契約結婚！一発逆転マニュアル♡

第三章

手駒の足音

こういう状況は今までにも出くわしたことはある。

何事もなく素通りできるのが当たり前で、このような状況で怖い思いをしたことはない。

視線を合わせず何事もないふりをしてこのまま……。

依舞稀は歩くスピードを少し早め、視線をマンションの入り口に向けて電信柱を通り過ぎた。

特に大声を出されたり呼び止められたりすることもなく、無事にマンションの灯に照らされ、ホッと小さく溜め息をついたとき。

突然後ろから何者かが依舞稀の肩を掴んだ。

「きゃあぁぁっ！！」

あまりの驚きと恐怖で体が縮こまり、遥翔ではない男を拒絶して、依舞稀は思わず大きな声で叫んだ。

「ちょっとっ！叫ばないでくれよっ」

振り回されている依舞稀の両腕をしっかりと掴んだ男は、焦るようにそう言った。

「依舞稀っ！大丈夫、怖くないって。俺だよ、よく見て」

自分の名前を呼ばれて、依舞稀は腕を振り回すのを止めた。

男にそっと視線を向けると、依舞稀の体の動きがピタリと止まった。

「え……？どうして？」

見覚えのある男の顔を、依舞稀は目を見開いて凝視した。

随分と懐かしさはあるが、その顔には不快感しか感じない、

信用信頼関係性なんて微塵も持ち合わせていない。

出来ることならば、もう二度と会いたくなかった。

口だけ男の代表ともいえる薄情な男。

依舞稀を好きだと言いながら、平気で手のひらを返せる男。

全く何かを望んでもいなかったけれど、依舞稀の両親が亡くなったあと、依舞稀に多大な借金が残ると聞いて、そそくさと逃げ出した男。

「光星……？」

不快感をあらわにして、依舞稀はその男の名前を数年ぶりに呼んだ。