『からくり紅万華鏡』—餌として売られた先で溺愛された結果、この国の神様になりました—

霞花怜

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第四章 幽世の試練

77.鎌鼬の霧疾

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 声に導かれて走った先には、大きな回廊があった。
 風ノ宮の本殿からは離れた場所に、ひっそりと建っている。
 何重にも敷かれた結界に封じられて、冷たい印象を漂わせていた。

「この中から、聞こえるのか?」

 追いついた志那津に、蒼愛は頷いた。

「息が荒くて、浅いんだ。お腹を怪我しているのかも。いっぱい血が出たら、死んじゃう。もうそんな風に、誰も死なせたくないんだ。だから、助けに行く」

 あの時の芯の姿が頭から離れない。
 あんな風に苦しい思いをさせたくない。
 
「それじゃ、一緒に助けに行こうか、蒼愛」

 紅優が蒼愛の肩を付かんだ。

「うん、一緒に来て。二人で助けに行こう」

 何も聞かずに、蒼愛の断片的な言葉だけを受けて肯定してくれる紅優が、嬉しかった。

「時の回廊に入れますか? 蒼愛と俺で、助けに行ってきます」

 紅優が放った言葉で、目の前にあるのが時の回廊だと知った。

(祭祀の前、怖い声が漏れてきた場所って、ここだったんだ。静かで冷たくて、この場所自体が、ちょっと怖い)

 厳重な結界が張ってあるせいなのか、時の回廊はひっそりとして、まるで死んでいるような印象だった。

 志那津が困惑した表情をしている。
 言いたい言葉を飲み込んで、大きく息を吐いた。

「俺は立場的に、瑞穂ノ神と色彩の宝石を、安全が確保できていない時の回廊に入れる許可なんか出せない」

 志那津の言葉は尤もだ。
 祭祀の前、大気津の振りをして蒼愛に声を掛けてきた大蛇は、時の回廊を利用した。危険極まりない場所だ。

「恐らく、大蛇が無関係ではないのでしょう。そのせいで怪我をしているのなら、大蛇を断罪する材料になるかもしれません。淤加美様は喜びますよ」
「喜ぶわけがないだろう! 紅優と蒼愛を危険に晒してまで得る材料じゃない。罠だったら、どうするんだ」

 志那津の怒りは真っ当だ。
 自分の立場もわかっている。わかっているからこそ、行くべきだと思う。

「声は蒼愛にだけ聞こえた。蒼愛を呼んでいるんです。色彩の宝石である蒼愛が行かねばならない。だから俺も、共に行くんです」

 紅優が堂々と言い放った。
 その声は紅優だったが、まぎれもなく瑞穂ノ神だった。

「それに、蒼愛は諦めませんよ。大事な友達と、諦めない約束をしていますからね」

 紅優が蒼愛を振り返って笑んだ。

(紅優、僕と同じように感じて、考えてくれた。芯との約束、覚えてくれてる)

 胸の奥にじんわりと熱いものが込み上げる。
 宮の廊下の奥の方から、別の誰かの声が響いた。

「利荔の旦那ぁ、俺、現世出張から帰ってきたばっかりなんだけどぉ? 早く家に帰って可愛い番と愛の食事しないと愛情切れで死んじゃうんだけどぉ」
「まぁまぁ、これも二ノ側仕の大事な御役目だからね。帰ってきたら、きっと志那津様が褒章奮発してくれるから」

 利荔が誰かを連れて歩いてくる。
 華奢でひょろ長な男性だ。妖怪のように感じる。
 瑞穂国では珍しく洋服を着ているのが気になった。

「志那津様、霧疾きりとが帰ってきたからさ。一緒に行ってもらおうよ。それなら少しは安心なんじゃないの?」

 初めて会う妖怪に、蒼愛はぺこりと頭を下げた。
 霧疾が紅優と蒼愛をまじまじと見比べる。

「へぇ、紅優って本当に神様になったんだ。俺、失礼な態度、取ってないよね。これからもよしなに~。で、この小さいのが番? 色彩の宝石だっけ? 俺がいない間に瑞穂国、変わり過ぎなんだけど。付いていけないのに、このまま更に事件に首突っ込めって?」

 霧疾が利荔に恨めしい目を向けた。
 紅優は以前より知り合いらしい。霧疾を眺めて苦笑いしている。

「霧疾が一緒に行ってくれるなら、志那津様も時の回廊の封印を解く気になるんじゃないの?」
「え? そういう話?」

 利荔が志那津に声をかける。
 霧疾が投げた疑問はスルーされていた。
 志那津が難しい顔をしたまま、黙ってしまった。

「お願い、志那津。早くしないと、怪我をした人が死んじゃうかもしれない。声も呼吸も、どんどん弱くなってる。このまま放っておけない」

 耳の奥に届く声は、声というには言葉になっていない。
 ただの苦しそうな呼吸だ。
 蒼愛の気持ちが焦る。

「その怪我した奴は、知り合いか何かなの? 神様? 天上の存在? 一般の妖怪なら、地上の誰かがどうにかするんじゃないの? わざわざ、色彩の宝石が行かなくっても」
「そういう問題じゃないです!」

 蒼愛は霧疾の言葉を遮って怒鳴った。

「僕に声が届いたんです。僕に助けを求めているんです。僕が行かなきゃいけないんです。たとえどんな相手でも、誰かがどうにかしてくれたとしても、今、苦しんでいるって、僕は知っているのに、知らない振りなんかしたくない!」

 蒼愛は時の回廊に向かって、両手を翳した。

「ごめん、志那津。後でちゃんと結界、張り直すから。今は壊すよ」

 両手に神力を展開した蒼愛を、利荔が慌てて止めた。

「待って、待って、蒼愛。蒼愛が結界を壊したら、時の回廊まで壊れかねないから」
「つまり、全然知らねぇ奴から助けてって声が聞こえたから、助けに行きてぇと。助けられるだけの力が自分にはあると?」

 歩み寄った霧疾が蒼愛の顔を覗き込む。
 蒼愛は強く頷いた。

「僕なら、助けられる。助けて見せる。絶対、死なせたりしない」

 断言というより決意のような言葉だ。
 霧疾が、じっと蒼愛を見詰めた。

「お前、蒼愛っていうの? 俺、鎌鼬の霧疾っていうんだわ。よろしくな」

 突然、自己紹介すると、霧疾がニタリと笑んだ。
 細い目が、三日月のように弧を描いた。

「志那津様、開けてやりなよ。仕方がねぇから俺が一緒に行ってやんよ。只の自信過剰ってタイプじゃなさそうだし、どれだけの実力があんのか、色彩の宝石様のお手並み拝見、しようじゃねぇの」

 利荔と志那津が違う顔で、それぞれに息を吐いた。

「霧疾、紅優と蒼愛を守れ。絶対に死なせるな。必要であれば天上に報せを飛ばせ。加勢を送る」

 志那津が右手を前に出した。
 手首を左手で押さえて、鍵を回すような仕草で右手を回転させた。
 がちゃり、と鍵が開く音がして、時の回廊の結界が消えた。

「大蛇を見付けたら皆殺しにすりゃいんだろ。心配しなくっても、紅優と蒼愛はしっかり守りますよぉ。俺、お人好しって嫌いじゃないから」

 霧疾が志那津に向かってニタリと笑む。
 志那津が気まずそうに霧疾を睨みつけた。

 霧疾が蒼愛の襟首を掴んだ。
 そのまま足下の回廊に向かって飛び込む。

「うわぁ!」
「俺に掴まっときなよ、お坊ちゃん。ちゃんと声に耳を澄ませるんだぜ。回廊の真ん中に開いてる時空の穴に飛び込むからな」

 身軽に風を使いこなして、霧疾が浮き上がる。

「待って、霧疾さん。俺も行きますから!」

 霧疾が風を投げて紅優を浮かせると、その手を摑まえた。

「神様自ら出張るの? 働き者だねぇ。お人好しは神様になっても変わんねぇか。それとも番が大事かい?」
「命より大事ですよ。俺にとっては国より大事だ」

 紅優の言葉に、霧疾がクックと笑った。

「正直者になったねぇ、紅優。そういう変わり方、好きよ」

 紅優の頬に口付けて、霧疾が二人の体を掴み直す。
 真四角の回廊の真ん中に広がる中庭に、真っ黒な穴が見えた。

「おら、入るぜ。声を聞き逃すなよ、蒼愛。その声に向かって移動するからな」
「わかりました! それから、もう紅優のほっぺにキスしないでください!」

 蒼愛の苦言に、霧疾が面白そうに笑った。

「じゃ、行ってくるわ。志那津様ぁ、ゴデバのチョコ、買ってきたから食べていいよ~」

 志那津たちに霧疾が緩く声をかける。
 霧疾に掴まれた蒼愛と紅優は黒い渦に飲まれた。
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