仄暗い灯が迷子の二人を包むまで

霞花怜

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第48話 卵焼き

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 二週間と伝えられていた訓練期間はあっという間に過ぎて、気が付けば九月になっていた。
 警察庁の地下十三階に籠りっきりでいると、時間も日付の感覚も鈍ってくる。
 キッチンに立って食事の支度をしている忍の姿と体感的に、今は恐らく朝なんだろう。テーブルに頬杖をついて、朝食を作ってくれる忍の背中を、直桜はぼんやりと眺めていた。

「調子はどうだ? 仕上がりは悪くないと思うが。体の変化に脳は順応しているか?」

 コーヒーを差し出されて、受け取りながら頷く。

「多分、大丈夫。思ったより馴染んでる。直日の神気も前より扱いやすくなったよ」
「直桜と直日神の魂は、ほとんど融合している。直日神の神気は直桜の霊力そのものだ。今なら直日神が本気で神力を使っても直桜の体が壊れることはないだろう」

 直桜の頭に手を置いて、忍が微かに笑んだ。
 その顔を呆けて見上げる。

(もっと早くに俺が本気でこの訓練をしていたら、もっと何かが違っていたのかな)

 少なくとも十年前の呪詛事件に槐が関わることはなかったのかもしれない。未玖だって、呪詛にならずに済んだのかもしれない。
 忍の手が直桜の頭を鷲掴みにした。

「今だからこそ、成し得た。今の直桜でなければ、本気で俺の訓練を受ける気にはならなかっただろう。タイミングは大事だ。もしもの話を考えすぎるな」

 手を離してキッチンに戻っていく忍の後姿を気まずい顔で見送る。

(また考えを読まれた。あんなの、心を読んでるのと同じだ)

 長く生きていると表情を見ただけで何を考えているかわかるものなのだろうか。自分がそれだけわかり易いのかと思うと、複雑な気持ちになる。

「今の直桜だから出来ることも多い。十年前の、体が出来上がる前の幼い直桜では禍津日神をその身に降ろすことはできなかった」

 忍がサラダの大皿をテーブルに置く。

「禍津日神の神降ろし、ひいては神喰いは命懸けの神事だ。直桜の覚悟が決まるまで、待ってもいいが?」

 忍の目が、直桜に向いた。

「命懸けの神事、他の惟神と違って俺は経験していないからね。けど、やるよ。覚悟がなきゃ、訓練なんか受けてない。だから、何時やっても一緒だよ」

 惟神は本来、神を受け入れるだけの人間を作り上げて、そこに神事で神を降ろす。しかし、直桜の場合は生まれた時から直日神が宿っていたので、神事が必要なかった。

「そうか」

 笑んだ忍の瞳は、先ほどより嬉しそうに見えた。

「むしろ俺より、護の方が……」

 言いかけた言葉を飲み込んだ。
 護も同じように訓練を受け、神喰いの神事に備えている。直桜が心配したところで、変わらない。事ここに及んでは、信じるしかない。

(俺が護を見縊ってちゃ、失礼だよな。相棒なんだから)
 
「直桜……」
「いや、何でもない。それより、サラダ多くない? 他にも誰かくるの?」
「十二階の訓練も終了しているはずだから、一緒に食事をとる。それと、お前たち二人をサポートする他部署の人間を紹介する予定になっている」
「マジか。大人数じゃん。何か手伝うよ」

 立ち上がりキッチンに向かう。

「料理、出来ないんじゃなかったか?」
「今までやったことなっかたけど、最近は護が作ってるの見て覚えたりしているから、ちょっとは出来るよ。指示してくれたら言われた通りにする」
「卵、割れるか?」
「割れる! 卵焼きなら作れる。……焦がすけど」
「俺が焼くから、卵を割って混ぜてくれ」
「わかった」

 クスリと笑って、忍がフライパンを温め始める。
 その隣で、卵を割ってカシャカシャと混ぜる。

「思ったより悪くない手つきだ。直桜は全体的に器用だな」
「卵の割方もだけど、料理はちょっとずつ護に教えてもらってるんだ。集落にいた頃はやらせてもらえなかったけど、興味あったから。大学入って一人暮らしの間も、ちょっとはしてたけど、巧く出来なかったんだよね」
「なるほど。教える者がいた方が上達するタイプか」

 卵を混ぜたボールに、忍の指示通り調味料を混ぜていく。

「護の卵焼きと使う調味料が違うんだよね。忍の卵焼き、美味しいから家でも作っていい?」 
「構わないが、焦げたら元も子もないぞ」
「……焼くのは護にやってもらう」
「なら次は、卵焼きを作る訓練でもするか」

 忍の横顔が楽しそうで、直桜まで楽しくなった。
 兄という存在がいたなら、こんな感じかもしれないと思った。

(槐も陽人も兄貴みたいな存在だけど、なんか違うしな)

「訓練を受けたくなったら、いつでも声を掛けろ。直桜の霊力はまだ上限ではない。霊力の絶対値も力の使い方も、伸びしろはいくらでもある」
「うん、また、お願いするよ」

 忍が卵を焼く手元に視線を落としながら、呟く。

「13課を選んだ以上、直桜には相応の強さが求められる。自分が孤高の存在であることは自覚しておけ。慢心や奢りではない、事実としてな」

 フライパンを反す腕の動きを覚えながら、頷く。

「そうだね。そうする」

 自分にとって普通なことが、他者にとってはとんでもなく難しい。そんなことは今まで山ほどあった。自分より優れた人間に出会ったことなど、ほとんどない。
 けれど、目の前で卵焼きを焼いている男は、何もかもが直桜より優れている。そんな男に言われた言葉なら素直に聞き入れようと、流石の直桜でも思う。

(今の自分だから、思うのかもな。惟神として13課で生きるって、決めたから)

 13課に来なければ、忍に出会うこともなかった。そういう意味では来て良かったと素直に思える。

「忍、ここ、ちょっと焦げてる」

 指さした端を、忍が無表情に眺める。
 一見、無表情なその顔が、ちょっとした気まずさを含んでいると気が付けるようになったのも、この二週間の訓練の賜物かもしれない。
 直桜は菜箸を出して、焦げた部分を取り、口に放り込んだ。

「あとは切り分ければ、わからないね」

 焼き上がった卵焼きをまな板の上に降ろす。

「じゃぁ、切っておいてくれ」

 そそくさとみそ汁を作り始める忍の姿は可愛いと思いつつ、直桜は包丁を手に取った。
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