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第10話 第三章 狂気の源②

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 鼻歌交じりに、男が建物の中に入る。外はまだ光差す時間帯だというのに、室内は光源石が生み出す僅かな灯のみで照らされており、夜とそう変わらない。
 小刻みに体を揺らし、楽しげに下手くそなリズムを奏でていたが、何を思ったのか鼻歌を止め、男は誰もいない室内で笑いはじめた。
「ああ、実に愉快でした。あの男、まさか薬を使わずにウロボロスを使いこなすとは。実際に目にして確信しましたよ、ただ者ではないと。ええ、そうですとも、マカさんは良いことをおっしゃる。しばらく、泳がせてデータを収集したら、捕らえて解剖してみましょう。それにしても……」
 笑みを崩さず、けれども殺意を強く滲ませた代弁者は、懐から小袋を二つ取り出し、おもむろに中身を手の平に零した。
 中身は……きめ細やかな青みがかった紫色の粉、バーラスカだ。躊躇せずに口に含むと、テーブルに置かれていた剣を、両手に一本ずつ手にした。
 右手には飾り気のないショートソードが、左手には重厚なクレイモアが握られている。
「クハ、フハハハハクハハハハハゲヘヘヘヘヘヘヘヘヘフハハハハハハ」
 深く、濃く、口が裂けるほどに、代弁者は笑う。さながら、狂気の音楽を奏でるように、室内は不快な音で満たされてしまう。
「ハア、フヘエ。笑い過ぎてしまったようです。ああ、こうなってしまったのは、あなたのせいですよ」
 代弁者は、右手に持ったショートソードを力強く投げた。風を切り裂き飛ぶ剣は、壁に突き刺さる……のではなく、人の姿へと変化し、地面へと着地した。
 細身のようで筋肉質の体。背は高く、横に線を引いたように細い目で、男は代弁者を睨む。
 彼の名はカリム。彩希の兄であり、人を憎悪する悪竜である。
「貴様、人の身でありながら、同胞の力を使用しているな。あの男といい、貴様といい。人間は何とも不快で下劣な生き物だ」
「下劣? フハハクハア、それはあなたの方でしょう。たかだか喋るトカゲの分際で。あなた方は、我々人間に良いように使われるだけの存在。強大な武器の素材に過ぎませんよ」
「素材だと?」
 カリムは、闇を食むような黒く暗いウロボロスを、体に纏い、殺意を灯した声で静かに宣言した。
「よく言った人間。貴様は、必ず殺す」
「フハ、あなたにできますかね。我々は、一介のドラゴンごときに殺されるほど、価値の低い生き物ではありませんよ。ああ、失礼。あなたは、オール帝国にとってなくてはならない存在ですから、一介のドラゴンではありませんね」
「何故知っている?」
 驚愕するカリムを見て、体を目一杯後方へ逸らす代弁者。
「さあ? 何故でしょうか。教えて欲しかったら、素直にドラゴニュウム精製炉を差し出しなさい。そうすれば、あの世へ旅立つ弔いの歌として、お教えしましょう。どうですかな?」
 返答は、刃で返された。暗闇に爆ぜる火花を挟み、カリムと代弁者が互いの武器をぶつけ合っている。
 軋む武器、場に満ちる殺意。
 拮抗する両者の力は、ウロボロスの濃度を増したカリムによって崩された。
「ウラアア」
 ナイフで代弁者のクレイモアを弾き、すかさず胴体に目がけて突き刺す。対する代弁者は、半身になって回避すると、大きく後方へ飛ぶ。
「逃がすか。人間!」
 残像が生じるほどの動きで、カリムは代弁者に迫ると軽量武器ならではの良さを活かし、斬撃を放つ。数度、散る火花と鮮血。
 代弁者は、斬られた頬をさすると、笑い声を上げながら、ウロボロスをさらに解き放った。
「クハハアハエエハハハハハ。良い動きをしますね、見ましたかバティストさん。ああ、面白い。これは解体しがいがありますよ」
 代弁者の体から発せられる色は、赤……否。青、緑、黄、茶、橙。あらゆる色が混じり合い、複雑な色合いのウロボロスが渦巻いている。
代弁者は、両手を広げると、よだれをだらしなく垂らし歓喜した。
「どうですか。この圧倒的な力。一匹のドラゴンが扱えるウロボロス量を遥かに超えている。あなたでは、まず勝てません」
「ほざけ。戦いは、力のみでするものではない。それすら理解できぬとはな」
 呆れた様子のカリム目がけて、代弁者は鉄塊を振るう。とても剣を振った音ではない。地面に大穴を穿ち、衝撃によって建物全体が崩落した。
 もうもうと立ち上る土煙を伴ないながら、大量の瓦礫の山が形成される。崩落した建物の周りは、沢山の木々が生い茂る森だ。太陽の光を喜ばしそうに浴びていた木々は、迷惑そうにその枝を風で揺らし、みるみる土煙が晴れてゆく。
「フーム。やはり、この剣では持ちませんか」
 瓦礫の山から這い出た代弁者は、柄だけになったクレイモアを投げ捨て、駒のように体を回しながら、カリムを探し始めた。
「カリムさん。どこですか? あれくらいじゃ死んでないでしょう。もっと、我々と遊びませんか」
 代弁者の声が森に響くが、返事はなく、遠くで怯えた鳥達が羽ばたく音だけが耳に届く。
「ハテ? 妙ですね。クンクン、死んだような臭いはしないのですが。もし、くたばったとしたら、やり過ぎましたね。ええ、ええ、そうです。まずいですよ、ブノワトさん。ドラゴニュウム精製炉を取り出す前に、粉々にしてしまった。ウーン、由々しき事態です」
 頭を両手で乱暴に掻き、天を見上げた代弁者は陽気に手を叩いた。
「ゼェゼエ」
 肩で息をするカリムが、背中に生えた翼を使って空を舞っていたからだ。
 不快、驚愕、敵意といった感情が、カリムの心に満ちる。黒羽とはまた違った強さ。武術のように先人の知恵によって研ぎ澄まされていった技ではなく、純粋な腕力に頼った戦い方。
 あまりにも素人丸出しの戦い方だが、ウロボロスの量が尋常ではない。ただの一振りが、隕石のような威力を秘めている。
 冗談ではない、とカリムは舌打ちをした。
「やっぱり、生きていましたね。良かった。愛しきペットを見つけた気分です」
「……殺す。人間風情が! その力は、貴様には過ぎた力だ」
 翼を消し、地に向けて落下したカリムはそのままの勢いを保ったまま、鳥へと変化。滑空し、真横から接近すると、再び人の姿となり、代弁者の腹に拳を叩き込んだ。
「グェェ」
「死ね、死ね、死ねぇぇぇ」
 この好機を逃すわけにはいかない。
 振るう拳は、鳩尾、顔面、喉仏、こめかみ等々、的確に代弁者の急所を捉える。奏でる轟音、地を濡らす流血……そして、笑う男の声。
「何を、笑っている?」
「ああ、もうおかしいじゃありませんか。どれほど頑張ろうと、あなたに我々を殺すことはできない。無駄なんですよ」
 代弁者はカリムの拳を受けとめた。
「そう、無駄なんですよ。すべて……無駄無駄無駄無駄無駄アアアア、アーハッハハハハハ」
 代弁者はカリムの拳を握りつぶし、鋭いアッパーを腹に放った。
「クハ!」
 体は空に飛び上がり、地へと叩きつけられる。呼吸ができず、カリムは九の字に折れ曲がった状態で、空気を求めた。
「ハ、ハァ」
「フハハハ、どうです。グッときたでしょう」
「フゥ、フゥゥ。ハ、ゲホ。ああ、き、きたとも。……だから、お返しだ」
 突如、代弁者の足元から鋭くとがった杭が飛び出し、頑丈な鎖が体の自由を奪う。
「な、何だと言うのです。一体どこから」
「ハア、ハア、さあ、仕上げだ」
 カリムは、ゆらりと立ち上がると手を前にかざす。その途端に、鮮やかな模様が刻まれた剣が出現した。明らかに普通の剣ではない。空気ごと切り裂くかのような凄みがあり、剣からは薄い神気のようなオーラが滲みだしている。
「貴様が天災だと言うのならば、俺は神の力を使うまで。祈りは済ませたか? サヨウナラだ」
 勝ち誇るカリムは、剣を高々を掲げ、目を見開いた。しかし、彼が本当にしたかった動作は、行えなかった。吐血し、剣・鎖・杭の全てが消えてしまったからである。
「アレレ? こんな大事な場面でどうしました。やはり、神は分かっておられるのです。人こそが、この世で最も清く、生きるべき存在であると。そうです、皆さん、その通り。とっとと解体してしまいましょう」
 血の足跡を付けながら、カリムへと迫る。喜びに満ちた代弁者と、屈辱と悔しさに顔を歪ませるカリムという構図。

 ――そこに一陣の風が吹く。

 気が付けば、カリムの前に桜色の髪に甲冑を身に纏った女が立っていた。
「あなたは? もしや、ドラゴンですかな。素晴らしい、変身能力を持つ個体は少ないのですが。フヘェ、安心してください。あなたも、そのドラゴンと同じ運命を辿らせてあげますよ」
 女は、腰に帯びた剣を引き抜くと、「笑止」とだけ呟き、風がまた吹いた。
「ヌウ!」
 代弁者の足、わき腹を切ったかと思うと、女はカリムを抱え消えてしまった。戦いがまるで嘘だったかのように、暖かな光に照らされる森と瓦礫の山に、狂人が一人残された。
 狐につままれるとは、こういう事態を指すのかもしれない。
 だが、戦いの唐突な終わりに、代弁者は不思議がるのでもなく、呆気なさを感じるのでもなく、ただおかしくて笑った。
 笑い声は、子供のように無邪気であった。
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