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第四章 幽世の試練
82.側仕の約束
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木から下りて里に戻ると、紅優が真を始めとした白狼たちに傅かれていた。
「天上の神とは知らず、無礼な発言の数々、お詫び申し上げます。我等、白狼を御救い頂きました御恩、何代までかかろうとも返せるものではございません」
深々と頭を下げる真に、紅優が思いっきり恐縮していた。
「いや、あれはその、作戦の一環で。俺はまだ、ここだと神様ではないというか。そんなに大層な者ではないというか。だから、頭を上げてください」
蒼愛たちの姿を見付けた紅優が泣きそうな顔で縋り付いた。
「蒼愛、助けて。霧疾さん、どうにかしてください」
紅優が小さな蒼愛にしがみ付く。
ちょっと気の毒になって、蒼愛は紅優の頭を撫でた。
「もう神様でいいんじゃないの? 三か月後には本当に瑞穂ノ神になるんだし。ちょっとした伝説っぽくなって、良かったじゃん」
霧疾の言葉に、紅優がショックを受けた顔をした。
「あのセリフ考えたの、霧疾さんでしょ。淤加美様と志那津様を呼び捨てにしちゃったんですよ。バレたらなんて言い訳したらいいんですか。怖すぎるんですけど」
紅優が手で顔を覆って泣いている。
志那津は気にしなそうだが、淤加美に知れたらとことん揶揄われるのだろうなと、蒼愛も思った。
「あの、御二人は神様ではないのですか? 一体、何者なんですか?」
真が不思議そうに問う。
その疑問は間違っていないと思った。
とはいえ、何と答えればいいのか、わからない。
「神様だよ。ただね、未来の神様なの。ここに居る色彩の宝石の蒼愛が、真の声を拾って時空を超えて未来から助けに来たわけ。だから、この時間軸だとまだいない神様なのよ」
霧疾があっけらかんと真相を暴露した。
「霧疾さん! そういうのって、話しちゃっていいものなんですか?」
それにより未来が変わったり、何かが歪んだりしないのだろうか。
慌てる蒼愛を尻目に、霧疾は落ち着いている。
「特に制限ないね。時間を遡ったり止めたりする妖怪とかいるくらいだし、珍しくないよね」
そんな風に言われると、そうなのかなと思う。
現世だとタブーになりそうな気がするが、妖怪の国だとアリなのだと理解した。
「未来の、神様、ですか……。時を戻ってまで、俺を、白狼を助けに来てくださったのですね。瑞穂ノ神は、この国の最高神と聞きます。色彩の宝石はこの国の要であるとも。そんなお二人が来てくださった。このご恩を、どうか返させていただきたい」
真が紅優に迫った。
驚いた紅優が身を仰け反らせている。
「恩とかは別に、考えなくていいんですけど。僕ら、真さんにお願いしたい事なら、あります。ね、紅優」
蒼愛の顔を振り返った紅優の表情が、徐々に落ち着いた。
「うん、そうだね。とりあえずは、三か月後まで生きていて欲しい。白狼の里を守ってほしいかな。俺たちが元の時間軸に戻れば、守るために手を尽くせる。それまでの間は、自分たちで里を守ってほしい」
紅優が諭すように話す。
真が息を飲んで、頷いた。
「これだけ強靭な結界を張っていただきました。自分たちの身は、自分たちで守ります」
真が誓うように胸に手を当てた。
「白狼の里については、志那津様が守ってくださるよ。湖についても淤加美様に相談してくれるはずだ。一報、入れておいたからね」
霧疾の言葉に、蒼愛は感動して振り返った。
「そうなの? いつの間に?」
「里に来る前に手紙、送っただろ。あれは、時の回廊に入った霧疾からこの時間軸の志那津様へ送った手紙なのよ。この時間軸の俺と区別するためにね。こっちに来る前も、志那津様、言ってたでしょ? 必要なら連絡して来い、加勢を送るってさ」
言われて、思い出した。
確かに言っていた。あの時は、まさか自分がタイムスリップするとは思っていなかったので普通に聞き流してしまった。
「時の回廊から過去や未来に飛ぶ仕事も時々あってさ。そういう時の伝令の方法は作ってあんのよ。勿論、未来の志那津様に手紙を送る方法もあるけど、今回は必要なかったねぇ。蒼愛と紅優で解決できっちゃたもんね」
霧疾が蒼愛の頭を撫でる。
「さぁて、俺たちはそろそろ帰らなきゃだけど、他に言い残したことはない?」
霧疾に促されて、蒼愛は紅優を振り返った。
紅優が蒼愛に頷き、真を振り返った。
「三か月後、真を迎えに来きたいと思うんだ。俺たちにはまだ側仕がいない。だから真に、俺たちを守る側仕になってほしい」
真が驚いた顔で呆けた。
だがその顔はすぐに確信めいて引き締まった。
「俺でお役に立てるのであれば、是非とも御傍においてください、紅優様、蒼愛様」
真が蒼愛に目を向けた。
「蒼愛様の神力を感じた時に、直感しました。俺はこの方を守るために生きているのだと。御二人の側仕になれるのであれば、光栄です」
真が改めて蒼愛と紅優の前に傅いた。
蒼愛は真に手を伸ばした。
「必ず迎えにくるね。これから一緒に生きよう」
真が伸ばした蒼愛の手を握る。
蒼愛の微笑みに笑みを返してくれた真の顔は、穏やかだった。
〇●〇●〇
蒼愛たちは白狼の里を離れた。
霧疾の足は風の森の中、最初に蒼愛たちが降り立った場所に向いている。
「急いで白狼の里を離れたのは、大蛇の俺たちへの襲撃を懸念して、ですか?」
紅優が霧疾に問う。
霧疾は懐中時計を確認しながら、返事した。
「んー? そうねぇ。折角、里も命も守ったのに、俺たちのせいで巻き添え喰っちゃ可哀想でしょ」
紅優の顔が険しくなった。
「どういう意味? 大蛇が僕たちを逆恨みして襲ってくるの?」
思えば霧疾は、蒼愛たちを急かしているようでもあった。
挨拶も、そこそこに出てきてしまった。
「逆恨みかどうかは、わかんねぇけどなぁ。……あのさ、蒼愛は前にも時の回廊から流れてきた声を聴いてんだろ? どんなだったの?」
唐突な霧疾の質問に、蒼愛は思い返した。
「性別とか、よくわからない声で、私の敵になるな、神々に騙されるなって、真実を知れって。最初は大気津様だと思ったけど、あれは八俣だったんだと思います」
霧疾がしきりに指を動かして懐中時計を操作している。
「ふぅん。他には? 何か、言ってなかった?」
「他に……」
蒼愛は懸命に、あの時の声を思い返した。
(どんな声、だったっけ。とても怖いことを言っていた気がする。思い出したくなくて、忘れようとしていたけど)
頭の奥の方から、あの時の声が蘇る。
同時に頭の芯がぼんやりして、目の前が霞んだ。
「……憎い、私を捨てた者たちが。嫌い、みんな喰われて消えればいい。総て壊れてしまえばいい、人も妖怪も神も、この世も。何もかも、消えてなくなればいい」
自分の口から出た声が、まるで他人のように響く。
紅優が顔色を変えた。
懐中時計を操作していた霧疾が手を止めて、蒼愛を振り返った。
「僕が、壊す。この世を何もなかった頃に戻す。僕は意志を持つ色彩の宝石だから。敵には、ならない。神々にかどわかされも、しない。真実を知って、僕が、この国を……」
「蒼愛、蒼愛!」
紅優が蒼愛の肩を掴んで体を揺さぶる。
声は聞こえるのに、体が動かない。
「幽世は生きることを望んでる。けど、幽世が生き物を放棄したら、存続を放棄したら、僕がこの世界を壊すんだ。それが色彩の宝石の、役割だから。僕が、神々を殺して、この世界を終わらせるんだ」
考えたこともない、知らない言葉が口から零れ落ちる。
怖くて紅優に縋り付きたいのに、指の一本も動かない。
「紅優、蒼愛の頭と胸の辺り、強めに浄化しろ」
霧疾の声がする。初めて聞くような鋭くて冷たい声だ。
霧疾の指が、蒼愛の額にあたっている。
会ってから初めて見る、真面目な顔だと思った。
紅優が蒼愛の頬を包んで神力を流す。
いつもは心地よいと感じる神力が、今は何故が気持ちが悪い。
胸の真ん中に冷たくて熱い何かを感じた。
その場所を霧疾の目が捉えた。
「胸だ。種が仕込まれてる。結構、育ってんね。取り出せる?」
「取り出します、絶対に」
紅優が言い切って、神力を纏った手を蒼愛の胸の中に伸ばした。
水面に指を入れるように、蒼愛の胸の中に紅優の指が入ってくる。
冷たくて温かい何かに触れそうになる。
驚くほど恐怖を感じた。
「いやだ、触らないで! 取り出さないで! それは、僕のだ!」
意に反して、体が勝手に紅優を拒んで暴れ出す。
「動くな」
霧疾が一言命令して、額に当てた指から妖力を流し込んだ。
暴れる蒼愛の体が、ぴたりと止まった。
その隙に、紅優が胸の中の種を取り出した。
体を支配していた恐怖が、すっと引いていく。
霧疾が指を離すと、体が前に傾いた。
「蒼愛! 聞こえる? 俺がわかる?」
耳元で紅優の声がする。
「紅優、僕……。考えても、いないこと、話してた。僕が、僕じゃない者に、なったみたいに。怖い……。怖いよ、紅優、怖い……」
全身の震えが止まらない。
力の入らない手で懸命に紅優にしがみ付く。
「大丈夫だよ。蒼愛がどうなろうと、俺が必ず蒼愛を連れ戻すから」
抱きしめてくれる腕に、震える手でしがみ付く。
紅優の温もりも神力も、ちゃんと心地よいと感じられる。
やっと少しだけ、安心できた。
「いつの間に仕込まれたんだか。最近じゃ、なさそうね」
紅優から種を受け取った霧疾が、摘まんで満遍なく観察している。
「そんなモノ、仕込むタイミングなんてなかったはずなのに」
紅優の言葉に、霧疾が考え込んだ。
「本当にそうか? 俺は二人のこと、あんまり知らねぇけど。例えば紅優の屋敷って時々、蛇々が盗みに入ってたんじゃなかったっけ? その要領で蒼愛に種を仕込んでたら、わからねぇぜ」
霧疾の指摘に、紅優の顔が強張った。
そんな紅優を眺めて、霧疾が息を吐いた。
「どちらにしろ、八俣が蒼愛に御執心って可能性は上がったなぁ。この種、持って帰って利荔の旦那に解析してもらっていいかい?」
「お願いします」
短く返事して、紅優が蒼愛を強く抱きしめた。
「俺だけじゃ、蒼愛を守れないんでしょうか。こんなに近くにいたのに、種が仕込まれていたこと自体、気が付けなかった。もし芽吹いていたらと思うと……」
紅優の声が震えている。
それだけ危険な種なんだと、蒼愛にも感じ取れた。
「今のは偶然、見つかっただけだからねぇ。俺もまさか、種が仕込まれてると思って聞いた訳じゃないしねぇ。見つかって取り出せて良かったと思うしかねぇんじゃねぇの?」
「霧疾さんが、いてくれて、聞いてくれて、良かったです」
紅優の声がずっと震えていて、泣きそうで、蒼愛は手を伸ばした。
抱きしめてくれる体を抱き返す。
「心配、かけて、ごめんね。僕もちゃんと、僕を守るから。紅優を、不安にさせたり、しないから」
「蒼愛、俺は……。蒼愛がいなくなってしまうのが、何より怖いよ」
蒼愛に顔を埋めて抱きしめる紅優は、まるで蒼愛に縋っているようだった。
「霧疾さん、種って、なんですか? 芽吹いたら僕は、どうなって、いたんですか?」
まだぼんやりする頭のまま、蒼愛は問い掛けた。
「色んな種があるんだけどねぇ。相手に埋め込んで、芽吹いて花が咲くと、刻んだ術式や妖術が作用すんのよ。これがどんな種かはちゃんと調べないとわかんねぇけど。瘴気の匂いが濃いし、大蛇の妖術の可能性が高ぇから、精神操作系じゃないかねぇ。蒼愛を取り込みたいんだろうぜ」
恐ろしくて言葉が出なかった。
意識まで乗っ取られて八俣の良いように使われてしまったら、どう抗えばいいか、わからない。
「やけに死の瘴気が近いし俺たちから離れねぇなと思って、急いで白狼の里を出たんだけどさ。近くにいる感じもしねぇし、おかしいとは思ってたのよ。この種だったんだろうなぁ。気配を感じるくらいまで、育っちまっていたってこった」
蒼愛を抱きしめる紅優の肩が震えた。
恐らく紅優も霧疾と同じように感じていたんだろう。気配の正体が蒼愛の中に在るとは、思いもよらなかっただろうが。
紅優の姿を眺める霧疾は、気の毒そうな顔をしている。
「側仕だけどさ。真の他に、瑞穂国が長い、慣れてる奴、一人入れてみたら? 蒼愛の安全にもなるし、紅優の安心にもなるぜ」
「そうですね、考えてみます」
紅優が蒼愛から体を離して、頬を撫でた。
その顔には、いまだに不安が滲んでいる。
(どうしたら、紅優を不安にさせないで、一緒に居られるんだろう。二人で幸せになれるんだろう)
色んな肩書が増えて、同じくらい危険も増えた。
何もいらない、ただ紅優と幸せになれたら、それで良かったのに。
笑い合えたら、それでいいのに。
そう思ったら涙があふれて止まらなくなった。
「え? 蒼愛?」
「紅優、好き、大好き。紅優しか要らない。紅優だけいればいい。紅優に笑ってほしいよ。一緒に幸せになりたい。好きだよ、好きぃ……」
泣きながら紅優の首に抱き付く。
「俺も大好きだよ。側仕が増えるのは、嫌かもしれないけど……」
紅優の言葉に、蒼愛は首を何度も横に振った。
「神様じゃなくていい、宝石じゃなくていい。特別なんかいらない。只の紅優と蒼愛でいいのに。一緒の幸せ、見付けたいだけなのに、何で……」
何で、放っておいてくれないんだろう。
おはようとおやすみを言い合える毎日が送りたいだけなのに。
「只の僕の我儘だよ、わかってる。側仕が増えるの、嫌じゃない。ちゃんとお役目も果たすよ。だけど時々、そういう気持ちが溢れちゃうんだ。紅優と普通に暮らしたいって、普通に幸せになりたいって。僕、凄く贅沢になっちゃった。ごめんなさい」
紅優の所に来たばかりの頃は、我儘を一つ言うだけで心臓が飛び出すほど緊張した。
今は、自己主張ばっかりで、我儘ばかりで、まるで贅沢に慣れてしまった自分が嫌になる。
「我儘なんかじゃないよ。贅沢でもない。蒼愛の本当の気持ちや希望が知りたいって、最初に会った時から言ってるでしょ。思ったこと、何でも言っていいんだ。蒼愛には心があるんだから、無理に殺さなくていいんだよ」
出会った時からずっと、紅優は同じ気持ちで同じ言葉で蒼愛を受け止めてくれる。
それが何より安心できて、大好きだ。
「紅優を不安にさせない僕になるね。紅優が笑ってくれたら、僕も嬉しいし、幸せだから」
すんすん鼻を鳴らす。紅優の指が蒼愛の涙を拭ってくれる。
「もっと言いたいこと言って、我儘言ってくれる蒼愛になってくれたら、俺はもっと嬉しいよ」
「それは、ちょっと狡い」
顔を上げたら、紅優が小さく笑った。
やっといつもの笑顔が見られて、蒼愛は少しだけ安堵した。
「おー、ようやく落ち着いた? んじゃ、帰るか」
二人の様子を窺っていた霧疾が立ち上がった。
「あ……、お待たせして、ごめんなさい」
「別にいいよ。お前って、あんなに強ぇのに、ガキ臭くて可愛いのな。ちょっと好きになりそー」
霧疾が蒼愛の頬にキスをする。
紅優が、あからさまに蒼愛の体を遠ざけた。
「やめてください。冗談でもやめてください。霧疾さん、番がいるでしょ」
紅優が青筋が立つ勢いで顔を引き攣らせている。
「取って食おうとは思ってねぇよ。スキンシップだろ」
懐中時計を取り出して、霧疾が笑う。
時計の蓋を開けると、霧疾の足下に大きな円陣が展開した。
体を添わせて真ん中に立つ。
「座標的に、時空の穴に入った次の日に帰るからなぁ。あんまり時間軸が近いとバグるから」
霧疾が懐中時計に妖力を流すと、円陣が緑色の光を放った。
光が溢れて、蒼愛たちを包み込む。
(霧疾さんがいなかったら、帰れなかった。どうしてあの時、志那津が渋ったのか、やっとわかった)
我ながら無謀なことをしたのだなと理解した。
「志那津様、チョコ残しといてくれてるかなぁ。全部、食べたかな」
そう零す霧疾の横顔が嬉しそうで、本当に帰るのだなと改めて思った。
「天上の神とは知らず、無礼な発言の数々、お詫び申し上げます。我等、白狼を御救い頂きました御恩、何代までかかろうとも返せるものではございません」
深々と頭を下げる真に、紅優が思いっきり恐縮していた。
「いや、あれはその、作戦の一環で。俺はまだ、ここだと神様ではないというか。そんなに大層な者ではないというか。だから、頭を上げてください」
蒼愛たちの姿を見付けた紅優が泣きそうな顔で縋り付いた。
「蒼愛、助けて。霧疾さん、どうにかしてください」
紅優が小さな蒼愛にしがみ付く。
ちょっと気の毒になって、蒼愛は紅優の頭を撫でた。
「もう神様でいいんじゃないの? 三か月後には本当に瑞穂ノ神になるんだし。ちょっとした伝説っぽくなって、良かったじゃん」
霧疾の言葉に、紅優がショックを受けた顔をした。
「あのセリフ考えたの、霧疾さんでしょ。淤加美様と志那津様を呼び捨てにしちゃったんですよ。バレたらなんて言い訳したらいいんですか。怖すぎるんですけど」
紅優が手で顔を覆って泣いている。
志那津は気にしなそうだが、淤加美に知れたらとことん揶揄われるのだろうなと、蒼愛も思った。
「あの、御二人は神様ではないのですか? 一体、何者なんですか?」
真が不思議そうに問う。
その疑問は間違っていないと思った。
とはいえ、何と答えればいいのか、わからない。
「神様だよ。ただね、未来の神様なの。ここに居る色彩の宝石の蒼愛が、真の声を拾って時空を超えて未来から助けに来たわけ。だから、この時間軸だとまだいない神様なのよ」
霧疾があっけらかんと真相を暴露した。
「霧疾さん! そういうのって、話しちゃっていいものなんですか?」
それにより未来が変わったり、何かが歪んだりしないのだろうか。
慌てる蒼愛を尻目に、霧疾は落ち着いている。
「特に制限ないね。時間を遡ったり止めたりする妖怪とかいるくらいだし、珍しくないよね」
そんな風に言われると、そうなのかなと思う。
現世だとタブーになりそうな気がするが、妖怪の国だとアリなのだと理解した。
「未来の、神様、ですか……。時を戻ってまで、俺を、白狼を助けに来てくださったのですね。瑞穂ノ神は、この国の最高神と聞きます。色彩の宝石はこの国の要であるとも。そんなお二人が来てくださった。このご恩を、どうか返させていただきたい」
真が紅優に迫った。
驚いた紅優が身を仰け反らせている。
「恩とかは別に、考えなくていいんですけど。僕ら、真さんにお願いしたい事なら、あります。ね、紅優」
蒼愛の顔を振り返った紅優の表情が、徐々に落ち着いた。
「うん、そうだね。とりあえずは、三か月後まで生きていて欲しい。白狼の里を守ってほしいかな。俺たちが元の時間軸に戻れば、守るために手を尽くせる。それまでの間は、自分たちで里を守ってほしい」
紅優が諭すように話す。
真が息を飲んで、頷いた。
「これだけ強靭な結界を張っていただきました。自分たちの身は、自分たちで守ります」
真が誓うように胸に手を当てた。
「白狼の里については、志那津様が守ってくださるよ。湖についても淤加美様に相談してくれるはずだ。一報、入れておいたからね」
霧疾の言葉に、蒼愛は感動して振り返った。
「そうなの? いつの間に?」
「里に来る前に手紙、送っただろ。あれは、時の回廊に入った霧疾からこの時間軸の志那津様へ送った手紙なのよ。この時間軸の俺と区別するためにね。こっちに来る前も、志那津様、言ってたでしょ? 必要なら連絡して来い、加勢を送るってさ」
言われて、思い出した。
確かに言っていた。あの時は、まさか自分がタイムスリップするとは思っていなかったので普通に聞き流してしまった。
「時の回廊から過去や未来に飛ぶ仕事も時々あってさ。そういう時の伝令の方法は作ってあんのよ。勿論、未来の志那津様に手紙を送る方法もあるけど、今回は必要なかったねぇ。蒼愛と紅優で解決できっちゃたもんね」
霧疾が蒼愛の頭を撫でる。
「さぁて、俺たちはそろそろ帰らなきゃだけど、他に言い残したことはない?」
霧疾に促されて、蒼愛は紅優を振り返った。
紅優が蒼愛に頷き、真を振り返った。
「三か月後、真を迎えに来きたいと思うんだ。俺たちにはまだ側仕がいない。だから真に、俺たちを守る側仕になってほしい」
真が驚いた顔で呆けた。
だがその顔はすぐに確信めいて引き締まった。
「俺でお役に立てるのであれば、是非とも御傍においてください、紅優様、蒼愛様」
真が蒼愛に目を向けた。
「蒼愛様の神力を感じた時に、直感しました。俺はこの方を守るために生きているのだと。御二人の側仕になれるのであれば、光栄です」
真が改めて蒼愛と紅優の前に傅いた。
蒼愛は真に手を伸ばした。
「必ず迎えにくるね。これから一緒に生きよう」
真が伸ばした蒼愛の手を握る。
蒼愛の微笑みに笑みを返してくれた真の顔は、穏やかだった。
〇●〇●〇
蒼愛たちは白狼の里を離れた。
霧疾の足は風の森の中、最初に蒼愛たちが降り立った場所に向いている。
「急いで白狼の里を離れたのは、大蛇の俺たちへの襲撃を懸念して、ですか?」
紅優が霧疾に問う。
霧疾は懐中時計を確認しながら、返事した。
「んー? そうねぇ。折角、里も命も守ったのに、俺たちのせいで巻き添え喰っちゃ可哀想でしょ」
紅優の顔が険しくなった。
「どういう意味? 大蛇が僕たちを逆恨みして襲ってくるの?」
思えば霧疾は、蒼愛たちを急かしているようでもあった。
挨拶も、そこそこに出てきてしまった。
「逆恨みかどうかは、わかんねぇけどなぁ。……あのさ、蒼愛は前にも時の回廊から流れてきた声を聴いてんだろ? どんなだったの?」
唐突な霧疾の質問に、蒼愛は思い返した。
「性別とか、よくわからない声で、私の敵になるな、神々に騙されるなって、真実を知れって。最初は大気津様だと思ったけど、あれは八俣だったんだと思います」
霧疾がしきりに指を動かして懐中時計を操作している。
「ふぅん。他には? 何か、言ってなかった?」
「他に……」
蒼愛は懸命に、あの時の声を思い返した。
(どんな声、だったっけ。とても怖いことを言っていた気がする。思い出したくなくて、忘れようとしていたけど)
頭の奥の方から、あの時の声が蘇る。
同時に頭の芯がぼんやりして、目の前が霞んだ。
「……憎い、私を捨てた者たちが。嫌い、みんな喰われて消えればいい。総て壊れてしまえばいい、人も妖怪も神も、この世も。何もかも、消えてなくなればいい」
自分の口から出た声が、まるで他人のように響く。
紅優が顔色を変えた。
懐中時計を操作していた霧疾が手を止めて、蒼愛を振り返った。
「僕が、壊す。この世を何もなかった頃に戻す。僕は意志を持つ色彩の宝石だから。敵には、ならない。神々にかどわかされも、しない。真実を知って、僕が、この国を……」
「蒼愛、蒼愛!」
紅優が蒼愛の肩を掴んで体を揺さぶる。
声は聞こえるのに、体が動かない。
「幽世は生きることを望んでる。けど、幽世が生き物を放棄したら、存続を放棄したら、僕がこの世界を壊すんだ。それが色彩の宝石の、役割だから。僕が、神々を殺して、この世界を終わらせるんだ」
考えたこともない、知らない言葉が口から零れ落ちる。
怖くて紅優に縋り付きたいのに、指の一本も動かない。
「紅優、蒼愛の頭と胸の辺り、強めに浄化しろ」
霧疾の声がする。初めて聞くような鋭くて冷たい声だ。
霧疾の指が、蒼愛の額にあたっている。
会ってから初めて見る、真面目な顔だと思った。
紅優が蒼愛の頬を包んで神力を流す。
いつもは心地よいと感じる神力が、今は何故が気持ちが悪い。
胸の真ん中に冷たくて熱い何かを感じた。
その場所を霧疾の目が捉えた。
「胸だ。種が仕込まれてる。結構、育ってんね。取り出せる?」
「取り出します、絶対に」
紅優が言い切って、神力を纏った手を蒼愛の胸の中に伸ばした。
水面に指を入れるように、蒼愛の胸の中に紅優の指が入ってくる。
冷たくて温かい何かに触れそうになる。
驚くほど恐怖を感じた。
「いやだ、触らないで! 取り出さないで! それは、僕のだ!」
意に反して、体が勝手に紅優を拒んで暴れ出す。
「動くな」
霧疾が一言命令して、額に当てた指から妖力を流し込んだ。
暴れる蒼愛の体が、ぴたりと止まった。
その隙に、紅優が胸の中の種を取り出した。
体を支配していた恐怖が、すっと引いていく。
霧疾が指を離すと、体が前に傾いた。
「蒼愛! 聞こえる? 俺がわかる?」
耳元で紅優の声がする。
「紅優、僕……。考えても、いないこと、話してた。僕が、僕じゃない者に、なったみたいに。怖い……。怖いよ、紅優、怖い……」
全身の震えが止まらない。
力の入らない手で懸命に紅優にしがみ付く。
「大丈夫だよ。蒼愛がどうなろうと、俺が必ず蒼愛を連れ戻すから」
抱きしめてくれる腕に、震える手でしがみ付く。
紅優の温もりも神力も、ちゃんと心地よいと感じられる。
やっと少しだけ、安心できた。
「いつの間に仕込まれたんだか。最近じゃ、なさそうね」
紅優から種を受け取った霧疾が、摘まんで満遍なく観察している。
「そんなモノ、仕込むタイミングなんてなかったはずなのに」
紅優の言葉に、霧疾が考え込んだ。
「本当にそうか? 俺は二人のこと、あんまり知らねぇけど。例えば紅優の屋敷って時々、蛇々が盗みに入ってたんじゃなかったっけ? その要領で蒼愛に種を仕込んでたら、わからねぇぜ」
霧疾の指摘に、紅優の顔が強張った。
そんな紅優を眺めて、霧疾が息を吐いた。
「どちらにしろ、八俣が蒼愛に御執心って可能性は上がったなぁ。この種、持って帰って利荔の旦那に解析してもらっていいかい?」
「お願いします」
短く返事して、紅優が蒼愛を強く抱きしめた。
「俺だけじゃ、蒼愛を守れないんでしょうか。こんなに近くにいたのに、種が仕込まれていたこと自体、気が付けなかった。もし芽吹いていたらと思うと……」
紅優の声が震えている。
それだけ危険な種なんだと、蒼愛にも感じ取れた。
「今のは偶然、見つかっただけだからねぇ。俺もまさか、種が仕込まれてると思って聞いた訳じゃないしねぇ。見つかって取り出せて良かったと思うしかねぇんじゃねぇの?」
「霧疾さんが、いてくれて、聞いてくれて、良かったです」
紅優の声がずっと震えていて、泣きそうで、蒼愛は手を伸ばした。
抱きしめてくれる体を抱き返す。
「心配、かけて、ごめんね。僕もちゃんと、僕を守るから。紅優を、不安にさせたり、しないから」
「蒼愛、俺は……。蒼愛がいなくなってしまうのが、何より怖いよ」
蒼愛に顔を埋めて抱きしめる紅優は、まるで蒼愛に縋っているようだった。
「霧疾さん、種って、なんですか? 芽吹いたら僕は、どうなって、いたんですか?」
まだぼんやりする頭のまま、蒼愛は問い掛けた。
「色んな種があるんだけどねぇ。相手に埋め込んで、芽吹いて花が咲くと、刻んだ術式や妖術が作用すんのよ。これがどんな種かはちゃんと調べないとわかんねぇけど。瘴気の匂いが濃いし、大蛇の妖術の可能性が高ぇから、精神操作系じゃないかねぇ。蒼愛を取り込みたいんだろうぜ」
恐ろしくて言葉が出なかった。
意識まで乗っ取られて八俣の良いように使われてしまったら、どう抗えばいいか、わからない。
「やけに死の瘴気が近いし俺たちから離れねぇなと思って、急いで白狼の里を出たんだけどさ。近くにいる感じもしねぇし、おかしいとは思ってたのよ。この種だったんだろうなぁ。気配を感じるくらいまで、育っちまっていたってこった」
蒼愛を抱きしめる紅優の肩が震えた。
恐らく紅優も霧疾と同じように感じていたんだろう。気配の正体が蒼愛の中に在るとは、思いもよらなかっただろうが。
紅優の姿を眺める霧疾は、気の毒そうな顔をしている。
「側仕だけどさ。真の他に、瑞穂国が長い、慣れてる奴、一人入れてみたら? 蒼愛の安全にもなるし、紅優の安心にもなるぜ」
「そうですね、考えてみます」
紅優が蒼愛から体を離して、頬を撫でた。
その顔には、いまだに不安が滲んでいる。
(どうしたら、紅優を不安にさせないで、一緒に居られるんだろう。二人で幸せになれるんだろう)
色んな肩書が増えて、同じくらい危険も増えた。
何もいらない、ただ紅優と幸せになれたら、それで良かったのに。
笑い合えたら、それでいいのに。
そう思ったら涙があふれて止まらなくなった。
「え? 蒼愛?」
「紅優、好き、大好き。紅優しか要らない。紅優だけいればいい。紅優に笑ってほしいよ。一緒に幸せになりたい。好きだよ、好きぃ……」
泣きながら紅優の首に抱き付く。
「俺も大好きだよ。側仕が増えるのは、嫌かもしれないけど……」
紅優の言葉に、蒼愛は首を何度も横に振った。
「神様じゃなくていい、宝石じゃなくていい。特別なんかいらない。只の紅優と蒼愛でいいのに。一緒の幸せ、見付けたいだけなのに、何で……」
何で、放っておいてくれないんだろう。
おはようとおやすみを言い合える毎日が送りたいだけなのに。
「只の僕の我儘だよ、わかってる。側仕が増えるの、嫌じゃない。ちゃんとお役目も果たすよ。だけど時々、そういう気持ちが溢れちゃうんだ。紅優と普通に暮らしたいって、普通に幸せになりたいって。僕、凄く贅沢になっちゃった。ごめんなさい」
紅優の所に来たばかりの頃は、我儘を一つ言うだけで心臓が飛び出すほど緊張した。
今は、自己主張ばっかりで、我儘ばかりで、まるで贅沢に慣れてしまった自分が嫌になる。
「我儘なんかじゃないよ。贅沢でもない。蒼愛の本当の気持ちや希望が知りたいって、最初に会った時から言ってるでしょ。思ったこと、何でも言っていいんだ。蒼愛には心があるんだから、無理に殺さなくていいんだよ」
出会った時からずっと、紅優は同じ気持ちで同じ言葉で蒼愛を受け止めてくれる。
それが何より安心できて、大好きだ。
「紅優を不安にさせない僕になるね。紅優が笑ってくれたら、僕も嬉しいし、幸せだから」
すんすん鼻を鳴らす。紅優の指が蒼愛の涙を拭ってくれる。
「もっと言いたいこと言って、我儘言ってくれる蒼愛になってくれたら、俺はもっと嬉しいよ」
「それは、ちょっと狡い」
顔を上げたら、紅優が小さく笑った。
やっといつもの笑顔が見られて、蒼愛は少しだけ安堵した。
「おー、ようやく落ち着いた? んじゃ、帰るか」
二人の様子を窺っていた霧疾が立ち上がった。
「あ……、お待たせして、ごめんなさい」
「別にいいよ。お前って、あんなに強ぇのに、ガキ臭くて可愛いのな。ちょっと好きになりそー」
霧疾が蒼愛の頬にキスをする。
紅優が、あからさまに蒼愛の体を遠ざけた。
「やめてください。冗談でもやめてください。霧疾さん、番がいるでしょ」
紅優が青筋が立つ勢いで顔を引き攣らせている。
「取って食おうとは思ってねぇよ。スキンシップだろ」
懐中時計を取り出して、霧疾が笑う。
時計の蓋を開けると、霧疾の足下に大きな円陣が展開した。
体を添わせて真ん中に立つ。
「座標的に、時空の穴に入った次の日に帰るからなぁ。あんまり時間軸が近いとバグるから」
霧疾が懐中時計に妖力を流すと、円陣が緑色の光を放った。
光が溢れて、蒼愛たちを包み込む。
(霧疾さんがいなかったら、帰れなかった。どうしてあの時、志那津が渋ったのか、やっとわかった)
我ながら無謀なことをしたのだなと理解した。
「志那津様、チョコ残しといてくれてるかなぁ。全部、食べたかな」
そう零す霧疾の横顔が嬉しそうで、本当に帰るのだなと改めて思った。
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