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四月九日:感応フィルム3
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忍冬矜の言葉に合わせ、空から無数の包丁が落ちる。土砂降りのように。咄嗟に千歳華火は忍冬矜を庇った。この本数が刺されば、千歳華火は死なずとも、忍冬矜は死んでしまう。
「う、ぐぅ。あ、は、は」
「残念。死ねなかったか」
本気で、忍冬矜は残念がっているのだ。自分が今死ねなかったことに対して。
「はぁ、はぁ」
「いいわね、華火。あなたもう少しで死ねそうじゃない。うらやましいわ」
「ばっか・・・」
千歳花火が庇ったことで忍冬矜は二の腕に少しかすり傷が出来た程度の怪我しかしていない。それに対して千歳花火は重症である。背中と足に刺さっていた包丁を、無理やり抜く。
「死にたい気持ちは、両親との不仲から、っはぁ、出てきてるの?両親がいなくなったら、生きてもいい、とか思ったりしない?」
少し不穏なことを千歳花火は言う。
「・・・おめでたいわね。わたしがいつまでもあの人たちに固執してると思わないで」
「じゃあ、なんで。矜ちゃんは、そんなに死にたいの?・・・ううん、いつから、死にたかったの?」
「死にたいわ。ずっと」
「ずっと・・・?」
「わたしはね、親に暴力を振るわれた時も死にたかった。どうせなら殺してくれと願ったわ。学校で褒められるたびに自己嫌悪で死にたくなった。本当のわたしは違うとずっと叫んでいたわ。成績が落ちた時も死にたくなったわ。どうしようもないクズだと思わされているようで。友達を作っても死にたくなったわ。自分にないものを持っている他人に嫉妬して。料理をして死にたくなったわ。肉を切ると自分の肉もこんな感じかと想像してしまうから。ご飯を食べても死にたくなったわ。他の命をもらって生きてるなんて、生に固執しているようで嫌だった。セックスしても死にたくなったわ。自分の醜さを人にさらして、人の浅ましさを見せられて。風呂に入っても死にたくなった。このまま湯舟で溺死が出来ないかしらって。沖峰浄呉といても死にたくなったわ。彼はわたしを肯定してくれるのだもの。汚れた私が死ぬことを肯定する。そして、華火と話していても死にたくなったわ」
忍冬矜は諦めたような、どこか辛そうに笑った。
「あなたと話していると、生まれて初めて、楽しい、と思う自分がいたから。そんな自分を否定したくて、死にたくなったわ」
千歳花火は唇をぎゅっと結ぶ。
「今ならわかるわ。昔から不思議だったの。どうして華火はわたしが辛い時にあたりまえのようにわたしの傍にいてくれたのか。・・・違うわね、どうしてわたしが辛い時、ピンポイントでふらっと現れるのか、かしら」
忍冬矜は自分の手に目を向ける。
「今はわたしも、華火がどれだけ辛いか、手に取るようにわかる。わたしが死にたいと言うたびに、あなたの心が叫んでいる。死なないでって。こんな風に他人の心がわかるとおせっかいも働きたくなるのかしら」
「違うよ。矜ちゃんだけ。私がわかるのは矜ちゃんの感覚だけ。私がおせっかいを焼くのも、矜ちゃんだけ」
「・・・どうして?」
「そんなの、矜ちゃんだってわかってるんじゃない?」
千歳華火は力なく笑う。
「私と矜ちゃんはお互いに、お互い以上に長い時間を一緒に過ごした人間がいない」
そうでしょ、と問いかける。
「私たちは親に恵まれなかった。私の親は私のことを、邪魔な荷物くらいにしか思えなかったでしょうね。そして矜ちゃんの親は」
言い淀む華火に忍冬矜は代わりに告げる。
「都合のいいおもちゃってところかしらね。わたしは」
「・・・だからこそ、私たちは親から逃げる為に支えあってきた。辛い時も楽しい時も共有してきた。だってお互いに、依存しあっていたんだから」
「そうね。きっとそう」
「小さいころから思うよ。もし私が矜ちゃんと出会えなかったら、って。そうしたらきっと、とっくに私は死んでるよ」
「・・・」
「一人で抱え込めるほど私は強くなかった。この力のこともあった。私は私のことが疎ましくて仕方なかった。私がいなければ、なんて何度も考えた。どこにも希望なんてないと思った。・・・でも、矜ちゃんと出会えてからは、少しだけ、視界が明るくなった」
「わたしはあなたの力のことも、悩みも知らなかったわよ」
「言わないようにしてた。嫌われたくなくて」
「本当におせっかいね」
ごめん、と千歳華火は謝る。
「私は矜ちゃんと友達になれた。それからは助けになりたくて、頼ってほしくて、この力のことも、勉強だって頑張ってみた。なにかあった時に私に一番に声をかけてもらえるように。誰にもその役を譲りたくなかった。譲ったら、矜ちゃんは離れていっちゃうと思って」
「わたしは助けて、なんて言わなかったかもしれないわよ」
「言われなくても、私にはわかるから」
いやな力ね、と忍冬矜は言う。
「矜ちゃん。私ね、嫌われたくなくてもう一つ隠していたことがあるの」
気恥ずかしそうに笑いながら千歳華火は言う。
「好きです。恋愛的な意味で」
「は?」
「あはは、いいね。その反応」
千歳華火は笑い転げる。
「いつから・・・。いえ、本気なの?」
「本気だよ。意識したのは矜ちゃんと初めてキスをした時」
「・・・あれは、わたしの嫌がらせで」
「矜ちゃんにとっては何回もしてきた、なんてことないキスだったのかもしれないけど、私にとっては大きかったの!」
嫌がらせだったかもしれないキスは、千歳華火にとって人生を変えるものだった。
「私は矜ちゃんを独り占めしたいって思ったし、誰かと付き合ってほしくもなかった。矜ちゃんの恋バナなんて本当は聞きたくもなかった。私ともっと、一緒にいて欲しかった」
「ガキね」
忍冬矜は一蹴する。
「私は矜ちゃんの恋人になりたかったけど、矜ちゃんが幸せなら、それでいいと思った。それを邪魔する権利は、私にはないから」
忍冬矜は黙っていた。
「でも違った。矜ちゃんは全部を諦めてた。自分をぞんざいに扱う矜ちゃんを、見ているのは辛かった」
「そんなことしていないわ」
千歳華火は笑う。
「嘘。あわよくば死にたかったくせに」
忍冬矜は酒も煙草もセックスも好んだ。違法でもアブノーマルでもなんでも良かったのだ。普通から離れれば、離れるほど、自分を殺してくれる人間に出会えると本気で思っていたのだから。
「矜ちゃん、私と一緒に生きよう」
千歳華火はプロポーズともとれる言葉を告げる。震える手を固く握って。
「もう遅いのよ。わたしはあなたと生きれない―――わたしはあなたを、憎むことにしたのだから」
「う、ぐぅ。あ、は、は」
「残念。死ねなかったか」
本気で、忍冬矜は残念がっているのだ。自分が今死ねなかったことに対して。
「はぁ、はぁ」
「いいわね、華火。あなたもう少しで死ねそうじゃない。うらやましいわ」
「ばっか・・・」
千歳花火が庇ったことで忍冬矜は二の腕に少しかすり傷が出来た程度の怪我しかしていない。それに対して千歳花火は重症である。背中と足に刺さっていた包丁を、無理やり抜く。
「死にたい気持ちは、両親との不仲から、っはぁ、出てきてるの?両親がいなくなったら、生きてもいい、とか思ったりしない?」
少し不穏なことを千歳花火は言う。
「・・・おめでたいわね。わたしがいつまでもあの人たちに固執してると思わないで」
「じゃあ、なんで。矜ちゃんは、そんなに死にたいの?・・・ううん、いつから、死にたかったの?」
「死にたいわ。ずっと」
「ずっと・・・?」
「わたしはね、親に暴力を振るわれた時も死にたかった。どうせなら殺してくれと願ったわ。学校で褒められるたびに自己嫌悪で死にたくなった。本当のわたしは違うとずっと叫んでいたわ。成績が落ちた時も死にたくなったわ。どうしようもないクズだと思わされているようで。友達を作っても死にたくなったわ。自分にないものを持っている他人に嫉妬して。料理をして死にたくなったわ。肉を切ると自分の肉もこんな感じかと想像してしまうから。ご飯を食べても死にたくなったわ。他の命をもらって生きてるなんて、生に固執しているようで嫌だった。セックスしても死にたくなったわ。自分の醜さを人にさらして、人の浅ましさを見せられて。風呂に入っても死にたくなった。このまま湯舟で溺死が出来ないかしらって。沖峰浄呉といても死にたくなったわ。彼はわたしを肯定してくれるのだもの。汚れた私が死ぬことを肯定する。そして、華火と話していても死にたくなったわ」
忍冬矜は諦めたような、どこか辛そうに笑った。
「あなたと話していると、生まれて初めて、楽しい、と思う自分がいたから。そんな自分を否定したくて、死にたくなったわ」
千歳花火は唇をぎゅっと結ぶ。
「今ならわかるわ。昔から不思議だったの。どうして華火はわたしが辛い時にあたりまえのようにわたしの傍にいてくれたのか。・・・違うわね、どうしてわたしが辛い時、ピンポイントでふらっと現れるのか、かしら」
忍冬矜は自分の手に目を向ける。
「今はわたしも、華火がどれだけ辛いか、手に取るようにわかる。わたしが死にたいと言うたびに、あなたの心が叫んでいる。死なないでって。こんな風に他人の心がわかるとおせっかいも働きたくなるのかしら」
「違うよ。矜ちゃんだけ。私がわかるのは矜ちゃんの感覚だけ。私がおせっかいを焼くのも、矜ちゃんだけ」
「・・・どうして?」
「そんなの、矜ちゃんだってわかってるんじゃない?」
千歳華火は力なく笑う。
「私と矜ちゃんはお互いに、お互い以上に長い時間を一緒に過ごした人間がいない」
そうでしょ、と問いかける。
「私たちは親に恵まれなかった。私の親は私のことを、邪魔な荷物くらいにしか思えなかったでしょうね。そして矜ちゃんの親は」
言い淀む華火に忍冬矜は代わりに告げる。
「都合のいいおもちゃってところかしらね。わたしは」
「・・・だからこそ、私たちは親から逃げる為に支えあってきた。辛い時も楽しい時も共有してきた。だってお互いに、依存しあっていたんだから」
「そうね。きっとそう」
「小さいころから思うよ。もし私が矜ちゃんと出会えなかったら、って。そうしたらきっと、とっくに私は死んでるよ」
「・・・」
「一人で抱え込めるほど私は強くなかった。この力のこともあった。私は私のことが疎ましくて仕方なかった。私がいなければ、なんて何度も考えた。どこにも希望なんてないと思った。・・・でも、矜ちゃんと出会えてからは、少しだけ、視界が明るくなった」
「わたしはあなたの力のことも、悩みも知らなかったわよ」
「言わないようにしてた。嫌われたくなくて」
「本当におせっかいね」
ごめん、と千歳華火は謝る。
「私は矜ちゃんと友達になれた。それからは助けになりたくて、頼ってほしくて、この力のことも、勉強だって頑張ってみた。なにかあった時に私に一番に声をかけてもらえるように。誰にもその役を譲りたくなかった。譲ったら、矜ちゃんは離れていっちゃうと思って」
「わたしは助けて、なんて言わなかったかもしれないわよ」
「言われなくても、私にはわかるから」
いやな力ね、と忍冬矜は言う。
「矜ちゃん。私ね、嫌われたくなくてもう一つ隠していたことがあるの」
気恥ずかしそうに笑いながら千歳華火は言う。
「好きです。恋愛的な意味で」
「は?」
「あはは、いいね。その反応」
千歳華火は笑い転げる。
「いつから・・・。いえ、本気なの?」
「本気だよ。意識したのは矜ちゃんと初めてキスをした時」
「・・・あれは、わたしの嫌がらせで」
「矜ちゃんにとっては何回もしてきた、なんてことないキスだったのかもしれないけど、私にとっては大きかったの!」
嫌がらせだったかもしれないキスは、千歳華火にとって人生を変えるものだった。
「私は矜ちゃんを独り占めしたいって思ったし、誰かと付き合ってほしくもなかった。矜ちゃんの恋バナなんて本当は聞きたくもなかった。私ともっと、一緒にいて欲しかった」
「ガキね」
忍冬矜は一蹴する。
「私は矜ちゃんの恋人になりたかったけど、矜ちゃんが幸せなら、それでいいと思った。それを邪魔する権利は、私にはないから」
忍冬矜は黙っていた。
「でも違った。矜ちゃんは全部を諦めてた。自分をぞんざいに扱う矜ちゃんを、見ているのは辛かった」
「そんなことしていないわ」
千歳華火は笑う。
「嘘。あわよくば死にたかったくせに」
忍冬矜は酒も煙草もセックスも好んだ。違法でもアブノーマルでもなんでも良かったのだ。普通から離れれば、離れるほど、自分を殺してくれる人間に出会えると本気で思っていたのだから。
「矜ちゃん、私と一緒に生きよう」
千歳華火はプロポーズともとれる言葉を告げる。震える手を固く握って。
「もう遅いのよ。わたしはあなたと生きれない―――わたしはあなたを、憎むことにしたのだから」
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