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18章 人生の先生だもの

60話 先生、まだ卒業旅行中ですよ?

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 バイキング形式のレストランで朝食をいただく。

「原田は家では洋食派なのか?」

 トースターで温めてきたバターロールをちぎり、ジャムを載せて食べている彼女に聞いてみる。

 他にもオムレツやソーセージ、サラダとコーンスープなどが彼女の前に並ぶ。

「どっちでも大丈夫です。お家だとご飯に味付け海苔で終わりなんて時もありますよ」

「そりゃぁまたずいぶんとギャップがありそうだな」

「そんなことを言ったと母に言えば、恥ずかしいからと怒られるでしょうけどね」

 さっきまで見事な手さばきのアイロンがけや、ユーフォリアではすでに彼女の手料理を夕食として食べていると知らされて、家事能力は同世代以上のものを持っているのに、まさかご飯に味海苔だけという食卓は想像もできないというか、つい吹き出してしまう。

「先生だって、お家で何を召し上がってますか? 私も菜都実さんもそれが心配で、作りに行きなさいってよく言われるんですよ」

「まぁ、男の一人暮らしだからなぁ。まさに男のだ……」

「やっぱり……。病気した私が言うのも変ですけど、体壊しちゃいますよ」

 結花が大きな瞳で見つめてくる。

 頼むからその顔は原田結花最強の武器なんだから。何も言えなくなっちまうだろう。

 あの部屋の惨状を見られる前に少しは整理しておかないと。引っ越してから開封もしていない段ボール箱がまだ積み上がっている風景を思い出す。

「分かりました。今度のお休みにお部屋の掃除に伺います」

 笑う原田だが……、そんなことをされて幻滅されたら身も蓋もない。それこそ自滅だけは避けなくては。

「先生覚えてますか? 今だから言えますけど、あの魔の巣窟とまで言われた社会科資料室をこっそり誰かが片付けたの……。あれ……、私です。幽霊が出たとか神様がしびれを切らして怒ったとか大騒ぎになりましたけどね」

「あの凄かった部屋をたった一人でか?」

「もちろん1日では無理ですから、少しずつですよ?」

 思い出せば、そんな事件もあった。

 資料室はそもそもあまり使われていなかった上に、地震で書物やら模型やらが散乱し半ば放置されていた。

 職員室からの死角でもあったので、良くない連中の溜まり場になっていたことも発覚し、鍵をかけられていた。

 いつだったか、中のゴミが資料室の前に置かれていて、恐る恐る開けてみると、元通り以上に整理されていたと判明した。

 誰が手をつけたのかと騒ぎになって、『謎の清掃プロを探せ!』と指名手配じゃないかとまで揶揄されながら感謝状をかけて探したけれど、ついにその人物は見つからなかった。

 そうか、原田という存在を忘れていた。整理整頓が完璧であることと、自分から名乗り出ることはしないという両方の条件にあてはまる人物がこんな近くにいたなんて。

「鍵はどうした?」

「初回だけ、本来の目的で職員室からお借りしました。中を見て……。あとはコレです……。旧校舎の部屋でしたから鍵もごく簡単なものでしたので」

 今日も髪を留めている太目のヘアピンを抜いて見せる。

「そうだよな……。2学年連続で学級委員の原田なら職員室から鍵を持ち出しても誰からも変に思われないもんな……」

 その後、資料は図書室の蔵書や資料品として移され、部屋は職員室直轄の学習室となり、当時の彼女のように教室に行けなくなってしまった生徒の指導用となっていると聞いた。

 その部屋があの当時からあれば、原田を個別でサポートして退学をせずに済んだかもしれない。

 結果的にその部屋を作ったのは彼女なのだから、運命というのは本当にいたずら好きなものだ。

「改装したときは、神主さん呼んで祈祷までしてもらったと聞いたぞ? 原田がだったとはな」

「私、そんな偉くないですよ」

 まだあれから1年と少ししか経っていない。あの頃がずいぶん過去のように思えるようになっていた。

「なぁ、話が変わってふと思ったんだが、俺たちの呼び方どうするよ?」

 昨日、涙ながらに俺にキスを渡してきたときには俺を名前で呼んでくれた。実際に俺も二人きりの時は名前で呼ぶが、それ以外の時は名字呼びだ。

「今はまだ卒業旅行中ですし。外ではこれまでと同じでいいと思います」

「そうするか。俺はいつまでも教え子に手を出している不良教師のままだな」

 自虐的に言ったつもりだが、こいつは面白そうに頷いているのだから……。

「違いますか? もし先生がそう呼ばれるなら私も同じように不良生徒です。でも、先生は私に生きることを教えてくれた人生の先生ですから。間違いじゃありません」

 本当にこいつはまだ18歳なのか?

 俺にはもったいないほど出来すぎた生徒だ。

「よし、それでは原田。今日は午前も午後も忙しいぞ。早く戻って出発準備だ」

「はいっ」

 満面の笑顔に、俺はこの時間が永遠に続いてくれることを願わずにはいられなかった。
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