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第Ⅲ章

第61話 普通になった特別な存在

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 流離の解毒実行の予定だった日。13課組対室には、解毒に関わる予定だったメンバーと惟神とその眷族が全員、集められた。
 班長の忍、副班長の梛木に加え、陽人と優士の姿もあった。
 しかし、その中に直桜の姿はなかった。

「最初に異変に気が付いたのは、梛木かな」

 陽人の視線を受けて、梛木が口を開いた。

「流離を覆う闇の球体から突然、禍々しい気が溢れ出した。根の国底の国の口が開いたと判断し、修吾に神具を埋め込みに行ったのじゃ」
「だとすると、結界の強化のために梛木の部屋に行った俺たちとは、入れ違いになったんだな」
 
 梛木の説明に清人が続けた。
 梛木は移動にエレベーターを使わない。どこでも空間術で転移してしまうから、昨日の入れ違いの瞬間、護たちがエレベーターを占拠していても問題なかったんだろう。

「私たちが到着した時には既に流離君を覆う闇は何倍にも膨れ上がっていて、猶予はないと感じました」
「それで、化野と清人は解毒を開始したわけだね」

 陽人の言葉に、護は頷いた。

「解毒しても全く手応えがなくて。血や死の気配を纏った邪だと、判断して、神力で浄化すると」
「直桜がそう、判断したのかな」

 歯切れの悪い話し方になってしまった。陽人が、護が口にするのを躊躇った名前を出した。

「はい……」

 護は唇を噛んだ。

「俺もその判断は正しかったと思う。あの場では、直桜の神力での浄化が一番、効果的だったと思うぜ」

 清人がフォローを入れてくれたが、護は顔を上げられなかった。

「じゃが、流離が待っておったのは直桜じゃった。直桜を自分の中に引き摺り込むタイミングを待っておったのじゃ。恐らくはあの球体に入った時点で既に久我山あやめの魂と毒を貰い受け、自分の一部に落とし込んでおったのじゃろう」

 だからあの時、飛び込んで来た梛木は直桜に待ったをかけたのだ。
 直桜の神力を流離が感知すれば非常事態になると見越していた。

「直桜が最初に判断した通り、流離が球体の中に引きこもった時点で手を打つべきだったのね。時間をかけすぎてしまったんだわ」

 律の言葉が自責のように響く。

「それは結果論だよ。あの時点で手の打ちようがなかったのも、無理にどうにかすれば流離君も修吾さんも危なかったのも事実だ。どうしようもなかった」

 優士が律の肩に手を乗せた。律が辛そうに目を閉じる。

「化野、直桜はどうしている? 話すのは無理そうか?」

 忍が、ちらりと事務所の扉に目を向けた。
 直桜は自室に籠って、出てこようとしない。

「今は、まだ、自分の気持ちの落とし所が、わからずにいるようです」

 護は腹の神紋に手を添えた。
 聞かなくても、伝わってくる。ずっと自分を責めて、どうしていいかわからなくて、何が正解だったのかを考え続けている直桜の辛い心情が、流れ込んでくる。

「ここに出てきても、何かを言葉にするのは難しいかと」

 律を始めとした惟神の面々が表情を落とした。
 現場を見ていなくても、きっと直桜と同じ心境なんだと思った。

「そんなことでは困るね。この程度のことで引き籠るのでは、大事な仕事は任せられない」

 陽人が独り言ちた。

「陽人さん、その言い方は流石に可哀想です。今回の件は直桜には辛すぎます。私たちだって、未だに動揺しているんですから」

 律の苦言に、陽人が小さく息を吐いた。

「これはあくまで仕事だ。私情でパスしていい会議じゃない。直桜だけ特別扱いはできないよ。化野、引き摺ってでも連れ出してこい」

 陽人の鋭い眼が護に向く。
 正直、直桜をこの場に連れ出したくはない。しかし、陽人が連れて来いという気持ちもわかる。このまま一人で引き籠っているより、無理やりにでも仲間の輪の中に放り出したほうが、どうにかなるかもしれない。

「じゃぁ、どうして直桜様はいつも特別扱いなんですか」

 俯いた智颯が、ぽつりと呟いた。
 立ち上がりかけた護は、動きを止めた。
 全員の目が智颯に向いた。

「集落にいた頃も、13課でも、直桜様は常に特別です。僕には、流離の気持ちが少しだけど、わかる。僕にとっても直桜様は憧れで、大好きな兄様だから。特別な直桜様を身近に感じられたから、自分も特別になれたような気がしてた」
「ちぃ……」

 瑞悠が智颯を見詰める。
 その目は潤んで見えた。

「でも、最近の直桜様は普通の人だ。小倉山の鬼を好きになって、穢れだなんて、欠片も想ってなくて。集落の大人は小倉山の鬼を穢れだと子供たちに教える。でも、そんなの普通じゃない。普通じゃないって、自分で気が付かなきゃいけない。流離は自分じゃ気付けなかったんだ。本当は何が普通で、普通じゃないか」
「智颯君……」

 言葉が、出なかった。
 智颯の言葉は淡々として、決して威圧的ではないのに、口を挟む余地を与えない気魄がった。
 
「直桜様にも、普通に落ち込む時間くらい、あげられませんか。きっと今の直桜様は僕ら以上に流離に対して責任を感じているはずです。流離が球体に自分を閉じ込めた時、僕は、直桜様が怒鳴る声を初めて聞いた。まるで自分を傷付けているみたいで、凄く痛かった」

 智颯が俯いて、ぎゅっと手を握る。
 その手を隣に座る瑞悠が握っていた。

「若者にここまで言わせて、大人の我儘を通すの? 桜ちゃん」

 紗月が陽人に目を向ける。
 陽人が困ったように息を吐いた。

「僕は別に、直桜を虐めたいわけじゃないんだけどね。これじゃまるで僕が悪者だ」
「そういうつもりじゃ」

 慌てて顔を上げた智颯に、陽人が笑んだ。

「智颯も堂々と僕に意見が出来るようになったんだね。弟分の成長は嬉しいよ。愛しいバディと保輔のお陰かな?」
「今、保輔は関係ありません……」

 智颯が頬を染めてじっとりと目を細めている。

「俺からも、お願いするよ。今の直桜は、そっとしておいてやってほしい。本当に、ショックだったんだと思う」

 ずっと黙っていた修吾がぽつりと零した。
 直桜は昨日、修吾にしがみ付いて子供のように泣いていた。あの姿を見た者なら、無碍に直桜を連れ出そうとは思わないだろう。

「責任は俺と速佐須良姫神にある。直桜が責任を感じる必要はないけど、きっとあの子は、巧く割り切れないだろうからね」

 修吾が陽人に向かい、頭を下げた。

「修吾さんにそこまでされたら、流石の僕でも何も言えませんよ。今、速佐須良姫神はどういう状況ですか?」

 陽人が敬語を使っている姿を初めて見た気がする。
 護は、そっと席に戻った。

「神隠れしているが、俺の近くにいるよ。流離への神降ろしは成されたままだから、流離との縁はまだ切れていない。俺との縁も切れていないから、流離の方を切ればまた俺に戻るだろう」

 修吾の目が護に向いた。

「君は、神殺しの鬼だそうだね。流離と速佐須良姫神の縁を切ってくれないか?」
「いいん、ですか?」

 護は修吾から陽人に視線を移した。

「それが妥当だろう。むしろ、それしか方法がない。今のまま流離と繋がっていては、速佐須良姫神が反魂儀呪に悪用される顛末だ」

 陽人の言葉は理に適っている。だが、この繋がりを切ってしまったら、流離とは本当に縁が切れてしまう。

(直桜はそれを望むだろうか。正しいと判断するだろうか)

 きっと直桜は流離を諦めない。繋がりがなくなってしまっては、流離を追えない。

「繋がりなら、君たちが作ってくれた神具がある。親子の縁は大国主命の神力で繋がっているよ」

 まるで護の心を見透かしたように、修吾が微笑んだ。
 筋肉が付いた体躯の割に優しい顔をした修吾は、きっと体も記憶も神力も十年前のままで止まっている。
 そこにいるだけで安心感をくれる、不思議な人だと思った。

「わかりました」

 護は修吾の前に立った。

「少しだけ、触れます」

 修吾の体に触れ、神の体を探す。顕現しない神の縁切りは初めてだ。以前は、直桜に神降ろしした枉津日神を切った。あの時は直桜のナビがあったから、護は切るだけで良かった。

(俺はつくづく、直桜がいないと何もできないな)

 そんな自分は、あまり嫌いではない。
 修吾から背中の方に少し離れて、更に後ろに伸びる神力に触れる。

(この先が、流離君に繋がっている。禍々しい呪力を、神力からでも感じ取れる。これでは、速佐須良姫神が神力を落とすな)

 確かに、早く切った方が良いのだろうと思った。
 右手の指の先に、自分の神力で刃を作る。少し前まで霊気だった力は、直桜の力と混ざって赤い神気になった。

「切ります」

 さくりと、その神力はあっけなく切れた。
 まるで速佐須良姫神が望んでいたかのように、抵抗がなかった。
 塊のような神力が修吾の体に収まる。速佐須良姫神が完全に修吾に降りたのだとわかった。
 
「惟神の縁切り、初めて見たよ。案外、あっさりだね」

 開がのんびりした口調で感心していた。
 何故か惟神の面々は息を飲んで、その場面を見守っていた。

「ありがとう、化野くん。きっと君は今後、直桜だけでなく惟神全員にとって欠かせない存在になるだろうね。君はとても、優しい人だ」

 修吾が優しく微笑んだ。

「いえ、そんな、ありがとうございます……」

 一通り、護と修吾のやり取りを観ていた忍が、口を開いた。

「一先ずこれで、惟神は全員揃った。久我山あやめは消えたが、その魂と毒は流離に受け継がれ反魂儀呪に下った。今後、榊黒流離は捕縛対象、機があれば祓う呪物としてみなす」

 全員の気が張り詰め、逆立った。

「呪物って、それは酷すぎる」
「そうです、救う方法を考えるべきです」

 瑞悠と智颯の言葉に、忍は動かない。

「あれだけ魂が融合した状態で、どうやって救う? 祓えば流離ごと掻き消える。アレはもう、半分以上が流離ではない。久我山あやめという呪物じゃ」

 梛木の言葉は重く感じた。
 瑞悠も智颯も何も言えないでいる。
 律はきっと忍と梛木の言葉を理解しているのだろう。険しい顔で唇を噛んでいた。

(こんな時、直桜ならきっと何か思いつくのに。直桜、今、どうしていますか)

 護は腹の神紋に手をあてた。
 神紋から温かな直桜の神力が流れ込んで来た。何かの意志を感じる。
 顔から血の気が引いて、護は事務所の扉を開けた。

「化野くん、どうしたの? どこに行くの?」

 紗月が護を呼び止めた。

「直桜が、直桜が何かと対峙しています。もしかしたら、流離君……反魂儀呪かもしれません!」

 紗月の顔が引き攣る。
 護は前を向いて、直桜の神力の方へひたすらに走った。
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