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第Ⅲ章

第54話 宴の気配

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 イイ感じに酒が入って、直桜も皆も酔いが回ってきた。
 武御雷神が護にどんどん酒を飲ませるので、護がいつも以上に酔っていた。

「神世のお酒はとても美味しいですね。どんどん飲めるし、とても気分が良いです。力も漲ります」
「そうだろう、そうだろう。漲り過ぎて、直桜を壊すなよ」

 武御雷神が嬉しそうに護の肩に腕を回す。
 どうやら護を気に入ったらしい。

「はい。いつも大切に抱いているつもりですが、直桜が可愛いのでつい、やり過ぎてしまいます。気を付けます」

 ドキリとして、直桜は護を凝視した。
 武御雷神と罔象が吹き出した。

「直桜って可愛いんだぁ。意外だねぇ」
「番が仲睦まじいのは良きことだな」

 嬉しそうに笑う二柱を尻目に、直桜は護から杯を取り上げた。

「護、飲み過ぎだよ。いつもはそんな話、他人にしないだろ」
「このお二人は直桜の大切な御友人ですから、問題ありませんよ」
 
 言いながら、護が直桜に抱き付く。
 こんな仕草も、現世なら護は絶対にしない。
 ずっとふにゃふにゃして笑っている護の方が可愛くて、心配になる。

「英雄は随分と可愛い鬼だ。直桜、誰かに取られないように気を付けろよ」

 武御雷神の言葉は、何かを含んで聞こえる。
 直桜の表情が真顔に戻った。

「そろそろ、起き上がれそうだ。直日神、手間を掛けたな」

 忍がゆっくりと体を起こした。

「武御雷神の言葉は真摯に受け止めておけ。今年の宴はどこか不穏だ。普段なら弾かれる邪悪な輩が、何かに紛れて入り込んでいる」

 後ろを振り返った忍に罔象が杯を手渡す。
 しばし迷った様子だった忍が、その杯を煽った。

「この雰囲気は毎年か? 俺は久々に参加したから、近歳の宴の様子を知らなんだが」

 忍が罔象と武御雷神に問うた。

「いいや、役行者が感じた通りさ。今年はどこかキナ臭い」
「先に来た惟神、特に枉津日神とその惟神に向く目も特異であったがな。それらは伊豆能売が総て払っておったよ」

 罔象に次いで武御雷神が答える。

「伊豆能売って、紗月だって初めての参加だろ? よく払えたね」
「伊豆能売とはそういう巫女だ。祓戸大神を守るため、魂から神に同化する。惟神とはまた違った特異性を持つ、神に準ずる存在よ」

 直桜の疑問に、直日神が答えてくれた。
 紗月ならそれくらい出来そうだなと思ってしまうあたり、彼女の存在の大きさを改めて感じる。

「それ以上に、邪な輩の狙いは直桜と護だと思うたよ。直日神たちが来てから、宴の場の空気が変わった。取り入りたいのか喰ってしまいたいのか。皆きっと、始まりの惟神を思い出したのさ」

 罔象の目が直日神に向いた。
 
「そうであろうな。直桜は始まりの惟神に準ずる存在になった。神々や妖怪にとっては懐かしい存在であろう」
「俺はその、始まりの惟神を知らんが、どんな人間だったんだ?」

 忍が直桜が聞けないでいた質問をストレートにしてくれた。

「吾が初めて神結びをした人間の名はクイナ。鬼を友とし、異形や妖怪を愛する変わった男であったよ。クイナもまた、眷族としたのは一匹の鬼だけだった。その男が作った里が、桜谷集落だ」

 惟神の起源、桜谷集落を作った男が直日神の最初の惟神だったのは、あまり意外でもない。

「直日はどうして、クイナと神結びしようと思ったの?」

 普段ならきっと聞けない。今だから聞ける疑問だ。武御雷神や罔象がいてくれるから、聞こうと思えた疑問だった。

「本当の強さを分けてやりたくなった。自身を傷付け他者を守るは強さではないと、教えてやりたくなったからだ」
 
 胸の内に、直日神の言葉が素直に落ちた。
 自己犠牲で人間から異形を守っていたのであろうクイナに与えた強さが守りと浄化だったこともまた、クイナがどんな人間だったか知るには充分な材料だ。

(優しい人だったんだろうな。俺とは似ても似つかない。俺はそんなに優しい人間じゃない)

 自分を犠牲にしてまで他者を助けるほど、お人好しではない。

「直日はクイナが好きだったんだね」

 直日神の手が直桜の頭に伸びた。
 優しい手が直桜の頭を柔らかく撫でる。

「初めは同情だ。だが、強き心に惹かれた。今は直桜が可愛い。直桜の優しく強い心が、吾には誰より可愛いよ」

 お門違いだとわかっていてもクイナに嫉妬してしまう。狭い心を直日神に見透かされたようで、気恥ずかしくなった。

「なるほどな、鬼や異形を愛した始まりの惟神に準ずる惟神が、また鬼を眷族にしたことで予想以上に期待が高まったか。現世にも影響が出そうだな」

 忍が話しながら考え込んでいる。

「建御名方神《みなかた》が護を投げ飛ばしたのも、休息所にお前たちを避難させるためだ。あの場では話せなんだが、アレなりに気を遣ったのよ」

 直桜は武御雷神を振り返った。

「俺たちを見ている良くない目に気が付いて、あの場から離そうとしてくれたってこと?」

 神世の中でも社の中はさらに神域だ。宴の間より安全と言える。宴の間の雰囲気を壊さず、違和感なく直桜たちが移れるように計らってくれたのだとしたら。
 武御雷神が頷いた。

「不器用な神だからなぁ。ま、嫌わんでやってくれ」

 その気遣いには全く気が付かなかった。
 もしまだ宴の場に残っていたら、誰にどんな絡まれ方をされたかわからない。
 
(護はこんな状態だし、神世だから惨事にはならないだろうけど、ここで起きた影響を現世に持ち帰る羽目にはなったかもしれない)

 御神酒にすっかり酔っている護は直桜に凭れ掛かって半分寝ている。

「あとでちゃんと、お礼、言わなきゃだね」

 建御名方神を荒々しい神だと思ってしまったことを申し訳なく思った。
 休息所まで追いかけてきた白蛇の蓮華のような妖怪が何匹も直桜と護を狙っていたのだとしたら、寒気がする。

「俺が狙われるのは、那智がしてくれた説明で理解できたけど、護が狙われるのは、なんで? 眷族を蹴落として自分が成り上りたいとか、そういうこと?」

 那智がぺこりと頭を下げた。

「それもありましょうが、眷族に取り入って第二、第三の眷族の地位を狙う場合もございます。更には鬼神自身を欲しがる輩も多くあるかと」
「それは、ありそうだねぇ。護への熱い視線はむしろ、そっちじゃないのかなぁ」

 那智の説明に続いた罔象の言葉が大変、気になった。

「そうだなぁ。神在月の宴で話題になるような英雄の鬼神を使役したい者は多かろう。これだけ強く優しく可愛らしい鬼だ。俺でも欲しいと思うぞ」

 腕を伸ばしてくる武御雷神から護を庇うように抱いて離した。

「ダメ、護は俺のだから。誰にもあげない」
「はい、私は直桜の鬼神で、恋人ですよ。どこにもいきません」

 護が直桜に絡みついて、当然のように囁く。
 顔を覗くと、まだ半分眠っている様子だ。
 罔象と武御雷神が声を出して笑った。

「直桜が、直桜が、俺のって言ったぁ」
「性根が素直な鬼よなぁ。どこが穢れだ。誰が言った? これほど清い鬼を見たのは、初めてよ」

 嬉しそうに笑う二柱に、直桜は顔がどんどん熱くなるのを感じた。

「しかし、これほど邪の気配が濃い宴は珍しいと存じますが。俺のような淫鬼も、本来は役行者様の従者でなければこの宴には入れない。どうやって入ってきたのでしょうね」

 四季の疑問は尤もで、直桜も不思議に思っていた。
 無礼講とはいえ神々の宴だ。穢れが強い存在や邪の者は弾かれる。

「先ほどの、白蛇の蓮華は曲がりなりにも御神体として信仰がある存在、故に招かれたのでしょう。それ以外なら四季のような従者、私のような天狗など神に近い妖怪は招きがありまするが」

 那智が考え込んだ。他の可能性を考えているのだろうが、浮かばない様子だ。

「出雲は他の神域に比べ、そもそもの結界が薄い。熊野や吉野もそうだが、妖怪をある程度、許容する神域は、この国には少なくないからな。国つ神が多き場所ほど、その傾向が強い」

 武御雷神が罔象に目を向ける。
 罔象がほんわかと頷いた。

「そうかもしれないねぇ。そもそも神も妖怪も、明確な区切りはない。その辺りは神を神と定める天つ神の方がはっきりしているだろうねぇ」
「宴に招かれていなくても紛れることは可能、ということだな」

 忍の問いに、武御雷神も罔象も迷いなく頷いた。

「ここに来られるだけの妖力さえ持っていれば、紛れるのは容易だろう。あまりに邪の気配をばらまいていれば、その場で浄化されてしまうだろうがね」

 罔象が直日神を眺める。
 当然とばかりに直日神がにこやかに頷いた。

「参考になった、礼を言う。直桜、今回はこれで切り上げて帰るぞ。これ以上の参加は直桜と化野にとってマイナスだ。英雄の姿は見せた。充分だろう」

 忍の目が直日神に向く。
 直日神の異論のない目が頷いた。

「俺も、もう充分だよ。武御雷神と罔象に護を紹介できたし、那智とも友達になれたし、楽しかった」

 満足そうに笑む武御雷神と罔象の隣で、那智が意外そうに顔を赤くしている。

「那智も13課に来てくれたら、忍も嬉しいし、俺も助かるなって思ってたんだ」

 直桜の言葉に、那智の顔が更に赤さを増していく。
 忍の目が那智に向いた。

「そんなに仲良くなったのか。先々を考えれば、那智が13課に来てくれたら、俺も助かるのだがな。しかし、お前にはお前のやるべき責務があるだろうから……」
「参りましょう! すぐにでも参りましょう。何ならこのまま共に帰りましょう!」

 那智が忍ににじり寄る。
 ちょっと引いた感じで、忍が後退った。

「いや、お前にはお前の仕事があるだろう。迷惑は掛けられん」
「いいえ、御傍に侍らせていただきたく! 四季だけに任せてはおけませぬ。四季が侍るのなら私も! 私も御傍においてくださいませ!」

 四季が那智を見上げている。
 その目は迷惑そうにも嬉しそうにも見える。相変わらず、表情が読みずらいなと思う。

「那智が来てくれたら、俺も嬉しく思います。また三人で修行していた頃のように、暮らせますね」

 そう言って笑んだ四季の顔は、嬉しそうに見えた。

「引継ぎと残務整理をしてから行くから、それまで盛るなよ。食事は当面、必要ないだろう」

 那智の冷たい言葉に、四季は頷かなかった。
 とりあえず那智が13課に来ることは確定なんだなと思った。

「直桜、先ほどの稜巳の件だがな」

 武御雷神が、直桜にそっと声を掛けた。

「何かわかればこちらからも声を掛ける。少し気掛かりがあるんだ」
「気掛かり?」
「稜巳が会いたかった相手を知る者がウチにあるやもしれぬ」

 ウチというのは、武御雷神の社という意味なんだろう。

「教えてもらえたら、助かるよ。連絡、待ってるね」
「ああ、稜巳をよろしくな」

 武御雷神と話す傍らで、罔象が直桜の手を握った。

「本当に人らしい神になったね、直桜」
「俺は惟神であって、神ではないよ」
「いいや、直桜はもう充分に神だよ。神結びをした魂は神と同化する。今の直桜は神であり人だ。慢心しても過小評価してもいけない。今の自分を受け入れるんだよ」

 以前に忍にも似たような話をされた。
 罔象の言葉は、今の直桜には違って響いた。

「うん、俺、直日と繋がれて良かった。今の自分を好きになれそうな気がするんだ。だから、俺らしく生きてみようって、思うよ」

 手を握って微笑んでくれた罔象は、いつもより優しい顔をして見えた。
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