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【第7部〜虞美人編〜】

第12話 四面楚歌し、英雄垓下に散る【第7部完】

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「おぉ、楚だ。楚国の歌が聴こえる…」
 故郷の歌。楚のなまりがある発音は、紛れもなく楚人が歌っていた。皆、聴き耳を立て、望郷の念にかられて故郷を思い出して涙を流した。兵士達の戦意を喪失させるには十分過ぎる効果を発揮した。
「まさか、漢はすでに楚を滅ぼしたのか?」
 垓下を突破出来たとしても、もう帰る所は無い。望郷の念にかられた兵士達は、次々と劉邦軍に投降した。一兵士に成り済まして鍾離昧、季布らも陣営を去った。この時、項羽は酒を飲み虞姫を抱いて寝ていた。起きていれば、こんな事にはならなかっただろう。
 項羽が夜中に目を覚ますと、陣営が静まり返っているので、将校に何があったのか尋ねた。すると、次々と劉邦軍に投降したと聞いた。
「鍾離昧や季布までもか?」
 将校らは悔し涙を流した。残った兵士を数えると、数千程度だった。
「これでは戦えぬ」
 項羽は絶句し、悩んだ。自分の事はどうでも良い。愛する虞姫だけが心残りだ。

力は山を抜き、気は世を覆う。
(力は山を引き抜くほど。気迫は天下を蓋うほど)

時、利あらず、騅ゆかず。
(しかし時は私に味方せず、愛馬の騅も動こうとしない)

騅ゆかざるを如何すべき。
(騅が動かないのをどうしたらいいのだ)

虞や虞や、なんじを如何せん。
(虞よ、お前をいったいどうしたものか)

 項羽が歌うと、私もそれに続いて歌った。兵士らは涙を流して聞いていた。
小虞シャオ・ユーよ、やはり連れては行けぬ。この数千騎では包囲された100万の漢軍を突破するのも厳しいものとなる。お前を死なせられない。お前は生きるんだ。ここに残れ。劉邦の奴は、お前を可愛がっても、殺したりはしないだろう」
「何を言っているの?妻を、あなたの愛する妻を他の男に差し出すのですか!?私はこれでも江湖では名を知られた狭客でした。漢軍100万など、あなたと共に突破して見せます!」
「分かった。共に行こう!」
 項羽は涙を流して、宝剣を渡した。私は受け取ると、阿籍ア・ジーと距離を取った。
阿籍ア・ジー、愛しているわ。あなたならきっと包囲を突破出来る。足手纏いの私がいなければ…来世があれば、また夫婦めおとに…」
 私は宝剣で喉を掻き切って自害した。薄れゆく意識の中で、阿籍ア・ジーが泣きながら私の名前を呼んでいる声が聴こえた。私は死に、私の物語はここで終わった。私は埋葬され、一輪の真っ赤な 雛芥子ひなげしの花が咲いた。まだ誰も見た事が無いその新種は、虞美人草と呼ばれた。
 項羽は包囲網の突破を図ると、樊噲が現れた。
「おぅ、鴻門之会あのとき樊噲おまえか!?」
 鬼神の如き項羽の武勇は、樊噲の手には余った。
「樊噲、助太刀致す!」
 灌嬰が一騎討ちに加わった。灌嬰は、かつて漢に降る前は、樊噲と互角に一騎討ちをした。また、楚が誇る豪傑の龍且を討ち取ったのも灌嬰である。
 しかし、漢が誇る樊噲、灌嬰の2人を持ってしても項羽1人を討ち取るどころか、むしろ押されていた。見兼ねた夏侯嬰がこれに加わった。
 それでもまだ互角に戦う事も出来ない。これに曹参、周勃、更には黥布まで加わったが討ち取る事は出来ずに、包囲網を突破された。
「くそっ!逃すな!討ち取れ!」
 怒号を背に名馬・烏騅に跨って駆け抜けた。漢軍が追い縋る所へ桓楚が立ち塞がった。
「邪魔だ、どけ!」
 項羽を逃す為に桓楚は、生命を棄てる覚悟だ。灌嬰が繰り出す戦斧を同じく戦斧で弾き、叩くも受けられ、突かれるも薙ぎ払った。両者は互角だったが、漢兵が水を差して桓楚に向かって弩を放った。桓楚は全身に弩を浴びても尚立ち塞がった為に、灌嬰によって戦斧で頭を叩き割られて討ち取られた。
 桓楚は項羽の旗上時から付き従い、最期まで忠誠を貫いた。
 項羽は多くの犠牲を出しながらも遂に、劉邦の包囲網を完全に突破してみせた。もう少しで烏江に着く。河を渡れば江南の地だ。そこで再び再起を図る。
「ワシは弱くて負けるのでは無い。これは天がワシを滅ぼそうとしているのだ!その証拠を見せてやろう!」
 そう言うと1万騎以上いる漢軍にわずか28騎で突入した。
「死者は?」
「いません」
「そうか、よし。次はあの部隊だ」
 項羽は3度突撃を繰り返し、戦死者は2名だけだった。項羽に付いて来た兵は、項羽の言う通りだと信じた。
 烏江まで逃げ、渡場の船頭が船に乗せようとしたが、気が変わった。金目の物を持っていなかった為に、名馬・烏騅を船頭に御礼として譲った。船頭が争いに巻き込まれる前に河を渡り始めると、烏騅は項羽の元へ戻ろうとして、急流に飲み込まれて河の底へ沈んだ。
「おおぉ…烏騅までが死んだ…。虞姫よ、お前を失った俺だけが1人生き残りたくは無い。来世では必ず再び夫婦めおとに…」
 生き残った項羽軍は、これまで乗って来た馬を死なせず自由にしてやろうと、降りて歩兵となった。
 そこへ漢軍が追い付いて来た。生き残った26人は、漢軍へ斬り込んだ。数百人を討ち取り、気が付けば項羽は1人だけとなり、これまで付き従った者は誰も生きてはいなかった。
「これまでか…」
 項羽の強さに恐れて、漢軍は間合いを取った。
「おぅ、呂馬童か?久しいな。漢はワシの首に千金と一万邑の領地を褒美にしているらしいな?同郷のお前に手柄をやろう」
 項羽は、自ら首を刎ねた。項羽の遺体に掛けられた高額の恩賞目当てで群がり、漢兵達は味方同士で殺し合いを始めて、遺体を奪い合った。
 遺体は5つに分断され、呂馬童を含む5名が報奨を受けた。この後、劉邦は項羽を手厚く葬った。
 その晩、黥布の夢枕に虞姫が現れた。虞姫が言うには後年、劉邦に生命を狙われると言う。しかし劉邦は人間では無く、赤龍の生まれ変わりだから殺せない。だから、この弓矢を使えば必ず仕留める事が出来る、と言い残した。
 目が覚めると、果たして枕元に弓矢が置かれていた。不思議な事もあるものだと意に返さなかったが、漢の功臣だった韓信も疑われ、力を削がれた上に捕らえられて殺された。そして今度は彭越が殺されて、見せしめとして、その死体を塩辛にして諸侯に配られた。彭越を喰らって、忠誠心を見せろと言うのだ。中国では人肉食は、普通の料理として提供されていたので、別に珍しい事ではない。中国には人間を調理するやり方のレシピ本が存在する。
 黥布は恐れた。次は俺の番かと。られる前にってやる!と、虞姫が枕元で、自分が劉邦に生命を狙われる、と言うのを思い出し、念の為に弓矢を備えた。
 黥布は亡き項羽の布陣を真似た。劉邦は黥布の布陣に項羽の姿を見て恐れ、そして憎悪した。
「黥布は必ず生かして引き摺って来い!俺が生きたまま捌いて、皆に手料理を振る舞ってやるぞ!」

 この時代、項羽の次に強いと言われたのは黥布だ。某シミュレーションゲームの様に武力を数値化するなら、黥布は武力98、樊噲97、灌嬰97、龍且96、夏侯嬰91と言った所で、三国志で例えるなら、張飛99、馬超98、関羽97、趙雲97、許褚97、典韋96と言った所で、勿論三国志最強の呂布は武力100だが、これに項羽を当てはめるなら、武力110だろう。
 それほどまでに項羽の強さは桁違いだった。漢の猛将達を同時に相手にして、擦り傷一つ受ける事は無く、そして僅か28騎で数万の軍を3度も突破して見せた。これが今も尚、中国最強と呼ばれる項羽の強さだ。

 黥布は漢軍の大軍を撃破し、劉邦に迫って虞姫の弓を射た。足の指に当たり負傷させた。逃げ切った劉邦は激怒して大軍を送り続けたが、全て退けられた。流石は猛将黥布である。
 しかし中国を統一した漢は大軍を投入し続け、遂には力尽きて黥布は共に挙兵した呉芮の息子の呉臣の屋敷に逃げ込んだが、呉臣は巻き込まれるのを恐れて、黥布を騙し討ちにして惨殺した。こうして半年に及んだ黥布の反乱は終わった。
 しかし、劉邦は虞姫の弓で射られた傷が元で化膿し、逝去した。
「うぐぅ…あと一歩、あと一歩で龍帝国が築けたものを…そうすれば、神も悪魔もワシの帝国には手が出せぬものを…口惜しい。4000年…これより4000年後、ワシは必ず復活し、龍帝国を築いて見せるわ」

 それから2700年が経ち、私は青山瑞稀として生を受けた。更にそれから500年後、劉邦が亡くなっておよそ3200年が経つ頃、私はアイドルとなった。名前はまたもや青山瑞稀だった。
 そして、それから更に月日は経ち、劉邦が亡くなってから4000年の月日が経った。
 その日、皆既日食が起こった。世界は暗闇に包まれ、雷雲が天を包み込むと、雨の様に雷が地表へと降り注いだ。落雷によって各地で山火事が起こった。
 大地は揺れ、各地で震度7の大地震が起こり、沿岸部は津波によって飲み込まれた。人間が作り出した科学と言う名の文明は、天に嘲笑あざけわらわれたかの様に、簡単に崩壊した。
 天変地異によって、人間が苦労して築き上げた文明社会は滅んだのだ。
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