仄暗い灯が迷子の二人を包むまで

霞花怜

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第Ⅲ章

第28話 ただの見学

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 直桜たちが向島にあるbugsの隠れ家に到着した時には、智颯の風の柱が家をほとんど壊していた。
 二階建てだったであろう家屋の屋根は吹き飛び、申し訳程度に壁が残っている状態だ。
 周囲に被害がほとんどないのは、誰かが結界を張っているからだとわかった。その気配に気を尖らせる。

「直桜様!」

 小声で呼びながら、初と稀が近付いた。

「指示通り、監視に徹しましたよぉ。智颯君と円の精子は一度は採取されちゃいましたぁ。あの風の柱の影響で飛び散り消えましたけども。瑞悠ちゃんは無事ですよぉ」
「現在、智颯君の神力が暴走し、円と瑞悠ちゃんが淫鬼と思われる妖怪と交戦中、保輔は無事に寝返ってくれたようです」

 初と稀の簡潔な説明に、直桜は頷いた。

「ありがとう。二人とも助けに入りたかったよね。ごめんね」

 犯されている弟をただ監視させてしまった指示に、申し訳なさが拭えない。
 初と稀が首を横に振った。

「あの程度は草にとって経験ですぅ。我々に助ける選択肢はないですからぁ」
「捕虜になった時点で円は死ぬべきでした。むしろ、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
 
 逆に謝られて、直桜は言葉を強めた。

「死なせない。円くんは智颯の大事なバディで恋人だ。俺の指揮下では、自死は禁止、絶対に死なせないよ」

 初と稀が顔を合わせる。

「生きることが御指示であるならば」
「御命令に従うまでですぅ」

 草の常識は直桜にとって、意外なモノばかりだ。
 それでも今の初と稀が晴れやかな顔をしてくれているから、少しは救われる。

「それはそうと、あの結界を張っている奴が何処にいるか、わかる?」

 風の柱を覆うように張られた結界は、外側から囲われている。
 初と稀が表情を硬くした。

「さっきから探していますが、見つかりません。気配は感じるのですが」
「空間術ですかねぇ。呪力量が半端なくて吐き気がしますねぇ」

 二人の目線は家屋の敷地の中の小さな庭に向いている。
 その目は確信を持っていた。

「二人は引き続き家の中の三人を監視して。ヤバそうなら、助けに入ってあげていいよ。歌舞伎町の方は、清人と行基たちが巧くやってくれた。あとは撤収だけだから」

 頷いて、初と稀は闇に姿を溶かした。
 直桜は護に目配せした。

「槐が、来ていますね」

 直桜と同じ気配を、護も感じ取っている。
 護の気がいつも以上に尖っている。

「反魂儀呪の目的は精子じゃなくて惟神本人だったのかもね。智颯の神力については、槐も良く知ってる。まだ槐が集落にいた頃の事件だから」

 直桜は蛇腹剣を霊現化した。
 手甲鉤を右手に露にして、護も構えた。
 息を合わせて走り出す。
 何もない庭に、蛇腹剣の切っ先を突っ込んだ。
 景色が歪んで、透明な壁が崩れ落ちた。

「随分乱暴な挨拶だね。普通に、こんばんはって声を掛けてくれたらいいのに」

 崩れた空間術の壁の向こうで、八張槐がニタリと笑んだ。
 槐を庇うように、八束が立っていた。前にも会った護衛団・九十九の案山子男だ。八束が目の前に分厚い結界を張った。
 今の槐は霊力も呪力も陽人の直霊術で封印されている。さすがの槐でも陽人の術は解けなかったようだ。

「何をしに、こんなところまで? 惟神の精子が気になりましたか?」

 護の攻撃的な声に、槐が首を傾げた。

「今日は見学だけだよ。智颯の成長した姿が見たくて、思わず出てきちゃっただけ。俺は精子より、体の方が好きだからね」

 槐が護を指さす。
 直桜は護の体を引っ張って前に出た。

「俺や清人だけじゃなくて、祓戸四神にも興味あるの? 反魂儀呪は惟神が欲しいわけ? だったら、人工的に惟神を作り出したい理研とも意見があうだろうね」

 槐の視線が直桜に向いた。

「直桜はずっと勘違いしてるよね。俺が本当に欲しいのは直桜だけだよ。他は直桜を完成させるために必要な駒でしかない。惟神も清人もだ。直桜のスイッチである護はセットで欲しいけどね」
「は? 俺を完成、させる?」

 槐の言葉が全く理解できない。
 この男が自分に何をさせたいのかがわからなくて、言葉に詰まる。

「そろそろちゃんと教えないと、直桜の成長が止まりそうだし、いい機会だから、教えておくよ。お前の神力の価値は気枯れだけじゃない。それを引き出すために俺は色々策を弄して努力してるんだよ」

 槐が風の柱を指さす。
 智颯が作った風の柱から、風の輪がいくつも飛び出していた。
 まるで意図して智颯の神力を暴走させたような言い回しに、直桜は息を飲んだ。

「おや、六黒が死んだようです。風の輪にやられましたね」

 八束が何でもないことのように話した。

「構わないよ。また作ればいいから」

 槐もまた、何でもないことのように話している。

「また、作る? やはり淫鬼の分身は、反魂儀呪にいるのですね」

 護が直桜を体を支えるように片腕で抱いた。
 槐が嬉しそうな笑みを浮かべた。

「淫鬼の分身は理研に持っていかれちゃってさ。仲良くしているのは、そういう理由もあるんだ。お互いに持ちつ持たれつって感じ?」

 直桜は拳を握り締めた。
 逆立つ感情を静かに抑える。

「智颯の神力を暴走させるのが、俺に関係あるのか? お前は俺に、何をさせたいんだよ」

 智颯の今の状況は、瑞悠か、或いはきっと円でなければ戻せない。
 今の直桜は、それを期待するしかない。直桜に出来ることはない。

「智颯の暴走がきっかけになればと思ったんだけど。どうやら今回は無理そうだね。何とか出来ちゃう子が、他にもいるようだ」

 槐が風の柱を見上げる。勢いが、少しだけ弱まったように感じた。

「保輔も予想通り、そっちに付いたね。欲しかったんだけどなぁ、残念だよ。直桜も案外、人誑しだよね」
「は? 保輔のことは信用してないって話していただろ?」

 稜巳の封印解除の時、槐は自分からbugsの伊吹保輔の話を切り出した。その時、確かにそう話をしていた。

「信用は、最初からしてなかったよ。最終的に13課に付くだろうと思っていたからね。けど、あの子の価値について信用してなかった訳じゃない。これでも口説いたんだけどね。伝わらなくて残念だよ」

 槐が本当に残念そうにしている。
 その表情に虚偽はなさそうだ。
 槐の目が再び直桜を捉えた。

「保輔の価値にも、自分の価値にも、直桜はまだ気が付かないでいるんだろ。俺はね、直桜には出来るだけ自分で成長してほしいんだよ。けど、待っていたら寿命で死んじゃいそうだよね。何なら気が付かないまま死んじゃいそうだ」
「悪かったな、気が付けなくて」

 思わず、口を吐いて出てしまった。

「そこまで言うなら、教えてよ。保輔と俺の価値が何なのか。槐が俺にどうなってほしいのかをさ」
「直桜、乗せられてどうするんです。冷静になってください」

 前のめりになる直桜を、護が腕で制した。
 
「桜谷家の直霊術と八張家の四魂術はね、神の御業を真似た悪手だ。本来なら直日神が併せ持つ力だよ。お前はまだ、その力を使いこなせていないだろう? 気枯れも気満たしみたしも直日神はお前に使わせないようにしているね。過保護なことだね」

 直桜は何も言えなかった。
 槐の今の言葉は、淫鬼邑で四季に指摘された言葉に似ていたからだ。

「数百年ぶりに祓戸の神々が全員、揃った。守人の伊豆能売と鬼神もいる。直日神の惟神であるお前は、必ず全力を求められる。俺はお前のその力が欲しいんだ。いずれ取りに来る。いや、お前は自分から俺の所に来るよ。待っているね、直桜」

 予言めいた言葉が、気持ちが悪い。
 自分から槐の元に行こうとなど、考えるはずがない。今の直桜の中に、そんな選択肢はない。
 そんなことは槐もわかっているはずだ。それでも敢えてそういう言い回しをしてくるのが、酷く気味が悪い。

「渡しませんよ。何があっても直桜を、お前などに渡さない」

 直桜の体をしっかりと掴まえて、護が言い切った。
 手の熱に、安堵が灯った。

「きっと護も一緒に来るから、心配ないけど。直桜一人でも歓迎するから、いつでもおいで」

 にこやかに誘う槐を、護が睨みつけた。

「行く訳がないでしょう。直桜も私も、思い通りにばかり動くと思わないでください。前回から、計画に綻びが見えますよ。反魂儀呪もそろそろ限界なんじゃないですか」
「多少の綻びは計算の内だよ。失敗もある程度は予想の範疇だしね。俺だって立てた計画が全部、成功するなんて、流石に思ってないよ」

 ははっと笑う槐は特に悔しさなどなく、本気でそう考えている雰囲気だ。

「伊吹保輔が欲しいと言いながら、13課に引き渡す理由は何です? 本気で欲しいなら、こんなやり方はしないでしょう」

 槐が意外そうな顔をした。

「護は俺のこと、良く知ってるね。やっぱり、元恋人のことは覚えていてくれるんだ?」
「貴方の底意地の悪さと気色の悪い性格は、良く知っていますよ。大嫌いですから」
「それって俺にとっては大好きって言われてるのと同じなんだけど、そういうところは解ってないね、護」

 護の言葉が止まった。理解できない顔で絶句している。
 槐と護の会話のお陰で、直桜は冷静さを取り戻せた。

「槐が保輔を欲しがった理由、何となくわかった。性格もそうだけど、開花してない霊能があるってことだよね」

 保輔のような嘘や交渉が巧い性格は、槐が如何にも好みそうだ。だが、それだけなら保輔である必要はない。
 13課が把握している保輔の霊能は土蜘蛛の能力と、電脳線のハッキング能力だけだ。

「しかもそれが、俺の神力の開花に貢献する霊能なんだろ。だから、欲しかったけど取られてもいい。俺の傍に置いても、それが既に槐にとっての保輔の利用価値だからだ」

 槐が目を見開く。満足そうに直桜を眺めた。

「良く出来ました。保輔を陽人によく視てもらうといい。きっと面白いことがわかる。理研に関しても、色々わかるはずだよ」

 八束が空を見上げた。
 いつの間にか、風の柱が消えていた。

「槐様、そろそろ戻りませんと」

 促されて、槐が立ち上がった。

「このまま帰すと思いますか? 霊力が封じられた槐と案山子が一つなら、負ける気がしませんよ」

 護が前に出る。
 八束が気味の悪い顔で笑った。

「私は力を弾くのが得意でして。特に死に際なんか、それはもう強く弾いてしまうから、貴方の強い霊力を弾いたらお仲間が被弾するかもしれませんねぇ。若者たちは生きていられるでしょうか」

 護は家の方に視線を向けた。
 最初から、この一軒家は八束の結界の中だ。智颯たちを人質に取られているようなものだ。
 護が、ぎりっと歯軋りをした。

「また会おうね、二人とも。次は直桜の成長した姿が見られることを祈ってるよ」

 八束の後ろに隠れた槐の姿が消えていく。
 二人の姿が消えたのと同時に、家を囲っていた結界が消えた。

「また、逃がしてしまいました。すみません、直桜」

 俯く護の手を握る。

「いや今回は、今回も、か。俺のせいだよ。毎回これじゃ、ダメだね」

 いつもいつも、槐には同じように逃げられる。

「アイツの期待通り、強くなってやる。でも思い通りには、絶対にならない」
「直桜……」

 槐の話には思い当たる節が直桜にもある。だからこそ、このままではいけないと感じていた。
 そんな直桜を見詰める護の顔には不安が昇っていた。
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