ようこそ、一条家へ

如月はづき

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4.休息

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「ご当主様、気は済みましたか?」

 はぁっと呆れたため息と共にお姉ちゃんから言葉が紡がれる。

「あぁ、ありがとう。……先日の観劇でこんな風に挨拶をするシーンがあってね、一度やってみたかったんだ」

 さーすが、大雅くん。凡人にはよくわからない思考だ……横を向けば望月さんは、びっくりを通り越した顔だ。目は丸くなって口はポカンと開いている。そんな私たちを視界にいれつつ、大雅くんは話を続ける。

「当主の一条大雅だ。好きなように呼んでくれて構わない。屋敷のことは、立花と結衣になんでも聞いてくれ。もっと話をしたいところだが……あいにく今日はやることが多くてな。また夕食の時に続きを」



 一礼して大雅くんの部屋を出る。夕食までの時間は荷解きと休む時間にしていいとのことだ。夕食まではあと3時間……寝るか。荷解きはどーせ1日じゃ終わらない。
 お姉ちゃんも立花さんもそれぞれ持ち場に戻って、望月さんと廊下に2人になった時だった。


「あのさ……俺、君のことなんて呼んだらええかな?」

 人生で初めてだった、男の人に名前の呼び方を聞かれたのなんて。慣れないことにちょっとドキッとしてしまった。声に感情が出ないように努めていつも通りに。

「うーんと、柚子でいいよ!柚子はなんて呼べばいい?望月さんって何歳?」

「流石に、他所のお嬢さんに呼び捨てはなぁ…。柚子ちゃんでええかな?俺は19やけど、なんでもええよ?同期やし」

「いいよ!そっか、1つ上なんだね。じゃあ光くんって呼ぶ!」

「くん付か、えらい懐かしい響きやなぁ。ほな、荷解きせんと。またな」

 そう言って望月さんー改め光くんは自室の扉を開けたーーと思ったらすぐ閉めた。

「なぁ、俺部屋間違っとる?この家、使用人にこんな広い部屋与えるん?」

「間違ってないよ?人が少なくなったから、部屋を大きくしたって前に言ってた。この家の洗礼だねっ」

 ニコっと笑えば、光くんからも笑みが溢れる。夕食までゆっくり過ごそう、そう言って各々部屋に入った。



 この家の使用人の部屋は6畳の部屋が2つ続いている形だ、真ん中は壁で仕切られているから手前をパブリックスペース、奥をプライベートスペースにしている人がほとんどだ。私の部屋も奥のスペースにベッドを配置してもらってある。ごろんとベッドに寝転がって窓から空を見上げる。あー、窓際にベッド置いて貰って良かった。ポカポカ陽気だなぁと思っていると、ノックの音がする誰だろう、とりあえず返事だけはしておくか。

「はーい」

「柚子、またそんなところでゴロゴロして。結衣さんくるよ?」

「だーってさぁ、荷解き1日で終わるわけなくない?それに、柚子は今日8時台に向こう出てきたから疲れてるんだ」

 やって来たのは育だった。この屋敷で許可もなしに私のベッドサイドにやってくるのは、お姉ちゃんと修斗くんーそして幼馴染の育だけだ。庭師を務めていたお父さんの跡を継ぐと言った時は、非力だし小さかったし大丈夫だろうかと心配したけれど、今や立派に仕事をこなしている。

「修行先が遠かったからね、お疲れ様。あ、これさっき庭で摘んだんだ。修行終了祝いに」

 差し出されたのは、この家の紋章にもなっている赤薔薇だ。すぐに花瓶に生けられる長さになっている所に、優しさを感じる。

「うわー!綺麗!育が育ててるんでしょう。すごいね。ありがとう」

 ベッドに腰掛けて薔薇を受け取ると、育はちゃんと片付けしないと怒られるよと私に釘をさして部屋から出て行った。


 入れ違いになるように、部屋の扉がノックされる。軽やかなノック音はこの家でただ1人。

「お姉ちゃんだ!どーぞ!」

「よくお姉ちゃんってわかったわね。柚子片付けは……って全然進んでないの?」

 開けられていないトランクを見て、お姉ちゃんがため息を吐く。その手にはティーポットとティーカップの載ったお盆がある。ふわっと香るのは、自分と同じ名前の柚子だ。

「これからやるとこだよー!育に薔薇貰ったの。花瓶ってあるー?」

 そう聞けばお姉ちゃんは、パブリックスペースの棚から花瓶を出してくれた。

「はい。ここにいくつか花瓶入れてあるから適当に使いなさい。長距離移動で疲れたでしょうから、紅茶でも飲んで一息ついつ。荷解きもちゃんとすること。わかった?」

「お姉ちゃん……冷たい。柚子が遠くに修行行ったから柚子のこと嫌いになっちゃったんだっ!」

「またそんなこと言って、そんなわけ無いでしょう。柚子のことは大好きだけど、それとこれとは話が別。必要な物がその中にあるんだから、困らないように整理しないと……」

 お姉ちゃんの言うことは最もだ。仕方ないやるか…。聞けば私が好きだからと、柚子の紅茶を持ってきてくれたらしい。お礼を言うとお姉ちゃんは夕食の用意があるからと行ってしまった。




 立ち上がってテーブルに置いてあった、柚子の紅茶を飲み干す。やる気はないが怒られたくはないのでトランクを開けーー開かない?どうして。物をパンパンに詰め込んだトランクは留め具が動かなくなってしまった。なんでなんでなんで、これは困った……。

「おい、柚子!ノックの返事くらいしろ」

 ちょうどいい所に、このピンチをどうにかしてくれそうな人がきた!

「修斗くーん、助かった。よく来てくれたね。あのね、トランク開かないから荷解きできないー」

 トランクを指差せば修斗くんが近寄る。なんだこれ?金具が開かねぇのか。とか独り言を言いながらガチャガチャ音を立ててあちこち触っている。しばらくすると……ボンッと爆発音みたいな音が部屋に響いた。

「えっ?なになになに?」

「わかんねぇ、けど……開いたぞ」

 部屋中に散らばった服やら紙やら、私の荷物たち。とりあえず開いたからいっか!

「おおぉ!修斗くんさすが!とりあえず……服はここにまとめて後はこの辺りに置いておいてーー荷解き終わりだね」

「全然終わってねぇだろ。これじゃ荷解きじゃなくて荷物出しただけだろ。……ほら、手伝ってやるから」

 修斗くんはハンガーを持って来たり、紙を整理するファイルを持って来たり、相変わらず口うるさいけどお部屋の片付けを手伝ってくれた。ある程度になると、後は自分でやれよと捨て台詞を残して行ってしまった。最後まで手伝ってくれたっていいのにーー。



 夕食の時間まで後15分。そろそろダイニングに行ってみよう……とまたここでノックの音だ。規則正しいリズムの後に、立花ですと穏やかな声がする。慌てて返事をして扉を開けると、立花さんと光くんが立っていた。

「お部屋は片付いたかな?今日の主役は望月くんと柚子さんだからね、2人をお連れしようと思って」

 先に光くんを迎えに行ったのだろう、立花さんの後ろで片手を上げていた。

「まぁ、ばっちり!……立花さん、柚子ちゃんでいいですよ?お姉ちゃんのことも結衣ちゃんって呼んでるし、お姉ちゃんとお揃いがいい」

「あぁ、俺も。くん付けなくてええです。むず痒くて……」

「呼び方ね。食事の時に聞こうと思っていたんだけど先に聞けて良かった。じゃあ、望月、柚子ちゃん行こうか」


 立花さんに続いてダイニングに歩き始める。夕食のメニューはなんだろう。オムライス…アクアパッツァ…オムライスに1票にしておこう。
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