鎮魂の絵師

霞花怜

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第三章 役者の似絵と一抹の影

5.

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 桶の水を替えに入ってきた手代の勇助に喜乃を任せて、長喜は部屋を出た。

「やい、長喜! お喜乃は無事なのか? まだ眠っているのかよ。ちゃんと目覚めるんだろうな」

 左七郎が、どかどかと廊下を歩いて来た。

「お喜乃は無事だよ。今は、ぐっすり寝ていらぁ。静かに歩きやがれ。それとな、俺の呼び名は、子興か長喜か、どっちかにしろ」

 長喜は自分の部屋に向かう。左七郎が後を付いて来た。

「これからは、長喜と呼ぶぜ。お喜乃が、あんたを長喜あにさんと呼んでいたからな。子興って号は、今は使っちゃぁいねぇんだろ」
「まぁな。お前ぇ、お喜乃にずいぶんと肩入れしているなぁ。いつの間に、仲良くなったんだ?」

 部屋に入り、どっかりと座り込む。目の前で、左七郎が胡坐を掻いた。

「お喜乃は、師匠が読売を読み終えるのを、隣で一緒に待ってくれたからな。絵を探すのを諦めろとも、止めろとも言わなかった。だから俺ぁ、お喜乃の味方だ。あいつが困っていたら、助けるぜ」

 左七郎の言葉は真っ直ぐだ。無鉄砲で癇癪持ちの小僧は、もともと素直な性質なのだろう。石燕が憎めずに構う気持ちが、少しだけわかった。

「なるほどねぇ。ところで、お前ぇさん、仕事は何をしているんだ? 御武家の子けぇ?」

 口調は町人のそれだが、立ち振舞いは商人や職人ではなさそうだ。左七郎は頷き、にやりと笑んだ。

「長喜は見る目があらぁ。俺の名は、滝沢左七郎興邦だ。奉公しながら戯作を書いてんだ。そのために、幽霊や妖怪の噂を集めていんのさ。今に、江戸一番の戯作者になるぜ」

 長喜は首を捻った。

「師匠の絵を探していんのは、母親のためだろ? 本当は、戯作の種にしてぇのか?」

 左七郎の顔から笑みが消えた。

「両方だ。でも今は、母上に見せてやりてぇ気持ちのほうが大きいよ。本当は、あんたに翁の絵探しを手伝ってもらいてぇ。けど、お喜乃が、あねぇな目に遭って、あんたの言葉の意味が分かった。俺は何ともなくとも、周りの誰かが傷付くかもしれねぇんだよな。そねぇな事体は望んじゃいねぇ。諦めは付かねぇけど、もう一遍、よく考えるよ」

 左七郎が神妙な面持ちで語る。長喜は、小さく噴き出した。

「お前ぇさん、頭が良いなぁ。聞き分けも良い。ちゃぁんと、わかっているんだな」

 左七郎が顔を顰めて、長喜を睨む。

「餓鬼扱いするねぃ。頭が良いから戯作が書けるんだ。常情くれぇ持ち合わせていらぁ」

 悪い悪いと、長喜は笑った。

「あの絵はな、師匠にとっても殊更に大事なんだ。消えた時ぁ、俺と師匠でさんざ探し回ったが、影も形も見付からなかった。それから、時々には探していんだよ。年に数回、見廻りする程度だがな。だからよ、長い目で探す気ぃがあんのなら、俺が見廻る時に付いてきても良いぜ」

 左七郎の顔が、明るくなっていく。

「付いていく! 一緒に探すぜ! 次は、いつだぃ? 俺ぁ、毎日だって、いいぜ」

 前にのめり迫る左七郎を、手で押し戻す。

「年に数回って言っただろうが。次は、師走の初め頃だよ。闇雲に探したって何も出やしねぇ。お前ぇは次の見廻りまでに、噂や読売を集めておきな」

 左七郎が、すっくと立ちあがった。

「合点承知でぇ! そうと決まれば、明日から種探しだ。俺に任せておけよ。最上の報せを持ってくるぜ。それじゃぁな!」

 左七郎が部屋を飛び出す。大股に廊下を走って行った。

「騒がしい野郎だ。まるで、嵐が去ったみてぇだ。結局、面倒を見る羽目になったなぁ。師匠の思惑通りってぇなところかなぁ」

 石燕の得意顔が浮かぶ。

(月沙に揶揄われるだろうなぁ。石鳥は、怒るかな。いやいや、あいつぁ、左七郎に同情していたし、安堵するかな)

 想像すると笑みが零れた。
 全くの行方知れずである浅草寺の絵は、長喜も石燕も、半ば諦めていた。暗闇の中にあった話に一筋の光明が差した気がした。

(兆しかもなぁ。見付かりゃぁいいが。ちぃっと気張って探すとするかね)

 長喜は仕舞い込んでいた古い読売を棚の奥から引っ張り出した。





【補足情報】
 この小五月蠅いガキンチョ(17歳だけど)が、のちの曲亭(滝沢)馬琴、『南総里見八犬伝』の生みの親です。自分で宣言した通り、江戸一番の戯作者になります。馬琴さんは御武家様のためか、割と資料が残っていますね。有名な文化人とは大体友達、みたいな人です。山東京伝(伝蔵)大好きで押しかけたり、蔦重のとこで手代やってたり、北斎(鉄蔵)と組んで戯作の挿絵描いてもらったり。鉄蔵とは一緒に住んでたこともあったみたいだけど、すぐ別々に暮らしてます。きっと性格が合わなかったんだろうなぁと思います。大胆に見えて肝は小さそうだし、きっちりした性格してそうなので、部屋が汚れたら引っ越します的な発想の北斎と合うはずがない。晩年の頃には二人とも大御所様になる訳ですが、そんな二人が売れなかった頃の自分を思い返して、どう感じるのかな、などと考えると、楽しいですね。この物語は北斎(鉄蔵)も馬琴(左七郎)も売れていなかった頃の話なので、なんというか滾ります。
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