『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

文字の大きさ
上 下
85 / 136
第四章 幽世の試練

83.遡った記憶

しおりを挟む
 体がフワフワして、頭がぼぉっとする。
 寝ているんだと思った。
 遠くで誰かの話声がする。
 きっと研究員だと思った。

「蒼愛に埋め込まれていた種は、大蛇とは断定出来なかったよ。ただ、大蛇が好んで使う死の瘴気の残滓があった。術式がはっきりと仕込まれていてね。記憶を改ざんして意識と感情を支配する、現世の呪詛だ。古い妖怪や人間が好んで使う呪術だよ」

 聞いたことがある声なのに、思い出せない。
 話は聞こえているのに、理解できない。
 何の話をしているのか、わからない。

「大蛇の妖気が検出できなくても、八俣が絡んでいると考えた方が妥当ですね。色彩の宝石を取り込んで神になりたいんでしょうか」

 また、聞き覚えがある声がする。
 どうしてか、胸の奥が疼く。
 手を伸ばして抱き付きたい衝動が湧いて、戸惑った。
 自分には、そう思うような相手はいないはずなのに。

「土ノ神の座を狙っているんだと思っていたけど、もうそういう次元ではないかもしれないね。瑞穂ノ神に取り入りたいか、成り代わりたいのか」

 神という言葉が聞こえて、うんざりした。

(きっとまた千晴だ。強い術者の次は、神様を作りたいのかな。馬鹿みたいだ。神様なんかいないのに)

 いないと思う自分の思考に、疑問が湧いた。

(いない……ん、だっけ? 会ったこと、なかったっけ?)

 頭の中が混乱する。

(きっと実験の後だからだ。霊元を移植して定着しなければ、死ぬかもしれない。でももし、成功したら。僕にも未来が、あるのかな)

 自分の開けた未来を、明るい未来を、知っている。
 罵声でも嘲笑でもない、優しい声を知っている。
 そんな気がする。

「蒼愛は、起きる気配がないね。時空の穴の中で、寝ちゃったんだっけ?」
「はい……。あの時は疲れて寝てしまったんだと思っていたんですけど。ただ寝ているだけではないのかもしれません」

 心配そうな声がして、手に温もりが触れた。

「あの日から毎日、日美子様と月詠見様が蒼愛の全身を浄化してくれています。俺も頭のてっぺんから足の先まで浄化して確認していますが。種のような異物もないし、瘴気も妖力も感じない。何が原因か、わからなくて」

 温もりが強く手を握った。
 嬉しくて胸が切なく締まる。

(何だろう、この感覚。知らないのに、とても懐かしい。僕に優しくしてくれる人なんか、いないのに)

 頭の奥から、誰かの声がする。
 聞いたことがある関西訛りだ。

『はよ、起きや! お前を待っとんのや。お前やないと、あかんのや!』

 理研でしつこく声を掛けてきた、あの男の名は何だったか。

『名前、教えただろ? もしかして、俺との約束も忘れたのか? 幸せになるの諦めないって、約束しただろ』

 彼も理研で見た顔だ。
 なのに、名前が思い出せない。

(大切な約束をした。いっぱい助けてもらった。僕は、知っているはずなのに)

 声を出したくて、懸命に喉を開こうとする。
 けれど、何を発すればいいのか、わからない。
 今、声を出さないと、大事なものを総て失ってしまう気がした。

「ぅ……、ぁ……」

 絞り出した声は、呻き声になった。
 気配が二つ、近付いて、顔を覗き込んだ。

「蒼愛! わかる? 聞こえる? 蒼愛!」

 白い髪の、紅い目をした男性が、顔を近づけた。

(綺麗な、紅い瞳。血みたいな赤なのに、宝石みたいで、とても綺麗だ)

 口をハクハクとして、懸命に声を出す。

「僕、は……、二十八、番、で、す……。実験は、どう、なりました、か……?」

 紅い瞳の男性が、愕然とした表情をした。

「蒼愛……? 蒼愛は二十八番じゃない、蒼愛だよ。ここはもう理研じゃない。蒼愛はもう被験体じゃないんだ」
「理研じゃ、ない……?」

 理研じゃないなら、どこなのだろう。
 知らぬ間に、どこかに売られたのだろうか。

(だとしたら、実験は失敗したのかな。結局、未来はなかったのか)

 ゆっくりと目を閉じる。 
 目の前が暗くなって、これが現実なんだと思った。

「苦しくなく、痛くなく、食べて、ください。未来なんか、なくていいけど、辛いのはこれ以上、いらない」

 大きな手が体を持ち上げた。
 抱き締められているのだと気が付くのに、少し時間がかかった。
 驚いて、顔を見上げる。
 紅い瞳の男性が泣きそうな顔をしていた。

「俺を、忘れちゃったの? 覚えていないの? これから一緒に生きようって、番になって、幸せを一緒に探そうって約束したの、覚えてないの?」
「一緒に、生きる……?」

 驚いて、目を見開いた。
 目の前の男性は、恐らく人間じゃない。妖怪か、それ以上の存在だ。
 そんな生き物と自分が共に生きるなんて、理解が追い付かない。

(いや、それ以前に、僕に生きる未来が、あるの? 戸籍も名前もない僕が、どうやって生きるの?)

 そういえば、抱きしめてくれている男性が名前らしきものを呼んでいた。
 まさかそれが、自分の名前なんだろうか。

(こんな温かさ、知らないはずなのに、どうしてか懐かしい。この妖怪の腕の中は、とても安心する)

 無意識に体を預けて、温もりを感じている。
 そんな自分に気が付いて、戸惑う。

「蒼愛、起きた時、ここを何処だと思った?」

 赤い瞳の男性の隣にいる、体の大きな男が問うた。
 この男もきっと、妖怪だ。

「理研の、実験室だと、思いました。今日は霊元移植の実験の日だから。霊元は僕に、定着したんでしょうか」

 答えを聞いた紅い瞳の男性が、驚いた顔をしている。
 大きな体躯の男性が顎に手をあてて考える仕草をした。

「霧疾にも診てもらうけど、もしかしたら時空の穴に入った後遺症かもしれないね。自分の記憶を置いてきちゃったのかもしれない」
「利荔さん、治るんですか? どうやって治すんですか? 記憶を見付けてこないといけないんですか?」

 紅い瞳の男性が必死に問い掛けている。

「それも含めて、霧疾だね。今すぐ呼んでくるから、紅優は蒼愛から離れないでね」

 利荔と呼ばれた男性が部屋から出ていった。
 二人きりになり、なんとなく気まずい。

「本当に、何も覚えていない? 俺の屋敷に来た経緯とか、番になって、神様の宮を廻ったりとか、蒼愛の御披露目をしたり、色彩の宝石の祭祀があったり」

 首を傾げるしかなかった。
 男性の言葉は、わからないことばかりで、上手く頭に入ってこない。

「ごめんなさい、わかりません……。てっきり実験が終わって目覚めたんだと思っていて」
「……そうか。じゃぁ、十歳くらいまで遡っちゃってるんだね」

 紅い目の男性が、寂しそうに呟いた。

「今の君は、十五歳でね。幽世に売られて、買った俺と番になって妖怪の国で生きてる。名前は、蒼愛っていうんだよ」

 驚き過ぎて言葉が出なかった。
 自分を買った妖怪と番というモノになり幽世で生きている上に、名前まである。
 情報量が多すぎて処理できない。

「僕に、名前が、あるんですか? 番号じゃ、なくて?」

 紅い目の男性が頷いた。

「俺と名前を与え合ったんだ。俺の紅優って名前は、君がくれたんだよ。君の蒼愛って名前は、俺が君にあげたんだ」
「貴方が、僕に、名前をくれた? じゃぁ、貴方が僕のご主人様ですか?」

 自分を買って名前を付けるのだから、そういう関係なのだろう。
 紅い瞳が悲しそうに俯いた。

「最初に、戻っちゃったね。やっと僕の紅優って言ってくれるようになったのにな」

 その呟きに、ドキリとした。

「え? ご主人様に向かって、そんな失礼な発言を? すみません」

 恐縮して小さくなる体を、大きな体が抱き包んだ。

「俺たちは番だよ。この国で番は、命を共有して共に生きる唯一無二の存在なんだ。俺はね、蒼愛と番になりたいって、好きになってねって、お願いしたんだ。蒼愛は命令じゃなく、自分の意志で俺を好きになってくれたんだよ」

 驚いて言葉が出なかった。
 頭は非常に驚いている。自分が誰かを自発的に好きになったり、誰かに好かれたりするなんて、考えもしなかったから。
 なのに、心は納得している。

(この温もりを、僕は知ってる。欲しいと思ってる。触れるのが当たり前みたいに、自分の手が伸びる)

 頭と感覚の乖離に、戸惑いしかない。
 どうしていいかわからないのに、このまま抱きしめていて欲しいと思う。

「貴方の話が全然、分からないのですが、わかるように、努力します」

 紅い瞳が俯く。

「名前を、くれて、嬉しい、です。その、僕は貴方を、紅優さん……と、お呼びすれば……」

 そこまで言って、違和感があった。

「違う。僕は、貴方を、紅優と、呼んでいた? そんな気が、します」

 見上げると、紅い目が輝いて見えた。

「貴方に……、紅優、に、触れると、安心します。もっと、触れたくなります。もしかしたら、好きって、こういう感情、なんでしょうか。感じたことがないので、わからないのですが」

 顔が熱くなって、俯く。
 紅優が蒼愛の顔を胸に抱いた。

「うん、そうだよ。少しずつ、思い出せばいいよ。失くした記憶は一緒に探しに行こう」
「良いんですか? 僕なんかのために、紅優に迷惑をかけてしまいます」

 曲がりなりにも飼い主だ。あまり迷惑もかけられない。

「番だって言ったでしょ。対等な立場だよ。番は二人で一つなんだから」
「そう……、なんですか? そんなに甘えていいんでしょうか」
「甘えていいし、迷惑もかけていい。我儘いっぱい言っていい。言いづらいなら、前と同じように、一日一個、希望やお願いを言うってやつ、またやろうか?」

 頭の中に、一瞬、何かが浮かび上がった。
 前にも毎日お願いをして、その度に叶えてくれた。なんてことがあった気がする。

「じゃぁ、僕は、もっと貴方を知りたい。僕が貴方をどう思っていたのかを、知りたいです」

 紅優の腕が強く体を抱きしめて、唇が重なった。

「俺たちは、こういうことも、もっと深いこともする関係なんだよ」

 紅い瞳が妖艶に笑む。
 胸がドキドキして鼓動が早い。

(全然わからないのに、どうして嬉しくて、気持ち良いんだろう。胸が、苦しい。こんなの知らないのに、どうして嫌じゃないんだろう)

 温かい腕の中で重なる唇を受け取りながら、その熱に酔っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

悪役令息の伴侶(予定)に転生しました

  *  
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

ポンコツアルファを拾いました。

おもちDX
BL
オメガのほうが優秀な世界。会社を立ち上げたばかりの渚は、しくしく泣いているアルファを拾った。すぐにラットを起こす梨杜は、社員に馬鹿にされながらも渚のそばで一生懸命働く。渚はそんな梨杜が可愛くなってきて…… ポンコツアルファをエリートオメガがヨシヨシする話です。 オメガバースのアルファが『優秀』という部分を、オメガにあげたい!と思いついた世界観。 ※特殊設定の現代オメガバースです

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

拾った駄犬が最高にスパダリ狼だった件

竜也りく
BL
旧題:拾った駄犬が最高にスパダリだった件 あまりにも心地いい春の日。 ちょっと足をのばして湖まで採取に出かけた薬師のラスクは、そこで深手を負った真っ黒ワンコを見つけてしまう。 治療しようと近づいたらめちゃくちゃ威嚇されたのに、ピンチの時にはしっかり助けてくれた真っ黒ワンコは、なぜか家までついてきて…。 受けの前ではついついワンコになってしまう狼獣人と、お人好しな薬師のお話です。 ★不定期:1000字程度の更新。 ★他サイトにも掲載しています。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

第二王子の僕は総受けってやつらしい

もずく
BL
ファンタジーな世界で第二王子が総受けな話。 ボーイズラブ BL 趣味詰め込みました。 苦手な方はブラウザバックでお願いします。

人の恋路を邪魔しちゃいけません。

七賀ごふん
BL
“この男子校には恋仲を引き裂く悪魔がいる”。 ────────── 高校三年生の智紀は転校先で優しいクラスメイト、七瀬と出会う。文武両道、面倒見が良いイケメンの七瀬にすぐさま惹かれる智紀だが、会った初日に彼の裏の顔とゲスい目的を知ってしまい…。 天真爛漫な転校生×腹黒生徒会長。 他サイト様で本作の漫画Verも描いてます。 会長の弟くんの話は別作品で公開中。 表紙:七賀ごふん

恋わずらいの小児科医、ハレンチな駄犬に執着されています

相沢蒼依
BL
親友に実らない片想い中の俺の前に現れた年下の大学生――運命の人は誰なんだろうか。 アレルギー専門の小児科医院を経営している周防武。 秘かに想いを寄せる親友が、以前恋していた相手と再会する衝撃的な場面に立ち合い、心の傷をさらに深く負ったところに、「自分は重病人だ」と言い張る名前を名乗らないひとりの大学生と出逢い、ひょんなことから面倒を見ることになってしまった。 ☆以前執筆した作品を改題し、リメイクしております。

処理中です...