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第Ⅱ章

第70話 神喰いの最たる神力

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 両腕を小さく開く。軽く力を籠めると、封じの鎖を千切り捨てた。
 砕けた鎖が足下にバラバラに散らばった。
 その様を、武流が蒼白な顔で見詰めている。

「どんなに強凶な呪具も、強い術者が扱わなければ強度なんか高が知れてる。お前のように霊力も呪力もない人間が使っても、所詮はこの程度だ」

 腕を広げて見せる。
 武流が怯えた目で後退った。

「そんな事実は、楓なら理解しているだろう。わかっていて、どうしてお前たちに無理を強いたんだと思う?」

 武流が言葉もなく首を横に振った。

「俺にお前たちを殺させるためだよ」

 口の端が上がって、薄い笑みが顔に張り付いたのが自分でもわかった。
 足下に旋風が巻き起こる。
 直桜を包む神力が大きく膨らんだ。
 白い神気が膨れ上がって、どんどん大きくなる。
 武流が腰を抜かして、その場に座り込んだ。

「見えるし、感じるだろ? 霊力のない人間でも感知できるレベルの力をわざと凝集してる」

 直桜は、一歩、前に出た。

「穢れの語源を知っているか? 気が枯れると書くんだよ。気とは生きるための力、命そのもの。枯れた気を満たし人を生かすための神力。祓戸大神である直日神の最たるは命を満たす神力だ」

 直桜を包む白い神気が緩く動き出す。
 徐々に早さを増して、旋風のように広がり始めた。

「気を満たす神は、気を枯らせるんだ。神が人に与える罰は、穢れ気枯れ。穢れを祓う神は、穢れ気枯れを与えもする。神とは本来、そういう存在なんだよ」

 怯える武流に、一度だけ笑みを見せる。
 直桜を包む神風が弾けて、神気が洞窟中に広がった。
 目の前で座り込んでいた武流が、体を支えられずに倒れ込んだ。
 犬のように舌を出して、促拍に呼吸を繰り返す。
  
「あぁ、集まってくるなぁ。この感覚は久しい」

 自分の外側に弾いた神力が、人を始めとした総ての生き物から気を集めて、我が身に戻る。その感覚をしみじみと味わう。

「命は、美味だ。特に罪を犯した人の命は、どれだけ吸っても吸いたりない」

 直桜は足下を見下ろした。
 息をするだけで精一杯の武流に近寄る。

「もう指一本、動かせないだろう。このままだと死ぬなぁ。俺がお前の命を吸いつくしてしまうよ。お前だけではない、この辺りに生息する総ての命をな」

 返事のない武流の体を足で蹴り、仰向けにする。

「殺しはしないよ。もうしばらく、苦しめ。罰は苦しくなければ、意味がないだろう」

 気が集まるほど、命を吸うほど、心が愉悦で満たされる。
 足下に転がる武流がゴミに見えて、可笑しくて仕方がない。

「あぁ、心地良い。このまま何もかも総て、吸い尽くしてしまおうかな」
「直桜!」

 護の声が響いたかと思ったら、体を拘束された。
 しっかり服を着こんだ護が顔を引き攣らせて直桜に抱き付いていた。

「護? 蜜白を放っておいて、いいの? それとも、もう終わった?」

 訳が分からない顔をした護が、部屋の中に顔を向けた。
 ベッドの上で倒れている自分と蜜を見付けて、顔色を変えた。

「まさか、アレを見て、こんな術を? ベッドの上にいるのは行基の木偶でくです。私ではありません。ごめんなさい、直桜。まさか、こんなことになるなんて」

 護の言葉が理解できずに、呆然と立ち尽くす。
 さっき覗いた部屋の中に視線を向ける。
 ベッドの上で蜜白の隣に倒れている護は、人形の姿になっていた。

「直桜なら一目で気付いてくれると思って……。けれど、やはりこんな方法はとるべきではなかった」

 護が体をぴたりと寄せる。
 神紋が直桜の腹に吸い付いた。じんわりと温かさを感じて、逆立っていた心が少しずつ凪いでいく。

(俺、かなり怒ってたんだ。『気枯れ』するほど、怒ったのか)

 じわじわと冷静さを取り戻していく頭が、自分がしたことを振り返る。
 信じたくはないが、体の中が気を吸った充足感で満たされている。
 現実を突きつけられて、途端に後悔と自責が込み上げた。

(こんなに気を吸ったのは、いつ振りだろう。集落にいた頃以来だな)

 直桜は護の体をやんわりと押し退けた。

「とりあえず気を戻すから、離れて」

 護が何も言わずに直桜から離れた。
 両掌を上に翳して、金色の神気を大きく膨らませる。
 吸い取った気をその中に満たして、弾けさせた。吸い上げた道筋を戻るように、金色の気が生き物たちに戻っていく。

「ぅっ、げほっ、はぁ、はぁ」

 倒れていた武流が咳き込んで、深呼吸した。

「大丈夫ですか?」

 手を差し伸べる護に掴まって立ち上がる。

「俺より、蜜が! 蜜、生きてるよな、蜜!」

 護を押しのけて部屋に入ると、蜜白に駆け寄った。
 脈をとり呼吸を確認した武流の表情が緩む。
 武流と蜜白の姿を眺めて、直桜は安堵の息を吐いた。

「冷静なつもりだったけど、違ったみたいだ。まさか自分でも、こんなに怒ったなんて、思ってなかった」

 それどころか、怒っている自覚すら薄かった。
 
(変わってない、あの頃から何一つ。感情も力もコントロールできるつもりになってた。けど俺は、未だに無自覚で人を殺す力を、使ってしまうんだ)
 
 離れていた護が直桜に歩み寄った。

「さっきの術は、直桜の神力ですよね?」

 護の腹に視線を向ける。
 直桜の神紋がある護は『気枯れ』の影響を受けなかったのだろう。だから、直桜を止めに来られた。

「そうだよ。穢れを祓う神力の反転術、生き物の命を吸う『気枯れ』だ。俺が集落に隔離された理由の一つだよ」

 強すぎる惟神は自然界の理すら壊す。
 集落の長たちが恐れた直桜の神力の最たる術が『気枯れ』だ。
 だからこそ、直桜は外に出してもらえずに、生神として奉られるはずだった。

「私と碓氷さんのあんな姿を見て、殺したいほど、憎くなりましたか?」

 護が直桜に問う。
 直桜は顔を顰めて首を振った。

「違う。もっと別の、怒りとか落胆とか悲しいとか辛くなって、とにかく色んな感情が昂って、気が付いたら力を使ってた。気枯れをする時は、いつもそうなんだ」
「術の発動は無意識、だったんですか?」

 直桜は俯いたまま頷いた。

「感情がコントロールできないまま術を使って命を吸うと、興奮して違う感情が高まって、命を吸う行為に陶酔する。自分では、止まれなくなる」
「直日神は、止めないのですか?」

 直桜は目を伏して小さく首を振った。

「そういう時、直日は俺の一部になる。直日が、俺に溶ける。だから俺は『神喰い』なんだよ」

 目の前で、護が息を飲む気配がした。
 きっと怯えているのだろう。引かれて当然だ。

(集落の大人たちが俺を崇めながら怯えてたのは、気枯れのせいだ。俺の感情が大きく揺らがないように、刺激を与えないように必死だった)

 護の腕が伸びてきた。
 温かい腕が直桜を包んで、胸に抱く。

「ちょっと、どころじゃないですね」

 護の言葉の意味が分からなくて、その顔を見上げた。

「前に桜谷さんが教えてくれた浮気の話です。もし私が浮気したら、ちょっと大変なことになるかも、と仰っていましたが、ちょっとどころではありませんでした」

 初めて護と一緒に警察庁の陽人に会いに行った時、そういえばそんな話をした気がする。

「きっともっと違う考えをするべきなんだと思います。怯えるべきなのかもしれないし、諫めるべきなのかもしれない。正しくはないんだと思う。でも俺は今、嬉しい」
「え?」

 直桜の額にキスをして、護が自分の額を合わせた。

「俺の気持ちが他に向くのを拒絶して、怒って悲しんでくれる直桜が、愛おしい。いつも冷静な直桜が俺のために、ワケがわからなくなるほど感情を動かしてくれて、嬉しい。俺の方がきっと、どうかしてる」

 護の声が興奮して聞こえた。

(最近の護って、我を忘れると自分のこと、俺っていうけど。本気で、そう思ってくれてるんだ)

 怯えるのでも引くのでもなく、直桜自身を見てくれた。
 こんな自分を愛おしいと言ってくれた。

「今の俺が、怖くないの? 無意識で大量殺人するかもしれない存在なんだよ」
「ええ、そうですね。直桜を殺人犯にしないためにも、浮気防止に碓氷さんのフェロモン対策をしましょう」

 護が直桜の顔を両手で包み込んで嬉しそうに笑った。

「自発的な浮気なんて、欠片も考えたこと、ありませんけどね」

 護から流れてくる気が温かい。
 気枯れで命を吸った直後だから、敏感になっているのかもしれない。
 滑らかに流れる護の気は、言葉の総てが正直な気持ちであることを伝えてくれる。
 自然と涙が流れてきた。

「護がいてくれたら俺、もう気枯れしない。しちゃっても、護が止めて」
「当然です。俺は直桜の鬼神で恋人ですよ。嫌がっても離れません。何があっても俺が直桜を守ります」
「大好きだよ、護……」

 気持ちが溢れて、涙と言葉がポロポロ零れる。
 護にしがみ付いて、体を添わせた。
 降りてきた唇が重なった。

「何があっても、直桜だけを、愛してる」

 力強い腕が直桜を痛いほど抱き締める。
 痛みすらも心地よかった。
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