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第Ⅱ章

第67話 非合法の被験体

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 行基が言い出しづらそうに頭を掻いた。

「それなんだがなぁ、また理研絡みで、少し困った事態になってんだよ……」

 後ろから甘い匂いが薫った。
 背後から白い腕が伸びて、護の肩を抱いた。

「え? えぇっ!」

 護に絡まっていたのは、以前にも会った碓氷蜜白だった。
 うっとりした目で護を見上げている。

「化野さん、初めて会った時からタイプだったんだぁ。俺に種付けしてくれない? 忘れられないくらい気持ち良くしてあげるよ」

 蜜白が護に唇を寄せた。

「えっ? 待って、ちょっと、あの……」

 護の目が、とろんと眠そうに半開きになっている。
 重そうな瞼の裏の瞳は虚ろだ。

「はい、俺で、良かったら……」

 蜜白に腕を伸ばそうとする護の体を、直桜は引き寄せた。
 護と蜜白の間の空間を、忍が手刀で切り取った。
 直桜は護の頭に手を乗せると、神気を送り込む。
 半開きだった護の目が、ぱちりと開いた。周囲を見回し、直桜と忍の顔を交互に視る。自分でも何が起きたのかわかっていなさそうだ。

「またか。おーい、武! 蜜を縛っとけ!」

 行基が部屋の奥に向かって叫ぶ。
 巨体が走ってくるような重い足音が響いて、部屋に小さな風が吹いた。

「どんだけ探してもいねぇと思ったら、こっちかよ」

 筋肉質な青年が必死の形相で蜜白を睨んだ。

「おら、盛ってんじゃねぇぞ。つっても自分じゃ、どうしようもねぇけどな」

 蜜白を摑まえて抱きすくめる。
 抱くというより、羽交い絞めにしている感じだった。

「最近はフェロモンの調節がうまくいかねぇみてぇでな。放出量が多すぎると自分にまで作用しちまう。悪気はねぇんだ、許してやってくれ」
「フェロモン? 碓氷さんから出てるの?」

 直桜の声は至極不機嫌に聞こえたと思う。自分でも気付くくらいだ。
 さっきより忙しなく頭を掻きむしって、行基が苦い顔をした。

「蜜や武、優もそうだが、コイツ等は少子化対策と銘打った非合法の生命実験で産まれた人間だ。生殖機能に特化した特異性を持っているが、大体が皆、フェロモンを放出する。繁殖のために相手を誘う、本能に働きかける匂いだ」

 さっき薫ってきた甘い匂いが、それなんだろう。
 人間に限らなければ、自然界にはそういう生き物が割と多い。

(人間も相性が良い人同士って、他の人は感じない匂いを感じ取るっていうし、案外生き物には備わっている生理現象なのかもな)

 大学の講義で、そんな話を聞いたのを思い出した。

「特に蜜は同性が相手でないと繁殖できない特殊体質だから、定期的に男を誘っちまうんだよ。名前を憶えていたくらいだし、よっぽど好みだったんだろうなぁ」

 しみじみ護を眺める行基を睨みつける。
 直桜の視線に気が付いて、行基が苦笑いした。

「だが、フェロモンも惟神様や小角様には効果なかったようだな」
「それって単純に碓氷さんが護狙いだったからってだけじゃないの?」
「いや、蜜のフェロモンはその場にいる全員に作用するぜ。ターゲットには、より深く掛かるけどな」
 
 武と呼ばれた青年が、直桜の刺々しい言葉に返事した。

「アンタら、恋人同士なんだろ。怒るのは当然だ。悪かった。蜜の代わりに謝るから、嫌わないでやってくれよ。素は悪い奴じゃねぇんだ」

 武が直桜に向かい、深々と頭を下げた。
 直桜的には初見で会った時も胡散臭い男だったと記憶している。
 だが、こうも真っ直ぐ謝罪されてしまうと、怒っている自分の方が駄々を捏ねているみたいに思えてくる。

「もう構わないよ。隙だらけだった護も悪いんだから、お互い様ってことで」

 直桜の行き場のないモヤモヤは護に向いた。

「すみません、直桜。私は、何をしたんでしょうか?」

 どうやら覚えていないらしいとわかって、尚更不安になった。

「アンタは悪くねぇよ。俺らのフェロモンを回避できる人間なんて、ほとんどいねぇんだ。神様や、神様レベルの仙人と一緒にしたら可哀想だぜ」

 武が護に同情の眼差しを向けている。

「護だって、惟神の鬼神だよ」

 反論してみるものの、自在に神力を操れない護がフェロモンを回避できないのは仕方がないと、理解はできる。出来るのだが。

(断ってくれるなら、まだいいけどさ。誘われて素直に受け入れて自分から手を伸ばすのは、なんか納得いかない)

 モヤモヤしている直桜を眺めていた武が呆れた声で言った。

「そんなに心配なら脳みそ神力でカバーしてやりな。神紋? とかいうのがあれば、できんじゃねぇの?」
「そう簡単な話じゃない」

 いくら神紋を通しても、出来る術と出来ない術はある。

「蜜は種を貰う側だからな。余計に誘惑のフェロモンを出しやすいし、好みの人間には無意識無自覚なんだよ」
「武のいう好みってのは、見た目や性格より、遺伝子レベルの話な。より優秀で強靭な子孫を残すための繁殖相手ってやつだ」

 武の説明に次いで、行基が補足する。
 話は納得できた。
 そういう問題じゃないと思いながらも、この場では怒りを治めるしかない。

「アンタはこの前、会わなかったよね。名前、教えてよ」

 やけくそというか強引に、話題を切り替えた。
 指摘されて気が付いたらしく、武が直桜に向き合った。

「そういや、そうだな。俺は卜部うらべ武流たける。蜜や優と同じ理研の生まれだ。俺の繁殖対象は女だから、安心しとけよ。受精卵を男に流し込んでも受胎しねぇからな」

 ニシシと武流が笑う。
 
「え? 両性具有ってこと? あ、いや、ごめん」

 思わず出てしまった言葉が、とても失礼なのではないかと感じて、思わず謝ってしまった。

「その通りだから、気にすんな。つっても、体内の話な。体の構造は男だ。妊娠てのは受精卵を作るのと子宮の壁に着床すんのが難しいんだってさ。体内で受精卵を作って女の体に射精すれば、難題一個クリアだろ。俺はそういう生き物らしいぜ」

 あっけらかんと武流が語る。
 とんでもない話をしているのに、語り口が軽いせいか、まるで世間話のようだ。
 武流が腕の中でウトウトしている蜜白を眺める。

「蜜はさ、お前らみてぇな同性カップルでも子供が産めるようにって作られた被験体なんだよ。そのせいか同性しか愛さないし種付けに執着が強いんだ」

 ズキン、と胸が痛んだ。
 後天的に選べるはずの嗜好を生まれる前から定められて縛られて生きるのは蜜白にとって、どう感じるのだろう。

「ごめん、そっちの事情、何も考えてなかったよ」

 自然と顔が俯いた。
 武流が、カラッとした笑顔を向けた。

「謝んなくていいぜ。そういうつもりで話したんじゃない。ただ、俺たちのこと、お前らに知ってほしかったんだ。そうだろ、行基」
「ん? そうだな、そういう話だ」

 武流が行基を見上げる。
 直桜と武流のやり取りを眺めていた行基が気まずそうに頷いた。
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