『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

95.時の回廊 蒼愛③

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 暗い廊下が暗いまま、白い靄が避けた。
 更に暗い何かが、蒼愛の前に大きく立ち塞がった。
 赤く濁った鬼灯の双眼が、蒼愛を見下ろしていた。
 
「色彩の宝石、蒼愛。やっと手が届いた。私の元に来るべき、国の要」

 男の手が伸びてくる。
 その手が、蒼愛の目の前で止まった。

「貴方とは、ちゃんと会ってお話をしたいと思っています。だから、会いに行きます。けど、一つだけ、今この場で聞きいておきたいです」

 濁った赤い双眼が弧を描いた。

「何だい? 今なら何でも、正直に応えよう」

 蒼愛は拳を握り、目を上げた。

「大蛇の八俣。貴方が本当にしたい事は、何ですか? 紅優を殺して瑞穂ノ神になりたいですか? そのために色彩の宝石である僕が欲しいですか? 国を手に入れたいですか?」

 八俣の目が弧を描いたまま、蒼愛を見詰める。

「総て、正解だ。だから蒼愛は、私のモノになり、私を愛するべきなんだよ。紅優を死なせたくないのなら、番を解消し、私の元においで」

 蒼愛は、色んな人の色んな言葉を思い返していた。
 
(志那津も月詠見様も、八俣は紅優を殺して僕を手に入れて瑞穂ノ神になろうとしていると話してた)

 白狼の里を襲って絶滅させたり、湖を汚して他の生き物を殺したり。
 紅優の屋敷に盗みに入って人間を喰ったり、宝石の人間が揃わないように間引いたり。
 大気津の神力を利用して人をおびき寄せ、餌の人間を飼育したり。
 大蛇の一族の行動はまるで身勝手で自分たちの種族しか考えていないように映る。

「貴方が、神様になって、したいことは、何?」

 疑問はするりと口から零れた。

「総てを手に入れた後に、何がしたいの?」

 赤い目は、変わらず蒼愛を見詰める。

「私の理想は、色彩の宝石には理解できない。だから、理解できるお前にしてやろう。私と同じように考えられる思考を、私が与えてやろう」

 八俣の手が伸びて、蒼愛の頬を撫でた。
 赤い目が近付いてくる。濃い瘴気が蒼愛を包んだ。

「誤魔化さないと、理想すら、語れないの?」

 近付いた唇が直前で止まった。
 蒼愛は八俣の目を見詰め続けた。

「呪詛や妖術で思考を塗り替えて、濃い瘴気で相手の正気を奪わなければ、自分の気持ちを、伝えられないの?」

 八俣の顔から笑みが消えた。

「僕はこの国を守りたい。大好きな紅優は僕が守る。瑞穂ノ神は、この国を守ることを諦めない。だから色彩の宝石が支える。クイナが作った理想郷を壊させたりしない」

 目の前の赤い目が色を失くして蒼愛を眺める。

「僕の気持ちは伝えたよ。だから次は、貴方の本当の気持ちを聞きに行く。時の回廊からじゃなくて、本物の貴方に会いに行く。その時は誤魔化さないで、正直な八俣の気持ちを教えてほしい」

 赤い目が、笑んだ。

「あぁ……、やはり欲しいな、蒼愛。誰よりも美しい魂、神々に愛される存在、この国の宝。お前に愛されたい。私の望みは、それだけだよ」

 冷たい唇が、蒼愛の唇に重なった。
 逃げようとした体が、抵抗を忘れた。
 瘴気を流し込むのでもなく、呪詛や妖術を掛けるのでもない。
 只々、感触を確かめるように重なった口付けは、あまりにも冷たくて、切ない胸の内が流れ込んでくるようだった。

「もっと深く、お前を愛したい。お前に愛されるためなら、何だってしよう」

 蒼愛の唇をなぞる八俣の指は、唇と同じくらい冷たかった。

「本当に、それだけ?」

 驚きを隠せない声で、蒼愛は問う。
 八俣が愛おしそうに蒼愛を見下ろす。

「神々や幽世にまで愛されるお前は、瑞穂ノ神を排し、国を奪わなければ、手に入らない。お前が私を認識し、気に掛け、会いに来るよう仕向けた。やっと私の方を向いたね、蒼愛」

 八俣の指が蒼愛の頬を撫でた。

「会える時を待っている。お前に直に触れ、逃げない体を愛でられるその日を、心待ちにしている。私は、魂が震えるほど、蒼愛が欲しい」

 八俣の腕が蒼愛の背中に回り、引き寄せた。
 小さな体を、黒く大きな体が抱き包む。
 冷たい手のあまりに優しい仕草に、蒼愛は動けなかった。

「どうして? 僕は貴方に会ったことなんか、ないのに」

 どうして八俣に、こんなにも求められるのかわからなくて、混乱する。
 思考が纏まらなくて、動けない。

(瑞穂ノ神になるために色彩の宝石が欲しいって言われた方が、納得できる。けど、八俣の言い方はまるで、純粋に僕を求めているみたいで)

 皆が考えを巡らして知恵を絞っていた八俣の行動が、すべて蒼愛個人を手に入れるためだったなんて、受け入れられない。

「ずっと見ていた。お前がこの幽世に来た瞬間から。美しい魂が放つ光に惹かれていた。紅優が羨ましかった」

 八俣が蒼愛の体を強く抱きしめる。
 頬に、触れるだけのキスを落とした。

「今、この瞬間のお前が私にとって幻でも、震えるほどに嬉しい。ようやく触れられた。愛する蒼愛、早く私に会いにおいで」

 八俣の顔が上気して見える。
 嘘を吐いている顔でも、誤魔化しているようにも見えない。
 それが酷く、恐ろしかった。

「呪詛も瘴気も使わず、誤魔化さずに本音を話した。蒼愛の希望に答えた私に、蒼愛をおくれ」

 顔を上向かされて、唇が落ちてくる。
 避けたいのに、逃げたいのに、体が動かない。

 後ろから、何かが飛んでくる気配がした。
 真っ赤に燃え盛る炎の玉が、八俣の肩を抉った。

「蒼愛!」

 聞き慣れた大好きな声が蒼愛を呼んだ。

「……紅優?」

 振り返ろうとする蒼愛の顔を、八俣がやんわりと押さえつけた。

「時の回廊で振り返ってはならない。友達の芯に教わっただろう? 蒼愛は私の腕の中にいるといい。もう、戻れないのだから」

 戻れない、と言われて、体から力が抜けた。
 まるで八俣の呪縛から戻れないと言われているようで、全身が恐怖に震える。

「紅、優……、紅優! 僕を、助けて!」
「当たり前だよ」

 声だけが、はっきりと聞こえた。
 紅優が助けてくれる。そう思ったら、目が潤んだ。
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