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第35話 真の黒幕
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爽やかだった風はすっかり色を変えて、乾いた空風が冬を連れてこようと空から流れ吹く。
新しく生まれ変わろうとする芽吹村を遠くの高台から眺めて、零は地面に横たわる太い古木の根に腰を下ろした。
「ま、まずまず良い方向に転んだのじゃぁねぇのかぃ」
隣に腰かける小柄な初老の男は零の言葉に、にっこりと笑みを返した。
その顔を見て零は、げんなりとした顔をする。
「全く、あの訳の分からねぇ成金に良い顔をしながら、俺たちにしっかり仕事を依頼してくるんだからなぁ、親父様は。毎度ながら、腹の見えねぇお人だよ」
男性は、ほっほと笑って顎髭を撫でた。
「誰にでも良い顔をするというのは難しいものだなぁ、零よ」
わざとらしい言い回しに溜息を吐く零に、男は続ける。
「一事が万事善人、というのは絵空事だと思わぬか。そのような虚構で、一体誰が救えようなぁ」
呆れた顔をして、零は肘をついた手に拗ねるように顎を乗せた。
「俺にゃぁ、わからねぇなぁ。そんな理由で佐平次みてぇな野郎を泳がせる幕閣の考えることなんざぁよ」
「人と言わず幕閣、と言うのが如何にもお主らしいのぅ、零」
間髪入れずに飛んできた言葉に、零はあからさまに目つきを変えた。
「まぁ、そう怒るな」
簡単にいなして、男はくすりと小さく笑う。
「あの男もあれで、悪さばかりをしていたわけでもない。お主の術で残った魂分の功績くらいは称えてやらねばなぁ」
口を開きかけた零より早く、男は話を続ける。
「どんな法を用いても、救えることもあれば救えぬこともあろうよ。しかしなぁ、何もしなければ何も救えぬよ。それだけは紛れもない事実、そうだろう」
開きかけた口を閉じて言葉を飲み込んだ零をちらりと覗いてから、男は芽吹村の方に視線を向けた。
人の目では到底見えるはずの無い遠くの村の光景がまるで見えているような顔で、男は言う。
「淘汰されるだけでは泡のように消えてしまう。抗うことも時に勇気、流されることもまた然りじゃ。それがたとえ身を結ばずとも、無駄であるとは思わぬよ。しかし此度は良く結んだ。それもお主ら、あやし亭のお陰だ。礼を言うよ」
ぺこりと頭を下げる男を見下ろして、零は盛大な溜息を吐き捨てた。
「相変わらず、人臭ぇ狸じじぃだ」
「お主には儂の言うことが解せよう。お主にも半分はこの田沼と同じ、人の血が流れているのだから」
嫌味を笑って受け止めて、それ以上の言葉を投げてくる田沼に、零が間髪入れずに返す。
「あんたと同じ血じゃぁねぇよ」
ははっと笑い、田沼は立ち上がった。
「送りは、いらねぇのか?」
零の声には振り返らずに、田沼は手を振る。
「時には良く歩かねば、足腰が弱ってしまうからな」
山道を、ものともせずにひょいひょいと歩く。
あっという間に小さくなる背中を眺めて、零は疲れたように笑う。
「親父様の方が、鬼なんじゃねぇのか」
零は鬼だが、半分人の血の混じった人鬼だ。
だからこそなのか、田沼の言は少なからず理解できる。
田沼が今回の件をどこまで予測し、どんな結果を望んでいたのかは知らない。
だが、それなりに上々、と思っていることも。
少しだけ苦い気持ちを噛み潰して、零は立ち上がった。
冴えた空色を見上げて、ぽつりと呟く。
「さぁて、帰るかねぇ」
大きな背中を小さく丸めて零は一人、とぼとぼと隠れ家に向かい歩き出す。
萬事処あやし亭と田沼意次の紡ぐ怪奇譚は、今迄も暫らくの間、続くことになる。
新しく生まれ変わろうとする芽吹村を遠くの高台から眺めて、零は地面に横たわる太い古木の根に腰を下ろした。
「ま、まずまず良い方向に転んだのじゃぁねぇのかぃ」
隣に腰かける小柄な初老の男は零の言葉に、にっこりと笑みを返した。
その顔を見て零は、げんなりとした顔をする。
「全く、あの訳の分からねぇ成金に良い顔をしながら、俺たちにしっかり仕事を依頼してくるんだからなぁ、親父様は。毎度ながら、腹の見えねぇお人だよ」
男性は、ほっほと笑って顎髭を撫でた。
「誰にでも良い顔をするというのは難しいものだなぁ、零よ」
わざとらしい言い回しに溜息を吐く零に、男は続ける。
「一事が万事善人、というのは絵空事だと思わぬか。そのような虚構で、一体誰が救えようなぁ」
呆れた顔をして、零は肘をついた手に拗ねるように顎を乗せた。
「俺にゃぁ、わからねぇなぁ。そんな理由で佐平次みてぇな野郎を泳がせる幕閣の考えることなんざぁよ」
「人と言わず幕閣、と言うのが如何にもお主らしいのぅ、零」
間髪入れずに飛んできた言葉に、零はあからさまに目つきを変えた。
「まぁ、そう怒るな」
簡単にいなして、男はくすりと小さく笑う。
「あの男もあれで、悪さばかりをしていたわけでもない。お主の術で残った魂分の功績くらいは称えてやらねばなぁ」
口を開きかけた零より早く、男は話を続ける。
「どんな法を用いても、救えることもあれば救えぬこともあろうよ。しかしなぁ、何もしなければ何も救えぬよ。それだけは紛れもない事実、そうだろう」
開きかけた口を閉じて言葉を飲み込んだ零をちらりと覗いてから、男は芽吹村の方に視線を向けた。
人の目では到底見えるはずの無い遠くの村の光景がまるで見えているような顔で、男は言う。
「淘汰されるだけでは泡のように消えてしまう。抗うことも時に勇気、流されることもまた然りじゃ。それがたとえ身を結ばずとも、無駄であるとは思わぬよ。しかし此度は良く結んだ。それもお主ら、あやし亭のお陰だ。礼を言うよ」
ぺこりと頭を下げる男を見下ろして、零は盛大な溜息を吐き捨てた。
「相変わらず、人臭ぇ狸じじぃだ」
「お主には儂の言うことが解せよう。お主にも半分はこの田沼と同じ、人の血が流れているのだから」
嫌味を笑って受け止めて、それ以上の言葉を投げてくる田沼に、零が間髪入れずに返す。
「あんたと同じ血じゃぁねぇよ」
ははっと笑い、田沼は立ち上がった。
「送りは、いらねぇのか?」
零の声には振り返らずに、田沼は手を振る。
「時には良く歩かねば、足腰が弱ってしまうからな」
山道を、ものともせずにひょいひょいと歩く。
あっという間に小さくなる背中を眺めて、零は疲れたように笑う。
「親父様の方が、鬼なんじゃねぇのか」
零は鬼だが、半分人の血の混じった人鬼だ。
だからこそなのか、田沼の言は少なからず理解できる。
田沼が今回の件をどこまで予測し、どんな結果を望んでいたのかは知らない。
だが、それなりに上々、と思っていることも。
少しだけ苦い気持ちを噛み潰して、零は立ち上がった。
冴えた空色を見上げて、ぽつりと呟く。
「さぁて、帰るかねぇ」
大きな背中を小さく丸めて零は一人、とぼとぼと隠れ家に向かい歩き出す。
萬事処あやし亭と田沼意次の紡ぐ怪奇譚は、今迄も暫らくの間、続くことになる。
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