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第Ⅲ章

第23話 リバーシの白と黒

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 保輔が瑞悠を抱えたまま、別の部屋に入った。
 ベッドの上に体を降ろされる。顔が近付いた時、保輔が耳元で小さく囁いた。

「静かにしててくれて、おおきに。さっきの会話、覚えといてや」

 口に巻いた蜘蛛の糸らしき拘束を解かれた。
 口元から唇に、保輔の指が何度も滑る。欲情を煽る行為というよりは、傷付いていないか確認されているような手つきに感じた。

「ほんなら、瑞悠は俺と遊ぼか」
「アンタ、本当に私と遊びたい? 遊び慣れた女が好きなんでしょ?」

 保輔から目を離さずに問う。
 どうにも保輔から、性的なアプローチを感じない。

「美鈴の命令やし、処女嫌いでも遊ぶしかないやろ」

 保輔が瑞悠の胸に手をあてる。
 体がビクリと跳ねて、足が震えた。
 その様を、保輔がまざまざと眺めている。
 すっと体を離して、保輔がベッドから降りた。
 がちゃがちゃと大きな箱を漁っている。

「何、してんの?」
「遊ぶための道具、どれがいいかと思うてな」
「道具……」

 そういう行為に道具が必要なんだろうか。
 知識がなさ過ぎて、想像ができない。

(ゴム、とか? え? でも、ゴムしちゃったらコイツ等の精子の特徴、発揮できないんじゃ。拘束プレイとか言ってたけど、縛るなら蜘蛛の糸で十分だよね)

 保輔が、くるりと振り返る。

「リバーシとウノと花札、どれがいい? 人生・ゲームもあるけど、二人だと詰まらんやろ。やっぱリバーシやんな」

 呆気に取られて、何も言えなかった。
 保輔が両手にリバーシの箱と花札を持って瑞悠に見せている。

「あと、トランプもあるよ」

 花札を置いて、ひょいとトランプを瑞悠に見せる。

「あるよ、じゃなくてさ。遊ぶって、そういうのでいいわけ?」
「嘘は吐いてへん。俺は一言も犯すとかセックスするとか言うてへんもん。遊ぶ、言うただけや」

 保輔の会話を思い返す。
 そういうつもりでしか聞いていなかったから、よく覚えていないが、確かに遊ぶとしか言っていなかった気もする。

「処女、嫌いなんでしょ? 遊び慣れた女が好きなんでしょ?」

 それは今しがた、会話の応酬をしたばかりだ。

「まさか、リバーシ処女なん? せやったらトランプにする? 神経衰弱とかやったら、さすがに遊び慣れとるやろ?」
「そうじゃない、そうじゃないってわかって言ってるだろ、お前」

 思わず素の話し方が出てしまった。
 保輔が、ぷっと吹き出した。

「お前、そういう話し方もできるんやなぁ。さっき、美鈴に啖呵切った時といい、なんか印象、変わったわ」

 保輔の笑顔が、やけに屈託ない表情に見えて、毒気を抜かれた。

「俺は瑞悠に学園で接触しとらんけど、観察はしとったんよ。普段の話し方、アレ絶対仮面被っとる思うとったけど、そんな感じなんやな。そっちの方が、ずっとええで」

 何故だか照れた心持になって、瑞悠は顔を逸らした。

「そのグルグル巻きじゃ、リバーシできひんな。捲き方変えるわ」

 保輔が蜘蛛の糸を回収しながら、巻き直す。手枷と足枷のような具合になった。

「完全に外すわけにはいかんよって、堪忍な」
「そんなにリバーシやりたいの? さっきから拘り過ぎじゃない? てか、どういうつもりなワケ?」

 六黒との会話を覚えておけと言った保輔の言葉が気になった。
 それを聞いてから思い返せば、あの会話はまるで瑞悠に聞かせるために、わざとしていたようにも感じる。

「時間稼ぎや、お前らを助けに13課組対室が到着するまでのな。もうちょい時間が掛かるよって、その間は俺とリバーシやって遊んでや。黒と白、どっちがいい?」

 保輔が箱を開けてリバーシの準備を着々と進める。

「は? 何、言ってんの? 何でアンタが、直桜様たちを待つのよ」
「集魂会に卜部武流いうんがおってな。アイツを介して取引した。bugsのメンバー全員、逮捕じゃなく身柄保護して命の保証してくれるんなら、円を無事に返すってな。途中から智颯君と瑞悠が追加になって俺の仕事増えたけど」
「何、それ……」

 つまり直桜は初めから、円を救うために保輔と取引していた、ということだ。

「もしかして。だから、他のメンバーを歌舞伎町に行かせたの?」
「せや。あっこなら、今ノーマークで保護しやすい。俺がこっちで美鈴と六黒を引き留めといたらええ。次、瑞悠の番やで」

 駒を手渡される。
 保輔が黒の駒で勝手にゲームを始めていた。
 この場所に美鈴と六黒と保輔しかいなかったのは、そういう理由だったのかと、改めて理解した。

「なんで……。直桜様は何も教えてくれなかった」
「どうせ、ろくに話も聞かんと飛び出したのやろ。智颯君、興奮すると他人の言葉とか耳に入らなそうやもんね」

 保輔の指摘が当たり過ぎていて、何も言えない。
 瑞悠は仕方なく、白の駒を盤上に置いた。挟んだ黒い駒を一つだけ白に裏返す。

「こんなこと、してるなら、ちぃと円ちゃん、助けないと」
「あかんよ。瑞悠がこの部屋を出るんは、あかん」

 黒の駒をぴしゃりと置きながら、保輔が言い放った。

「でも! あのままじゃ六黒に喰われる。わかってて何もしないで……、ここでアンタとリバーシしてる場合じゃない」

 立ち上がろうとした瑞悠が態勢を崩してベッドに転がった。
 保輔が蜘蛛の糸を引っ張っていた。

「六黒は二人の精子採取して食事するだけや。精は喰ろうても命は取らん。反魂儀呪は惟神を殺さへん。二人には、気持ち悦うなって時間稼いでもらう」

 リバーシの盤を戻して、保輔が黒の駒を置くと、色を返した。

「なんで殺さないって言いきれんの? 惟神を殺さないって言うんなら、私だって問題ない……」
「お前の場合、殺されるより酷い目に遭うかもしれん。だから、ダメや」

 犯される危険があると、保輔は言っている。瑞悠にも理解できる。
 理研が集めた、或いは人工的に造った精子を受精させられれば妊娠する。そういう危険も、保輔の助言には含まれているのだろう。
 今まで散々、理研の話を聞かされ続けてきたのだから、それくらいは想像がつく。

「でも、だからって、ちぃは今、妖怪に好きなようにされてるんだよ。ちぃは私が、守らなきゃいけないのに」

 瑞悠は歯軋りした。智颯を守るためだけに強くなったのに。
 自分を守るために智颯を犠牲にしなければならない今が悔しくて、怖くて堪らない。

「智颯君は、お前に守られなならんほど、弱いん?」

 保輔の言葉に顔を上げた。

「ちぃは弱くない。弱くないけど、今、ちぃが大変な目に遭ってるのに、何もしないでなんか、いられない」
「それはお前の気持ちの問題やんな。智颯君の立場になったら、瑞悠が危ない目に遭うほうが嫌やろうな」

 智颯と交わした会話を思い出す。
 だらしないとかスカートが短いとか言いながら、智颯も瑞悠をとても心配してくれていた。

「男はどないに犯されても子供を孕んだりせえへん。けど、女は孕む。男やから女やからってバイアスかかった話する気はないけどな、どんな倫理観の世の中でも人間の体の造りは変われへん。むしろ、せやらこそ、大事にせなならん違いや。今ここで瑞悠が俺とリバーシしてんのは逃げでも弱いんでもない。自分を守っとるんや」

 保輔が駒を手渡す。
 瑞悠の手の中に白の面をした駒が握られた。

「なんで、そんなこと、言うの? アンタが悪いくせに。アンタのせいなのに。妊娠しなきゃいいってわけじゃないでしょ。ちぃと円ちゃんが一方的に酷いことされてるってわかってるのに、助けられる距離に、私はいるのに」

 きっと違う。
 さっきの美鈴や六黒の会話を聞いていれば、保輔が悪いのではないと、ちゃんとわかる。それどころか、たくさんのヒントを残そうとしてくれる。今だって、瑞悠を守ろうとしてくれている。
 なのに、こんな言葉しか言えない自分が、何もできない自分が酷く腹立たしい。

「俺のせいやから、責任取っとんのや。13課組対室との取引には三人の無事が含まれとんねん。守らんかったら取引が成立せぇへん。それどころか最強の惟神に殺されてまうわ」
「直桜様は殺したりしないもん」

 流れそうになる涙を飲みこんで、瑞悠は白の駒を乱暴に置いた。
 保輔が小さく笑った気配がした。

「せやろなぁ。お人好しっぽいもんなぁ、あん人。俺に13課に来い言うとったらしいけど、それだけは無理やんな。帰ったら、伝えといて」
「なんで、無理なの?」

 保輔が盤面に黒の駒を置く。
 角を取って、黒の駒の数が増えた。

「ケーサツ興味ない」
「今、嘘吐いた」

 間髪入れない瑞悠の言葉に、保輔が顔を上げた。

「惟神は神力で嘘がわかるの。けど、そんなのなくても、今の言葉が嘘だってわかるよ。保輔は、何となく私に似てる」

 嘘や笑顔で本音を隠して、相手を推し量るように観察する。そういう底意地の悪さが自分に似ていて、嫌気がさす。

「俺も、ちょっとだけ思うとった。瑞悠は俺に似てるなって。お前の目は嘘つきの目やからね。癖になると彼氏出来ひんで。まともな男と付き合いたかったら直しや」

 瑞悠は保輔に向き合った。ぐっと顔を近づける。

「ねぇ、キスしてよ。フェロモン、私に流し込んで」
「はぁ? お前、阿呆なん? それこそ智颯君と直桜様とやらに殺されるわ」

 保輔が眉間に深く皺を寄せて、思いっきり渋い顔をしている。

「俺が何のために今、お前とリバーシしとると思うとんの? 俺の苦労を無駄にする気ぃか?」
「私が平然としてたら美鈴は異変に気が付くでしょ。保輔のこと好きな演技とか、……多分できないし、せめてフェロモンもらえたら、上手くやれるから」

 直桜たちが来るまでにはきっと時間が掛かる。
 智颯と円が動けない状況下で、瑞悠だけで美鈴の言霊術と六黒の攻撃を何とか出来る自信はない。
 現状を、上手く繋げるしかないと思った。

「何もせんでええ。目と口、蜘蛛の糸で隠して、腕と足も拘束してベッドに転がしとくさけ、それでええ」

 保輔が、ちょっと不機嫌そうに顔を逸らした。

「保輔なら、好きになれるかもって、思ったのに」

 ぽそりと零れた言葉に、保輔が目だけを向けた。

「会ったばっかの奴に言うセリフやないぞ。吊り橋効果抜群やないか」

 呆れかえった声が返ってきた。

「吊り橋でもジェットコースターでもいいよ。私、他人に恋愛感情とか持てたことないし、きっとこれからもないんだと思う」

 友人が読んでいる恋愛漫画も、ドラマも小説も、感情移入できたことがない。クラスの男子に恋をする、なんて経験も一度もない。
 恋愛感情というものが、どんなものかわからない。
 今、保輔に感じた思いも、きっと同族への好意でしかない。しかし、今感じている感情は、瑞悠にとって初めての感覚であるのは確かだった。

「初めて、ほんの少しでも好意とか興味とか持てたから、キスしてみてほしいと思っただけ。フェロモンは言い訳、ごめん」

 何となく素直に謝った。思えば、こんな風に素の表情と話し方で本音を語った他人は、保輔が初めてだ。
 瑞悠はリバーシの駒を手に取った。白と黒をくるくると回して、ほぼ黒で埋まった盤面を眺める。
 俯いた目に保輔の手が伸びた。
 顔を上げたら目の前に保輔の顔があった。

(あ、キス、され……)

 唇が触れそうな距離で、顔が止まった。

「指、震えとうよ」

 吐息が唇にあたって、鼓動が早まる。
 駒を持つ指が小刻みに震えていた。
 そのまま触れることなく、保輔の顔が遠ざかった。

「ここ出て落ち着いても俺にキスされたい思うたら、本当にしちゃる。そういう機会があったらな」

 保輔の顔が、照れているように見えた。
 胸が、少しだけ熱い気がする。

「うん……」

 とくとくと流れる鼓動が、高鳴っているのかもよくわからない。
 けれど、そういう機会があるといいなと思った。
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