『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

89.幽世からの試練

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 縷々が滝から離れてゆっくりと上昇した。
 滝の向こう側の暗がりの平野に、一際暗い場所があるのに気が付いた。

「あの場所は、何かあるんですか? 手前よりずっと暗くて、じめじめしているように感じます」

 蒼愛の問いかけに、紅優は答えてくれなかった。
 代わりに井光が答えてくれた。

「あの場所は、大蛇の一族の領地です。湖の一部から暗がりの平野、森林に掛けて広い領土を持っています」

 頭の中にガザガザと雑音が流れた。
 まるで警戒音のようだ。
 知らないはずの男の顔が、途切れ途切れに脳裏に浮かび上がる。

「大蛇……、八俣……。紅優を殺すかもしれない、忌むべき存在……」

 言葉が口を吐いて出た。
 まるで自分の意志ではない、誰かが自分の口で勝手に話しているような気がした。

 視界がブレて、頭がぼんやりとし始めた。
 意識が頭の奥に追いやられて、何かに奪われるような感覚だ。

「蒼愛?」

 蒼愛の顔を覗き込んだ紅優が、慌てた声を出した。

「井光さん、今の蒼愛に大蛇の話はしないでください。縷々んさん、もう戻りましょう。国の中は一通り観ました」

 紅優の言葉を受けて、縷々が上昇する。

「縷々さん、大蛇の領土の上を飛んでもらえませんか」

 無意識に口走っていた。
 紅優が蒼愛の体を強く掴んだ。

「大蛇は蒼愛を狙ってる。近付くのは危険なんだ。だから、ダメだよ」
「狙われているのは紅優も同じです。僕は、紅優が大蛇に殺されるなんて許せない。だから、見ておきたいんです」
「……蒼愛? 本当に蒼愛? ちゃんと意識ある? 蒼愛、俺を見て!」

 肩を掴まれて、振り向かされた。
 蒼愛の顔を見詰めた紅優が、愕然とした。

「僕は瑞穂ノ神である紅優を守るために存在する色彩の宝石です。色彩の宝石が神に愛され国に喰われるのは、瑞穂ノ神がこの国を守るために必要な一助。蒼愛はいずれ、国に喰われる」

 意識はある。
 けれど、話しているのは自分ではない何かだ。
 そういう意識は蒼愛の中に在った。

「蒼愛が……」

 紅優が声を絞り出しながら、蒼愛の体を抱いた。

「蒼愛が蒼愛じゃなくなるなら、神じゃなくていい。宝石じゃなくていい。何もいらないから、蒼愛を、返してくれ」

 項垂れた紅優から悲痛な声が漏れる。
 抱き返したいのに、指すら動かない。

「瑞穂ノ神が守らなければ、この幽世は壊れる。それでも紅優は愛する番だけを選ぶの?」

 誰が話しているのか、声の主の正体なんか、知らない。
 けれど、わかった。これは幽世の声だ。

「そうだよ。蒼愛を失うくらいなら、国も世界も壊れたって良い。俺が壊したっていいんだ。だから今すぐ、蒼愛を返せ!」

 紅優が蒼愛に向かい怒鳴った。
 話しているのが蒼愛ではなく、幽世の声だと、紅優も気が付いたのだろう。

「守るために奪い、壊す。それでは、大蛇と同じだね」
「……は?」

   蒼愛を見詰める紅優の表情が引き攣った。

「記憶を封じてみても、蒼愛はまた紅優を選んだ。それが色彩の宝石の答えのようだ」

 紅優の顔が驚きに歪んでいく。

「どういうことだ。蒼愛が自分で記憶を封じたんじゃないのか? 幽世が、この国が、蒼愛から記憶を奪ったのか?」

 紅優に手を伸ばして、抱きしめたいのに、動けない。
 自分の意志で体を動かせない。
 口だけが、勝手に淡々と言葉を紡ぐ。

「これは色彩の宝石と瑞穂ノ神に与えた試練だよ。この千年、理である色彩の宝石も理を守る瑞穂ノ神も、存在し得なかった。この幽世はいつ崩壊しても不思議じゃない。大蛇を、大気津を、土ノ神を、様々な問題を放置してきたツケだよ。自分たちが住む国を守らなかった責任は、自分たちで取らねばいけない」

 意識が少しずつ遠くなる。
 蒼愛は必死に自分を繋いだ。
 今、意識を手放したら、この体が誰かのモノになってしまう。
 蒼愛がいなくなったら、紅優が泣いてしまう。 
 それが何より嫌だった。

「国を放置してきたツケを蒼愛にまで背負わせるのか? この国に来たばかりの蒼愛に、やっと生きる場所と理由を得た蒼愛に押し付けるのか? 蒼愛になんの責任がある? ただ幸せに生きたいと望む人間に、お前は何をさせたいんだ! それが幽世の意志なら、俺はこの世界を手放す。この国を壊して蒼愛を取り戻す」

 紅優が蒼愛の肩を抱いて、強く揺さぶる。
 悲痛な叫びが痛くて、胸が苦しい。

「それが瑞穂ノ神の答えか。やれやれ、ならば聞こう。蒼愛を戻したら、紅優はどうする?」

 蒼愛の肩を掴んだまま、紅優が俯いている。
 蒼愛の目線からでは、その表情が見えない。

「俺は蒼愛の総てを守る。蒼愛がこの国で生きたいと願うなら、その願いを守る。蒼愛が消えるなら、国も世界も要らない」

 紅優の顔が上がって、蒼愛を真っ直ぐに見詰めた。
 今まで見たことがないくらい、鋭い目だ。
 こんなに怒っている紅優を見たのは初めてだった。

「欲望に正直な神様だ。色彩の宝石が出した答えは、正しかったようだね」

 蒼愛を見詰める紅優の目が困惑の色を灯した。

「どういう意味だ」

 腕が勝手に上がって、紅優を指さした。

「蒼愛は答えを出した。次は紅優だ。答えを見付けるまでは、蒼愛は返せない」

 蒼愛の体が浮き上がる。

「待って……、蒼愛!」

 痛いくらいに掴んだ紅優の手を、蒼愛の手がするりと離した。
 竜の背から浮かび上がり、紅優を見下ろす。

「蒼愛を何処に連れていく気だ!」

 竜の背に紅優が立ち上がり、蒼愛に手を伸ばす。
 縷々が蒼愛に向かって上昇するが、全く追いつかない。

「色彩の宝石は神に愛され国に喰われる。幽世も蒼愛を愛している。だから、溶かす。一つになって瑞穂国を守る。瑞穂ノ神が答えを見付けなければ、蒼愛は溶けるしかない」

 紅優の顔が引き攣って、怒りの形相になった。

「ふざけるな。蒼愛を見付けたのは俺だ。俺の番だ。俺から蒼愛を奪うな!」

 紅優の両手に強い神力が籠った炎の玉が燃え盛った。

「瑞穂国を守りたいのなら、大蛇を殺したいのなら、俺が今ここで根絶やしにしてやる!」

 両手に展開した炎の玉が巨大に膨れ上がった。
 眼下の大蛇の領土を見下ろして、紅優が手を上げた。

 ダメだと叫びたいのに、声が出ない。
 今の紅優は幽世が望む答えじゃない。
 教えたいのに、何も出来ない。

「やめろ、紅優!  早まるんじゃねぇ!  本当に蒼愛を失っちまうぞ!」

 炎産霊がしがみついて、紅優の動きを止めた。

「離せよ、炎産霊!  俺はもう、佐久夜の時のような過ちは、あんな風に失うのは嫌なんだ!」

 蒼愛の指が空を弾いた。
 全力で紅優にしがみついている火産霊が遠くに吹き飛んだ。

「え……?」

 理解出来ない突然の引力に反応出来ずに、紅優の体が竜からずり落ちる。

「神になる気がないのなら、色彩の宝石の番である資格はないよ、紅優」

 見下ろす蒼愛を紅優が表情を無くして眺めた。
 紅優の体が抗わず落ちていく。
 いつもなら妖狐の姿になって空を駆けるのに。いくらだって戻ってこられるのに。
 落ちていく紅優が蒼愛を無表情に眺めている。
 蒼愛の胸に冷たいものが流れた。

 (嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。紅優がいなくなるなんて嫌だ。誰か紅優を助けて!)

 悲鳴のような叫びは誰にも届かない。
 泣きたいほど嫌なのに、体もピクリとも動かない。
 なのに視界が涙で歪んだ。

 真っ白い塊が突っ込んできて、紅優の体を受け止めた。

「諦めさせたりしませんよ、紅優様。アンタはまだ諦めるほど踏ん張ってないんだから!」

 真が、大きな狼の姿で紅優を背に乗せていた。

「……真?」

 呟いた紅優を真がしっかり背負い直した。

「蒼愛様に頼まれました。紅優を僕の所に連れてきて、ってね」
「そんなの、一体、いつ……」
「これからですよ。蒼愛様は、これから俺に頼むんだ。だから、俺はここにいるんですよ」

 訳が分からない顔をしていた紅優の顔が変わった。

「時空の穴、いや、時の回廊?」

 紅優の問いかけに真が頷く。
 同じように蒼愛が頷いた。

「蒼愛を取り戻したければ、紅優は時の回廊に蒼愛を迎えに来なければいけない。それが紅優の試練だよ。時の回廊で蒼愛を見付けられなければ、紅優には神の資格も蒼愛の番でいる資格もない」

 蒼愛の体が浮かび上がり、空に溶ける。

「待っているよ、紅優。蒼愛と一緒に。幽世は紅優の本心の答えを知りたい」

 体が溶けて、紅優の姿が霞んでいく。
 沈んでいた記憶が徐々に浮かび上がって、蒼愛の頭の中に色鮮やかに流れた。

 (そうだ、僕は、幽世といっぱいお喋りをしていたんだ。それを全部隠すために、幽世は僕の記憶に蓋をしたんだ)

 蒼愛は紅優に笑いかけた。

「僕は必ず紅優を見付けるから。だから、紅優も僕を見付けてね、きっとだよ」

 涙が一筋、流れたのがわかった。

「蒼愛?  ……蒼愛!  絶対に見つけ出す!  国に溶かしたりしない!  蒼愛は、俺の蒼愛だ!」

 普段の紅優なら、あんな風になりふり構わず大声を出したりしない。だから、嬉しかった。

「大好きだよ、紅ゆ……」

 目の前が真っ白になって、知らない何処かに閉じ込められたのだと思った。
 きっと今、紅優は悲しいのに手を握れないのが、只々悲しかった。
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