューに絶対必要な花を手に入れようとしている。でも、苦戦していてな。このままじゃ入手できないから、三日ほどトゥルーに滞在するつもりだ」
「なるほど。けど、分からん。なんで、わんが? お店を休めばいいさ」
「そうはいかない。夏季限定メニューを多くの人に味わってほしい。そのためには、店を休まず、アピールしないと駄目だ。だから、頼むよ。ブログとか、メルマガとか色々な方法でアピールしてるけど、それだけじゃ心もとなくてさ」
「いやいや、無理無理。喫茶店とかで働いた経験ないし」
 首だけでなく手も振って己の意思を表現する比嘉の気持ちは、黒羽には痛いほどよく分かる。だが、ここは心を鬼にしてごり押しすることにした。
「安心しろ。料理は出さなくていい。作り置きできるデザート類と飲み物を置いていくから、それを提供してくれ。ちゃんとマニュアルも残す。それに、知ってるんだぞ。お前、明日から夏季休暇だろ」
 やや顔が引きつるが、休みだからといって引き受ける理由にはならない。比嘉は強気な態度で、なおも断り続ける。
「だから? お前、大事な店を素人に任せるとか正気か? 悪いことは言わん。休め」
「そうはいかない。頼むよ。ただとは言わない。給料も多めに出すし、スペシャルな特典も付ける」
 黒羽はカウンターの下から、二枚のチケットを取り出す。これこそ、黒羽がこの無茶を押し通す切り札だ。
「それは?」
「当店を貸し切りで使えるチケットだ。お前の職場にいる真紀ちゃんだっけ? 何度デートに誘っても相手してくれないって嘆いていたよな」
「聞きたくない。なんもいうな」
「こら、耳を塞ぐな。このチケットを渡せば、あるいは成功するかもしれないな。だってほら、真紀ちゃんはこの店ずっと行きたがっているんだろう」
(恐ろしい男だ。こやつ策士か!)と比嘉は、内心歯を食いしばっていた。大人気店であるトゥルーの貸し切りチケットなど、”絶対に大好きなあの子とデートができるチケット”と言い換えてもいいものだ。比嘉にとって、喉から手が出るほど欲しい代物である。
 サンクトゥスは、そんな二人のやり取りには目もくれず、コーヒーの風味を楽しんでいたが、飲み終わると比嘉の肩を強く叩いた。
「アガー(痛い)!」
「はっきりしない男ね。そのチケットが欲しければ引き受ける。そうじゃなかったら断る。悩む時間がもったいないわ。早く決めなさい」
 容赦のないサンクトゥスに、血色の悪い顔がさらに青白くなる比嘉。しばらく悩んでいたが、やがて両手を上げて降参した。
「分かった。やるよ。やらせてもらいます」
「ありがとう。助かる。サンクトゥスもありがとな」
 ふわりと髪をたなびかせて横を向くと、コーヒーカップを黒羽に向けて差し出す。
「コーヒーのおかわり、もらえるかしら」
「……もしかして照れてるのか? いや、何でもない。すぐにご用意いたしますお客様」
 三日間。この期間でムーンドリップフラワーが手に入らないと、夏季限定メニューの完成は絶望的だ。
 コーヒー豆を挽きながら、黒羽は店内を見渡す。夏季限定メニューに喜ぶ客達が、楽しそうに過ごす未来。今はまだ、ぼんやりとしかイメージできないが、きっと現実のものにしてみせる。改めてそう決意を固めていた黒羽を見つめるサンクトゥスの表情はやさしげであり、微笑みながら両目を閉じた。
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