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第58話 寂しがりやの神様

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 腕を掴まれて、禍津日神が梛木を見下ろした。

「誰よりも惟神を求めるお主が集落を壊すか。力が強すぎる二面の神を降ろせる依代を育てたのもまた、の集落ぞ」

 睨み据える梛木に、禍津日神が息を吐いた。

「直桜は良い器じゃ。しかし、このままでは吾が直桜を喰らうぞ。結局、あの時と同じよ。吾と共に生きられる依代はない」

 禍津日神が周囲を窺う。

「包囲は吾のためか? 反魂儀呪を捕らえるためか? また随分とかき集めたものだの」
「両方じゃ。直桜は本来、直日神の惟神じゃ。返してもらうぞ」
「直日神、対の神でありながら、これほど立派な惟神と共に在れるとは。羨ましいのぅ」

 そう語る禍津日神の表情は、犬のぬいぐるみに収まっていた枉津日神そのものだった。
 禍津日神が梛木と話している隙を見て、後ろから袖を引かれた。
 振り返ると清人が背後に立っていた。

「神倉さんが説得しているうちに、枉津日神の真名を封じろ。周囲は怪異対策担当と諜報担当で包囲してる。反魂儀呪はこっちに任せて、護は直桜を救え」

 ちらりと周囲を窺う。
 多くの気配に気が付いているのは反魂儀呪も同じようだった。

(槐が退路を用意していないはずはない。この状況でもこの場に残っているということは、まだ何か企みがあるんだ)

「清人さん、今動くのは、危険です。槐の計画はまだ終わっていない……」

 清人の目が大きく見開かれて、動きを止めた。
 視線の方に目を向けると、禍津日神の目が清人を捉えていた。
 真っ直ぐに向けられる目に、動きを封じられたように、清人が動けなくなっている。

「うっわぁ!」

 梛木も護も通り越して飛んできた禍津日神が清人に覆いかぶさった。
 勢いが良すぎて、押し倒される形で清人が地面に転がる。

「え? え、え? 何で? 何で俺なの?」

 本気で狼狽える清人の顔を凝視して、禍津日神が呟いた。

「其方、清隆か? まだ、生きておったのか?」
「清隆? かなり前の先祖に、そんな名前が……いたとは思うが。もしかして、前の惟神のことか?」
「そうか、そうよな。人の命は儚い。神とは違う」

 伏した目が、また上がる。

「其方の名は?」
「藤埜、清人だよ。確かに何代か前までは枉津日神の惟神の家系だったけど、俺にはそんな才覚はないし、惟神になるのは今更無理だぞ」

 焦る清人とは裏腹に、禍津日神が嬉しそうに表情を明るくした。

「そうか、藤埜家の者か。道理で同じ匂いがするわ。気配も顔も清隆によぅ似ておる」

 すりすりと顔を寄せて、清人に懐いている禍津日神の姿は犬のようだ。
 直桜の姿で清人に懐かれると、護としては大変複雑な気持ちになる。

「其方が惟神になるなら、大人しく収まっても良いぞ」
「いやだから、ムリだって今話したばっかりだけど! 護! 何とかしろ!」

 じゃれ合う二人を遠巻きに眺める。
 助けを求められても、どうしていいかわからない。
 先ほどまでの緊張感はどこに行ってしまったのかと思うほどの砕けた空気に戸惑うばかりだ。

「枉津日神、とりあえず離れて……」

 腕を伸ばした護の後ろから、何かが素早く走った。
 先ほどまで白雪と応戦していた男が禍津日神と清人に刀を向けている。
 駆け出し腕を伸ばすが、間に合わない。

「清人さん! 避けてください!」

 護の言葉に、清人が反射的に身を翻した。
 禍津日神に馬乗りにされていた姿勢を反転させて、自分が上になる。
 ほぼ同時に、一倉湊の刀が清人の腹を貫き、下になった禍津日神の腹まで串刺しにした。
 前方と後方から白雪と剣人が飛んできて、一倉に刃を浴びせる。

「二人掛かりとは、嬉しいね!」

 大きく飛び退いて、一倉が下がった。その姿を白雪と剣人が追う。
 全くの不意打ちに、護は手が出せなかった。

「ぅっ、かはっ」

 腹を抑えて咳をした拍子に、清人が口から血を吐き出した。
 清人から流れた血が禍津日神の顔に零れ落ちる。

「其方、何をしておる。人が神を庇うなど、非力な生き物が強い生き物を庇うなど、道理に反する」

 信じられない者を見る目で、禍津日神が清人を見上げた。

「えぇ? だって仕方ないよね。今の枉津日神様の顔は、俺の部下の顔なんだもん。上司が部下を庇うのは当然でしょ。それに、曲がりなりにも惟神の家系だったわけだから。これくらいは……」

 清人の体が禍津日神の上に倒れ込んだ。
 覆いかぶさった清人を禍津日神が強く抱き締める。その顔に表情はなかった。

「清人さん! 早く朽木室長に!」

 スーツのジャケットを脱いで丸めて傷口に宛がう。出血が多くてあっという間に血が滲む。
 清人の顔が見る間に白くなり、声を掛けても返事をしなくなった。

「治せる者が、おるのか?」
「います。回復師が控えています」

 禍津日神が起き上がり、護に清人の体を預けた。

「今すぐに治せ。死なせるな。清人が死ねば、この国を壊すぞ」

 身が凍るほど静かな声が響いて、禍津日神が立ち上がった。 
 周囲を見回して、一倉の姿を視認する。同じように剣を交える女の姿は気に留めず、後方で高みの見物を決め込む二人に視線を合わせた。

「諸悪の権化は、あれか」

 見つけるや否や、禍津日神が槐と楓のいる方に飛び出した。
 駆けつけた要に清人を預けて、護は禍津日神の後を追った。

「少しは怒ってくれましたか?」

 楓が禍津日神に笑いかけた。

「黄泉の穢れから生まれた災禍の神、なんて大層な肩書なのに。実は依代がいなくて寂しがってるだけの可愛い神様だった、なんてオチ、困りますよ。俺たちが貴方を降ろすのに掛けた苦労と歳月を考えてもらわないと」
「吾に何を求める。災禍の神とは如何な存在か、解しておるのか?」

 怒りで表情を失くしている禍津日神を眺めて、楓が満足そうに笑む。

「どんな存在でもいい。人をこの世から排する神であれば、それでいいのです。我々、反魂儀呪は理を壊す人間を殲滅するために存在する。その為なら、何でもしますよ」

 禍津日神が俯いた。

「そうか。なれば、応えてやろう。今、この場でな」

 禍津日神が楓に向かい、手を翳す。その手には雷が纏う。少しずつ大きくなった小さな稲玉を楓に向かって打ち放つ。
 槐が楓の前に出て受け止めようと構えた。
 その前に陣取って、護は稲玉を受け止めた。

「何をしておる、鬼。彼奴らは其方の敵であろう。愛しい直桜を吾に差し出した憎き男だ。殺しても構うまい」
「ダメです!」

 稲玉の勢いは強くて、足がズルズルと後ろに下がる。
 力を逃がそうと、何とか踏ん張る。

「直桜は槐を許すことを、まだ諦めていません。だから今、殺されては、困ります」 

 護にとっては、槐が死のうと正直どうだっていい。 けれど、陽人と三人で話した時の直桜は、まだ槐を諦めていなかった。少なくとも護には、そんな風に見えた。

「直桜が、惟神が諦めていないのに眷族が、守人の鬼神が勝手に諦めていいはずがないでしょう!」

 受け止めた稲玉を上に向かって滑らせた。勢いを殺しきれなかった稲玉が、上空に広がる雲の中に飲まれた。
 息を切らして立ち尽くす護を、禍津日神が引き寄せた。
 大きく飛んで、槐と距離を取る。

「其方は人気者だな、護。あの男、後ろからお前に呪詛を掛けようとしておったぞ。其方が救ったのはそういう男だ。良いのか?」
「今更、構いませんよ。私だって槐が大嫌いです」

 激しい息の合間に答える。禍津日神が息を吐いた。

「人とは、そういう生き物だったな。だから吾は人を愛した。惟神の神とは、元来そういう神なのだ」

 禍津日神が護を見下ろす。

「災禍の神とは悪戯に人を殺める神ではない。戒めを与える神ぞ。しかし、直桜の体の中に納まった土地神の荒魂が吾の心を尖らせる。彼奴らの狙いはそれじゃろうな」

 禍津日神の目が先を眺める。視線を追って護も同じ方に目を向けた。
 楓が祭壇に向かっている。
 まだ何かをするつもりのようだ。

「これ以上、何をするつもりだ」
「神が与える戒めは天災よ。台風、雷、地震、日照り。それらが結果として人の命を奪うのだ。しかし時として、神は人を直に殺める。大方、吾の心を尖らせるために、荒魂を暴れさせる算段であろう。実に、くだらぬ」
 
 心底詰まらなそうに、禍津日神が吐き捨てた。

「召喚する相手を間違うたな。妖怪なり悪鬼なり呼べば期待に応えてくれたろうが。たとえ黄泉の穢れに塗れた神力を纏おうが、吾も神だ」

 確かにその通りだと思う。
 今、目の前にいる禍津日神は、そこまでの悪い神には見えない。犬の姿で長らく接してきた枉津日神の穏やかさの延長に思える。

「くだらぬ人間の目論見など、どうでも良いが。これ以上、清人が傷つく事態だけは避けたいの」
「え?」

 禍津日神の呟きに、思わず顔を上げる。
 見上げると、禍津日神がニヤリと口端を上げて護を見下ろした。

「直桜は我に溶けずに留まっておるぞ。あれだけ痛めつけられ呪詛をかけられても自我を残せるとは立派よ」
「本当ですか⁉ 直桜は、無事なんですね!」

 掴みかかる勢いの護に向かい、禍津日神が悠然と頷いた。

「そのせいか体の中に納まった土地神たちの荒魂が大人しい。必死に抑えておるのだろう。直日の力も借りずにな」
「直桜……」

 直桜が自身の霊力だけで自我を保ち荒魂を抑えている。それこそが、忍との訓練の成果なのだと思った。
 見えない場所で直桜も戦っている。
 直日神が封印されている今、直桜の霊力だけが荒魂を抑える唯一の望みだ。
 一刻の猶予もないと感じた。

「しかし、呪法で刺激されては、わからぬぞ。荒魂が暴れ出せば悪神と化した吾に呑まれて、直桜の魂は掻き消える」

 顔が引き攣れるのが、自分でもわかった。
 禍津日神が護をじっと見据える。

「直桜を、土地神を、救いたいか? 鬼神。その為ならば、何でもできるか?」

 護は迷いなく頷いた。

「なれば、耳を貸せ」

 くぃ、と指で呼ばれる。戸惑いながらも、耳を近づけた。
 話を聞くうちに護の顔から血の気が引いた。
 耳を離して、禍津日神を見上げる。

「そういう具合じゃ。清人を吾に寄こすなら、直桜を無事に返してやる」
「差し上げます。清人さんなら丸ごと全部差し上げますが、本当に大丈夫なんですか?」
「その言葉、忘れぬぞ、鬼神よ。其方が約束を守るなら、吾は約束を違えぬ。今は、災禍の神の禍を信じよ」

 禍津日神がクックと笑う。
 その顔は、今日一番に楽しそうだった。
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