『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

84.大切だから

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 紅優と話していたら、さっきの利荔という妖怪が、また別の妖怪を連れてきた。
 華奢でひょろ長な体躯の男性だ。
 蒼愛の体を一通り確認する。特に頭を入念に調べられた。
 妖怪の健康診断は人間とはやり方が違うんだなと思った。

「えっと、幽世に来てからの記憶がすっぽり抜けてるわけ?」

 ひょろ長妖怪に問われて、紅優が頷いていた。

「五年分の記憶がなくなっているようです。蒼愛が理研で霊元移植実験を受けたのは十歳の時だと聞いています」

 振り向いた紅優に頷いた。

「あー、そっかぁ……」

 ひょろ長妖怪が軽く頭を抱えた。

「時空の穴の影響だとは思う。けど、記憶をどこかに落としたんじゃなくて、頭の中に仕舞い込んでる。封印してるような状態だと思うわ」

 ひょろ長妖怪が、指の隙間から、ちらりとこちらを窺った。

「俺がもっと注意してやれば良かったなぁ。あんだけ強ぇ神力使えるし、問題ねぇと思っちゃったよねぇ。悪かったなぁ、蒼愛。紅優も。これは俺のミスだわ」

 どうして謝られているのか、わからない。
 紅優もよくわからない顔をしているように見える。

「時空を超える時ってのは体に負荷が掛かる。とりわけ頭に影響が出やすいんだ。記憶が消えたり脳に障害が残ったりする場合もある。だから蒼愛は自衛したんだ。守りたい記憶だけを守った。恐らく無意識だろうな」

 紅優が顔を引き攣らせた。

「え? 幽世での記憶が消えちゃったんですか?」

 ひょろ長妖怪が首を横に振った。

「逆だよ、逆。失くしたくない記憶を消さないように仕舞い込んだんだ。強く仕舞い過ぎて封印みたくなって、自力じゃ取り出せなくなった。結果、記憶障害みたいになっちゃってるわけ。さて、どうしようねぇ」

 紅優が安心したような不安なような、複雑な表情をしている。

「霧疾さんでも、どうにもできませんか?」

 どうやら、このひょろ長妖怪は霧疾という名前らしい。
 名前を聞くと脳に漢字が浮かぶのは、きっと幽世だからなんだろう。
 とても不思議な感覚なのに、違和感がない。

(やっぱり僕は、この幽世で生きていたんだ。体が覚えてる)

 霧疾という妖怪にも会っているんだろう。
 初対面な気がしない。

「外側からの刺激でどうにかなるのか、自分で開かねぇといけねぇのか。まだわからねぇなぁ」

 霧疾に頭を掴まれて、グルグル回される。
 前後に動かしたり左右に振らされているうちに、何故か腹の虫が鳴った。

「あ! ご、ごめんなさい。気にせず続けてください」

 恥ずかしくて腹を抑える。
 霧疾が普通に笑った。

「三日も寝てれば、腹も減るわな。紅優と繋がる? それとも飯食う?」
「三日? 繋がる?」

 何を言われているのかわからなくて、混乱する。

「霧疾さん、今の蒼愛は番の食事についても、何も知らない状態なので」

 紅優が霧疾の服を引っ張っている。
 霧疾が納得の顔をした。

「あぁ、そっか。じゃぁ、飯食った方がよさそうね。志那津様にお願いしてくっか」

 立ち上がろうとした霧疾を、引っ張った。

「いえ、食事はなくて構いません。これは僕の我儘なので。霧疾さんの仕事の邪魔はできませんから、検査を優先してください」

 蒼愛をじっと見詰めていた霧疾が、紅優を振り返った。

「出会ったばかりの頃の蒼愛は、こういう子だったんです。お腹が空くのさえ自分の我儘だと思っちゃう子だったんです」

 驚くというより呆れた顔をして、霧疾が向き直った。

「なるほどねぇ。瑞穂国に来る前は酷ぇ生活してたって、ちらっと聞いてたけど、本当に酷かったんだなぁ。蒼愛は紅優と出会えて良かったねぇ」

 ぐりぐりと頭を撫でられる。

「良かったんですか?」

 何気なく聞いた言葉に、紅優がショックそうな顔をしている。
 しまったと思った。

「すみません、何も覚えていなくて、よくわかりません。思い出せるよう、努力します。でも……」

 言葉にしていいのか迷いながら、話してみた。

「紅優の手の温もりや声は心地良いと感じます。今はまだ、それしかわからないけど、好きって、思います」

 顔が熱いから、やっぱり俯く。
 紅優の手が伸びてきて、蒼愛を抱きしめた。

「食事にしようね」

 紅優が嬉しそうで、安心した。
 どうして安心するのか、よくわからなかった。

「紅優の命令に従います」
「命令じゃなくて、お誘いだからね。これからは、ちゃんと自分の本音を話すこと、いいね?」
「そういう命令なら、努力します」

 紅優が、しゅんと肩を落とした。

「前のからくり人形に戻っちゃった。やっと本音も我儘も言えるようになってきてたのに」
「えっと、紅優の期待に応えられるように、努力します」
 
 何と答えたら紅優が納得してくれるのかわからなくて、焦る。
 そんな二人のやり取りを眺めていた霧疾が、呆気に取られていた。

「かなり重症だったのね。よくあそこまで素直な僕ちゃんに育てたなぁ、紅優。ま、記憶が戻れば元の蒼愛に戻るっしょ。問題はどうやって記憶を戻すかだけどねぇ」

 軽く言いながら、霧疾が部屋を出ていった。
 しばらくすると、若い男性が食事を運んできてくれた。

「志那津様自ら、すみません」

 紅優が申し訳なさそうに頭を下げている。
 きっと偉い人なんだろうと思った。
 気配が妖怪とは違う。もっと強くて大きくて、紅優に近い気配だと思った。

「俺も蒼愛が心配だったから、構わない。利荔と霧疾から、大体の話は聞いたよ」

 紅優が志那津と呼んだ男性が蒼愛をじっと見詰めた。

「聞きたい話もしたい話もあるんだが、まずはゆっくり食事してくれ」

 志那津が蒼愛の前に膳を置いた。
 盛られた食事を見詰めて、息を飲んだ。
 思わず、隣にいる紅優の袖を引いた。

「あの、この食事、僕が一人で食べていいんですか? これ、僕のための食事で合ってますか?」
「合ってるよ。蒼愛のために志那津様が用意してくれた食事だから、全部食べていいんだよ」

 紅優の言葉が信じられない。
 感動と驚きで手が震えた。

「そうだよね、ウチに来た時も最初はそういう反応してたもんね」

 紅優が納得した顔で息を吐く。
 思わず、志那津に向かって頭を下げた。

「僕なんかのために、こんなに豪華な食事を準備してくださって、ありがとうございます」

 深々と頭を下げて、顔を上げる。 
 志那津が微妙な顔をしていた。

「現世の、理化学研究所、だったか? そこでは、どんな食事をしていたんだ?」
「栄養補助のビスケットと飲料とサプリメント三粒を、一日二食です。一週間に一回、一汁三菜の食事が出ます」

 志那津が口を開けて呆けた。

「人間は、その程度の食事で足りる生き物なのか?」
「普通は栄養失調になりますね。理研からくる子は大概痩せすぎるくらい痩せていますが、ウチに来た頃の蒼愛もガリガリでしたよ」

 紅優の発言に、志那津が呆れ顔で驚いている。
 
(紅優は理研の事情に詳しいんだ。理研から子供を買っていたんだから当然か)

 そう考えて、疑問が浮かんだ。

(あれ? 僕はどうして、紅優が理研から子供を買っていたって、知っているんだろう)

 自分も買われているんだから、そう考えて当然なのかもしれないが。
 それ以前から紅優は、理研の子供たちを大勢買って大勢見送ってきた。

(喰うために、買ってた。けど、それだけじゃなくて、もっと優しい、もっと大切な、何かがあったような)

 頭の中がぼんやりしてくる。
 霞が掛かったようにモヤモヤして、思考が働かない。

「蒼愛、とにかく食べろ。三日も意識不明の昏睡状態だったんだ。食べないと死ぬぞ」

 志那津の言葉で、我に返った。

「はい、いただきます」

 反射的に返事をして箸を持った。 
 味噌汁を飲んだら、泣きそうな気持になった。

「そっか、今の蒼愛は食べなさいって言わないと食べないんだ」

 しまった、といった顔をする紅優に、志那津が驚いた顔を向けた。

「まさか、俺の言葉を待っていたのか? どうして自発的に食べない?」
「理研がそういう場所だったからです。勝手な行動も命令違反も厳しく罰せられる。出会ったばかりの頃の蒼愛は、命令を待つからくり人形でした。やっと素直に気持ちを言える子になってきたのに、戻ってしまいましたね」

 紅優の顔を気の毒そうに志那津が眺める。
 志那津が蒼愛に視線を移して、ぎょっとした。

「どうして蒼愛は泣いているんだ? 魚の骨でも刺さったのか?」

 慌てる志那津に紅優が苦笑いした。

「いえ、美味しくて感動してるんだよね?」

 こっそり泣いているのが見つかってしまって、俯いた。

「美味しいし、有難くて。こんなに豪華な食事、初めてで。どうして志那津様は、こんなに親切にしてくださるんですか? 紅優も、霧疾さんも利荔さんも、みんな優しくて。優しいって、全然慣れてないから、どうしたらいいか、わかりません」

 きっと前から知り合いなのだろうが、今の蒼愛にとっては出会ったばかりの人たちだ。
 そんな人が親切にしてくれるなんて経験がないから、わからない。
 ゆっくり蒼愛の髪を撫でてくれる紅優の手つきさえ、優しすぎて怯えてしまう。

「酷い場所にいたと聞いてはいたが、想像以上だったな。俺は素直で真っ直ぐな蒼愛しか知らない。ああいう蒼愛を見ている方が安心する」

 志那津の表情が暗くて、不安になった。

「志那津様がお望みの僕になれるよう、努力します」
「そうじゃない」

 志那津が立ち上がり、蒼愛の隣に腰を下ろした。
 頭の後ろを手で押さえて、口付けられた。驚いて、肩が震えた。
 重なった唇から何かを吸い上げられている。
 自分の中に溢れる力を吸われて喰われているような、変な感覚だ。

(この感じ、知ってる。神力を喰われてる。神力って……、どうしてそんな言葉、僕が知って……。それに、どうして僕に神力が)

 吸い上げられる度、気持ちが良くて、快感が全身を巡る。
 腹の奥が疼いて、股間が熱くなる。

(体が勝手に、欲情してる。なんで、こんな……、気持ち良くて、早く、紅優に、抱いてほしい。僕をいっぱい、食べてほしい)

 自分の中に沸き上がった感情も欲情も理解できないのに、体が素直に反応する。
 志那津が唇を離した時には、息が上がっていた。

「お前が可愛い、好きでたまらないよ、蒼愛。お前には、神々に愛されるだけの価値がある。色彩の宝石だからでも、魅了が使えるからでもない。お前がお前だから、可愛いんだ。好きだよ、蒼愛。蒼愛は俺の大切な友達だ」

 もう一度、蒼愛の唇を強く吸うと、志那津が蒼愛の体を紅優に押し付けた。

「恐らく欲情しているから、抱いてやれ。俺はすぐに部屋を出るから……」

 蒼愛に伸びる手を志那津が何とか抑えている。

「その前に、一発、殴ってくれないか? 蒼愛を押し倒したくて理性が飛びそうだ」

 紅優が遠慮なく志那津の頭を殴った。
 鈍い音がして、志那津がその場に蹲った。

「ぅわ、痛そう……」

 思わず素直な反応が出てしまった。

「どうして自分から魅了に掛かりにいくんです。本音なんだから、素直に話せばいいだけでしょう?」

 呆れる紅優から志那津が赤い顔を逸らした。

「あんな恥ずかしい台詞、素で言えるか。でも別に、魅了の術のせいで言った言葉じゃない。ちゃんと想っているからな」

 怒ったように言い残して、志那津が部屋を出ていった。

「魅了に掛かってあれだけ自我を保てるの、鋼の精神だね。志那津様には、ついつい色々許しちゃうなぁ」

 紅優が呟きながら蒼愛に目を向ける。
 体が疼いて、気持ちが昂っているのを悟られないように、深く俯いた。

「蒼愛は? 大丈夫?」
「大丈夫、です……。なんとも、ない、です」

 紅優の手が股間に伸びる。
 硬くなった男根を長い指がそろりと撫でた。
 腰にビリビリと電気が走って、体が飛び跳ねた。

「全然、大丈夫じゃないでしょ。今の状態を正直に言ってごらん」

 紅優の指が太腿から膝を、首筋から顎をなぞる。
 ぞわぞわして肌が粟立つ。
 緩い快楽が続いて、目に涙が堪る。

(我慢、できそう、だったのに。大丈夫な振り、しなきゃ、いけないのに)

 ダメ押しのように首筋を吸われて、悲鳴のような嬌声が漏れた。

「僕を、抱いて。僕を食べて、ください。紅優に、抱かれたい。紅優じゃないと、嫌です。我儘言って、ごめんなさい。嫌かもしれないけど、紅優に、触れてほしい。キス、したい」

 流れる涙を紅優の舌が舐め上げた。
 熱くてざらついた感触に、ぞわりと快感が増す。

「嫌なわけないでしょ。記憶がなくても俺を求めてくれる蒼愛が可愛い。愛してるよ、俺だけの蒼愛。蒼愛が手に入るなら、国だろうと世界だろうと、いくらでも壊せる」

 紅優の唇が、蒼愛の唇に重なる。
 舌を吸い上げられて、神力を吸われた。
 同時に紅優の神力が流れ込んでくる。

(紅優も、神様、なんだ。本当に国を、世界を壊せちゃうような、神様なんだ)

 流れ込んできた神力の強さを直に感じ取って、思った。
 そんな神様が自分を求めてくれる今が、信じられない。
 どうしてこんなに愛してくれるのか、わからない。
 なのに心は喜んでいる。紅優を愛していると蒼愛の全身が叫んでいる。

(僕、紅優と繋がったこと、あるんだ。キスも、優しくて気持ちがいい手も、紅優の熱くて大きいのも、全部、知ってる)

 前にもこんな風に、紅優が愛してくれる今を不思議に思いながら幸せだと感じた瞬間が、あった気がする。

「もっと、ほしい。愛してる、紅優」

 まるで夢のような心持で、蒼愛は紅優の愛撫を全身で受け止めていた。
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