上 下
3 / 32

第3話 第一章 企業秘密の謎解きは開店後に②

しおりを挟む
 町の印象は一言でいえば、”楽園”と言ったところだ。ダムのように高い市壁に囲まれた町は、二階か三階建ての建物が並び、商人や旅人が至る所にいた。
 『花と笑顔が咲き乱れる町』と呼ばれるだけあって、鮮やかな花と心安らぐ緑の木々が、右を見ても左を見ても目に付くほど植えられており、淡い橙色の輝きが太陽に代わって、優しく人々と建物を包んでいる。この輝きは近くで見ると分かるが、ライト・フラワーと呼ばれる花の種子だ。町の景観はまさしく花の美しさを体現しているが、さて、これはどうしたことだろう。人々は笑顔どころか暗い沈んだ様子で歩いている。

 気のせいだと良いが、と思いつつ黒羽は歩き出し、やがて一軒の道具屋の前に到着した。南の大通りに面した老舗の道具屋『万能百貨店』のドアを開けると、所狭しと並べられた商品棚が出迎える。その奥に、店主であるアルバーノが居座るカウンターが見えた。
「こんばんは。アルバーノさん」
「ううん? おお、コイツは黒羽じゃねえか。お得意さんのご来店だ」
 つるりとした頭と人の良さそうな笑顔がトレードマークの店主が、手を振って答える。
「今日はどんな品を?」
「これです」と差し出された用紙に上から順に目線を動かしたアルバーノは、ピタリと動きを止める。その顔には苦い表情が広がっていた。
「おい、黒羽。すまねえな。ムーンドリップフラワーは品切れだ」
「そんな。ちょうど今ぐらいが旬のはずだ。前に聞いた時は沢山あるって言っていたじゃないですか」
「ああ、確かに言った。あの花はな、綺麗な川の水さえあれば、種子の状態から数時間で開花する。だから、馬鹿みたいに採取できるのさ……いつもならな。けど、ここ最近フラデン産の品は入手が難しくなってんだよ」
 その言葉は、意外だった。その他の地域の品が災害や戦争によって入手が難しくなるのは珍しくない。だが、フラデンの特に植物関連の品が途絶えることは、ここ何十年もないと聞いていたし、実際これまで入手できなかった物はなかったのだ。
「実はな。今プレンティファル一帯で、川の水が干上がるという現象が起きている。そいつのせいで、枯れちまってよ。ムーンドリップフラワーもおじゃんだ」
 足がわずかに震えて目眩もした。最悪もいいところである。ムーンドリップフラワーは夏季限定メニュー全てに使用するキー食材だ。今更他の食材に変更などできないし、何より喫茶店の経営者としてのこだわりが妥協を許さない。
「……解決策はないんですか?」
「理由は分からんし、解決策はない。あるんだったら、今頃町の連中があんなに落ち込むこともなかったさ」
 下を向いて歩く若い男。頭を乱暴に掻いて苛立っている中年の女。町にいた人々の顔が思い浮かぶ。あれは、そういう理由が、と思い当たると同時に他人事でなくなってしまった事実が黒羽に重くのしかかる。
「ムーンドリップフラワーは他の地域でも自生しているが、どうだかな。……あ、そうだ。組合に行って聞いてみたらどうだ」
「組合?」
「おう。まあ、簡単に言えばここのトップだな。フラデンの貿易や政治全てを統制している団体さ。フラデンで商売をするんなら、まずあいつらから許可証をもらってからじゃないと駄目なんだよ」
「なるほど。では、組合ならムーンドリップフラワーを入手しているかもしれないってことですね」
「おうよ。紹介状を書いてやる。これもって連中の受付に渡しな。残りの品はいつ受け取る? え、明日? 分かったよ。それまでには用意しておく」
 礼を言い、黒羽は店を出る。いつもなら夜も遅いので帰るところだが、明日は休業日だ。一刻も早く、入手するためにも今日は宿に泊まることにする。

 場所は万能百貨店の向かいにある『憩いの宿アルシェ』
 茶色のレンガが印象的な宿の入り口に近づくと、恐らく客だろう。沢山の笑い声が聞こえてきた。
 ドアの取っ手を掴んで押す。料理の美味しそうな匂いと共に黒羽の瞳に映った景色は、案の定、頬を真っ赤にした酔っぱらい達がテーブルを囲んでいる姿だった。肌の色も着ている服も異なる客達の間を縫うように進み、やっとの思いで黒羽はカウンターに到着する。室内を照らすライト・フラワーの光を受けて輝く皿を丁寧に拭く女性に声をかけた。
「夜分遅くにすいませんエメさん。部屋空いていますか?」
「あら、黒羽さん。お泊りなんて珍しいですね。レア! 黒羽さんが来てくれたわよ」
「ええー! あ、本当だ! こんばんは、黒羽さん」
 カウンターから最も離れた席にいる客に料理を配膳していた少女が、元気よく駆けてくる。明るめの金髪を長く伸ばし、笑うと可愛らしいえくぼと大きな青い目が特徴的な彼女は、レア・アルシェという。憩いの宿アルシェの経営者エメ・アルシェの娘で、いわゆる看板娘として近所でも評判な子だ。
「こんばんは。相変わらず元気だね」
「そ、そうですか? ヘヘヘ、私それくらいしか取り柄ないから」
 心の底から笑っているレアを見ていると、沈んだ気持ちが少しだけ輝きを取り戻すのを実感する。
「そんなことはない。手先だって器用だし、沢山の男を虜にするくらい可愛いじゃないか。聞いたよ。また、ラブレターもらったんだって?」
 嬉しそうな表情だったレアは、どことなく残念そうな様子に変化する。
「別に私は、ラブレターなんかいりません」
「どうして?」
「どうしてって……本当に理由が分かりませんか?」
 期待するような眼差しを向けてくるレアを見て、黒羽は考える。この様子だと、自分はどうやら答えを知っているらしい。だが、どれほど記憶を頭の中から引っぱりだしてきても、答えらしいものは思い浮かばなかった。
「ごめん。分かんないよ」
「あらあら、レア。あなたアピールが足りないんじゃないの?」
 おかしい。口調はレアを責めている。だが、非難の対象は自分だ、と黒羽は思った。なぜならエメは微笑んでいるが、冷ややかな光を宿した視線を黒羽にグサリと突き刺しているからだ。
「……あの、僕は何か失礼なことをしたでしょうか?」
「いいえいいえ、何にも。ただ、黒羽さんはもう少し女性の気持ちを察することができるようになると、男性としての魅力がさらに増すでしょうね」
 痛い指摘だが、なぜそんなことを言われたのだろうと首を傾げる。ここが分からないところが、彼の残念なところだ。
「おい! 誰がこのクソ不味い飯を作ったのは」
 眉根を寄せ悩む黒羽の背後から、突如響きわたる怒号。
 声の主は、カウンターのすぐ真向かいにある席で食事をしていた旅装の中年男性だ。高々と掲げられたフォークの先端には、真っ黒い肉らしき塊が居心地悪そうに突き刺さっていた。
「あ、すいません。それ作ったの私です」
 頭を下げるレア。男はギラリと睨むと、唾を盛大に飛ばしながら、激しい怒りを彼女にぶつける。
「焦げてるぞ。それに残りの肉は生焼けだ。こんなものは料理とは言わねえ。お前に味覚はあるのか? あんまりなんじゃねえのかよ」
「申し訳ございません。取り替えます」
「いらねえよ。この宿は人から金をとっといて最低なサービスしかできないんだな」
「そんなこと……すいません。この宿は悪くないです。私が上手に作れなかったから」
 フランス人形のような可愛らしい顔立ちに先ほどのような陽気さはない。目には涙が浮かび、固く閉じた唇はかすかに震え、懸命に頭を下げていた。
 ちらりと黒羽はレアが作ったという料理を見る。
(これは……クレームを受けるのも仕方ないかな)と思う。しかし、一方で器用なのになぜか料理の腕前が一向に上達しない彼女が、母を手伝おうと懸命に作ったのが分かるだけに、今の姿は痛々しい。
 止めに入ろうかと黒羽が動こうとした時、男は何を思ったのか、ニヤリと笑い、大股で近づいて彼女の顔を手で掴んだ。
「そうか。そんなに悪いと思っているのか。じゃあ、お詫びとして、今夜相手してもらおうかな。なに、気持ち良い時間を互いに過ごすだけさ」
「あんた、良い度胸だね。娘に何かしよっていうなら」「その手を放してください」
 口調が変わるほどのエメの怒りが、瞬時に萎むほどの迫力。黒羽の言葉はあくまで丁寧だ。だが、鋭い切っ先を向けるかのような静かで冷たい視線が男のみならず、この場にいた人々の背筋を凍らせた。
「な、なんだよ。冗談だよ。ほら、放した」
「……女性にそんな接し方はやめてください。見ていると吐き気がします」
「悪かった。でも、なんだ。あんまりにも飯が不味かったからついカッとなっちまっただけで」
 わずかに目を細めると、黒羽はレアの手を握り、カウンターの中に入っていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

海岸でタコ助けたらスーパーヒーローになっていた。 ~正義の味方活動日記~

はらくろ
ファンタジー
時は二十一世紀。心優しい少年八重寺一八(やえでらかずや)は、潮だまりで難儀しているタコをみつけ、『きみたち、うちくる?』的に助けたわけだが、そのタコがなんと、異星人だったのだ。ひょんなことから異星人の眷属となり、強大な力を手に入れた一八、正義の味方になるべく頑張る、彼の成長をタコ星人の夫妻が見守る。青春ハートフルタコストーリー。 こちらの作品は、他のプラットフォームでも公開されています。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

役立たずと言われダンジョンで殺されかけたが、実は最強で万能スキルでした !

本条蒼依
ファンタジー
地球とは違う異世界シンアースでの物語。  主人公マルクは神聖の儀で何にも反応しないスキルを貰い、絶望の淵へと叩き込まれる。 その役に立たないスキルで冒険者になるが、役立たずと言われダンジョンで殺されかけるが、そのスキルは唯一無二の万能スキルだった。  そのスキルで成り上がり、ダンジョンで裏切った人間は落ちぶれざまあ展開。 主人公マルクは、そのスキルで色んなことを解決し幸せになる。  ハーレム要素はしばらくありません。

錬金術師が不遇なのってお前らだけの常識じゃん。

いいたか
ファンタジー
小説家になろうにて130万PVを達成! この世界『アレスディア』には天職と呼ばれる物がある。 戦闘に秀でていて他を寄せ付けない程の力を持つ剣士や戦士などの戦闘系の天職や、鑑定士や聖女など様々な助けを担ってくれる補助系の天職、様々な天職の中にはこの『アストレア王国』をはじめ、いくつもの国では不遇とされ虐げられてきた鍛冶師や錬金術師などと言った生産系天職がある。 これは、そんな『アストレア王国』で不遇な天職を賜ってしまった違う世界『地球』の前世の記憶を蘇らせてしまった一人の少年の物語である。 彼の行く先は天国か?それとも...? 誤字報告は訂正後削除させていただきます。ありがとうございます。 小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで連載中! 現在アルファポリス版は5話まで改稿中です。

処理中です...