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【第7部〜虞美人編〜】

第11話 亜父の死

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 彭城の戦いは、56万も有した劉邦が、僅か3万の項羽に絶望的なまでに叩き潰されたと言う事実により、諸侯は劉邦から離反し始めた。
 特に趙王・陳余は、漢に逃げ込んだ張耳の首と引き換えに仲間になったが、実は偽首であり、本物の張耳の姿を彭城の戦いの混乱の中で、陳余の部下が見ており、陳余は騙された事に激怒して漢を攻めた。
 劉邦は、華北を攻めていた韓信に、そのまま趙を攻めさせた。彭城の戦いも韓信が56万を率いていれば、項羽が勝つ事は無かっただろう。
 韓信は背水の陣を用いて趙軍を破り、陳余を生け捕りにした。
「覇王様、劉邦の居場所が分かりました」
 部下の報告によると、劉邦は榮陽けいよう城に逃げ込んだとの事だ。項羽は、今度こそ劉邦の息の根を止めてくれる!と息巻いて、全軍で急行し包囲した。
「覇王様、劉邦が…劉邦が降伏するとの事です!」
 楚軍から万歳と喜びの声が上がった。これで戦争は終結し、天下は統一されて楚帝国が誕生するのだ。楚兵は皆喜んだ。漢軍の降伏は、長い行列となった。
 白旗を掲げる行列を私も見た。劉邦を斬る時は、「私に斬らせて」とお願いした。この手で殺すまでは、抱かれた悪夢が終わらない、そう感じていた。
 長い行列を待ち、ようやく劉邦が現れた。月光が影となり、顔がよく見えない。月明かりが照らすと、その顔が見えた。
「お、お前は紀信では無いか?」
「ふわぁははは。騙されたな項羽!沛公はすでに逃げ仰たぞ!わははは…」
「おのれ!」
 一瞬で騙された事を悟って、項羽は紀信を一刀両断にして殺した。
「…見事な 金単脱穀きんせんだっこく之計ね。敵ながら天晴れだわ。紀信の事は知ってる。かつては共に戦った。あんな奴を逃す為に、あなた程の武将が犠牲になるなんて…。これぞ忠臣の鑑。せめて弔ってあげましょう」
 私は配下に命じて、墓を掘らせた。項羽は、劉邦を追っていた。恐らく追い付く事は無いだろう。そんな予感がした。
 劉邦を取り逃がしてからほどなくして、軍中でおかしな噂がたった。亜父が密かに、劉邦と密約を交わしていると言うのだ。私はすぐに漢軍の離間之計を疑った。
 しかし噂は鎮まるどころか、悪化していく。噂の出所を探ろうとしたが、全員が噂している為に分からなかった。
 最初は笑って聞き流していた阿籍ア・ジーも、徐々にその噂を気にし始めた。「火の無い所に煙は立たぬ」だ。
 噂の内容も、亜父は項羽が唯一頭が上がらない相手だが、項羽をそそのかして意のままに操り、その地位を取って代わると言う、こちらの泣き所を攻めていた。
 徐々に噂を信じた項羽は、亜父に対して挑発的な試す様に話したりし始めた。私や鍾離昧は、その様子をハラハラして見ていた。亜父は溜息を吐いて、項羽に暇を告げて立ち去った。私は追おうとしたが、阿籍ア・ジーに止められた。鍾離昧も後を追ったが、引き止められなかった。
 その後、亜父が亡くなったと聞いてショックを受けた。亜父は最期に、「敵に謀られ、誤解を受けたまま死ぬのが無念だ」と言い残したそうだ。人は死ぬ時まで嘘は付かない。この時になってようやく阿籍ア・ジーは、離間之計に謀られたと気付いて激怒した。
 人をやってこんな陰湿な計を用いた人間を探らせた。すると、漢の陳平だと分かった。陳平は貧しい兄夫婦のもとで暮らし、勉学に没頭して兄は養ってくれていた。その恩の裏では兄嫁と密通する仲となり、兄の目を盗んでは兄嫁を抱いていた。この様な不道徳な人間だ。頭が良いだけに、ロクな策を進言しない。
 漢の知将を分類するなら、戦略の張良、謀略の陳平、戦術の韓信と、この時代では傑出した3人が漢には揃っていた。
「亜父がいなくなった。これからは私が公私共に阿籍ア・ジーを支えていく」
 この辺りから虞姫は、ただのお妃様では無くなり、軍師としての様相を見せて来る様になった。
 広武山で両軍は対峙していたが、兵糧も尽きかけたので、鴻溝を堺にして東を項羽、西を劉邦と天下を二分する和平協定に同意し、楚国に帰る事になった。
ポゥ!漢軍が、漢軍が攻めて参りました!」
「何だと!?」
「おのれ、あの恥知らずが!」
「約束を反故にするなど、許せん」
 しかし無防備な背後を晒して急襲されたのだ、兵の混乱はすさまじく立て直す事など出来なかった。
「この先に垓下があります。そこまで落ち延びましょう!」
 私は指揮を取って垓下に逃げ込んだ。兵糧も少なく、完全に城を漢軍に包囲され、韓信や彭越、更には敵に寝返った黥布までもが加わっていた。
 黥布は、王になっても項羽から顎で使われる事に嫌気が差し、更には私が劉邦に犯された彭城の戦いの時、九江は彭城に近い為、私を救う為の援軍を依頼していたが、病と称して出兵しなかった。黥布が援軍に来ていたら、私は劉邦に犯されていなかったかも知れない。
 この頃から項羽と黥布の仲は悪化し、そこに目を付けた劉邦は、黥布を漢の陣営に取り込んでいたのだ。
「月が綺麗ね…」
 腹は減り、皆口数も少なくなった。自分達の最期は近いかも知れない。誰もがそう予感していた。
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