『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

96.時の回廊 迎合

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 真っ暗な闇の中を、紅優は真に乗って走った。
 白い靄が紅優を通り過ぎていく。
 一際黒い闇が、山のように大きくそびえたって見えた。
 その腕の中に人が見える。
 
「蒼愛!」

 振り向きそうになった顔を、大きな黒い手が制した。

(あれは、大蛇の長の、八俣……か?)

 前に翳した手から炎玉を打ち付ける。
 炎が八俣の肩を抉った。

「紅優……、紅優、僕を、助けて!」
「当たり前だよ」

 そのためにここに来た。
 幽世だろうと八俣だろうと、誰にも蒼愛は渡さない。
 紅優は飛び上がり、真から下りた。
 駆け出した真が八俣めがけて突っ込んだ。
 蒼愛を抱く腕に噛みつく。
 怯んで緩んだ隙を付いて、蒼愛の体を奪うと、八俣に並び立った。

「蒼愛も色彩の宝石も渡さない。俺はお前に殺されもしない」

 真が紅優と蒼愛を庇って前に陣取った。
 闇に浮いた赤い双眼がニタリと笑んだ。

「瑞穂ノ神に色彩の宝石、守護神たる側仕。幽世が望んだ神が揃ってしまったね」

 何の感慨もなく、八俣が零した。

「私が欲しいのは蒼愛だけだよ。可愛い蒼愛を手に入れて愛でたい、それだけだ。欲しいものは粗方、手に入れたからね」

 八俣の言葉が信じられなくて、顔が険しくなる。
 腕の中の蒼愛が、こくりと頷いた。
 どうやら、嘘ではないらしい。

「蒼愛を手に入れるためなら、瑞穂ノ神を殺す。神を殺す。側仕を殺す。幽世を壊す。蒼愛以外は必要ない」

 八俣の言葉はまるで、少し前の自分が発した言葉だった。

(同じだ。だから幽世は大蛇と変わらないと言っていたのか)

 蒼愛を奪われて気が動転していたとはいえ、危険な思想だったのだと改めて理解できた。

「ならば俺は幽世を守る。蒼愛と生きるこの国を守る。俺たちが作ってきたこの国が、蒼愛の生きられる場所ならば、全力で守る。俺はそんな風に、蒼愛を愛する」

 腕の中の蒼愛が、紅優に抱き付いた。
 ぴたりとくっ付く体と体温が、安心をくれた。

「会いに行くよ、八俣。千年以上、この幽世ができてから、神々は誰一人、お前と向き合わなかった。瑞穂ノ神として話をしよう。ただし、蒼愛は渡さない」

 闇のような大男が、身を翻した。

「蒼愛以外に興味はないが、それも悪くない。大蛇の領地に神が足を踏み入れるのは、初めてだ。神々が知らぬ事実が知れるだろう」

 八俣の気配が消えていく。

「待っているよ、蒼愛。私なら紅優より深くお前を愛せる。お前が知らない愛を私が教えよう」

 八俣の視線が蒼愛に向く。
 その視線から逃げるように、蒼愛が紅優の着物に縋り付いた。
 闇に浮いていた双眼がなくなって、気配が完全に消えた。

「一先ず、回廊を出た方がいい。すぐそこが出口だ。行きましょう」

 真に促されて、紅優は蒼愛を抱いたまま歩き出した。

「待って、あそこ」

 蒼愛が天井を指さす。
 歩き出した先に、光が見えた。
 闇の中にぼんやりと浮かんだ光から、声がした。

『やっと答えを出したね、紅優。神となる覚悟は、決まった?』

 幽世の声が問う。
 紅優は腕の中の蒼愛を見詰めると、光に向き合った。

「この国に来たばかりの頃、俺は神の真似事をして、国を造るために奔走していた。もうすっかり忘れていた。その為に削った心も、失った命の意味も、忘れてはいけない、大事な自分の基礎だったのに」

 佐久夜を喰った後悔ばかりが先だって、そうなった経緯なんて忘れていた。
 いや、忘れようとしていた。
 あの頃の醜い自分の心と向き合うのが怖かった。

「蒼愛に出会って、この国がまた美しく見えた時、自分の目はすっかり褪せていたんだと気が付いた。蒼愛が、色彩の宝石が、俺を瑞穂ノ神に選んでくれるのなら、またあの頃のように、あの頃以上に優しくて平和な国を造りたいと思う。それはきっと、俺にしか成し得ない」

 紅優の喰い方は優しい。そう言ってくれた蒼愛が紅優を選んでくれたのなら、その期待に応えたい。
 蒼愛にあげられるものは、まだまだたくさんあると思った。
 縋りついていた蒼愛が顔を上げた。

「だからもう、俺から蒼愛を奪わないでほしい。蒼愛から俺を奪わないでほしい。蒼愛がいなければ、俺は俺を保つことも出来ない。情けない妖狐なんです。約束してくれるなら、この命が続く限り、この国を守り続けると誓いましょう」

 光に向かい、小さく礼をする。
 光から漏れる声が笑った気がした。

『同じ願いを唱えるんだね。いいよ、約束しよう。幽世はもう、二人を引き離さない。幽世は幽世のために、二人を守り続けよう。瑞穂国をよろしく頼むね。大きな問題が、残っている』

 紅優は顔を引き締めた。

『二人が永劫、添い遂げられるように。この国が、優しく幸せな国であるように。幽世も願っている』

 目の前の光がしぼんでいく。
 小さくなって、闇に消えた。
 白い靄が消えて、真っ暗だった周囲が明るくなり始めた。
 気が付けば、来た時に入った回廊の入り口に、三人は立っていた。

「……試練、終わったね」

 紅優は、蒼愛の髪を撫でた。
 蒼愛が顔を上げた。目が潤んでいる。

「紅優、紅優、紅優!」

 強く抱き付く蒼愛を、紅優は抱き止めた。

「八俣、怖かったね。蒼愛、よく頑張ったね」

 何故、八俣があんなに蒼愛に執着しているのか、よくわからない。
 会ったこともない相手からのラブコールは、普通に怖いだろう。

「八俣も、怖かったけど。紅優に会えない時間の方が怖かった。信じてたけど、絶対また会えるって信じてたけど……」

 蒼愛が紅優に腕を伸ばす。
 紅優は蒼愛を抱き上げた。

「会いたかった、紅優。もう離れたくないよ。大好きだよ。心配かけて、ごめんね」

 首に縋り付く蒼愛に唇を重ねる。
 久しぶりの感触に、紅優の心が震えた。

「謝るのは、俺の方だね。幽世が試したのは、きっと俺だ。蒼愛に比べて、俺の覚悟が足りなかったんだ。時の回廊の中で、佐久夜に会って思ったよ。井光さんにも、いっぱい叱られた」
「佐久夜様とお話しできたんだね」

 蒼愛が心配そうな顔で見詰める。

「佐久夜の本当の気持ちを聞いて、俺も隠してた気持ちを正直に話してきた。佐久夜は俺が喰ったんじゃなくて、自分から俺に溶けたんだ。それくらい、命を手放したくなるくらい、俺を愛してくれていたんだ」

 蒼愛の顔が表情を止めた。

「俺は向き合うのが怖くて、火ノ宮に何度足を運んでも佐久夜が住んでいた庵にはいかなかった。だから、気が付かなかったんだ。佐久夜の本当の気持ち。大事な、本音に」

 紅優は蒼愛に向き合った。

「火ノ宮の奥に、佐久夜が暮らしていた場所がある。今度一緒に、行ってくれる? 佐久夜が残してくれた言葉をちゃんと聞かなきゃいけない。綺麗な花の中に想いをたくさん残してくれているはずだから」

 蒼愛が微笑んで紅優を見上げた。

「紅優が嫌じゃないなら、僕も一緒に行きたい。佐久夜様がどんな神様だったのか、知りたい」

 そういって頬擦りしてくれる蒼愛が嬉しかった。
 真が不思議そうに二人の顔を見上げている。
 蒼愛と紅優は揃って真に目を向けた。

「なぁ、二人とも、目の色、変わってないか?」

 鼻をヒクヒクさせながら、真が狼の顔を寄せる。
 蒼愛と紅優は互いの顔を見合わせた。

「紅優、目が、紅くて蒼い」
「蒼愛の両目も、蒼くて、紅いね……」

 祭祀の後、左目を交換して、互いに片目だけが紅と蒼に変わっていた。
 今の蒼愛は、両眼とも蒼い目に紅い瞳孔が輝いている。
 きっと自分も紅目に蒼い瞳孔に変わっているのだろうと思った。

「まるで目が混ざったみたいだな。お揃いみたいに見えるぜ」

 真が嬉しそうに言ってくれた。
 その言葉で、やけに嬉しくなった。

「うん、ちゃんと混ざった。ようやくちゃんと、混ざったんだね」

 試練を終えて、幽世が約束の証をくれたように思えた。
 胸に大きな安堵と強い使命感が湧き上がった。

「蒼愛、これから俺と、色彩の宝石と瑞穂ノ神として、一緒に生きてほしいんだ。御役目は大変かもしれないけど、俺はやっぱり、蒼愛と生きるこの国が大切で、大好きなんだ」

 蒼愛と生きるこの国は、佐久夜と造った、共に生きた国だ。
 関わってくれた総ての大切な神や妖怪が暮らす国だ。
 紅蓮だった頃に必死に造ってきた国は、紅優になって愛すべき場所になった。
 蒼愛が紅優の顔に抱き付いた。

「大変でもいい。紅優と生きられるなら、何だってできるよ。僕もう、弱音吐いたりしない。ちゃんと頑張るから」
「弱音、吐いていい。駄々こねて泣いていい。一緒なら、何回泣いたって、前を向けるよ」

 蒼愛の頬に口付ける。
 蒼愛が花が咲くように笑った。

「弱くてもいいって、折れてもいいって言ってくれる紅優が、大好き。一緒に頑張ろうね」
「弱くていいって、悲しんでいいって、俺に教えてくれたのも許してくれたのも、蒼愛だよ」

 蒼愛の笑顔に笑みを返す。
 醜い自分や弱い自分を教えてくれたのは、佐久夜だ。
 向き合うきっかけをくれたのは、井光だ。
 諦めそうになった心を支えてくれたのは、真だ。
 弱さを許してくれたのは、蒼愛だ。
 今の自分を作ってくれたのは、支えてくれたたくさんの存在だ。

(大切な存在が生きるこの国を俺が守るんだ。これから蒼愛と、支えてくれる皆と守りながら造って行くんだ)

 いっそ神になりたいと願った無力な妖狐は、千年経って本物の神になった。

(けど、あの頃とは違う。隣に蒼愛がいる)

 蒼愛とならきっと、弱い自分を曝け出して、強くなれる。
 そういう生き方ができる。
 
 やっと帰ってきてくれた愛しい人を抱いて、紅優は安堵と幸せに浸っていた。
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