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プロローグ
プロローグ 2
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◆
父により追放令を出されたヒキニート――庵は仕方なく、近所の公園へ向かう。
十七年間引き篭もっていた彼に、行くあてなど無いのだ。
行きつけの場所といえば、子供の頃から慣れ親しんだ近所の小さな公園とコンビニくらい。
公園に辿り着くと庵は、古ぼけたブランコに腰を下ろした。
公園ではまだ、幾人かの子供が砂場で遊んでいた。
(俺も昔はここで遊んでいたんだよなぁ)
砂場で遊ぶ子供を眺め、庵は溜息を吐く。
ともかく庵は、封筒の中身を「ひいふうみい」と数えた。
中身が現金であることは、気づいていた。
だが、いくら入っているのかまでは、分からなかったのだ。
五十万円を確認した。
家が建つ――訳が無いな――などと妄想をしたり打ち消したりしていた庵は、現実的になろうと試みる。
庵はダメな中年だが――別に最初からダメだった訳ではない。
考えようと思えば考えられるし、頑張ろうと思えば、頑張れるのだ。
それは今だって、同じ事である。
ブランコに座りながら、ゆらゆらと自分の今後を庵は考えた。
考えていると瞬く間に空が闇色を増し、子供たちが帰宅してゆく。
母親たちの声で、子供たちは家路についたのだ。
庵だって普通に生活が出来ていれば、目に付いた子供たちの父親であってもおかしくない年齢。
そう考えると、母親達と庵の年齢は、多分あまり変わらない。
現実を直視するとお腹が痛くなる庵だが、今は直視しすぎて押し潰されそうだ。
それでも庵は現実を、しっかりと見据えた。
まず、家を借りる。
そして、仕事を探す。
がんばって、仕事をする。
――嫌だ。
働きたくないでござる。
結局、仕事を辞める。
残念ながら、世界中に惜しまれつつ死亡。
庵は働きたくないのだ。
だが、働かなければ死ぬ。
その程度は理解している庵だった。
もっとも、世界中で庵を惜しむ人間は、最大でも四人であろう。
彼の誇大妄想は、激しい。
庵は計画を練り直す。
まず、風俗にいく。
そして、童貞卒業。
おめでとう。
だが、金を使い切る。
結果、路頭に迷う。
美女の涙の中、死亡。
またしても妄想が膨らんだ庵だ。
庵は、童貞をそろそろ卒業したい。
出来れば、ネット小説に載っているような、ハーレム主人公のようになりたいのだ。
でも、それを目指すと死ぬ。なぜなら金がかかるのだ。無料でハーレム主人公にはなれない。
それを理解することが、現実を見据えるということだ。
庵はさらに計画を練った。
まず、家を借りる。
そして、仕事を探す。
しっかりと仕事をする。
ご褒美として、風俗に行く。
童貞卒業。
おめでとう。ぱんぱかぱーん。
庵には、これしかなかった。今更、彼女が欲しいなんて贅沢は言わない。
何より、庵は我が侭を言う女が嫌いだ。妹を見ていれば、女の本性などわかる。だったら、金で買った女の方が従順で良い。これが生きつつ幸福感を味わう妥協点だと、庵は思う。ゲスなので、仕方の無い到達点であった。
ブランコの上で現実を見据えた庵はがっくりと項垂れたが、それでも決意を新たにしていた。
その時、不意に庵は声を掛けられた。
「よお、オッサン。随分金、持ってるじゃねぇか」
だが――色々と考えていた庵は、状況の変化に慄き、戸惑う。
いきなり低い声が響き、見上げれば目の前に巨漢がいたのだ。
「は、はわ、はわ、ん? ん?」
庵は息を呑んだ。
目の前に金髪を短く刈り込んだ、恐いお兄さんが立っている。
その隣では黒髪なパイナップル頭が指をバキボキと鳴らしながら、庵を見下ろしていた。
庵の声は、際限なく上擦っている。
「恐いお兄さんが公園なんか来るな!」
と、言いたいが、声にならない。
コミュ障が絡まれて、口だけで逃れる術はないのだ。むしろ他人とコミュニケート出来ない分、状況が悪化する。
それに涙目になった庵は気づいていないが、彼らはガラが悪くとも、まだ高校一年生だった。
「な、なな、何かな、お兄さんたち?」
庵は震え声でいった。しかし、返事は無い。
庵の目に、公園の入り口にも屯する無数の人影が見えた。
(皆、ニヤニヤしている。俺を狩ろうというのだろうか? 俺はモンスターじゃないのに)
庵はこう思った。
しかし庵は現代社会において、明らかにモンスターである。
なぜなら、弱くてキモいのだ。
なぜファンタジー世界においてスライムが狩られるか?
――弱くてキモいからだ。
もしも可愛くて強いスライムなら、多分きっと、許される。
もしかしたら、大魔王か英雄になるかもしれない。
だからやはり庵は、狩られるしかない。
三十五歳の男が意味無く化粧をしている――それは紛れも無くクリーチャーなのだ。まして今は、五十万という大金を手に持っていた。
そんな庵にはもはや、エンカウント・即・斬――しかないだろう。
「よ、よ、用事がないなら、ぼ、僕は――」
逃げる事も不可能だった。
庵には、素早さも足りない。現代人としてのステータスが、軒並み低いのだ。
バカンと一発、庵は顎にいいパンチを貰った。
庵の膝が、カクンと落ちる。
「おっと」
そして右手をつかまれ、庵は大切な封筒を強奪された。
「――気持ち悪りぃんだよ、化粧なんかしやがってよォ!」
勇者がモンスターを罵倒する。
否。
金を奪った金髪の男が、庵を突き放した。
「てめぇら、好きにしろ」
その動作は、庵を救済するものではなかったようだ。
金髪の男とパイナップルカットの男は背を見せたが、代わりに十人以上が庵を囲む。
「うーわ、こいつキモ!」
「やっちまおうぜ!」
そして――たいした理由も無く甚振られる庵は、蹲る。
(そうだ――俺は――俺ってだけで――)
――庵は過去を思い出していた。
(ああ、そうだ。
俺がヒキコモリになった理由。
虐められたからじゃないか。
それでも頑張って、高校は卒業した。
だけど、そこで俺は疲れ果てたんだ。
社会には、嫌な事や嫌な奴等が多い。だけど家なら安心だ。だから俺は家にいたんだ。
それなのに、外へ――出たばっかりに……)
「ちょっと、やめなさい! あんたたち、何やってるのよ!」
その時、庵の耳には妹の声が聞こえた。
虚ろな瞳を動かして声のした方角を見る庵は、不安になった。
蹲って蹴りに耐える庵は、妹が同じ目に遭うのではないかと、心配をする。
「く、来るな、き、来ちゃいけない、あ、愛里!」
声にならない声で、庵は言った。
(こいつらは、やりすぎる。だけど大人しくしていれば、いずれ通り過ぎる台風のようなものから。天災と一緒だ。立ち向かうなよ、愛里! 俺はお前に怪我なんかして欲しくないんだ!)
そう思う庵を尻目に、愛里はズンズンと不良達の中へ入ってゆく。
愛里の拳が一閃すると、不良は一人、また一人と膝から崩れ落ちる。
黒に金のラインが入ったジャージを着ている愛里は、ある意味で不良っぽい。なのでパッと見、ガラの悪さで不良たちに引けは取っていない。
(あれ? 愛里はOLだろ?
ああ、そうか。彼氏と知り合ったのが、総合格闘技のジムだったか。
昼は事務、夜もジム。なんなの、アイツ。それにしても、強いなぁ……)
庵は薄まった包囲に安堵しつつ、中腰になった。
愛里無双は凄いなーなどと暢気な感想も抱いたが、すぐにそれが間違いだったと思い知る。
愛里の背後に迫る、金髪の大柄な男が見えたからだ。
それは不良のリーダー格で、最初に庵を殴った男だった。
その男がナイフを手に、愛里に迫っていた。
咄嗟だった。
庵は自分でも驚くほどの速さで走ると、妹の後ろで両手を広げ、不良の前に立つ。
勢いのついた不良のナイフは、庵の腹部へ突き刺さった。
傷は深い。
何しろナイフの刃が全て、庵の身体に埋まっているのだから。
「お兄ちゃんっ!」
振り向いた愛里が、悲痛な声で叫ぶ。
いつもは蔑むような声で「塵虫」と庵を呼ぶ愛里が、久しぶりに「お兄ちゃん」と呼んでいた。
庵は場所も弁えず、感動した。
だが――庵の不安は尽きない。
庵は今、妹をなんとか救うことが出来た。
しかし不良はまだ、半分以上残っている。それにリーダー格はきっと強い。
そんな中で庵の身体は、自身の意志に反して崩れ落ちる。
血だまりが公園を汚した。
とにかく庵は、不安だった。
妹がどうなるのか――と。
「愛里っ!」
けれど直後に庵は見た。
駆けつけた鹿島――妹の彼氏――が右に、左にと動いた途端、瞬く間に不良達が倒される様を。
実にあっけなかった。
それに庵を刺した男も、まさかここまで深くナイフが刺さると思っていなかったのだろう。
「や、やっちまった……俺、やっちまったよ……」
などと口走りながら、震えていた。もう、戦意は無いようだ。
「鹿島くん――乱暴な妹だけど、頼むよ――」
庵は薄れる意識の中、妹に膝枕をされていた。
そこへ顔を寄せてきた妹の彼氏に、後事を託す。
不思議と、庵の中からコミュ障の気配は消えていた。
「そ、そんな! 頼むなんて……! お兄さん、事情は聞きました! 俺のところで一緒に働きましょうよ! ウチは小さな運送会社だけど、多分きっと、お兄さんなら頑張れるから……! そこで俺は立派な格闘家に、お兄さんはヒーローになればいい!」
鹿島は目に涙を溜めている。
付き合いがあった訳でもない。だが鹿島は庵が兄として、妹を守った事を理解していた。
それに何より、ただ生きて、目的も見出せないまま死ぬかもしれない庵を、心底哀れんでいた。
(もっと早く――きちんと話をしていれば)
鹿島は悔やんでいる。
愛里が兄を見捨てていない事を、鹿島は知っていた。
愛里は、兄を蔑むことで発奮させようとしていただけなのだ。
けれど――そのやり方が間違っていることを、鹿島は知っていた。
(だから、俺が話をしなきゃいけなかったんだ――)
悔やみつつも、鹿島の行動は冷静沈着だった。
すぐに携帯を使って、警察と救急車を呼んだ。
その間に、不良たちは蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
「クソッ……」
鹿島は救急車の到着が遅い事に、苛立つ。
庵の出血をみれば、このままでは危ないと思ったからだ。
それに――目を閉じて小さく息をする庵が、どこか満足気に微笑んでいることが不安だった。
(最後に、少しだけいい事をしたような気になって死ねるなら、それもアリだろう)
事実、庵はそんな風に思っていた。もはや死を覚悟しているのだ。
(――あれ?)
ふと、その時庵は目を開いた。
何か不思議な風が頬を撫でたからだ。
結局――庵は死の間際に不思議なモノを見る。
それは突如、空に現われた黒い塊だ。何か、妖艶な姿形をしているようにも見えた。
(黒い――女? 最後に神様も粋な計らいをしてくれるね――)
などと、童貞の庵が考えていると、それは庵に衝突した。
もっとも、それが愛里や鹿島に見えたという事は無い。
”ドンッ――!”
こうして、庵の意識はなくなった。
その後は宙に浮いているような、そんな感覚に包まれる。
「男……じゃと? わらわの……目は……この期に及んで……節穴……か? じゃが、なぜ化粧を? ああ……わらわもついに、滅するのか――い、や――この者も……死の寸前。ならば、まだ道はある……わらわは、断じて……復讐を諦め、ぬ、ぞ……」
庵は無意識の中で、妙な言葉を聞いた。
これが死ぬ瞬間の幻覚なのだろうか? 或いは天使の囁き? などと庵はふんわりしている。
(まあいいさ――どうせ死ぬなら、俺には関係ない)
こうして安田庵は死に――ミスティ・ハーティスも死んだ。
しかし二つの魂は融合して、異世界へと転生する。
それはミスティ・ハーティスの執念が齎した奇跡としか、言いようの無い出来事であった。
父により追放令を出されたヒキニート――庵は仕方なく、近所の公園へ向かう。
十七年間引き篭もっていた彼に、行くあてなど無いのだ。
行きつけの場所といえば、子供の頃から慣れ親しんだ近所の小さな公園とコンビニくらい。
公園に辿り着くと庵は、古ぼけたブランコに腰を下ろした。
公園ではまだ、幾人かの子供が砂場で遊んでいた。
(俺も昔はここで遊んでいたんだよなぁ)
砂場で遊ぶ子供を眺め、庵は溜息を吐く。
ともかく庵は、封筒の中身を「ひいふうみい」と数えた。
中身が現金であることは、気づいていた。
だが、いくら入っているのかまでは、分からなかったのだ。
五十万円を確認した。
家が建つ――訳が無いな――などと妄想をしたり打ち消したりしていた庵は、現実的になろうと試みる。
庵はダメな中年だが――別に最初からダメだった訳ではない。
考えようと思えば考えられるし、頑張ろうと思えば、頑張れるのだ。
それは今だって、同じ事である。
ブランコに座りながら、ゆらゆらと自分の今後を庵は考えた。
考えていると瞬く間に空が闇色を増し、子供たちが帰宅してゆく。
母親たちの声で、子供たちは家路についたのだ。
庵だって普通に生活が出来ていれば、目に付いた子供たちの父親であってもおかしくない年齢。
そう考えると、母親達と庵の年齢は、多分あまり変わらない。
現実を直視するとお腹が痛くなる庵だが、今は直視しすぎて押し潰されそうだ。
それでも庵は現実を、しっかりと見据えた。
まず、家を借りる。
そして、仕事を探す。
がんばって、仕事をする。
――嫌だ。
働きたくないでござる。
結局、仕事を辞める。
残念ながら、世界中に惜しまれつつ死亡。
庵は働きたくないのだ。
だが、働かなければ死ぬ。
その程度は理解している庵だった。
もっとも、世界中で庵を惜しむ人間は、最大でも四人であろう。
彼の誇大妄想は、激しい。
庵は計画を練り直す。
まず、風俗にいく。
そして、童貞卒業。
おめでとう。
だが、金を使い切る。
結果、路頭に迷う。
美女の涙の中、死亡。
またしても妄想が膨らんだ庵だ。
庵は、童貞をそろそろ卒業したい。
出来れば、ネット小説に載っているような、ハーレム主人公のようになりたいのだ。
でも、それを目指すと死ぬ。なぜなら金がかかるのだ。無料でハーレム主人公にはなれない。
それを理解することが、現実を見据えるということだ。
庵はさらに計画を練った。
まず、家を借りる。
そして、仕事を探す。
しっかりと仕事をする。
ご褒美として、風俗に行く。
童貞卒業。
おめでとう。ぱんぱかぱーん。
庵には、これしかなかった。今更、彼女が欲しいなんて贅沢は言わない。
何より、庵は我が侭を言う女が嫌いだ。妹を見ていれば、女の本性などわかる。だったら、金で買った女の方が従順で良い。これが生きつつ幸福感を味わう妥協点だと、庵は思う。ゲスなので、仕方の無い到達点であった。
ブランコの上で現実を見据えた庵はがっくりと項垂れたが、それでも決意を新たにしていた。
その時、不意に庵は声を掛けられた。
「よお、オッサン。随分金、持ってるじゃねぇか」
だが――色々と考えていた庵は、状況の変化に慄き、戸惑う。
いきなり低い声が響き、見上げれば目の前に巨漢がいたのだ。
「は、はわ、はわ、ん? ん?」
庵は息を呑んだ。
目の前に金髪を短く刈り込んだ、恐いお兄さんが立っている。
その隣では黒髪なパイナップル頭が指をバキボキと鳴らしながら、庵を見下ろしていた。
庵の声は、際限なく上擦っている。
「恐いお兄さんが公園なんか来るな!」
と、言いたいが、声にならない。
コミュ障が絡まれて、口だけで逃れる術はないのだ。むしろ他人とコミュニケート出来ない分、状況が悪化する。
それに涙目になった庵は気づいていないが、彼らはガラが悪くとも、まだ高校一年生だった。
「な、なな、何かな、お兄さんたち?」
庵は震え声でいった。しかし、返事は無い。
庵の目に、公園の入り口にも屯する無数の人影が見えた。
(皆、ニヤニヤしている。俺を狩ろうというのだろうか? 俺はモンスターじゃないのに)
庵はこう思った。
しかし庵は現代社会において、明らかにモンスターである。
なぜなら、弱くてキモいのだ。
なぜファンタジー世界においてスライムが狩られるか?
――弱くてキモいからだ。
もしも可愛くて強いスライムなら、多分きっと、許される。
もしかしたら、大魔王か英雄になるかもしれない。
だからやはり庵は、狩られるしかない。
三十五歳の男が意味無く化粧をしている――それは紛れも無くクリーチャーなのだ。まして今は、五十万という大金を手に持っていた。
そんな庵にはもはや、エンカウント・即・斬――しかないだろう。
「よ、よ、用事がないなら、ぼ、僕は――」
逃げる事も不可能だった。
庵には、素早さも足りない。現代人としてのステータスが、軒並み低いのだ。
バカンと一発、庵は顎にいいパンチを貰った。
庵の膝が、カクンと落ちる。
「おっと」
そして右手をつかまれ、庵は大切な封筒を強奪された。
「――気持ち悪りぃんだよ、化粧なんかしやがってよォ!」
勇者がモンスターを罵倒する。
否。
金を奪った金髪の男が、庵を突き放した。
「てめぇら、好きにしろ」
その動作は、庵を救済するものではなかったようだ。
金髪の男とパイナップルカットの男は背を見せたが、代わりに十人以上が庵を囲む。
「うーわ、こいつキモ!」
「やっちまおうぜ!」
そして――たいした理由も無く甚振られる庵は、蹲る。
(そうだ――俺は――俺ってだけで――)
――庵は過去を思い出していた。
(ああ、そうだ。
俺がヒキコモリになった理由。
虐められたからじゃないか。
それでも頑張って、高校は卒業した。
だけど、そこで俺は疲れ果てたんだ。
社会には、嫌な事や嫌な奴等が多い。だけど家なら安心だ。だから俺は家にいたんだ。
それなのに、外へ――出たばっかりに……)
「ちょっと、やめなさい! あんたたち、何やってるのよ!」
その時、庵の耳には妹の声が聞こえた。
虚ろな瞳を動かして声のした方角を見る庵は、不安になった。
蹲って蹴りに耐える庵は、妹が同じ目に遭うのではないかと、心配をする。
「く、来るな、き、来ちゃいけない、あ、愛里!」
声にならない声で、庵は言った。
(こいつらは、やりすぎる。だけど大人しくしていれば、いずれ通り過ぎる台風のようなものから。天災と一緒だ。立ち向かうなよ、愛里! 俺はお前に怪我なんかして欲しくないんだ!)
そう思う庵を尻目に、愛里はズンズンと不良達の中へ入ってゆく。
愛里の拳が一閃すると、不良は一人、また一人と膝から崩れ落ちる。
黒に金のラインが入ったジャージを着ている愛里は、ある意味で不良っぽい。なのでパッと見、ガラの悪さで不良たちに引けは取っていない。
(あれ? 愛里はOLだろ?
ああ、そうか。彼氏と知り合ったのが、総合格闘技のジムだったか。
昼は事務、夜もジム。なんなの、アイツ。それにしても、強いなぁ……)
庵は薄まった包囲に安堵しつつ、中腰になった。
愛里無双は凄いなーなどと暢気な感想も抱いたが、すぐにそれが間違いだったと思い知る。
愛里の背後に迫る、金髪の大柄な男が見えたからだ。
それは不良のリーダー格で、最初に庵を殴った男だった。
その男がナイフを手に、愛里に迫っていた。
咄嗟だった。
庵は自分でも驚くほどの速さで走ると、妹の後ろで両手を広げ、不良の前に立つ。
勢いのついた不良のナイフは、庵の腹部へ突き刺さった。
傷は深い。
何しろナイフの刃が全て、庵の身体に埋まっているのだから。
「お兄ちゃんっ!」
振り向いた愛里が、悲痛な声で叫ぶ。
いつもは蔑むような声で「塵虫」と庵を呼ぶ愛里が、久しぶりに「お兄ちゃん」と呼んでいた。
庵は場所も弁えず、感動した。
だが――庵の不安は尽きない。
庵は今、妹をなんとか救うことが出来た。
しかし不良はまだ、半分以上残っている。それにリーダー格はきっと強い。
そんな中で庵の身体は、自身の意志に反して崩れ落ちる。
血だまりが公園を汚した。
とにかく庵は、不安だった。
妹がどうなるのか――と。
「愛里っ!」
けれど直後に庵は見た。
駆けつけた鹿島――妹の彼氏――が右に、左にと動いた途端、瞬く間に不良達が倒される様を。
実にあっけなかった。
それに庵を刺した男も、まさかここまで深くナイフが刺さると思っていなかったのだろう。
「や、やっちまった……俺、やっちまったよ……」
などと口走りながら、震えていた。もう、戦意は無いようだ。
「鹿島くん――乱暴な妹だけど、頼むよ――」
庵は薄れる意識の中、妹に膝枕をされていた。
そこへ顔を寄せてきた妹の彼氏に、後事を託す。
不思議と、庵の中からコミュ障の気配は消えていた。
「そ、そんな! 頼むなんて……! お兄さん、事情は聞きました! 俺のところで一緒に働きましょうよ! ウチは小さな運送会社だけど、多分きっと、お兄さんなら頑張れるから……! そこで俺は立派な格闘家に、お兄さんはヒーローになればいい!」
鹿島は目に涙を溜めている。
付き合いがあった訳でもない。だが鹿島は庵が兄として、妹を守った事を理解していた。
それに何より、ただ生きて、目的も見出せないまま死ぬかもしれない庵を、心底哀れんでいた。
(もっと早く――きちんと話をしていれば)
鹿島は悔やんでいる。
愛里が兄を見捨てていない事を、鹿島は知っていた。
愛里は、兄を蔑むことで発奮させようとしていただけなのだ。
けれど――そのやり方が間違っていることを、鹿島は知っていた。
(だから、俺が話をしなきゃいけなかったんだ――)
悔やみつつも、鹿島の行動は冷静沈着だった。
すぐに携帯を使って、警察と救急車を呼んだ。
その間に、不良たちは蜘蛛の子を散らすように姿を消した。
「クソッ……」
鹿島は救急車の到着が遅い事に、苛立つ。
庵の出血をみれば、このままでは危ないと思ったからだ。
それに――目を閉じて小さく息をする庵が、どこか満足気に微笑んでいることが不安だった。
(最後に、少しだけいい事をしたような気になって死ねるなら、それもアリだろう)
事実、庵はそんな風に思っていた。もはや死を覚悟しているのだ。
(――あれ?)
ふと、その時庵は目を開いた。
何か不思議な風が頬を撫でたからだ。
結局――庵は死の間際に不思議なモノを見る。
それは突如、空に現われた黒い塊だ。何か、妖艶な姿形をしているようにも見えた。
(黒い――女? 最後に神様も粋な計らいをしてくれるね――)
などと、童貞の庵が考えていると、それは庵に衝突した。
もっとも、それが愛里や鹿島に見えたという事は無い。
”ドンッ――!”
こうして、庵の意識はなくなった。
その後は宙に浮いているような、そんな感覚に包まれる。
「男……じゃと? わらわの……目は……この期に及んで……節穴……か? じゃが、なぜ化粧を? ああ……わらわもついに、滅するのか――い、や――この者も……死の寸前。ならば、まだ道はある……わらわは、断じて……復讐を諦め、ぬ、ぞ……」
庵は無意識の中で、妙な言葉を聞いた。
これが死ぬ瞬間の幻覚なのだろうか? 或いは天使の囁き? などと庵はふんわりしている。
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