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第1話 プロローグ
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「な、なんじゃこりやー」
京子と真理は、これまでにない料理の美味さに驚愕した。彼女らは、今日この店に来たことを一生忘れないと、自信を持って言える。
時間は数十分前に遡る。
「ねえ、知ってる?今から行くお店、すっごい流行ってんだよ」
「知ってる! 昨日ニュースでやってた。超美味しい料理とか、飲み物が味わえる喫茶店なんだよね」
八月の針が肌に刺さるような日差しのなか、白と紺のシンプルな制服を身につけた二人の女子高生が、海辺の道を軽やかな足取りで歩いている。
目的地は彼女達のいる場所から五分も歩けば到着する、今話題の喫茶店『アナザー』
沖縄の琉花町に半年前オープンしたばかりだが、地元のみならず、日本中で注目を集めている、まさに”彗星の如く”という表現がぴったりなお店だ。
「真理、今日は何時間並ぼうが絶対入るよ」
「いいね、いいね気合入ってる。なら、私もお供しますとも」
進学校に通い、受験を控えている身であるにもかかわらず、夏季講習に不参加を決め込むほどに、彼女らの決意は鋼より硬い。
じんわりとした暑さでにじみ出る汗を、潮の匂いともに風がさらう。ほどよい心地良さを感じて、大声でお喋りをしていた彼女らはピタリと言葉を止め、視線を何となく右斜め前に向ける。
するとそこには、鮮やかなブルーとホワイトで統一された建物が目に映った。
まるで沖縄の美しい海と晴れやかな空がくれた贈り物のよう。よく晴れた今日の素晴らしき天気と穏やかな海との見事なまでの一体感。彼女らが、来店もしていないのに気に入るには十分なオシャレさだった。
こらえきれず、駆け足で入り口に近寄り、中を覗き見ると、混雑はしているものの、座れないほどでもない。
「あれ、思ったよりあんまり人がいないね」
「うん。行列もないじゃん。お店間違えたかな。ウケルーあ、違うこれ見て」
入り口の左手にはアナザーという店名が書かれた看板があり、その左下に設置された細長い黒板に『オープン半年記念! 本日は琉花町の方限定で利用できます』という文字が記されていた。
「え、ウソ! ラッキーじゃん。行こ行こ」
思わぬ幸運に喜んだロングヘアの女子高生、京子
が勢いよく木製のドアを開けて中に入ると
「待ってよ。そそっかしいな」
慌ててショートカットがトレードマークの真理も追いかける。
来店者の存在を告げる鈴の音が二度鳴り、直後にコーヒーのような匂いが鼻をふわりと刺激する。店内は、アンティーク風のレイアウトで統一されており、少し薄暗いが暖色系の蛍光灯によって、辺りは落ち着ける雰囲気が満ちていた。
右手にはカウンター席、左手にはテーブル席が設置されていて、どちらも空きがある。どこに座ろうか迷っていると、店の奥から標準よりもやや背の高い男が現れた。
二人は顔を赤らめ、思わずうっとりとしてしまう。手足が長く、細身に見える体に良く似合う白い長袖シャツと黒のストレッチパンツ。皺ひとつないストライプベストに茶色い腰かけのエプロン。そしてきちっと結ばれた蝶ネクタイから上に視線を移すと、特徴的な切れ長の目が優しげにこちらを見ていた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
貴族の令嬢に接する執事のように頭を下げて話しかけてくる男に、頭では“接客だから”と分かってはいたが、緊張を払い除けることはできそうにない。ぎこちない声でそうです、と答えた彼女らを見て、ニコリと笑うと
「失礼ですが、学生証などをお持ちでしたら、ご提示ください」
慌てて手渡した二枚の学生証をジッと見つめること一、二、三秒。満足そうに頷いた彼は、右手でテーブル席を示した。
「こちらの席へ。今日は良く晴れていますし、この席からでしたら、綺麗な海を楽しみながら過ごせますよ。まあ、もっとも沖縄の方でしたら、見慣れているかもしれませんね」
言うだけあって見事なロケーションだ。見ているだけで和む青空と海、座り心地の良い椅子、クラシカルな音楽。リラックスできる条件は整っていたが、一向に緊張をほぐせない。
そんな様子を見て取った男は、一度カウンターに戻ると、エメラルドグリーンの液体を満たしたコップをトレンチに載せ、二つ静かにテーブルに置いた。
「あ、あの」
「こちらはサービスです。注文をする前にぜひお飲みください」
言われた通りに、喉を潤す。適度に冷えた液体が、ミントと柑橘系の香りとともに乱れた心をゆっくりと鎮める。これまで飲んだことのある飲料に近いようで、どこか違う味は、不思議な魅力を秘めていた。
「落ち着きましたか? メニューはこちらです。ご注文が決まりましたら、お呼びください」
優雅に一礼し、去っていく背中を見て、彼女らは顔を近づけて小声で話す。
「チョーイケメン。ヤバイ」
「うん。それにこの飲み物もヤバイ。うますぎ。ねえ、やっぱりこの店の噂って本当なのかな?」
「噂? ああ、アナザーのメニューはどれもが原材料が不明で、企業秘密だって噂のこと」
――そう、このお店には不思議な秘密がある。提供する品は三ツ星レストランに匹敵するほど美味しい。だが、どれも原材料に見当がつかない。牛肉のようで馬肉にも似た肉、コーヒーのようで妙にフルーツのような味がする飲み物。例を挙げれば、本が一冊できてしまいそうなほどである。
美味さだけが分かっていて、正体が不明なメニューは、シェフやパティシエ、バリスタなど、その道のプロでさえ首を傾げるほどだ。
「あの、すいません」
「はい。ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええっと、この『濃厚さがやみつきになるマル秘ステーキ』と『辛さと酸味が楽しいボム・サラダ』をください」
「私は、『新鮮さが売りの川の主フィッシュバーガー』と『黄金色に輝く果肉ジュース』を一つずつ」
手元の用紙に書き込み、彼女らの注文を確認すると、彼は先ほどと同じように一礼し去る。
“お高い”イメージがあったので、ありったけのお札と硬貨を財布の体が破裂寸前まで詰めてきていたが、値段は一般的な喫茶店とそう変わりない。
来月のお小遣い日までの心配をせずに済んだ彼女らは、ホッとして周りを見渡す。
「オジー(おじいちゃん)、オバー(おばあちゃん)と子供連れの夫婦、私達くらいの子。意外と誰でもウェルカムって感じ」
「かも。てか、喫茶店なんだから誰が来ても良いでしょ別に。変に緊張しすぎたかも」
「ホント。それより楽しみだね」
期待が心と体に満ちて、坂を上るジェットコースターのように今か今かと待ち焦がれる時間が続く。勧められた席からは、寄せては返す波が沖縄のサンゴ礁によって形成された白い砂を撫でつけ、空には青いキャンバスに白い絵の具を真横に引くように、飛行機が細長い線を描く。見慣れたはずの風景は、ちょっと特別で胸が躍った。
体感的には長かったが、実はそれほどでもない時間が経過した頃、「お待たせいたしました」というセリフの後に、テーブルに手際よく注文した品が並べられた。
こんがりと焼きあがった噛み応えのありそうなステーキ。赤と黄色のドレッシングが、貴婦人のアクセサリーのように輝くサラダ。ふっくらと焼きあがったパンに抱かれた白身のフライ。淡く気品あふれる黄金色の飲み物。
有名な絵を見ているような光景に、呼吸を忘れ、ただ茫然と眺めた。
「ご注文の品は以上でしょうか? それでは、格別な時間をお過ごしください」
ハッとし、一斉に、けれども慎重に探るような速度で彼女らは目の前の料理を口に運ぶ。舌にそっと乗った料理が、味蕾を刺激し、脳にダイレクトに信号を送る。
――その瞬間に感じた感動はどう表現すべきだろう。
今までまるで正体が不明だった料理が激しく自己主張し、舌が喜びに小躍りをする。匂いが外からだけでなく内側からも鼻腔を駆け抜け、時に鮮烈に時に優しく二人を魅惑の時間へと誘う。一口食べるほどに、驚き、感心する。こんなにも美味しいものを今まで知らなかったなんて、とても損した気分だ。
「あ、もう無くなっちゃった」
「私も……もっと食べたいけど、お腹一杯。でも何だか、すっごい贅沢した気分」
料理のもたらした余韻は、食べ終わってもなお、どこまで響く鐘の音のように反響する。
感動が新鮮なうちに、互いに料理の感想を自身が知り得る最大限の表現で絶賛し、満ち足りた表情で会話に花が咲く。気付けば、空は燃えるような茜色となり、真昼とは違った光が窓をするりと通り抜け、時間の経過を二人のシンデレラに告げる。
「あ、もう帰らなきゃ。うち、親がうるさいんだよね」
「私の家もそうだよ。はあ、もっといたかったな」
「ホントホント。財布……あった。すいません、会計お願いします」
この感動を味わったにしては、あまりにも安価な料金を支払い、京子は店主に問いかけた。
「あの、美味しかったです。ぜひ、お名前教えてくれませんか?」
「ああ、これは失礼しました。僕は黒羽秋仁と申します。喫茶店アナザーの経営者です」
「黒羽さん……変わった苗字。内地の人?」
「いえ、生まれも育ちも沖縄ですよ。ただ、両親は内地の出身でして」
「へえー。あ、あとこれが一番聞きたかったんですけど、このお店の料理と飲み物って一体何なんですか? 私達、これでも結構色んなお店行くんで、詳しいつもりなんだけど、全然分かんなくって」
顔を近づけて、興味津々に返事を待つ女子高生に対して、爽やかな笑顔で黒羽は答えた。
「すみませんお客様。企業秘密です」
「え、でも。お願い!」
「申し訳ございません。絶対に教えることはできません」
終始笑顔だが、黒羽の確固たる拒絶の意思を敏感に感じ取り、肩を落とす。隣にいた真理が、京子の背中を優しく叩きながら『ケチ』という気持ちを込めた視線で黒羽を非難した。
僅かにだが困ったような表情になった黒羽は、辺りを見渡すと、レジの横に置いてあった用紙を手に取って彼女達に渡した。
「これは?」
「実は八月の中旬頃に、夏季限定メニューを提供する予定なんです」
「え? 夏季限定!」
「そう。夏だけのメニュー。品はアイスクリーム、パンケーキ、ドリンクの三つです」
「それ良い」と元気を取り戻した京子が、「じゃあ、また食べに来ます」と力強く宣言した。
「そうだね。絶対行こう。あ、でも今度は並ばないといけないだろうから、もしかしたら食べられないかも」
真理の言葉に、また元気を失いかける京子。慌てて黒羽が、プラスチック製のクリップボードに挟まれた記入用紙を差し出した。
「なに?」
「実は提供する前の日に試食会を予定しておりまして、その参加用紙です。本当は常連の方だけに声をかけているんですが、良かったらぜひ」
彼女達に断る理由などない。雲の上を歩いているかのように、喜びに浮かれつつ、丸い文字で自身の名前と電話番号を記入する。
「それでは、試食会の日程が決まりましたらご連絡いたします」
「はい。それにしてもやっぱり女の子の扱いに慣れているみたいだね。大人の男性って感じ」
「ハハハ。とんでもない。いつもは、女性の扱いがてんでなってないって、友達に馬鹿にされるんですよ」
手で頭を掻く黒羽は、心底照れているように見える。完璧そうなマスターの意外な一面は、出会って間もない彼女達の女心をくすぐった。
喫茶店アナザーとその店主のファンが、こうして二人新たに誕生したのである。
京子と真理は、これまでにない料理の美味さに驚愕した。彼女らは、今日この店に来たことを一生忘れないと、自信を持って言える。
時間は数十分前に遡る。
「ねえ、知ってる?今から行くお店、すっごい流行ってんだよ」
「知ってる! 昨日ニュースでやってた。超美味しい料理とか、飲み物が味わえる喫茶店なんだよね」
八月の針が肌に刺さるような日差しのなか、白と紺のシンプルな制服を身につけた二人の女子高生が、海辺の道を軽やかな足取りで歩いている。
目的地は彼女達のいる場所から五分も歩けば到着する、今話題の喫茶店『アナザー』
沖縄の琉花町に半年前オープンしたばかりだが、地元のみならず、日本中で注目を集めている、まさに”彗星の如く”という表現がぴったりなお店だ。
「真理、今日は何時間並ぼうが絶対入るよ」
「いいね、いいね気合入ってる。なら、私もお供しますとも」
進学校に通い、受験を控えている身であるにもかかわらず、夏季講習に不参加を決め込むほどに、彼女らの決意は鋼より硬い。
じんわりとした暑さでにじみ出る汗を、潮の匂いともに風がさらう。ほどよい心地良さを感じて、大声でお喋りをしていた彼女らはピタリと言葉を止め、視線を何となく右斜め前に向ける。
するとそこには、鮮やかなブルーとホワイトで統一された建物が目に映った。
まるで沖縄の美しい海と晴れやかな空がくれた贈り物のよう。よく晴れた今日の素晴らしき天気と穏やかな海との見事なまでの一体感。彼女らが、来店もしていないのに気に入るには十分なオシャレさだった。
こらえきれず、駆け足で入り口に近寄り、中を覗き見ると、混雑はしているものの、座れないほどでもない。
「あれ、思ったよりあんまり人がいないね」
「うん。行列もないじゃん。お店間違えたかな。ウケルーあ、違うこれ見て」
入り口の左手にはアナザーという店名が書かれた看板があり、その左下に設置された細長い黒板に『オープン半年記念! 本日は琉花町の方限定で利用できます』という文字が記されていた。
「え、ウソ! ラッキーじゃん。行こ行こ」
思わぬ幸運に喜んだロングヘアの女子高生、京子
が勢いよく木製のドアを開けて中に入ると
「待ってよ。そそっかしいな」
慌ててショートカットがトレードマークの真理も追いかける。
来店者の存在を告げる鈴の音が二度鳴り、直後にコーヒーのような匂いが鼻をふわりと刺激する。店内は、アンティーク風のレイアウトで統一されており、少し薄暗いが暖色系の蛍光灯によって、辺りは落ち着ける雰囲気が満ちていた。
右手にはカウンター席、左手にはテーブル席が設置されていて、どちらも空きがある。どこに座ろうか迷っていると、店の奥から標準よりもやや背の高い男が現れた。
二人は顔を赤らめ、思わずうっとりとしてしまう。手足が長く、細身に見える体に良く似合う白い長袖シャツと黒のストレッチパンツ。皺ひとつないストライプベストに茶色い腰かけのエプロン。そしてきちっと結ばれた蝶ネクタイから上に視線を移すと、特徴的な切れ長の目が優しげにこちらを見ていた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
貴族の令嬢に接する執事のように頭を下げて話しかけてくる男に、頭では“接客だから”と分かってはいたが、緊張を払い除けることはできそうにない。ぎこちない声でそうです、と答えた彼女らを見て、ニコリと笑うと
「失礼ですが、学生証などをお持ちでしたら、ご提示ください」
慌てて手渡した二枚の学生証をジッと見つめること一、二、三秒。満足そうに頷いた彼は、右手でテーブル席を示した。
「こちらの席へ。今日は良く晴れていますし、この席からでしたら、綺麗な海を楽しみながら過ごせますよ。まあ、もっとも沖縄の方でしたら、見慣れているかもしれませんね」
言うだけあって見事なロケーションだ。見ているだけで和む青空と海、座り心地の良い椅子、クラシカルな音楽。リラックスできる条件は整っていたが、一向に緊張をほぐせない。
そんな様子を見て取った男は、一度カウンターに戻ると、エメラルドグリーンの液体を満たしたコップをトレンチに載せ、二つ静かにテーブルに置いた。
「あ、あの」
「こちらはサービスです。注文をする前にぜひお飲みください」
言われた通りに、喉を潤す。適度に冷えた液体が、ミントと柑橘系の香りとともに乱れた心をゆっくりと鎮める。これまで飲んだことのある飲料に近いようで、どこか違う味は、不思議な魅力を秘めていた。
「落ち着きましたか? メニューはこちらです。ご注文が決まりましたら、お呼びください」
優雅に一礼し、去っていく背中を見て、彼女らは顔を近づけて小声で話す。
「チョーイケメン。ヤバイ」
「うん。それにこの飲み物もヤバイ。うますぎ。ねえ、やっぱりこの店の噂って本当なのかな?」
「噂? ああ、アナザーのメニューはどれもが原材料が不明で、企業秘密だって噂のこと」
――そう、このお店には不思議な秘密がある。提供する品は三ツ星レストランに匹敵するほど美味しい。だが、どれも原材料に見当がつかない。牛肉のようで馬肉にも似た肉、コーヒーのようで妙にフルーツのような味がする飲み物。例を挙げれば、本が一冊できてしまいそうなほどである。
美味さだけが分かっていて、正体が不明なメニューは、シェフやパティシエ、バリスタなど、その道のプロでさえ首を傾げるほどだ。
「あの、すいません」
「はい。ご注文はお決まりでしょうか?」
「ええっと、この『濃厚さがやみつきになるマル秘ステーキ』と『辛さと酸味が楽しいボム・サラダ』をください」
「私は、『新鮮さが売りの川の主フィッシュバーガー』と『黄金色に輝く果肉ジュース』を一つずつ」
手元の用紙に書き込み、彼女らの注文を確認すると、彼は先ほどと同じように一礼し去る。
“お高い”イメージがあったので、ありったけのお札と硬貨を財布の体が破裂寸前まで詰めてきていたが、値段は一般的な喫茶店とそう変わりない。
来月のお小遣い日までの心配をせずに済んだ彼女らは、ホッとして周りを見渡す。
「オジー(おじいちゃん)、オバー(おばあちゃん)と子供連れの夫婦、私達くらいの子。意外と誰でもウェルカムって感じ」
「かも。てか、喫茶店なんだから誰が来ても良いでしょ別に。変に緊張しすぎたかも」
「ホント。それより楽しみだね」
期待が心と体に満ちて、坂を上るジェットコースターのように今か今かと待ち焦がれる時間が続く。勧められた席からは、寄せては返す波が沖縄のサンゴ礁によって形成された白い砂を撫でつけ、空には青いキャンバスに白い絵の具を真横に引くように、飛行機が細長い線を描く。見慣れたはずの風景は、ちょっと特別で胸が躍った。
体感的には長かったが、実はそれほどでもない時間が経過した頃、「お待たせいたしました」というセリフの後に、テーブルに手際よく注文した品が並べられた。
こんがりと焼きあがった噛み応えのありそうなステーキ。赤と黄色のドレッシングが、貴婦人のアクセサリーのように輝くサラダ。ふっくらと焼きあがったパンに抱かれた白身のフライ。淡く気品あふれる黄金色の飲み物。
有名な絵を見ているような光景に、呼吸を忘れ、ただ茫然と眺めた。
「ご注文の品は以上でしょうか? それでは、格別な時間をお過ごしください」
ハッとし、一斉に、けれども慎重に探るような速度で彼女らは目の前の料理を口に運ぶ。舌にそっと乗った料理が、味蕾を刺激し、脳にダイレクトに信号を送る。
――その瞬間に感じた感動はどう表現すべきだろう。
今までまるで正体が不明だった料理が激しく自己主張し、舌が喜びに小躍りをする。匂いが外からだけでなく内側からも鼻腔を駆け抜け、時に鮮烈に時に優しく二人を魅惑の時間へと誘う。一口食べるほどに、驚き、感心する。こんなにも美味しいものを今まで知らなかったなんて、とても損した気分だ。
「あ、もう無くなっちゃった」
「私も……もっと食べたいけど、お腹一杯。でも何だか、すっごい贅沢した気分」
料理のもたらした余韻は、食べ終わってもなお、どこまで響く鐘の音のように反響する。
感動が新鮮なうちに、互いに料理の感想を自身が知り得る最大限の表現で絶賛し、満ち足りた表情で会話に花が咲く。気付けば、空は燃えるような茜色となり、真昼とは違った光が窓をするりと通り抜け、時間の経過を二人のシンデレラに告げる。
「あ、もう帰らなきゃ。うち、親がうるさいんだよね」
「私の家もそうだよ。はあ、もっといたかったな」
「ホントホント。財布……あった。すいません、会計お願いします」
この感動を味わったにしては、あまりにも安価な料金を支払い、京子は店主に問いかけた。
「あの、美味しかったです。ぜひ、お名前教えてくれませんか?」
「ああ、これは失礼しました。僕は黒羽秋仁と申します。喫茶店アナザーの経営者です」
「黒羽さん……変わった苗字。内地の人?」
「いえ、生まれも育ちも沖縄ですよ。ただ、両親は内地の出身でして」
「へえー。あ、あとこれが一番聞きたかったんですけど、このお店の料理と飲み物って一体何なんですか? 私達、これでも結構色んなお店行くんで、詳しいつもりなんだけど、全然分かんなくって」
顔を近づけて、興味津々に返事を待つ女子高生に対して、爽やかな笑顔で黒羽は答えた。
「すみませんお客様。企業秘密です」
「え、でも。お願い!」
「申し訳ございません。絶対に教えることはできません」
終始笑顔だが、黒羽の確固たる拒絶の意思を敏感に感じ取り、肩を落とす。隣にいた真理が、京子の背中を優しく叩きながら『ケチ』という気持ちを込めた視線で黒羽を非難した。
僅かにだが困ったような表情になった黒羽は、辺りを見渡すと、レジの横に置いてあった用紙を手に取って彼女達に渡した。
「これは?」
「実は八月の中旬頃に、夏季限定メニューを提供する予定なんです」
「え? 夏季限定!」
「そう。夏だけのメニュー。品はアイスクリーム、パンケーキ、ドリンクの三つです」
「それ良い」と元気を取り戻した京子が、「じゃあ、また食べに来ます」と力強く宣言した。
「そうだね。絶対行こう。あ、でも今度は並ばないといけないだろうから、もしかしたら食べられないかも」
真理の言葉に、また元気を失いかける京子。慌てて黒羽が、プラスチック製のクリップボードに挟まれた記入用紙を差し出した。
「なに?」
「実は提供する前の日に試食会を予定しておりまして、その参加用紙です。本当は常連の方だけに声をかけているんですが、良かったらぜひ」
彼女達に断る理由などない。雲の上を歩いているかのように、喜びに浮かれつつ、丸い文字で自身の名前と電話番号を記入する。
「それでは、試食会の日程が決まりましたらご連絡いたします」
「はい。それにしてもやっぱり女の子の扱いに慣れているみたいだね。大人の男性って感じ」
「ハハハ。とんでもない。いつもは、女性の扱いがてんでなってないって、友達に馬鹿にされるんですよ」
手で頭を掻く黒羽は、心底照れているように見える。完璧そうなマスターの意外な一面は、出会って間もない彼女達の女心をくすぐった。
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