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第3章「星の世界」
28.でこっぱち
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多種多様な学生服姿が、動物の群れのように改札に向かって歩いてくる。
お盆も過ぎ、夏休みが終わってしまった学校もあるのかな、気の毒に。
そう思いながら、自分だって今日は大学へ行っていたことを思い出す。今日も今日とて模擬授業の対策だ。
学生たちを避けるようにコンコースの端を歩く。普段なら、学校帰りは駐輪場の横を通って商店街のほうへ向かうのだが、今日はその手前の商業ビルに立ち寄った。
長いエスカレーターの前で涼真がスマホをいじりながら待っていた。
「よう。悪いな。店番は大丈夫か?」
「大丈夫。客なんて来ないから早めに閉めてきた」
それは本当に「大丈夫」なのだろうか。
涼真は「だって大地とデートするの楽しみなんだもーん」と言って腕に絡みついてくる。無視して腕組みをしたままエスカレーターに乗ると「突っ込めよ!」とどつかれ、危うくエスカレーターで転びそうになった。
ビルの二階に到着し、左手へ曲がると蛍光灯が眩い雑貨店がある。化粧品や、輸入された菓子やおもちゃを扱う店で、自分みたいな奴には敷居が高い。だから常連である涼真をつれてきた。
「で、欲しいのはどこのリップなの」
甘いにおいの漂う店に入り涼真が訊く。「新発売」と書かれた派手なポップのついた棚を慣れた様子で物色している。
「どこのって?」
「ブランドだよ、ブランド」
「……ああ! えーと、『でこっぱち』みたいな名前のやつだったかな」
「でこっぱち……」
涼真は手を止め眉根を寄せて考え込む。
「千葉先生、それってデパコスのこと?」
振り返ると、制服姿の船渡川梓紗があきれた様子で立っていた。
「船渡川? 涼真が呼んだのか?」
「そうだよーん。強力な助っ人でしょ」
「リップ探してるんだって? 先生もメイクすんの?」
「俺はしない。おまえらと違って俺はすっぴんで十分勝負できるからな」
ぷっと吹き出してから、船渡川は「しまった」という顔を見せる。ちょっとクールな船渡川梓紗がこんなつまらない冗談に笑ってしまうなんて、さぞ悔しいに違いない。
「じゃあ誰かにあげるの? ……もしかしてミイに?」
「そうだ。よくわかったな」
「野田ちゃんへのプレゼントなら、親友の梓紗を呼んだ方が間違いないかなって思ってさ」
船渡川は長いため息をつく。
「リップのプレゼントねえ。先生とミイ、もう付き合ってんじゃん。実習も終わったんだし、そろそろ白状しなって」
「そういうんじゃないのよォ、ほんとに」
「付き合ってないのに、なんでリップなんてプレゼントするの? ……でも理由は教えてくれないんでしょ、どうせ。あー、めんどくさ」
「話すと、野田の個人情報を暴露することになるのでね」
こればかりは、船渡川にも言えない。
「でも船渡川の言うとおり、デパコス? ってやつだったと思う。この店にありそうか?」
「千葉先生って天然なの?」
船渡川と涼真が顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
二人によると、「デパコス」というのはデパートの化粧品売り場に並んでいるような値段の張る化粧品のことを指すらしい。つまり、野田が誕生日に両親から贈られたというデパコスのリップはこの雑貨屋には置いていない。
店の前のベンチに三人並んで座る。無駄足になったことを二人に詫びた。
「せっかく来てもらったのに、悪いな」
「いいよ。家から近いし」
「私もちょうど夏期講習の帰りだったから。このビルの七階の予備校に通ってるんだ。ねえ、そのリップはデパコスのなんていうブランドなの?」
「デパコスがブランド名じゃないのか」
「違うよ。彼女の好きなコスメのブランド知らないって、大丈夫なの?」
「だからー、彼女じゃ」
「本気で言ってる? 本当に付き合ってるんじゃなかったとして、恋人でも何でもないのにリップなんて貰ったら引くかもよ」
「え、そう?」
「意味深っていうか重いっていうか……。デパコスのリップなんて学生は気軽に買えないし」
「デパコスってそんなに高いのか?」
船渡川は眉間に皺をよせ、無言でスマホを操作した。
「ミイが好きなブランドのリップなんだけど、大体これくらいするんだよ」
化粧品の華やかな広告を見せられた。リップの一本の値段はバイトの時給五時間分くらいだった。
なんとか手の届く値段ではあるが彼氏以外の男から貰ったら、なんというか。
「重いな……」
船渡川も涼真も「ようやくわかったか」というように頷く。
弟に対する失言の謝罪、そしてリップを折られてしょげる野田への励まし。
二つの理由からリップをあげようと思いついたのだが、軽率だっただろうか。深く考えずに涼真に相談し品選びに誘ってしまった。
――先生からだったら、きもくないです。
恐らく、リップを渡しても野田は「きもい」とは言ってこない。だからこそ問題なのでは?
涼真と船渡川、二人の話を聞いているうちにそう思い直した。値段は関係無く、リップなんてプレゼントしたら野田をさらにその気にさせてしまうのではないか。
その気ってどんな気だよと自分に突っ込んだ。
野田に対し何か勘違いしているだろうか。何故か、勘違いであってほしいとは思わない自分がいる。
「プレゼントの話はもういいや。付き合わせてごめん。帰ろう」
早口でそう言った。顔が熱くなってきて、誘ったのは自分なのに今すぐにでも解散したい。
船渡川と目が合った。彼女は急にすっくと立ちあがる。
「もっと気軽に買える値段で、でも貰ったらめちゃくちゃ嬉しいやつ、探そうか」
そう言って再び目の前の雑貨屋に向かっていった。
お盆も過ぎ、夏休みが終わってしまった学校もあるのかな、気の毒に。
そう思いながら、自分だって今日は大学へ行っていたことを思い出す。今日も今日とて模擬授業の対策だ。
学生たちを避けるようにコンコースの端を歩く。普段なら、学校帰りは駐輪場の横を通って商店街のほうへ向かうのだが、今日はその手前の商業ビルに立ち寄った。
長いエスカレーターの前で涼真がスマホをいじりながら待っていた。
「よう。悪いな。店番は大丈夫か?」
「大丈夫。客なんて来ないから早めに閉めてきた」
それは本当に「大丈夫」なのだろうか。
涼真は「だって大地とデートするの楽しみなんだもーん」と言って腕に絡みついてくる。無視して腕組みをしたままエスカレーターに乗ると「突っ込めよ!」とどつかれ、危うくエスカレーターで転びそうになった。
ビルの二階に到着し、左手へ曲がると蛍光灯が眩い雑貨店がある。化粧品や、輸入された菓子やおもちゃを扱う店で、自分みたいな奴には敷居が高い。だから常連である涼真をつれてきた。
「で、欲しいのはどこのリップなの」
甘いにおいの漂う店に入り涼真が訊く。「新発売」と書かれた派手なポップのついた棚を慣れた様子で物色している。
「どこのって?」
「ブランドだよ、ブランド」
「……ああ! えーと、『でこっぱち』みたいな名前のやつだったかな」
「でこっぱち……」
涼真は手を止め眉根を寄せて考え込む。
「千葉先生、それってデパコスのこと?」
振り返ると、制服姿の船渡川梓紗があきれた様子で立っていた。
「船渡川? 涼真が呼んだのか?」
「そうだよーん。強力な助っ人でしょ」
「リップ探してるんだって? 先生もメイクすんの?」
「俺はしない。おまえらと違って俺はすっぴんで十分勝負できるからな」
ぷっと吹き出してから、船渡川は「しまった」という顔を見せる。ちょっとクールな船渡川梓紗がこんなつまらない冗談に笑ってしまうなんて、さぞ悔しいに違いない。
「じゃあ誰かにあげるの? ……もしかしてミイに?」
「そうだ。よくわかったな」
「野田ちゃんへのプレゼントなら、親友の梓紗を呼んだ方が間違いないかなって思ってさ」
船渡川は長いため息をつく。
「リップのプレゼントねえ。先生とミイ、もう付き合ってんじゃん。実習も終わったんだし、そろそろ白状しなって」
「そういうんじゃないのよォ、ほんとに」
「付き合ってないのに、なんでリップなんてプレゼントするの? ……でも理由は教えてくれないんでしょ、どうせ。あー、めんどくさ」
「話すと、野田の個人情報を暴露することになるのでね」
こればかりは、船渡川にも言えない。
「でも船渡川の言うとおり、デパコス? ってやつだったと思う。この店にありそうか?」
「千葉先生って天然なの?」
船渡川と涼真が顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
二人によると、「デパコス」というのはデパートの化粧品売り場に並んでいるような値段の張る化粧品のことを指すらしい。つまり、野田が誕生日に両親から贈られたというデパコスのリップはこの雑貨屋には置いていない。
店の前のベンチに三人並んで座る。無駄足になったことを二人に詫びた。
「せっかく来てもらったのに、悪いな」
「いいよ。家から近いし」
「私もちょうど夏期講習の帰りだったから。このビルの七階の予備校に通ってるんだ。ねえ、そのリップはデパコスのなんていうブランドなの?」
「デパコスがブランド名じゃないのか」
「違うよ。彼女の好きなコスメのブランド知らないって、大丈夫なの?」
「だからー、彼女じゃ」
「本気で言ってる? 本当に付き合ってるんじゃなかったとして、恋人でも何でもないのにリップなんて貰ったら引くかもよ」
「え、そう?」
「意味深っていうか重いっていうか……。デパコスのリップなんて学生は気軽に買えないし」
「デパコスってそんなに高いのか?」
船渡川は眉間に皺をよせ、無言でスマホを操作した。
「ミイが好きなブランドのリップなんだけど、大体これくらいするんだよ」
化粧品の華やかな広告を見せられた。リップの一本の値段はバイトの時給五時間分くらいだった。
なんとか手の届く値段ではあるが彼氏以外の男から貰ったら、なんというか。
「重いな……」
船渡川も涼真も「ようやくわかったか」というように頷く。
弟に対する失言の謝罪、そしてリップを折られてしょげる野田への励まし。
二つの理由からリップをあげようと思いついたのだが、軽率だっただろうか。深く考えずに涼真に相談し品選びに誘ってしまった。
――先生からだったら、きもくないです。
恐らく、リップを渡しても野田は「きもい」とは言ってこない。だからこそ問題なのでは?
涼真と船渡川、二人の話を聞いているうちにそう思い直した。値段は関係無く、リップなんてプレゼントしたら野田をさらにその気にさせてしまうのではないか。
その気ってどんな気だよと自分に突っ込んだ。
野田に対し何か勘違いしているだろうか。何故か、勘違いであってほしいとは思わない自分がいる。
「プレゼントの話はもういいや。付き合わせてごめん。帰ろう」
早口でそう言った。顔が熱くなってきて、誘ったのは自分なのに今すぐにでも解散したい。
船渡川と目が合った。彼女は急にすっくと立ちあがる。
「もっと気軽に買える値段で、でも貰ったらめちゃくちゃ嬉しいやつ、探そうか」
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