『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

92.時の回廊 蒼愛①

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 重厚な門をくぐり、中に入るとすぐに入り口があった。
 引き戸の扉が両方開いている。
 中に上がり、右側の廊下に入った。

「回廊だから、ぐるっと一周して戻ってくる感じだよね」

 回廊全体が熱を発しているのがわかるのに、辺りはやけに暗い。
 ドライアイスのような白い煙が足下から周囲を囲んでいて、視界も悪い。
 しばらく歩くと、白い靄が薄くなって、少しだけ周囲が明るくなった。
 
「……、芯?」

 薄らと浮かび上がった背中を振り返る。
 芯が、笑顔を向けていた。

「蒼愛、ちゃんと幸せになってるか?」

 駆け寄って、芯の手を握る。

「僕の名前、知ってるの?」

 芯が生きていた頃の蒼愛の名前は蒼だった。
 今の名前を芯が知るはずはない。

「そりゃ、知ってるだろ。おれは紅優様に溶けたんだぜ。だから、一文字の頃の名前は呼べないぜ」

 芯に二文字の名前で呼ばれるのは、こそばゆい。
 蒼愛の頬に芯が手を伸ばした。
 霊元が開く前は、芯の方が背が高かった。今は、蒼愛の方がずっと大きい。

「背が伸びたけど、前と雰囲気が変わんねぇな。けど、蒼愛は明るくなった。笑うようになったよな」

 芯が笑ってくれて、嬉しくなった。

「うん、そうかも。前より素直に話せるし、笑える。全部、紅優のお陰で、僕と出会ってくれた、僕を大事にしてくれる皆のお陰だよ」

 芯が満足そうに頷いた。

「ちゃんと約束、守ってるな」

 芯が腕を引っ込めて、蒼愛の隣に並び立った。

「この先に、蒼愛が会いたい奴が待ってる。後悔しないように、話して来いよ」

 芯が蒼愛の背中を押した。
 強い力じゃないのに、体が前のめりになって数歩、歩いてしまった。
 芯が蒼愛の背中に手を添えた。

「進んだら、振り返るな。時の回廊は、戻れない。前に進むだけ。でないと、迷って出られなくなる。真っ直ぐ進め」

 後押しするように、芯が蒼愛の背に添えた手を押した。

「芯! 待って、僕ね!」

 芯の手が、蒼愛の背中に触れたまま止まる。
 この手が離れたら、きっともう、芯と話はできないんだろうと思った。

「芯と交わした約束、ちゃんと守ってる。諦めてないし、幸せだよ。これからもちゃんと、幸せになるから。芯を絶対、忘れないから。だからね、僕、芯にこの国で会えて、良かった。本当に良かったって、思ってるよ」

 後ろで芯が、小さく笑った。

「蒼愛になっても、やっぱり泣き虫だな。嬉しい話をしても、蒼愛は泣くんだ」

 芯が、蒼愛の背中に抱き付いた。

「俺も、蒼愛に出会えて良かったよ。俺を逃がそうとしてくれたり、俺の病気の話、内緒にしてくれた。一緒に笑ってくれた。ありがとな。理研にいた時よりずっと仲良くなれて、嬉しかった」
「その話、どうして知って……」
「振り返るな!」

 強い言葉に、動きかけた体が止まった。

「何があっても、何を言われても、振り返るな。戻るな。それが時の回廊のルールだ。絶対守れよ」
「わかった」

 この芯は、もしかしたら本物ではないのかもしれない。
 蒼愛に都合のいい芯を、回廊が作り出しているのかもしれないと思った。

「あの時、芯と交わした約束は、僕の宝物だよ。絶対に忘れないし、叶えて見せるから」
「ああ、約束だぜ。紅優様は寂しがり屋だから、ちゃんと側にいてやれよ。俺の分まで、幸せに生きろよ」

 芯が体を離して、今度こそ蒼愛の背中を押した。
 手が離れて、蒼愛は歩き出した。

「理研にいた頃、蒼愛は二十八番だったろ。俺、二十六番だったんだぜ。番号が近いから、覚えてたんだ。蒼愛が全然気が付いてないのも知ってた。これからは、もっと他人に興味持てよ」

 芯の声だけが聞こえた。
 振り返りたい衝動を必死に抑えた。

「僕が、知らない話だ。やっぱりあれは、本物の芯なのかな」

 そうだとしたら、嬉しい。
 約束の御礼ができて、良かった。

「芯には、もっともっと伝えたい話があったのに、うまくいかないや」

 物足りない気持ちを感じながら、蒼愛は歩みを勧めた。
 白い靄が広がる暗い廊下を歩く。
 また闇が薄くなって、視界が開けてきた。
 白い靄が消えた向こうから、高校生くらいの男が現れた。

「なんや、ここはどこや」

 しきりに辺りを見回す関西訛りの声には、聞き覚えがあった。

「保輔!」

 思わず叫んで、駆け寄った。
 保輔が訝し気な顔で蒼愛を見詰めた。
 
「えっと、どちら様ですのん? ……ん? いや待て、どっかで会ぅとる気がするのやけど」

 目を細めてじっと蒼愛を見詰める保輔は、蒼愛が知っている保輔よりずっと大人になっていた。

「僕ね、理研でbugだった二十八番だよ!」
「あ! お前、魂がめちゃくちゃ綺麗やった奴やん!」

 蒼愛と保輔がほぼ同時に叫んだ。

「えらい身長伸びとるやん。あーでも、そっか。最後に会ったの、三年以上前か。成長期やしな」
「保輔も、大きくなってるね。今、何歳?」

 理研にいた頃の保輔が何歳だったのか、蒼愛は知らない。けれど、恐らく年下だったと思う。

「俺か? 十七や。お前、俺より年上やったと思うのやけど、なんや幼く見えるね」
「うん、僕、十五歳だよ。いつの間にか保輔の方が年上になってる」
「はぁ⁉ 何でや? 年齢飛び越えるって有り得る?」

 大変、常識的な驚きを返された。
 思わず、笑ってしまった。

「僕ね、霊元移植実験の後、霊元は定着したんだけど何もできないからってblunderにされて、幽世に売られたんだ。幽世は時間経過が現世より遅いから、人間みたいには歳をとらないんだって。だから保輔に年齢、追い越されたんだね」
 
 保輔の眉間に皺が寄る。
 蒼愛は慌てて、手を振った。

「売られたけどね、生きてるよ。買ってくれた妖狐の紅優が優しくてね。今は番っていうのになって、幸せに暮らしてるんだよ」

 保輔の顔が緩んで、大きく息を吐いた。

「なんや、そっかぁ。そういうこともあんねやなぁ。幸せに生きとってくれたんなら、良かった」

 心底、安堵している顔が、蒼愛には不思議だった。

「理研で保輔とほとんど話していないのに、ちゃんと覚えててくれるんだね。僕が生きてて、幸せで、安心してくれるんだね」
「当たり前やろ。理研の仲間が幸せやったら嬉しいわ。けど確かに、何回話しかけても返事せぇへん意固地やったな、お前……」

 そこまで話して、保輔が言葉を止めた。

「名前、なんていうん? 今はちゃんとあんねやろ、名前」
「蒼愛だよ。蒼に愛って書いて、蒼愛。番になった妖狐の紅優が名前をくれたんだ」

 保輔が俯きがちに、はにかんだ。

「そか、蒼愛か。可愛い名前やん。そんな良い名前くれる妖怪、絶対優しいよな。ほんまに、良かった……」

 俯いた保輔の目から、ぽろりと涙が流れた。
 蒼愛は慌てて、顔を覗き込んだ。

「え? どうしたの? どこか痛いの?」

 保輔がフルフルと首を振った。

「現世にいたって、理研の仲間は目の前で皆、死んでく。俺は無力で、何の役にも立たん。けど、蒼愛は売られても生きててくれた。それが、嬉しかってん」

 涙を拭う保輔を眺めて、思った。
 保輔は今でも理研を潰して仲間たちを救うために奔走している。
 あの時の言葉を実現するために頑張っているのだと。

「何の役にも立たないなんて、言わないでよ。僕は保輔に、いっぱい助けてもらったよ」

 保輔が涙を拭いながら顔を上げた。

「幽世に来てから、保輔に貰った言葉、いっぱい思い出したんだ。保輔が書いた本のお陰で、霊力が使えた。全部、保輔のお陰なんだ。だからずっと、ありがとうって言いたかったんだ」

 蒼愛の視界が潤む。
 保輔の顔が歪んで、また涙がこぼれた。

「なんや、これ以上、泣かすなやぁ。てか、俺の本、読んどったんかい、恥ずいわ。……ありがとう」

 涙を拭いながら顔を隠す保輔が、可愛かった。

「芯、もね。同じ場所に売られたんだけど、芯は病気で余命がなくて。でも紅優のお陰で苦しくなく最期を迎えられたよ。僕の番は、魂を優しく見送ってくれる妖狐だから」

 芯の名前を聞いて、保輔が目を見開いた。

「そか……、芯は、死んでもうたんか。けど、そうか、辛くは、なかったのやな……」

 きっともう何人も、保輔は理研の仲間を見送ってきたのだろう。
 蒼愛より沢山の仲間たちの死を目の当たりにしてきたのだろう。

(保輔も、紅優みたいにお人好しで優しい。一人一人の命に心を痛めて、自分を傷付けて)

 かえって保輔が心配になった。

「現世で、保輔を支えてくれる人は、いるの?」

 思わず聞いてしまった。

「ん、いるよ。俺も結局、理研にblunderにされてな。集魂会送りになったり、まぁ、色々あったのやけど。今は警察庁の、怪異を取り締まる13課ってとこに入れてもろてる」
「保輔がblunder? 魂の色が見えるのに? でも、そんな風に凄い部署にいるなら、理研を出られて良かったのかもね。保輔、格好良い!」

 紅優が言う通り、理研の所長の千晴は本質を見抜く目がないのだろうと思った。
 保輔がゆっくりと首を振った。

「格好良くない。全然や。俺な、鬼の遺伝子があんのやて。それで、色々あって惟神の眷族になったけど。周りがすごい人ばっかりで、俺なんか、まだまだや思うわ」

 本当に色々あったんだなと思った。
 それ以上に、惟神という言葉に驚いた。

「惟神って、クイナの子孫?」
「子孫かどうかは知らんけど、そうなんかな? クイナって始まりの惟神やろ。同じ神様を内包する惟神の眷族やねん」

 驚いて、呆けてしまった。
 こんな偶然もあるのだと感心した。

「僕が今、生きている幽世は、クイナが作った国なんだ。保輔は、凄い神様の眷族になっているんだね」

 今度は保輔の方が驚いて呆然としていた。

「クイナって幽世まで作ってもうたん? やばない? 蒼愛が住んどる幽世の話、もっと聞きたいわ」

 保輔が楽しそうに笑った。

「僕も保輔と、いろんな話がしたいよ。僕の話も聞いてほしいし、保輔の話も聞きたい。保輔とたくさんお喋りしたい」

 保輔が、クスリと笑った。

「なんや、変わったなぁ、お前。理研におった時は、話し掛けても聞こえてないんかくらい反応なかったんに。元々、明るいヤツやったのやろな。今がどんだけ幸せか、伝わってくるわ」

 やっぱり安心した顔をする保輔は、優しいのだなと思う。

「うん、幸せ。けど、僕は保輔がちょっと心配になったよ。一人で抱え込んで悲しくなったり辛くなったりしないでね。保輔を助けてくれる人に、ちゃんと寄りかかってね」

 紅優の顔が浮かび上がる。
 蒼愛に出会う前の紅優は、今の保輔のように一人で悲しみや辛さを抱え込んでいたのだろう。

「せやな。心配してくれる人も、大事にしてくれる人も、今はおるきに。もう一人で抱えんでも、平気になったよ。だから、大丈夫や」

 保輔が蒼愛に向かって手を出した。

「理研は俺がぶっ潰したる。仲間も全員救い出す。せやから蒼愛は安心して幽世で暮らしや。現世でも幽世でも、幸せでいてくれたら、それでええ。現世が安全でええ場所とも限らんよってな」

 最後の言葉は実感が籠って聞こえた。
 蒼愛は、伸ばされた保輔の手を握った。

「現世にも妖怪も神様もいるんだもんね。保輔は、そういう存在を取り締まる場所で生きているんだね」

 怪異を取り締まるというのは、きっとそういう意味なんだろう。
 蒼愛が住んでいる幽世も、保輔が生きている現世も大差なく感じた。

「もしまた、会える機会があったら、いっぱい話そうね。僕また、保輔に会いたい」

 微笑むと、保輔が照れた顔をした。

「蒼愛、笑った顔、可愛いのやな。初めて知ったわ。俺もまた蒼愛に会いたいわ。現世にも来れるのやったら、13課に遊びに来ぃや。蒼愛みたいな強い術者やったら大歓迎や」

 握った手をぶんぶん振られて、首を傾げた。

「強いとか、わかるの?」
「それが俺の能力やねん。伊吹山の鬼の力や。蒼愛はもう、人いうか神様みたいな存在やんな。感じるんも霊力やのぅて神力や。きっと住んどる幽世に必要な存在なのやろ? 今の蒼愛は間違いなくmasterpieceや。千晴の悔しそうな顔が目に浮かぶわ」

 カラカラ笑う保輔につられて、蒼愛も笑った。
 確かに、今の蒼愛と保輔を見たら、千晴は悔しがるのだろう。
 blunderのレッテルを貼った二人が神様に準じる術者になっているのだから。

「けど、今のは冗談や。masterpieceもblunderもbugもあらへん。俺らは只の蒼愛と保輔や。そんな風に、幸せになろな」

 保輔がどうしてたくさんの理研の仲間たちに好かれていたのか、わかった気がした。

(一人一人を見て、覚えてるんだ。一人の人間を、ちゃんと大事に出来る人だから、保輔は好かれるんだね)

 それはやっぱり、紅優に似ていると思った。
 理研から買った子供たちの一人一人をよく見て、よく知って覚えていた紅優の心と似ている。

「保輔は優しいね。僕の番の紅優によく似てる。好きになりそう」
「いや、浮気はあかんやろ。俺も彼女おるさけ」

 普通に返事されて、笑ってしまった。

「けど俺は、最初から蒼愛に興味あったよ。あないにきれいな魂、人間では見たことあれへんかったから。今はもう、綺麗とかいうレベルちゃうなぁ。神様みたいや。あ、神様やんな」

 またも普通に話されて、ドキッとした。

「蒼愛をこないに可愛く育てた妖狐にも興味あるさけ、一緒に会いに来ぃや。もし何かあったら、呼ぶのやで。鬼の先輩と惟神のバディ連れて、助けに行くからな!」

 保輔の姿が薄くなる。
 消えそうになりながら、保輔が手を振ってくれた。

「ありがとう、保輔! 僕が今、生きてるのは保輔のお陰だよ! 保輔がたくさん言葉をくれて、気に掛けてくれたからだよ! 面白い本を書いてくれたからだよ! 絶対また会おうね!」

 蒼愛は声が届く限り叫んだ。
 保輔が優しく笑った。

「蒼愛の言葉に、俺が救われたわ」

 言葉だけを残して、保輔の姿が消えた。
 周囲の靄が濃くなって、闇が増す。

「もっと話したかったな」

 ぽつりと呟いて、気持ちを入れ直す。
 蒼愛はまた、暗い廊下を歩き出した。





友情出演:伊吹保輔
『仄暗い灯が迷子の二人を包むまで』Ⅲ章より出演のキャラです。
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