仄暗い灯が迷子の二人を包むまで

霞花怜

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第Ⅲ章

第39話 神結び

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 真っ白な空間に、直日神が立っていた。
 その顔は笑っているようにも泣き出しそうにも見える。
 直桜はゆっくりと直日神に歩み寄った。

「ずっと、守ってくれていたんだろ。俺が普通を望んだから、惟神の力を憎んだから。だから、抑えてくれてたんだろ」

 直日神が変わらぬ表情で直桜を眺めた。

「可愛い直桜、吾は直桜を愛しておるよ。だが、直桜に力を強いたのは吾だ。直桜を選んだのは、吾だ」

 直日神の惟神は、桜谷集落に常に存在するわけではない。祓戸四神のように引き継がれる存在ではない。
 神に選ばれた魂だけが、直日神の惟神足り得る。
 直日神の惟神を産む瀬田家ではあるが、何百年も現れないこともある。直桜が生まれる前は数十年、直日神の惟神は存在しなかった。

「俺は直日を憎んだことはないよ。けど、惟神の力を疎むのはつまり、直日を疎むのと同じだよな。そんな風に考えたことは、なかったよ」

 直桜は直日神に一歩、近づいた。

「ごめん、辛い思いさせて、ごめん。直日は、どんな時でも俺を愛して大事にしてくれたのに。同じように大事に思ってるつもりだった。だけど、もっと直日の気持ち、考えるべきだったんだ」

 直日神が同じように優しい笑みで直桜を見下ろした。

「いっそ溶けて一つになれば、直桜も辛くはなかろうと、考えておった。今の直桜は己の力と向き合う覚悟を決めた。だが吾はやはりまだ直桜に溶けたい、一つになりたいと、願ってしまう。直桜を、直桜の魂を愛してやまぬ」

 直桜はもう一歩、直日神に近付いた。
 直日神は離れもせず、溶けもせず、そこにいてくれる。
 直桜は直日神の手にそっと触れた。

「直日の愛し方は、溶ける以外にないの? 俺は、こんな風に手を握って、顔を見合って話ができる方が嬉しい。直日に抱き締めてもらう方が、嬉しいよ」

 手を握られた直日神は動かない。
 ただ同じ顔で直桜を見詰める。

「溶けずに傍にいれば、たくさんの直桜を見ような。辛い思いをして傷付いて、泣いてしまう姿も見ような」
「それは俺に溶けたって一緒に感じる想いだよ。そういう時、俺は直日に傍にいてほしい」
「今なら、護がおろう。直桜はもう一人ではない。沢山の仲間ができた。吾が溶けても、悲しくはない」
「悲しいよ!」

 直日神の手を強く引く。
 その体が、直桜に寄った。

「前にも話しただろ。俺は、護と直日とこれからを生きたいんだ。三人の平穏を守りたいんだ。その為に力が欲しい。直日も一緒に守るって、言ってくれただろ? どうして一人だけ、消えようとするんだよ。俺には直日が必要だ!」

 直日神が、驚いたように目を見開いた。

「消える?」
「そうだよ。俺の中に溶けたら、直日の自我は消えちゃうだろ。気枯れをする時はいつもそうだ。直日が俺の中に留まってくれたら、ちゃんと力を使える。多すぎる神力だって、何とか出来る」

 直日が納得したように頷いた。

「ああ、そうか。直桜は吾に消えてほしくないのだな。こうして触れ合って叱ってほしいのだな」

 直日神の手が直桜の頭を撫でた。

「さっきから、もっと前からずっと言ってる。わかってなかったの?」
「いいや。吾の自我がなくなるのを消えると感じるのなら、それは直桜にとって悲しいのだろう。一つになって吾を感じるだけでは、足りぬのだな。甘える心は幼子のままだ」

 直日神の指が直桜の額を跳ねた。
 じっとりとした目で直日神を見上げる。

「直桜に溶けたいと思いながら、直桜をこの手に抱いて甘やかしたいと思うておった。護が直桜を大事にしてくれていても、この手で抱き締めたいと、思うておった。直桜と護を二人揃って抱き締めていたかった」

 直日神が直桜の体を包み込んだ。

「神でありながら、本に罪深き業だ」
「そんなことない。俺だって、直日に甘やかされたい。居なくなってほしくない。直日が護を大事にしてくれると嬉しいよ」

 直日神の背中に腕を回して、抱き返す。

「今の直桜は、充分に神喰いができておらぬ。魂が中途半端につながった状態だ。本当なら、吾としっかり繋がり結ぶ。神結びをせねばならぬ」
「神、結び……」

 瀬田家の蔵に収まっている古い文献でしか読んだことがない言葉だった。神と魂を結んで、契りを交わす。神と同等の力を持っていなければ出来ない御業だ。
 イレギュラーな神喰いより上位の、まさに神に選ばれた者しか許されない業だ。
 神結びをした惟神は文献上ですら、「大昔はいたらしい」としか記されていなかった。

「出来なんだのは、吾の気持ちが定まらなかったからよ。直桜の気持ちを量りかねておった」
「俺に、できるの? 今までだって、そこまで強く繋がった惟神が、直日にはいたの?」
「一人だけ、おったよ。千年以上の昔、初めての惟神だ。今の直桜ならできよう。 直桜の魂は彼の者の生まれ変わりのように、そっくりだ。性格は似ても似つかぬがな」
「なんだよ、それ……」

 微笑む直日神に、むくれて見せる。

「今度、聞かせてよ。初めての惟神の話。その人のことも、直日は好きだったんだろ」
「ああ、好きだったよ。吾が人を愛せたのは彼の君のお陰ぞ」
「なんかちょっと、妬けるな」

 ぽそりと零した直桜を、直日神が嬉しそうに眺めた。

「直桜は、可愛いな」
「今、それ言う?」

 二人で吹き出して、微笑み合う。

「直日と離れなくて済むなら、何だってする。直日がいなくならないで、俺の傍にいてくれるなら、なんだっていい。神結び、しよう」

 直日神の指が直桜の唇に触れた。

「吾と結んだ後、伊吹山の鬼に会え。彼の鬼は神や妖怪の真の力を引き出す。其こそが奴の神髄よ。そこで吾が目覚めれば、神結びは成る」
「伊吹山の鬼って、保輔のこと?」

 直日神が頷いた。

「これも命運さだめであろうな。その手の存在は他にもおるが、直桜の手が届く場所に来たのは奴が初めてだ。此度、引き寄せたのは吾ではなく直桜だ」
「俺が……?」

 直日神が言う通り、神や妖怪の力を引き出せる生き物は伊吹山の鬼だけではないのかもしれないが。滅多にいない存在であるには違いない。
 
「まるで、護に会った時、みたいだ」

 偶然出会った鬼に、急激に惹かれた。その鬼は生涯を共に歩む存在になった。あれは直日神の導きも確かにあったと思う。
 今回の直桜は、そんなつもりで保輔を引き取った訳ではない。しかし、運命を感じずにはいられない。

「初めて結んだ惟神も、鬼と大層仲が良かった。直桜にも鬼を誑し込む素質があるのだろうな」
「誑し込むって。それを言うなら、直日だろ。直日だって、護を気に入ってるんだから」
「そうだな。吾は鬼が好きだよ。穢れに塗れながら清い目を持つ鬼が好きだ。伊吹山の鬼も、きっと直桜の役に立とうな」
「穢れに塗れながら清い目を持つ、鬼……」

 故郷でも13課でも穢れだと忌み嫌われてきた護も、理研でblunderだbugだと言われ続けてきた保輔も、心根はとても綺麗だ。
 そういう意味で、二人は似ているのかもしれない。

「魂を結べば、吾は今まで通り直桜の中に留まる。だが、直桜は二度と惟神の己を手放せぬ。もう、普通は要らぬか、直桜」

 直桜は深く頷いた。
 何度も直日神に聞かれて、何度も否定してきた言葉だ。きっとこれが最後の確認なんだろうと思った。
 確信した笑みが直日神に灯る。

「余りある神力は神紋を通して護に分け与えよ。己で扱いを覚えれば呪詛も弾ける。気枯れけがれ気満たしみたしは対の術、同時に体得せよ。強化術と抑制術は意識せずとも結べば直桜なら出来よう。それ以外は、後々にな」

 一気に話されて、頭がぐるぐるした。

「とりあえず、直日が戻ったら、また教えてよ」
「そうするとしよう。もう、迷う必要はないのだから、時はある」

 直日神が直桜に額をあてる。
 いつもより、はしゃいでいるように見える。

「直日、嬉しいの?」
「ああ、嬉しいよ。これからも直桜といられると思うのが、これほど嬉しいとは知らなんだ」

 直桜は直日神に抱き付いた。

「直日が嬉しくて、良かった」

 そんな直桜の頭を直日神が優しく撫でた。

「いつまで経っても、幼子のようだな。可愛い、吾の直桜」

 こんな風に頭を撫でてもらえるなら、子供でも良いと思った。

「さぁ、結ぼう。もう二度と迷わぬように、離れぬように。これで直桜は本当に吾のものだ。吾もまた、直桜のものぞ」

 直日神の指が直桜の顎を上向かせる。唇が重なって、直日神の神力が流れ込んだ。
 温かくて安心する、何よりも慣れた神力だ。
 直桜はゆっくりと目を閉じて、直日神に身を委ねた。
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