『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

88.瑞穂国一周散歩

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 目の前の二体の妖怪を見上げて、蒼愛は呆気に取られていた。
 大猫といっていた井光の姿は紅優の言葉通り虎で、山のように大きい。
 そこそこのサイズ、みたいに話していた蛟の縷々は、間違いなく竜で、虎の井光と同じくらい大きい。
 理研にあった妖怪図鑑に載っていた竜を思い出して、思わず縷々を凝視してしまった。

「蒼愛様、蛟と大猫、お好きな方をお選びくださいませ」

 選ぶという行為が何より苦手な蒼愛にとって、縷々の言葉にすぐに返事ができない。

「選ぶ、どちらかを? どうすれば……」

 心の声が漏れてしまった。
 そんな蒼愛に、井光が頬擦りした。
 
「私の背中にはいつでもお乗せ出来ますので、今日の所は縷々に乗ってみてはいかがでしょうか?」
「はい、そうします……」

 井光が促してくれて助かったと思った。
 紅優と一緒に、縷々の背中に乗る。
 鱗は硬いが、乗り心地は悪くない。

「怖くなったら俺に掴まって。落ちないように、ちゃんと支えるから」
「わかりました」

 後ろに跨り、紅優が蒼愛の腹に手を回して引き寄せた。
 火産霊が井光の背中に乗っていた。

「では、参りましょう」

 縷々の体が飛び上がる。
 くねる体が真っ直ぐに伸びて浮かび上がり、屋敷の庭を飛び上がった。
 瑞穂ノ宮を下に見て、雲の中に飛び込んだ。

「ぅわっ……」

 視界が真っ白になって、強い風が頬を攫って行く。
 思わず目を瞑った。
 徐々に風が止んで、瞼の向こうが明るくなった気がした。

「蒼愛、もう目を開けて平気だよ」

 耳元で紅優の声がして、ゆっくりと目を開ける。

「ぅ、わぁ……」

 思わず感嘆の声が漏れた。
 地平線の遥か上にある太陽が、真っ直ぐ前に見える。
 足下に広がる大地が、あまりにも小さくて、まるで作り物のようだった。

「まずは明るい場所から回りましょう。街の様子を観に行きませんこと?」
「見てみたいです、街……」

 言いかけて、後ろの紅優を振り返る。
 
(紅優に聞く前に返事しちゃった。紅優が行かせたくない場所だったら、どうしよう)

 振り返った蒼愛に、紅優が笑いかけた。

「記憶をなくす前も、蒼愛は街に興味があったから、行ってみようか」
「はい!」

 自分が思っていたより、ずっと明るい声が出た。
 紅優が嬉しそうに笑ってくれた。

「では、参りますわよ」

 晴れた空の上を、竜の伸びやかな身体が飛んでいく。
 隣を飛ぶ虎姿の井光は、まるで地面をけるように空を駆けていた。

「井光さんの虎さん、格好良いです」

 火産霊を乗せて空を走る井光は、まるで神話にでも出てきそうな荘厳な姿だった。

「蒼愛様に褒めていただけるとは、嬉しいですね」

 井光の大きな顔が蒼愛に向いた。

「いえ、そんな。僕なんか」

 思わず俯く。
 自分なんかが褒めても、どうということはないだろう。
 もっと立派な人たちに、きっとたくさん褒められている妖怪の筈だ。

「いいえ、蒼愛様だから、嬉しいですよ。お気持ちを言葉にするのが苦手な蒼愛様が素直に褒めてくださった。だから、嬉しく存じます」

 虎の目が、にっと笑んだ。

(井光さん、僕のこと、気付いてたんだ。ちょっとしか、話していないのに。だからさっき、縷々さんを勧めてくれたのかな)

 蒼愛が縷々を凝視しているのに気が付いて、促してくれたのかもしれない。

(やっぱり、優しい虎さんだ)

 紅優以外で蒼愛の気持ちに気が付いて先回りしてくれた相手は初めてだ。

「蒼愛様、私は如何ですの? 竜はお気に召しませんか?」

 縷々に問われて、蒼愛は慌てた。

「いえ! 縷々さんも格好良いです。あの、僕、その……」

 言葉に詰まる蒼愛を、紅優が優しく撫でてくれる。
 気持ちが落ち着いた。

「理研で、妖怪図鑑を読んでる時に、竜が載ってて、縷々さんは、絵で見た竜より格好良くて、見た瞬間に乗ってみたいって、思いました……」

 心臓がバクバクする。
 紅優以外にこんなに長く話したのは、初めてだ。

(初めてではないのかもしれないけど。記憶を失くす前の僕は、色んな人ともっとちゃんと話せていたのかな)

「まぁ、嬉しいですわ。嬉しいので早く飛んでしまいますわね」

 縷々が飛翔して速度を速めた。

「す、すごい、風を飛び越して、飛んでる」

 また心の声が出てしまった。
 雲も風も、高速に蒼愛を通り越していく。
 あっという間に街が見えてきた。

「瑞穂ノ宮は国の真ん中にありますの。ですから、どの場所にも行きやすいんですのよ。ここが、日の街。瑞穂国の中心部ですわ」

 足下に広がる街は沢山の家や建物があって、妖怪らしき影がたくさん見える。
 その中心に平屋建ての大きな屋敷が見えた。

「あの大きな屋敷がこの国の城でね。統治者の黒曜が詰めてる……、あ、黒曜っていうのは俺の友達の妖狐でね。蒼愛も会ったことがあるんだよ」
「そうなんですね」

 統治者はきっと、地上で一番偉い妖怪なんだろう。
 街の様子といい、城といい、人の社会とよく似ていると思った。

「右側に見える畑や田んぼの南側に妖怪がたくさん住んでいる居住区があるんだ。明るい場所は日ノ神、日美子様の守護する場所でね。街の真上くらいに日ノ宮があるんだ」

 紅優が指をさして説明してくれる。
 居住区といった場所には一軒家やアパート、ビルのような建物も見える。
 日本家屋風の建物が多いが、洋風の建屋もチラホラ見えた。
 その手前には、広大に広がる田畑や果樹園があった。

「農園の区域は土の庭って呼ばれてるんだよ。田畑の上あたりに、土ノ宮があるんだ。この辺りは土ノ神様の守護する場所なんだよ」

 蒼愛は田畑の上の雲を見上げた。
 何となくどんよりして、曇って見えた。

「左側に見えますのが、灼熱の岩山でございますわ。緑のない場所ですけれど、ああいう場所に住む妖怪もいますのよ」

 縷々の声につられて、左に目を向ける。
 天を突くような鋭い岩がいくつも連なる山が広範囲に広がっていた。

「最初は、あの麓あたりに俺たちの屋敷があったんだよ」
「そうなんですか?」

 紅優を振り返る。
 眉を下げた笑みで頷いた。
 蒼愛は、岩山の麓から、山を見上げた。
 岩山の高い部分のいくつかは、雲を貫いてその上に伸びている。

「もしかして、この上に火産霊様の火ノ宮があるんですか?」
「ああ、そうだ。よくわかったな。岩山の辺りは火ノ神である俺の守護する場所だ」

 井光に乗った火産霊が返事してくれた。

「前に紅優が火産霊様を投げつけた岩山かなって……。あれ? 僕はなんで、そんなこと、知っているんだろう」

 自分の発言に自分で不思議に思った。
 後ろから紅優が蒼愛の体を抱きしめた。

「そうだよ、そう。火産霊が勝手に蒼愛を喰ったから俺が怒って炎玉でぶん投げたの。そういうこと、あったよ」

 頭の中に、あの時の光景がフラッシュバックする。

「紅優は、怒って何回も、炎の玉を、投げつけて。僕は、神様にそんなことして良いのかなって。死んじゃったりしないのかなって、心配になって」

 自分は確かに火ノ宮に行った。
 
(そうだ、それで、紅優の、大事な話を、聞いたんだ)

 視界がぐらぐらして、体が前に傾く。
 意識が遠くに飛びそうになる。

「蒼愛!」

 紅優の声で、我に返った。

「あ……、僕、今、何か、思い出せそうな気が、したのに……」

 とても大切な、忘れてはいけない話を、思い出せそうな気がした。
 掴んだきっかけは、またどこかに消えてしまった。

「紅優、ごめんなさい。思い出せそうな気がしたけど、また、どこかに行ってしまいました」
「大丈夫、良いんだよ。ちょっとずつでいいんだ。屋敷にいた時には思い出せなかったこと、蒼愛は今、たくさん思い出してる。だから、無理しなくていい。充分だよ」

 紅優が包むように蒼愛を抱いている。
 蒼愛より、怯えているように見えた。

 縷々の体が旋回した。
 街とは反対方向に向かって飛び始めた。

「岩山の隣には、森林がありますの。通称、風の森。風ノ神、志那津様が守護していらっしゃる森ですわ」

 岩山とは打って変わって、緑豊かな森が広がる。 
 広く大きな森は地平線の彼方まで広がって見えた。

「森の、あの辺りが白狼の里。俺と蒼愛と霧疾さんで助けた真たちの里がある」

 紅優の指さす辺りを眺める。
 森が広くて緑が鬱蒼と茂って、上から見ただけでは里を見付けられない。

「僕も一緒に、助けたんですね」

 記憶がないのに、違和感はなかった。
 何かを成し遂げた充実感が、脳の端っこに残っているような感じだ。

「あの時の蒼愛、格好良かったよ。志那津様に風の使い方を習っていたから、旋風も竜巻も、とても上手だった」
「紅優の方が格好良かったです。まるで神様みたいで、見惚れました」

 紅優が蒼愛をじっと見つめる。

「あ、ごめんなさい。紅優は神様でしたね。普段は妖狐の姿で耳も尻尾もあるから、人のような姿の紅優が、別人のように感じます」

 紅優が、蒼愛に凭れ掛かるように抱きしめた。

「それも、思い出した?」
「はい、何となく、断片的ですが。まだ、自分の記憶のような気がしないけど、頭の中に絵が浮かぶんです」

 きっとそれが、失くした記憶の片鱗なのだろう。
 実感を伴っていないが、さっきのように違和感がない。

「散歩に来て、良かった。蒼愛の記憶の蓋が、ちょっとずつ緩んでる」

 紅優が安堵の息を吐いた。

「……紅優が、安心してくれると、僕も安心します。笑ってくれると、僕も嬉しいです。紅優は、僕が色々思い出したら、もっと喜んでくれますか?」

 紅優が顔を上げて、風に流れる蒼愛の髪を撫でた。

「嬉しいよ。だけど、蒼愛が蒼愛のままで俺の側にいてくれるのが、何より嬉しい」
「僕が僕のままで……」

 紅優の言葉の意味が、蒼愛にはよくわからなかった。

 森林を進むと、差し込む陽が陰り始めた。
 森の半分より奥に進むと、暗い大地が森の向こうに広がって見えた。

「この辺りは暗がりの平野。暗ノ神、月詠見様が守護する場所ですわ。人の感覚だと意外かもしれませんけれど、こういった場所を好む妖怪もいますのよ」

 縷々が暗がりの平野の上を飛ぶ。
 まるで夜のように暗くて、湿気が多く感じた。

「この先に、大きな湖がありますの。天上から落ちる滝が流れ込む場所ですわ。私がお仕えする水ノ神、淤加美様の水ノ宮が真上にありますのよ」

 湖が見えてきた。
 暗がりの中で揺れる水面は、ちょっと怖い。
 進んでいくと、どんどん明るくなって、湖の広さが実感できた。

「大きな湖、まるで海みたい。滝も、大きくて長くて、怖い」

 大きな湖に流れ落ちる滝は、山の岩肌をえぐり取って流れているかのように広くて高い。
 膨大な量の水がこの場所に集まっているように感じた。

 縷々が低空して湖と滝に近付く。
 飛沫が飛んできて、気持ちがいい。 
 
「滝の水に触れても、いいですか?」

 紅優を振り返ると、頷いてくれた。
 縷々が滝に寄ってくれた。

「触れるだけでなく、飲んでみてくださいませ」

 天上から流れ落ちる滝は、高い場所を飛んでいても触れられる。
 飛沫を感じながら、蒼愛は滝の水に手を伸ばした。

(気持ちがいい。この水、神力が混ざってる。とても馴染んで、触れていたくなる)

 手で水を掬って口元に持っていく。
 ちろりと舐めてから、一口、飲み込んだ。

「美味しい。体に、溶けていくみたい」

 自分の中の何かが刺激されているのを感じる。

「蒼愛は蒼玉といってね。水ノ神の淤加美様の加護を受ける宝石の人間でもあるんだ。だから、水の力が馴染むし、蒼愛に力をくれるんだよ」

 紅優の説明には、素直に頷けた。

「僕はきっと、淤加美様に会っていますよね? きっと好きだったんだと思います」

 この水も含まれる神力も、優しくて強くて、包んでくれる。
 触れていると安心できた。

「そのお言葉、淤加美様にお伝えいたしますわ。きっと喜びますもの。淤加美様も蒼愛様が大好きでしてよ」
「そうなんですね。ちゃんとご挨拶に行かないと、いけませんね」

 紅優を振り返る。
 大変微妙な顔をしていた。

「思い出してくれて嬉しいけど、今の発言は素直に喜べない気がする」
「え? ごめんなさい。紅優が嫌がるなら好きになりません」
「そうじゃない、そういう事じゃないよ、蒼愛」

 紅優が蒼愛を抱きしめて前後にゆらゆら揺れている。
 何となく、駄々をこねている子供のようだと思った。
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