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【第6部〜アイドル編〜】

第21話

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「うえぇぇん…お母さん。お母さん…助けて…お母さん…。私…壊れそうだよ…お願い…助けて…」
 もう意識の回復の見込みは無いと言われた。植物状態だ。私に会わせるまで安楽死を見合わせていたと、ご家族の方に言われた。
 私は汚れ切り、もう綾瀬に愛される資格など無い。綾瀬は私に究極の愛を与えてくれたのに、綾瀬からの連絡が無い為に彼を信じられず、他の男の誘いを受けてしまった。更には記憶をも失い、彼氏がいる間は絶対にしないと誓った枕営業もしていたと言う。
 最低だ、私は。最低のクズ野郎だ。綾瀬が苦しんでいる間、私はずっと他の男に抱かれて楽しんで、彼を裏切っていたのだ。薄汚いビッチだ。とても許してくれなんて言えない。それでもこんな私の為に、重症を負った綾瀬をこのままにはしておけない。
「お母さん…お願い。お母さんにしか頼れない…お願い、助けて…」
 耳の中からドロっとしたモノが出て来ると、人の姿を形取った。
「お母さん…」
 母の姿を見て抱き付いた。
「よしよし、泣かないで。でも私は使える回復呪文が少ないのよ。貴女みたいには使えないの」
「私?何にも覚えてないよ。何となく私がアナトで、魔法が使えた気がするだけで、綾瀬が1度死んだのを生き返らせた時も、どうやったのかもう分からないし…」
「大丈夫。今は忘れているだけ…魔法もスキルも無くなったりはしないわ」
 母、来夢は私の失った記憶を呼び覚まそうと、頭に触れて脳に刺激を与えた。
「あっ…」
 頭の中に膨大な情報が流れ込んで来る。
「うぅっ…はぁ、はぁ、はぁ…」
 思い出した。確かに私は魔法が使えた。
完全回復パーフェクトヒール
 綾瀬が目を覚ました。私は綾瀬にしがみ付いて泣いた。優しく頭を撫でられ、不思議そうな顔をしていた。
「ここは…病院のベッドか…。そうか、瑞稀の見送りに空港に向かって…事故を起こしたんだ。どのくらい寝てた?」
「5ヶ月…5ヶ月よ」
「そうか…では撮影は無事に終わったんだな?念願の華流ドラマはどうだった?」
「…うぅ、ひっく、ひっく…うえぇん…」
 私は涙が溢れ、何も喋られなかった。私は貴方の意識が回復しない間、5ヶ月間ずっと浮気していた。貴方が連絡をくれないのは、私に飽きて捨てたのだと思い込んだ。でもそうでは無かった。意識が無いのであれば、連絡なんて出来るはずが無い。私の思い込みで、怖くて確認しようともせずに先走って、後戻り出来ない事をした。
 他の男に抱かれていたのは事実で、もう消す事は出来ない。激しい後悔と罪悪感で、胸が引き裂かれそうだった。
 これから私の出来る選択肢は、
①綾瀬をこれ以上傷付けない為に、何も言わずに別れを告げ、ヂャンと付き合い続ける。
②彼氏に捨てられたと言うのは誤認だった為、遠距離を理由にヂャンとの関係を清算する
③綾瀬に全てを打ち明け、彼の選択に任せる
 このいずれかになるだろう。しかし③は無責任過ぎる。綾瀬が全て許すと言ったなら、私はヂャンと別れ、綾瀬がもうお前とは無理だと言われれば、ヂャンと付き合い続けるのか?余りにも節操が無さ過ぎる。
 ①を選べば、綾瀬は何故別れるんだ?と必死に別れまいとするだろう。私が悪いのに、綾瀬は自分に問題があるのかと思うに違いない。それなら中国で好きな人が出来たと告げるべきだろう。
 ②は…綾瀬には事実を伏せ、何事も無かったかの様に、付き合い続ける事になる。彼を裏切っているのに、これは余りにも面の皮が厚過ぎる。
①②③以外にも選択肢があるかも知れないが、私には時間がない。何事も無かった様には出来ない。
「綾瀬、退院したら大事な話があるの…」
 そう言って病室を出た。肝心の私の気持ちはどうなんだろう?綾瀬と居たいのか、ヂャンと居たいのか。
「分からない…どうしたら良いの…」
 何が正しくて、何が正しく無いのか分からない。綾瀬と育んだ愛は本物だった。連絡が無い為に、綾瀬に捨てられたと思った私は、ヂャンの優しさと真心に次第に惹かれていった。綾瀬と連絡を取り合っていれば、ヂャンの入り込む余地など無かっただろう。
 私は意を決した。綾瀬が退院し、2人とも都合の良い日に待ち合わせした。
「どうした?改まって。別れでも切り出すつもりか?」
 先に言い出され、こらえ切れずに涙がポロポロ流れた。
「本当に別れるつもりなのか?」
「お願い…最後まで話しを聞いて…」
 私は喉を詰まらせながら、日本から出国した後の出来事を、包み隠さずに話した。
「それで…瑞稀はどうしたいんだ?」
「わ…私は…いたい…綾瀬と…うっ、ひっく…」
 もう声も出せないほど、嗚咽おえつしていた。
「でも…許さ…れない…。汚れてる…私…」
「もう良いんだ。俺が聞きたかったのは、お前の気持ちだ…」
 綾瀬は私を優しく抱きしめた。
「俺はお前に一目惚れしたんだ。お前は性転換症で女になった元男だ。初めはお前の美しさに惚れた。元男だと知った後は、お前の性格に惚れたんだ。元男だったなんて気にもならないくらいに好きになったよ。お前は、俺との連絡が途絶えたから、自分が捨てられたと思い込んでしまったんだ。そして次の男と付き合い始めてしまった…だから、自分を汚れてるなんて言うな。枕営業だって?グラドルやアイドルなら100人や1000人とやってる奴だっている。俺は例えお前が、1000人の男と寝ていても、お前が良いんだ」
 私は…なんて幸せなんだろう…この人を好きになって良かった。私は涙が止まらず、綾瀬に抱き付いて離れなかった。
「俺が悪いんだ。俺が事故さえしていなければ…」
 私は綾瀬に甘えて精一杯、ベッドの上で尽くした。
「瑞稀…結婚しよう」
「うん…でも…お互い仕事や事務所のしがらみがあるから…」
「分かってるよ。でも今回の件は、俺達が夫婦だったなら、俺から連絡が付かないくらいで、他の男と寝たりはしなかったはずだ」
「…」
「無理なのは分かってる。それなら婚約しよう…」
「婚約?」
「そうだ。それなら事務所を説得出来るかも知れない」
 私達は2人で社長を説得した。社長は、人気がピークの私が婚約する事で人気が落ちる事を恐れて断固反対されたが、それなら芸能界を引退して綾瀬と結婚すると言うと、渋々承知した。
 即日SNSで発信すると、日本や中国の俳優仲間から、お祝いのコメントが入った。ユエさんからも届いていた。
「皆んな祝福してくれて、嬉しいね」
「そうだな」
 私が婚約しても、恐れていたほど人気は落ちなかった。
「まだ結婚した訳では無いので、別れる可能性がある」
 ファンはそう思っていたみたいだ。
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