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第Ⅲ章

第62話 待ち合わせ

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 秋の気配が遠のいて、冬が間近に迫っている。そんな風が吹き始めたなと思った。都心に比べると岩槻は少しだけ寒い。今日はよく晴れているが、吹く風は冷たい。
 久伊豆神社の境内にあるベンチに腰掛けて、直桜は空を見上げていた。
 今日は13課組対室の事務所で、関係者が集まり会議をしている。
 本当なら直桜も参加するはずだった。

(今の俺が参加しても、碌に話せることなんか、ないけど)

 流離が消えた後、修吾の胸で散々、泣き散らして部屋に戻った。そのまま眠れたら少しは頭の整理ができたのかもしれないが。

(独りぼっちの可哀想な俺が好きだった流離は、今の俺はいらないのか)

 空を見上げる直桜の顔を、八張槐が覗きこんだ。

「そんなに見上げて、首、痛くならない?」

 槐が口端を小さく上げて笑った。

「ならないよ。呼び出しておいて待たせるとか、反魂儀呪のリーダーって忙しいんだね」

 軽く嫌味を投げてみたが、槐はまったく気にしていない。

「呼び出したのは俺だけど、直桜も俺に会いたかったんじゃないかなと思うけどね」

 直桜を覗く目は確信を帯びている。
 その通りだから、否定もしない。

「流離を反魂儀呪に呼んだのは、槐? 13課から去る時の空間術は遠隔で反魂儀呪側から引っ張ったの? 久我山あやめの魂との融合は、どうやったの?」

 槐が、二人分程度の間を空けて直桜の隣に腰掛けた。

「直桜は、そんな風に思いたいんだ。あくまで流離を誑かして連れ去ったのは反魂儀呪で、悪者は俺ってことにしたいわけだね」

 言い当てられて、ぐうの音も出ない。
 黙っている直桜を眺めて、槐が笑いを漏らした。

「全部、流離の意志だって気が付いているのに、俺に自分の予測を否定してほしいんだろ。いつの間に俺にそこまで甘えるようになったの? 直桜って俺のこと、好きなの?」

 いつになく浮かれ調子に捲し立てる槐に腹が立った。

「やっぱり来なきゃよかった。今日は槐と話せるテンションじゃない」

 ガックリと項垂れて、自分の行動の浅はかさを反省する。

「久我山あやめの魂との融合も毒の受け入れも流離が自分で決めて実行したんだよ。13課から逃げた空間術はあやめの術さ。正直、俺も驚いたんだよ。昨日、突然やってきて、仲間に入れてとか言い出すからさ。子供のお遊びじゃないんだから」

 槐らしからぬ楽しそうな声で笑う。
 それが微妙に気味が悪い。

「でも、あの子のお遊びなら付き合ってあげても良いと思ったんだ。あれは真正の呪物だよ。久我山あやめと同じくらい恨みの根が深い。元同朋だからって手を抜くと死ぬよ」

 槐の目は笑んでいるが本気だ。
 直桜は正面に顔を向けた。

「似てると思ったよ。久我山あやめが俺に向ける恨みと、流離が語った俺への想いは、感情が違っても思いの強さが似てる。だから魂の相性も良かったんだろうね」

 父親の修吾のこと、速佐須良姫神の自分への扱い、直桜の態度。総てが流離にとってマイナスに作用した。結果、直桜への恨みと執着という形に落ち着いたのだろう。

(俺も結局、他の事件や仕事を優先して流離を後回しにした。おざなりにされていると感じても、仕方がないやり方をしたんだ)

 今更しても仕方がない後悔を、何度も繰り返す。

「反魂儀呪が流離を受け入れれば、13課は流離を呪物とみなして清祓対象にするだろうね」
「……そうだろうね」

 あの状態の流離が反魂儀呪に下れば、そう判断せざるを得ない。今の流離は単身でも十分に脅威足り得る。人として扱えば、13課側に被害が出かねない。

「流離を救う方法は、心を救ってあげるしかないけど、それはきっと直桜にしかできない」
「俺だけじゃない。修吾おじさんだって、速佐須良姫神だって、話し合う機会が欲しいはずだよ」

 槐が鼻を鳴らして、ふぅんと言った。

「そうかな。少なくとも速佐須良姫神は離れたいと思ってると思うけど。だって、流離って、どう考えても惟神の器じゃないよね」
「流離への神降ろしは速佐須良姫神が望んだんだ。惟神は神の側から人を指名するのが定石だろ」

 修吾が集落へ帰った二年後、流離に神降ろしを希望したのは、他でもない速佐須良姫神だ。その後も修吾の傍を離れなかった速佐須良姫神の事情はあるにせよ、才がない者に神は降りられない。

「それについては流離が話さなかった? 利用されたんだって。修吾さん一人の神力じゃ久我山あやめを抑えきれないから、息子の力を使ったんだよ。流離って霊力だけは並外れて多いから、神力増幅装置にしたかったんじゃないの?」

 直桜は絶句した。
 だから流離は、表情や言葉すら奪われたと話していたんだろうか。

「だとしたら、神様も捨てたもんじゃないと俺は思うけどね。曲がりなりにも祓戸の神が人間をリチウム電池みたいに使い潰すって、面白い」

 槐が本当に楽しそうに笑う。

「それが、速佐須良姫神が流離を選んだ理由……?」
「流離が言うにはね」

 槐が短く言葉を切った。

(そうか、そうだ。速佐須良姫神の本音はわからない。流離が感じた通りの事情とは、限らない)

 速佐須良姫神が、何を思って流離を選び、修吾の傍にいたのか。本当に根の国底の国の久我山あやめを抑えるためだったのか、聞いてみなければわからない。

(事実が分かれば、流離だって納得できるかもしれない)

 槐もきっと、その辺りの事情は考慮しているはずだ。
 その上で、直桜を惑わすために話を盛っている可能性だってある。

(槐の話を全部、真に受ける訳じゃないけど。今は、槐の話が参考になる)

 流離が反魂儀呪に行ってしまったという理由以上に、陽人や律には聞けない話を槐相手なら聞ける場合もある。
 少なくとも直桜にとって、槐はそういう相手だ。

(敵、なんだけどな。でも、集落にいた頃は俺だって、槐兄さんて呼んでたんだ。今はもう、呼ぶ機会もないけど)

 直桜を揶揄うか虐めるかしかしない年の離れた兄貴分は、基本的に絡みたくない相手だったが、時々には頼りになった。言葉が確信を付いてくるから余計に腹が立って嫌いだった。だが、そんな槐を心の底から嫌いにはなれなかった。
 まだ集落にいた頃の槐を思い出して、直桜は記憶に蓋をした。

「惟神の器って、どんなの? どんな人間なら、惟神に向いてんの?」

 とりあえず話題を変えたくて、直桜は質問を投げた。

「他の惟神、見てたら気が付かない? 清人も律も修吾さんも、智颯や瑞悠はあんまりよく知らないけど、結局は心根が善なんだよね。直桜、お前もね」

 意外な言葉を意外な人物から言われてしまった。
 驚いて呆然とする。

「それが俺には至極、詰まらない。そういう人間が薄汚れる様は見ていて楽しいけどね。そう考えると、流離は確実に俺の側の人間だ。性根から腐ってる感じが最高に可愛いよ」

 とても良い笑顔で言われて、力が抜ける。
 結局、槐だなと思った。

「だからウチで貰うことにしたんだけど、お前はどうするのかなと思ってね」
「どうするって、何が?」

 槐の遠回しな問いかけにイラっとした。

「さっきも話しただろ。反魂儀呪が流離を囲えば確実に清祓対象、流離を救えるのは直桜だけ。そろそろ反魂儀呪に来る気になったかなと思ってさ」
「そういう話か。槐の用事って、ソレ?」

 直桜は立ち上がり、槐を振り返った。

「そうだよ。けど、やっぱりまだ早かったか。そういう決意した顔の直桜には、俺は用がないんだよね。もっと精も根も尽きた生きる気力のない顔で、俺に縋り付いて泣いてくれるくらいの方が良いんだ」

 直桜を見上げた槐の顔が、笑みを消す。

「お前は俺を、どうしたいワケ? そういう状況は有り得ないよ」

 直桜は右手の上に神力を展開した。

「流離は絶対に取り戻す。それまで、保護しといてよ。反魂儀呪なら利用価値がある強い駒を蔑ろにはしないだろ」

 槐が口端を上げて足を組んだ。

「ふぅん、仲間すら騙して俺に流離を保護させるなんて、直桜もなかなかずる賢くなったね」

 右手の上に展開した神力が大きさを増していく。
 直桜の手を離れて、上空へと浮かんだ。

「仲間を騙しはしない。俺が流離を助けたいと考えているって、きっと皆、気が付いてる。たとえ清祓対象になっても、誰よりも早く俺が流離を迎えに行く」

 上空に昇った神力の風船が弾けた。境内の中に浄化の雨が降り注ぐ。
 後ろから呪力の塊が二つ、飛んできた。
 神力を円形に展開し、弾く。二人の人間のようなものが地面に転がった。

「なんだ、九十九か」

 以前に会った五奇という少年と、若そうな女が地面に尻餅を着いていた。

「痛ぁい。顔見る前から攻撃するとか、酷ぉい。こっちはちゃんと待っててあげたのに、まだ挨拶もしてないのにぃ」

 尻を摩りながら女が立ち上がる。 

「反魂儀呪、護衛団・九十九の七果なのかでーっす。よろしく」

 五奇や八束と同じように顔を奇妙な呪符で隠しているから、表情はよくわからないが、良い笑顔をしているんだろうなと想像できる。

「なんでそんなに挨拶に拘るの? 名乗りたいの?」

 呆れ顔をして見せるが、内心不思議だった。
 九十九が呪人の術で作られた傀儡なら、最初の浄化の雨で消えているはずだ。
 かなりの広範囲を浄化したから、隠れていた場所は守備範囲だったはずだ。

「挨拶は基本だぜ! 殺す相手にも礼節を持てって一護がいつも話してるんだぞ」

 五奇が声高に主張する。

「一護、ね」

 保輔から聞いた、九十九で一の数字を持つ男。九十九を作り出している、護にそっくりな人間。人かどうかもわからないと保輔は話していた。
 今なら槐に問うことも出来る。だか、聞くのが怖い。

「一護が護にそっくりって話、保輔に聞いた?」

 槐の方から直桜に問い掛けた。槐の前は、いつの間にか八束が守っている。

「聞いたよ。どうやって、そんな趣味の悪い人形作ったのかなって考えてた」

 槐が意味深な笑みを深めた。

「やっぱり、護が関わると直桜はダメだね。折角、良い感じに神力を使えてたのに、既に気が揺らいでる」

 指摘されてドキリとする。
 直桜は集中して神力を高めた。自分の外側に円形に弾き出す。
 砂埃が舞って、五奇と七果が飛ばされた。

「本気でやるなら、相手になるよ。今日はちょっとなら暴れてもいい気分だ」

 手に蛇腹剣を霊現化する。
 槐がワクワクした表情をした。

「俺としてはこのまま直桜を攫って行っても良いんだけど。流離に会えるし、直桜もちょうどいいんじゃない?」

 ベンチに座って足を組んでいる槐は余裕の表情だ。
 霊力を封じられて自分では何もできないはずなのに、どういう神経だろうと思う。

「悪いけど、反魂儀呪に遊びに行く気分じゃないよ。槐って、まだ陽人に霊力封じられてるんだよね? 俺に殺されるかもって、思わないの?」

 蛇腹剣をしならせる。
 前に出ようとする八束を、槐が制した。

「陽人の霊弾の封じ、なかなか解けなくて困ってるよ。相変わらず、執念深いよね。そんなに俺が好きなのかな」

 嬉しそうに左胸を抑える槐に、何も言えない。
 陽人の気持ちが怒りだろうと呆れだろうと恋情だろうと、自分に向いている時点で嬉しいのだろうなと思った。
 もしかしたら、わざと封印を解かないでいるのかもしれないとすら感じる。
 こんなことは、絶対に陽人には言えないが。

(俺の神力も呪術も視えてるってことは、最低限の霊力は維持してるんだよな。やっぱり、わざと解いてないのかな)

 今の槐に流れる霊力はかなり弱い。ちょっとすだまの感度が良い人間程度だ。解けなくてそうなっているのか、敢えて解いていないのか、わかりずらい。だから槐はやりずらいなと思う。
 槐が左胸を撫でながら直桜に目を向けた。

「それに、直桜は俺を殺さないでしょ。会う度に俺とゆっくり話を楽しんでるよね。むしろ捕まえる気ある? って聞きたいよ」

 それは確かに、そうだなと思う。
 直桜からしたら、槐に聞かなければならない話が多すぎるのだ。

「別に楽しんでないよ。なら今日は、ここにいる九十九全員壊して、槐を捕まえてもいいよ」

 蛇腹剣に雷を通電する。
 蛇のように空を泳いだ剣が一直線に槐に飛ぶ。弾こうと飛び込んだ七果を避けた剣の先が、八束の胸に突き刺さった。
 稲玉を通して雷を送り込む。八束の体が発火した。
 思い切り引き寄せて、振り上げると、地面に叩きつける。燃えだした八束の体に氷の飛沫を雨のように浴びせる。
 八束の姿が塵のように消えてなくなった。

「これで一体、削除デリートだ。空間術の使い手がいなくなったら、帰れないだろ」

 直桜は槐に向かい、剣を構えた。
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