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第Ⅳ章

序 普通以下の天才

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 自分はいわゆる普通の人間か、或いはそれ以下なんだろうと思って生きてきた。
 何をやってもそれなりに器用にこなせるが、それ以上がない。
 気持ちの問題だと、父や兄には常に叱られる。
 確かにそうなんだろう。
 自分には向上心や欲がない。心は驚くほど、すぐに折れる。
 粘り強さも根気も、きっと備わっていないのだ。

 能力はあるのだからと他人にどれだけ言われても、心が付いて行かないのだから仕方がない。
 やる気がない。
 やる必要性も感じない。
 自分じゃなくていい。
 そんな気持ちしかなかった。彼に出会うまでは。

 峪口さこぐち智颯ちはやのバディに、自分以外の人間が付くのは嫌だ。
 智颯を守るのは、どんな場合も自分でありたい。
 生まれて初めて湧いた独占欲は、まどかを驚くほど変えた。

 同時に思った。
 13課の、自分の周りには、普通じゃない奴しかいない。
 花笑の草は呪禁道に精通した、日本でも数少ない存在だ。しかしそんなものは、惟神や鬼という存在の前では只の人だった。

 班長の須能忍が「普通程度の術者では惟神のバディにはなれない」と話していた。
 自分はどう考えても「普通程度の術者」でしかないと思った。
 
 それでも、円の中に湧いた欲は消えてくれるわけでもない。
 いつもならこの瞬間に諦めて、あっさりと手放した。
 なのに智颯だけは諦められない。そんな自分に、戸惑う。

 諦めきれない理由は、一つだけなら思い当たった。
 突然、目の前に現れた異分子は、類稀な能力を持って、あっという間に開花し、どんどん強くなっていく。
 智颯の気持ちを持っていってしまいそうで、怖くなる。
 伊吹いぶき保輔やすすけの存在は、いつもだったら諦めるていの良い理由に使っただろう。
 なのに、何故か今は、諦めたくない理由になっていた。

「コイツにだけは、負けたくない」

 円の中に、今までなら浮かびすらしなかった感情が湧いた。
 自分とは無縁だったはずの敵対心と嫉妬心。
 同じくらい膨らむ、保輔への信頼。
 一緒に強くなって、智颯を守る仲間なのだと、円の本能が知っている。

 自意識より先に本能が総てを悟る。
 気持ちと理解の乖離に、心が順応できない。そんな今が酷く辛い。

 何かが足りない。
 そんな気持ちを持て余しながら、円は少し前を歩く智颯と保輔の背中を眺めていた。

「今朝まで訓練していたんだろ? 大丈夫なのか?」

 智颯が保輔を労っている。
 保輔にそんな優しい言葉をかけないでほしい。

「ダメでも行かな、あかんやろ。陽人さんと藤埜室長の命令やもん。一応、二時間くらいは寝たし、何とかなる」

 欠伸しながら面倒そうに保輔が返事している。
 智颯が心配そうな顔をしているのが気に入らないというか、羨ましい。

「後で神力流してやるよ。少しは回復になると思うから」
「ん、ありがと。智颯君は優しいなぁ」
「お前が使い物にならないと、直桜様や化野さんに迷惑を掛けるだろ。始めて行く部署なんだし、ちゃんとしないと」
「真面目やんなぁ」

 ちょっと照れている智颯の顔が可愛い。
 そういう顔は自分にだけ見せてほしいと思う。
 保輔が不意に円を振り返った。

まどか、どないしてん。何か静かやんな」

 いつもの顔で、いつもの声で、保輔が円を眺めている。
 保輔はいつだって、いつもと変わらない。常に保輔という存在でいられる。

(俺みたいに、突然ダメになったり投げ出したりしない。どんなにへこんでも折られても、きっと保輔のまま、前を向けるんだ)

「別に、いつも通りだよ」

 保輔相手になら普通に話せる自分も、嫌だけど、安心する。
 そんな自分はきっと、保輔を受け入れている。そう思うから余計に嫌になる。
 意味のない嫉妬を向ける狭量な自分が、嫌になる。

「円も智颯君も大変やってんな。まさか瀬田さんと化野さんが揃って狙われるとか、考えられへん。やっぱり槐は、怖いな」

 保輔が小さく俯いた。
 反魂儀呪の内情を少なからず知っている保輔だからこそ感じる恐怖があるんだろうと思う。

「智颯君と円が助けたのやろ。瀬田さんの意識の中に智颯君の神力送り込むなんて、円やないと出来ひんよな。二人は凄いな。最強のバディやん」

 真っ直ぐに円を見詰める保輔に、息を飲んだ。
 真っ直ぐな言葉で、真っ直ぐな表情で、思ったことを躊躇なく声に出す。
 円には真似したくても絶対に出来ない表現だ。

「俺だけじゃ、ないよ。藤埜室長や鳥居さんがいたから、何とかなっただけで」

 あの場にいた全員が力を合わせたから、直桜を戻して護を救えた。

「けど、えんがいなかったら、どうにもならなかった。だから円は凄いと思う」

 智颯がいつものように円を褒める。
 じわじわと気恥ずかしさが湧き上がって、胸の内がこそばゆい。

「俺も円くらい力になれたら、ええのやけどな。まだまだ、霊力も術も足りひんわ」
「封印が解けたばっかりなんだから、仕方ないだろ。充分頑張ってると思うぞ」

 保輔を智颯が褒めている。
 褒めるのは自分だけにしてほしいと思うが、確かに保輔は頑張っていると円も思う。
 たったの半月程度で、人並み程度に力を使えるようになるのは並じゃない。教えているのが副長官の桜谷陽人である事実を差し引いても、本人の努力の賜物だと思う。

「だって、円も頑張っとるのやろ。直霊を鍛える訓練と草の訓練、両方やるんは、しんどいはずやって、陽人さんが褒めてたよ」
「え……、本当に?」

 ろくに話したこともない陽人が円を褒めてくれるなんて思わなかった。
 というか、自分という人間を認識されている事実に驚いた。

「それに比べたら全然マシやって、倒れると起こされんねや……」

 保輔が顔を蒼くしている。何かを思い出したのか、口元を抑えている。

「僕は? 僕の話は、何かしてなかったか?」

 智颯が期待と不安に満ちた顔で保輔に尋ねている。
 考えるように顔を上げて、保輔が黙った。

「特に何も、ないかな。惟神の訓練、一緒に入れとしか言われてへんね」

 保輔の言葉に、智颯があからさまに肩を落とした。
 陽人に褒められたかったんだなと思った。

「バディやから、円も智颯君と訓練すんねやろ。一緒に出来んの、楽しみやな」

 保輔が円に笑いかけた。
 屈託のない笑みが、円に向いている。

(俺がどんな気持ちでいるかとか、保輔は考えたりしないんだろうな)

 訓練に入ればまた保輔と智颯の距離が縮むんだろう。
 同じように円も、仲良くなっていくんだろうと思う。
 心配しながら、楽しみにしている自分に戸惑う。

(わかってる。俺は保輔のこと、友達として好きなんだ)

 信頼しているし、実力に嫉妬しているし、性格を羨ましいと思う。
 そういうのはきっと、友達なら普通なんだろう。
 いままで友達を作ってこなかった円には、新鮮で慣れない感覚だ。

「あんまり楽しみじゃない。保輔が智颯君に今以上に馴れ馴れしくなったら、嫌だ」

 すぃと目を逸らす。
 保輔と智颯が意外な顔をした。

「それは有り得ないから心配しなくていい。円以上に保輔と仲良くなったりしない」

 智颯が、じっとりとした目を保輔に向けている。

「俺も、もう円に殴られんのは嫌やで。友達くらいなら、ええやん。俺は円とも智颯君とも友達になりたいわ」

 保輔が左腕の勾玉を見せた。

瑞悠みゆうにコレ、もろてから、発情が収まったんよ。今んとこ、前みたいにはならへん。強化術で自分の霊力絞るともっと楽んなるって陽人さんも教えてくれたし」

 勾玉を見詰めて、智颯がわなわなと震えた。

「それ、みぃが、保輔に渡したのか?」
「くれるいうから、もろたら、何や縁結びの勾玉や、いわれて。聞いた時には既に色が変わってたのや。許してくれ」

 保輔が気まずそうに智颯に謝っている。
 その光景は容易に想像できるなと思った。むしろ不意打ちを喰らったのは保輔の方だろう。

「色が変わったってことは、やっぱり保輔は瑞悠ちゃんのパートナーなんだね」

 円の言葉に智颯がピクリと肩を震わせた。
 しまった、と思った。

「みぃの方から、渡したんなら、仕方ない。仕方ないよな」

 智颯が独り言のように自分に言い聞かせている。

「前よりは、ちょっとは、認めなくもない。保輔はそれなりに、頑張ってるし、みぃのために、我慢もしてるし。だから、前よりは、ちょっとだけ、許す」

 普段の円のような話し方をして、智颯が歩き出した。

「ほら、早く行くぞ。直桜様たちを待たせたら、悪いだろ」

 早足で歩いていく智颯を保輔と二人で眺める。

「認めてもらえて、良かったね」

 振り返ると、保輔が顔を赤くしていた。
 思った以上に嬉しそうな顔をしていたので、円の方が驚いた。
 思わず笑いが吹き出していた。

「保輔でも、そんな顔、するんだ」

 まるで無防備な、心を隠さない表情が意外だった。
 赤い顔のまま、保輔が円に目を向けた。

「突然デレるんは、狡いわ。あの双子、そゆとこ似てるで」

 その台詞が保輔の照れ隠しに聞こえて、円はまた笑いを漏らした。
 こんな風に三人で言い合って怒って笑える感覚は楽しくて、心地の良い場所だと不本意ながら感じてしまった。
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