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第八章 写楽落葉
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その日のうちに、長喜と喜乃は絵を描き始めた。庭に向かい、文机を並べる。
障子戸を開け放つと、冷たい風が部屋の中に流れ込んだ。
「兄さん、寒くない? 火鉢を近くに置いて。綿入羽織も着てね。今、熱いお茶を淹れるから、待っていて」
てきぱきと働く喜乃に苦笑する。
「そねぇに世話を焼いてくれなくって、いいんだぜ。腕は挙げづれぇが、自分でできらぁ」
忙しなく動いていた喜乃が、振り返った。
「私が、してあげたいの。それに、冷やしたら、傷に悪いでしょ。大事にしなきゃ」
いつも通りの喜乃の姿に、安堵と同時に一抹の寂しさが胸を過った。
(まるで平素のようだなぁ。もうすぐ命の灯が消えるなんて、信じられねぇ。このまま、この時が、続けばいいのにな)
長喜の隣に腰を下ろした喜乃が、湯呑を差し出す。
「今から絵を描くのに、兄さんたら、らしくない顔をしているわよ。文机に向かう時の兄さんは、いつも楽しそうにしているわ。行き詰まっていてもね」
喜乃が笑みを向ける。
はっとして、自分の顔をペタペタと触る。
(思いが、顔に出ていたんだな。この期に及んでお喜乃に気を遣わせるたぁ、兄弟子失格だ。気持ちを切り替えなけりゃぁ。お喜乃を、これ以上ねぇってくらい、楽しい気持ちで、送ってやるんだ)
勢いよく湯呑を持ち上げ、茶を流し込んだ。
「あっちぃ! おい、お喜乃。この茶ぁ、熱すぎだ。喉が焼けるかと思ったぜ」
「熱くなければ、体が温まらないわ。熱いお茶を淹れるって、先に伝えたでしょ」
目と目が、搗ち合う。顔を合わせて、二人は吹き出した。
「さぁて、まずは写楽の絵を仕上げるか。桐座と都座の曾我の対面は、描けるよな」
喜乃が、描きかけの絵を数枚、出してきた。
「何枚かは、描いてみたのだけど。着物の柄や背後の舞台は、まだ真っ白で、兄さんに相談したいの。見たままに描くのは難しそうだから、柄は作ってもいいかな?」
一度の観覧で着物の色や柄の総てを描き込むのは難しい。桐座と都座も、河原崎座と同様に、何度か観に行くつもりだった。とはいえ今更、芝居に行く暇もない。
「そうだなぁ。見立のような手本もねぇし、柄は独自に充てるか。蔦重さんから芝居小屋に話を通してもらうしかねぇな」
枚数は予定よりずっと少ないが、人の形は、おおよそ描き上がっている。以前より、線が荒く感じた。長喜が目を覚まさない間に、喜乃はこの絵を描いていた。心情が現れているのかもしれない。
(だが、勢いは、ある。表情もよく描けている。描き直しは無用だな。この十月で、ずいぶんと成長したもんだ)
もっと時があれば、練習できれば、喜乃は間違いなく成長していた。そう考えずには、いられない。頭を振って、思考を切り替えた。
「一先ず、柄をいくつか描いて、充ててみるか。それから色を決めるとして、入れてぇ柄はあるか?」
頷いた喜乃が、筆を執る。
「前に伝蔵さんが描いていて、気に入っている柄があるのだけど。形と色を少し変えて、こう、扇が重なって華に見えるようにしたら、御目出度くて正月らしくないかしら?」
紙に柄を、さらさらと描いていく。
(着物の柄も不得手だったのになぁ。自分で考えて、作るようになるたぁ。お喜乃は本当に一途だな)
喜乃の手に握られた筆に目が留まった。その筆は、長喜と伝蔵、鉄蔵の三人が贈った筆だ。御守りとして文机に飾っていた筆を最初に使ったのは、皐月の大首絵を描いた時だった。
(お喜乃にとって、東洲斎写楽は間違いなく、ここ一番だったな。鉄蔵、伝蔵。お喜乃は、この筆で、立派に絵師の仕事をしたぜ)
自分たちが贈った筆を使って懸命に柄を描く喜乃の姿が、誇らしかった。
「なかなか良い出来だな。南天を入れてもいいな。難を転ずるし、正月らしいだろ」
「そうね、なら、可愛らしくして帯に入れようかな。粂吉の帯にしようかしら」
吟味をしながら、二人は着物の柄を詰めていった。
あっという間に一刻が過ぎ、喜乃が息を吐いた。
「疲れただろ、少し休むか? 今度は俺が茶ぁを淹れてくるから、休息していろよ」
立ち上がろうとする長喜の袖を、喜乃が引いた。
「行かないで、兄さん。疲れていないから、ここに、いて。もっと一緒に、絵を描いていたいの」
喜乃の真っ白い顔が、青褪めて見える。時が、迫っているのかもしれない。
腰を下ろして、長喜は喜乃を振り返った。
「なぁ、お喜乃。息抜きに、互いの姿絵でも、描かねぇか? 俺ぁ、お前ぇの絵を描きてぇんだ。描かせてくれよ」
喜乃の表情が改まる。
一度だけ逸らした瞳を、長喜に向けると、頷いた。
「私も、兄さんに絵を描いてほしい。兄さんの目に映る私がどんな姿なのか、知りたい」
喜乃の顔は笑んでいるのに、寂しげに感じる。
長喜は喜乃に筆を手渡した。
「お喜乃も、描くんだぜ。俺の絵を描いて、俺にくれ。交換しよう」
筆を受け取った喜乃が、小さく頷いた。
「わかった。きっと、すてきに仕上げるからね」
喜乃の頬に一筋の涙が流れる。
その雫を優しく指で拭うと、長喜は文机に向かった。
二人は無言で、絵を描いた。時折、洟を啜る音が庵に小さく響く。筆が紙の上を滑る音と、笹が風に揺れる音が、他の音を総て搔き消した。
火鉢の中の炭が、小さく爆ぜる。
長喜は、筆を置いた。ほぼ同時に、喜乃も筆を置く。顔を合わせて、長喜は喜乃に絵を差し出した。絵を受け取ると、喜乃は絵に見入った。喜乃の目から、また涙がすっと流れた。
「兄さんの線は、とても綺麗ね。繊細で滑らかで、丁寧で、私には引けない線。兄さんが描くと皆、美人になるわ。私、こんなに美人じゃぁないもの」
喜乃の頬に手を当てる。
懸命に笑おうとする目から零れる涙を拭った。
「いいや、お喜乃は美人だよ。俺が出会った誰よりも、美人だ。初めて会った時、お前ぇはまだ五つだったけどさ。俺ぁ、美しいと思ったんだぜ。歳を追うごとに、お喜乃は俺の想像を超えて、益々美人になった」
喜乃の目から、涙が溢れた。
「美人の絵が得意な兄さんに褒めてもらえるなんて、贅沢ね。こんなに綺麗に描いてもらって、嬉しい。嬉しいのに、ごめんなさい。涙が、止まらない」
長喜の絵が黄泉への道標になると、喜乃は知っている。今なら、魂で感じ取っているはずだ。
目を擦る喜乃の手を取り、握る。
「俺ぁ、お喜乃の笑った顔が好きだ。お前ぇが何を案ずるでもなく、笑っていてくれたら、俺ぁ、幸せなんだ」
長喜が描いた喜乃の絵は、絵を描きながら笑っている姿だった。
「長喜兄さんがいてくれたから、笑えたのよ。楽しいのも嬉しいのも、全部、兄さんと一緒だったから、感じられたの。離れたくないよ、兄さん。でも、すぐに黄泉に来たら、許さないから。私が、追い返すからね」
しゃくり上げる喜乃の顔を上げ、額を合わせた。
「すぐには逝けねぇよ。俺ん中には、お喜乃の命が流れていんだ。一緒にいるのと、同じだろ? 二人分の命だ、大事にしなけりゃぁな。あっちには、師匠も石鳥も月沙もいる。楽しく絵を描いていりゃぁ、あっという間に俺が爺になって、そっちに逝くだろうから。黄泉で、また会えるさ」
涙を流したまま、喜乃が小さく吹き出した。
「お爺さんになった長喜兄さんの顔が、早く見たいな。きっと、すてきな翁ね。楽しみに待っているから。だから兄さんは、これからも、現を楽しく写してね。描きたい絵を、たくさん描いてね」
喜乃の体が透け始める。
長喜は喜乃の背に腕を回し、抱き締めた。
「ほんの少しだけ、さよならだ。きっと、また会えるから。だから、笑ってくれよ、お喜乃」
喜乃が額を離す。潤んだ瞳のまま、微笑んだ。
「長喜兄さん、大好きよ。ありがとう。今だけ、さようなら。また黄泉で会おうね」
澄んだ瞳に魅せられて、顔を寄せる。柔らかい唇が触れ、重なった。
長喜の描いた喜乃の絵が浮かび上がる。青い灯となり、喜乃の周囲を舞う。透けた喜乃の体が、光を帯びた沫になり、白い魂の灯になった。
青い灯が浮かび上がり、先導する。後を追って、喜乃の魂が、空へと舞い上がった。
「お喜乃! お喜乃、お喜乃! 逝くな……っ」
思わず叫んだ本音を飲み込んで、後を追う。
長喜は裸足で庭に飛び出した。
「黄泉でも、達者に絵を描けよ! 笑っていろよ! もう何も、怖がらなくっていいんだ! 笑って、絵を描けよ!」
空高くへと浮かんでいく魂を、見送る。
灯が見えなくなっても、長喜は、いつまでも空を見上げていた。
【補足情報】
人の死というのは悲しくて、どうしたら巧く書けるのか、いつも考えています。
妖怪だ怪異だ黄泉だとファンタジーを描き続けている私ですが、実際は幽霊もあの世もないと思っています。それでもそういう世界に想いを馳せるのは希望で、こんな世界があったらどれだけいいだろう、救われるだろうと思うからです。きっと黄泉や天国を想像した大昔の人々もそんな思いだったんだろうなと思います。大切な人に死んだらまた黄泉で会える。そう願うのは希望であり生きる糧であり、縛る鎖でもあるのだと、それが人の業で幸せでも不幸でもあるのだと、そんな風に思います。
障子戸を開け放つと、冷たい風が部屋の中に流れ込んだ。
「兄さん、寒くない? 火鉢を近くに置いて。綿入羽織も着てね。今、熱いお茶を淹れるから、待っていて」
てきぱきと働く喜乃に苦笑する。
「そねぇに世話を焼いてくれなくって、いいんだぜ。腕は挙げづれぇが、自分でできらぁ」
忙しなく動いていた喜乃が、振り返った。
「私が、してあげたいの。それに、冷やしたら、傷に悪いでしょ。大事にしなきゃ」
いつも通りの喜乃の姿に、安堵と同時に一抹の寂しさが胸を過った。
(まるで平素のようだなぁ。もうすぐ命の灯が消えるなんて、信じられねぇ。このまま、この時が、続けばいいのにな)
長喜の隣に腰を下ろした喜乃が、湯呑を差し出す。
「今から絵を描くのに、兄さんたら、らしくない顔をしているわよ。文机に向かう時の兄さんは、いつも楽しそうにしているわ。行き詰まっていてもね」
喜乃が笑みを向ける。
はっとして、自分の顔をペタペタと触る。
(思いが、顔に出ていたんだな。この期に及んでお喜乃に気を遣わせるたぁ、兄弟子失格だ。気持ちを切り替えなけりゃぁ。お喜乃を、これ以上ねぇってくらい、楽しい気持ちで、送ってやるんだ)
勢いよく湯呑を持ち上げ、茶を流し込んだ。
「あっちぃ! おい、お喜乃。この茶ぁ、熱すぎだ。喉が焼けるかと思ったぜ」
「熱くなければ、体が温まらないわ。熱いお茶を淹れるって、先に伝えたでしょ」
目と目が、搗ち合う。顔を合わせて、二人は吹き出した。
「さぁて、まずは写楽の絵を仕上げるか。桐座と都座の曾我の対面は、描けるよな」
喜乃が、描きかけの絵を数枚、出してきた。
「何枚かは、描いてみたのだけど。着物の柄や背後の舞台は、まだ真っ白で、兄さんに相談したいの。見たままに描くのは難しそうだから、柄は作ってもいいかな?」
一度の観覧で着物の色や柄の総てを描き込むのは難しい。桐座と都座も、河原崎座と同様に、何度か観に行くつもりだった。とはいえ今更、芝居に行く暇もない。
「そうだなぁ。見立のような手本もねぇし、柄は独自に充てるか。蔦重さんから芝居小屋に話を通してもらうしかねぇな」
枚数は予定よりずっと少ないが、人の形は、おおよそ描き上がっている。以前より、線が荒く感じた。長喜が目を覚まさない間に、喜乃はこの絵を描いていた。心情が現れているのかもしれない。
(だが、勢いは、ある。表情もよく描けている。描き直しは無用だな。この十月で、ずいぶんと成長したもんだ)
もっと時があれば、練習できれば、喜乃は間違いなく成長していた。そう考えずには、いられない。頭を振って、思考を切り替えた。
「一先ず、柄をいくつか描いて、充ててみるか。それから色を決めるとして、入れてぇ柄はあるか?」
頷いた喜乃が、筆を執る。
「前に伝蔵さんが描いていて、気に入っている柄があるのだけど。形と色を少し変えて、こう、扇が重なって華に見えるようにしたら、御目出度くて正月らしくないかしら?」
紙に柄を、さらさらと描いていく。
(着物の柄も不得手だったのになぁ。自分で考えて、作るようになるたぁ。お喜乃は本当に一途だな)
喜乃の手に握られた筆に目が留まった。その筆は、長喜と伝蔵、鉄蔵の三人が贈った筆だ。御守りとして文机に飾っていた筆を最初に使ったのは、皐月の大首絵を描いた時だった。
(お喜乃にとって、東洲斎写楽は間違いなく、ここ一番だったな。鉄蔵、伝蔵。お喜乃は、この筆で、立派に絵師の仕事をしたぜ)
自分たちが贈った筆を使って懸命に柄を描く喜乃の姿が、誇らしかった。
「なかなか良い出来だな。南天を入れてもいいな。難を転ずるし、正月らしいだろ」
「そうね、なら、可愛らしくして帯に入れようかな。粂吉の帯にしようかしら」
吟味をしながら、二人は着物の柄を詰めていった。
あっという間に一刻が過ぎ、喜乃が息を吐いた。
「疲れただろ、少し休むか? 今度は俺が茶ぁを淹れてくるから、休息していろよ」
立ち上がろうとする長喜の袖を、喜乃が引いた。
「行かないで、兄さん。疲れていないから、ここに、いて。もっと一緒に、絵を描いていたいの」
喜乃の真っ白い顔が、青褪めて見える。時が、迫っているのかもしれない。
腰を下ろして、長喜は喜乃を振り返った。
「なぁ、お喜乃。息抜きに、互いの姿絵でも、描かねぇか? 俺ぁ、お前ぇの絵を描きてぇんだ。描かせてくれよ」
喜乃の表情が改まる。
一度だけ逸らした瞳を、長喜に向けると、頷いた。
「私も、兄さんに絵を描いてほしい。兄さんの目に映る私がどんな姿なのか、知りたい」
喜乃の顔は笑んでいるのに、寂しげに感じる。
長喜は喜乃に筆を手渡した。
「お喜乃も、描くんだぜ。俺の絵を描いて、俺にくれ。交換しよう」
筆を受け取った喜乃が、小さく頷いた。
「わかった。きっと、すてきに仕上げるからね」
喜乃の頬に一筋の涙が流れる。
その雫を優しく指で拭うと、長喜は文机に向かった。
二人は無言で、絵を描いた。時折、洟を啜る音が庵に小さく響く。筆が紙の上を滑る音と、笹が風に揺れる音が、他の音を総て搔き消した。
火鉢の中の炭が、小さく爆ぜる。
長喜は、筆を置いた。ほぼ同時に、喜乃も筆を置く。顔を合わせて、長喜は喜乃に絵を差し出した。絵を受け取ると、喜乃は絵に見入った。喜乃の目から、また涙がすっと流れた。
「兄さんの線は、とても綺麗ね。繊細で滑らかで、丁寧で、私には引けない線。兄さんが描くと皆、美人になるわ。私、こんなに美人じゃぁないもの」
喜乃の頬に手を当てる。
懸命に笑おうとする目から零れる涙を拭った。
「いいや、お喜乃は美人だよ。俺が出会った誰よりも、美人だ。初めて会った時、お前ぇはまだ五つだったけどさ。俺ぁ、美しいと思ったんだぜ。歳を追うごとに、お喜乃は俺の想像を超えて、益々美人になった」
喜乃の目から、涙が溢れた。
「美人の絵が得意な兄さんに褒めてもらえるなんて、贅沢ね。こんなに綺麗に描いてもらって、嬉しい。嬉しいのに、ごめんなさい。涙が、止まらない」
長喜の絵が黄泉への道標になると、喜乃は知っている。今なら、魂で感じ取っているはずだ。
目を擦る喜乃の手を取り、握る。
「俺ぁ、お喜乃の笑った顔が好きだ。お前ぇが何を案ずるでもなく、笑っていてくれたら、俺ぁ、幸せなんだ」
長喜が描いた喜乃の絵は、絵を描きながら笑っている姿だった。
「長喜兄さんがいてくれたから、笑えたのよ。楽しいのも嬉しいのも、全部、兄さんと一緒だったから、感じられたの。離れたくないよ、兄さん。でも、すぐに黄泉に来たら、許さないから。私が、追い返すからね」
しゃくり上げる喜乃の顔を上げ、額を合わせた。
「すぐには逝けねぇよ。俺ん中には、お喜乃の命が流れていんだ。一緒にいるのと、同じだろ? 二人分の命だ、大事にしなけりゃぁな。あっちには、師匠も石鳥も月沙もいる。楽しく絵を描いていりゃぁ、あっという間に俺が爺になって、そっちに逝くだろうから。黄泉で、また会えるさ」
涙を流したまま、喜乃が小さく吹き出した。
「お爺さんになった長喜兄さんの顔が、早く見たいな。きっと、すてきな翁ね。楽しみに待っているから。だから兄さんは、これからも、現を楽しく写してね。描きたい絵を、たくさん描いてね」
喜乃の体が透け始める。
長喜は喜乃の背に腕を回し、抱き締めた。
「ほんの少しだけ、さよならだ。きっと、また会えるから。だから、笑ってくれよ、お喜乃」
喜乃が額を離す。潤んだ瞳のまま、微笑んだ。
「長喜兄さん、大好きよ。ありがとう。今だけ、さようなら。また黄泉で会おうね」
澄んだ瞳に魅せられて、顔を寄せる。柔らかい唇が触れ、重なった。
長喜の描いた喜乃の絵が浮かび上がる。青い灯となり、喜乃の周囲を舞う。透けた喜乃の体が、光を帯びた沫になり、白い魂の灯になった。
青い灯が浮かび上がり、先導する。後を追って、喜乃の魂が、空へと舞い上がった。
「お喜乃! お喜乃、お喜乃! 逝くな……っ」
思わず叫んだ本音を飲み込んで、後を追う。
長喜は裸足で庭に飛び出した。
「黄泉でも、達者に絵を描けよ! 笑っていろよ! もう何も、怖がらなくっていいんだ! 笑って、絵を描けよ!」
空高くへと浮かんでいく魂を、見送る。
灯が見えなくなっても、長喜は、いつまでも空を見上げていた。
【補足情報】
人の死というのは悲しくて、どうしたら巧く書けるのか、いつも考えています。
妖怪だ怪異だ黄泉だとファンタジーを描き続けている私ですが、実際は幽霊もあの世もないと思っています。それでもそういう世界に想いを馳せるのは希望で、こんな世界があったらどれだけいいだろう、救われるだろうと思うからです。きっと黄泉や天国を想像した大昔の人々もそんな思いだったんだろうなと思います。大切な人に死んだらまた黄泉で会える。そう願うのは希望であり生きる糧であり、縛る鎖でもあるのだと、それが人の業で幸せでも不幸でもあるのだと、そんな風に思います。
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