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第5章 決戦!クライマックス・ステージ
69 投手の本能
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「さあ! しまっていこう!」
プレイボールのコールとともに、谷口が両手を高々と掲げてナインに声をかける。
それに応える野手陣の声も、いつもに増して大きなものだった。
ドルフィンズナインの気合いは、誰から見ても明らかなものだった。
他方、それとは対照的に、大久保の頭は冷静だった。
コーナーを突く丁寧な投球と、打者がいなくともセットポジションからのクイックを織り交ぜて行う変則的な投球で、初回から凡打の山を築いていく。
しかし、打線は気合いが空回りしたのか、ランナーを出すも打ち損じや力の入りすぎた三振を繰り返してしまい、こちらも無得点を続けてしまう。
試合はホワイトラン監督の狙い通り、投手戦になった。
両チームともチャンスを作れぬまま、試合は3回裏までゼロ進行が続く。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000=0
東京 000=0
そして0対0で迎えた4回表、ドルフィンズに転機が訪れる。
この回も大久保は簡単に2アウトを取る。
だが試合開始からの気合いから、はたまた緊張からか。
名手・内田が何でもないセカンドゴロをファンブルして2死1塁とすると、次に迎えた3番・上尾が放ったどん詰まりのサードゴロを、今度はサード・田村がフィルダースチョイス。
一気に2死1・2塁のピンチを迎えてしまう。
そして、味方のエラーでリズムを崩されたのか、大久保も四球を出してしまい、2死満塁となる。
ここで迎えるバッターは、4番レフト・太田。
今日の大久保は決して調子が悪いわけではなかった。
ストレートも走っていたし、スライダーも切れている。
ランナーを背負っても打者のタイミングを外せている。
(大丈夫や。いつも通りやれば、抑えられる。)
大久保は谷口から初球スライダーのサインを受け取ると、セットポジションに入ってふと顔を見上げる。
その視線の先には、3塁側スタンドの中腹で、祈るように両手を合わせる子供たちの姿があった。
「そんなに心配せんでも、かっこいいとこ見せたるって。いつだって俺は――」
ブツブツと独り言を言うと、一瞬静止して、クイックでボールを投じる。
「みんなのヒーローでなきゃいけないんや!」
大久保の左腕が投じたボールは、右打席に立つ太田の膝元で鋭く変化する。
変化の直前までど真ん中に向かっていたボールに、思わず太田も反応しそうになる。
「――っ! アカン!」
大久保が思わず声に出した瞬間、予想よりも大きく曲がりすぎたスライダーが、太田の左すねに直撃した。
当たった場所にはレガースが装着されていたため、ボールは鈍い音を立てて大きく跳ねる。
幸い、太田はなんともないようだ。
レガースを外してさっさと1塁へ向かう。
そして、それを見て手を叩きながら、3塁走者がゆっくりとホームを踏んだ。
反射的に帽子を取って謝罪の意を表する大久保を、タイタンズファンが放つ大きな歓声とブーイングが包み込んだ。
(そりゃあ、すまんことしたけどな……実際痛いのはこっちやわ……)
痛恨の押し出し死球で、ドルフィンズは1点を失った。
「投手戦にするからには、先制点をとっておきたい」というホワイトラン監督のプランは見事に崩れ去ってしまった。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000 0=0
東京 000 1=1
大久保は次の打者をなんとかレフトフライに打ち取り、この回を1点で切り抜けた。
だがベンチに戻る大久保は、心配そうに見つめる子供たちの方を見ることはできなかった。
うつむき加減のままベンチの低い階段をまたぐ。
「大久保さん、さーせんした!」
すかさず内田が駆け寄って頭を下げる。
「ええよ。いっつも内田くんにはファインプレーで助けてもらっとるしな。さっきの差し引いてもお釣りが来るわ。」
こういうときにも仲間を気遣えるのが、大久保のいいところだ。
「俺も……すみません!」
「田村ァ! お前はアカンわ。何回目や! 代わりに次の打席で一発、頼むで!」
ついでに、消極的になりやすい選手には檄を飛ばせるところも。
「は、はい! 打ちます!」
「今言ったな? 絶対やぞ!」
大久保は田村の尻を強めに叩くと、またカラカラと笑ってからベンチにどっかと腰を下ろした。
(しっかし、このままだとまずいわな……タイタンズ打線を勢いづかせんといいんやけど。まったく、かっこ悪いとこ見せてもうたで。)
エラーをした2人を励ました後、大久保は物思いにふける。
普段支えてくれるリリーフ陣のためにも、そして明日の最終決戦を万全な状態で迎えさせるためにも、今日はどうしても完投勝利を挙げたかった。
この試合の先発の重要性を誰よりも知っているのは、大阪ロイヤルズという強豪チームからやってきた者ゆえだった。
その重要性を知ってだろうか。
迎えた5回表、宣言通り田村がソロホームランを放ち、ドルフィンズは瞬く間に同点に追いつく。
「こいつ! ほんまにやりやがった!」
ベンチに帰ってきた田村を、大久保が真っ先に手荒い祝福で迎える。
「だからいったじゃないですか。取り返しますって。」
ひとしきり歓迎を受けた後、田村はもう一度大久保に駆け寄っていう。
まだ20代半ばのその姿には貫禄すらあった。
太田が抜けた後に命を受けた急造の4番打者は、いつの間にか本物の4番打者へと変貌を遂げつつあった。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000 01=1
東京 000 1 =1
「さあて、そろそろギアをあげんといかんな。」
大久保は自分に言い聞かせるように気合を入れなおすして、5回裏のマウンドに上がると、さらなる快投を見せた。
すでに70球を超えようとする球数にもかからわず、この日のMAX147km/hのストレートで先頭打者を三球三振でねじ伏せると、続く打者にも緩急をつけたピッチングで付け入るスキを与えなかった。
この回を三者凡退で切り抜けた大久保は、完全に自分のピッチングを取り戻した。
しかし、それでは簡単に終わらないのがタイタンズが王者たるゆえんだ。
タイタンズ相手にこれまで対策がとられた数だけ、新たな戦術を生み出しては、それを上回ってきた。
今度は左の大久保に対して、ずらりと右打者を並べた代打攻勢に出てきた。
もちろん、ここで出てくる打者も、他球団なら即レギュラーになれる実力の持ち主である。
本来なら1試合のうちに回ってくる4打席のうちの1つのはずだが、彼らはいま控え選手。
この打席で結果を出すしかないと、必死で食らいついてくる。
「やっぱりFAしても、このプレッシャーは変わらんね。」
大久保は自嘲気味につぶやくと、3塁ベンチにちらりと目をやる。
もちろん、ホワイトラン監督は大久保のほうを見てゆっくりと頷くけだ。
「わかってますよ。この試合、俺が完投するぐらいの気持ちでいかんとね。ちょうど子供たちも東京まで見に来とるし、長いこと投げたかったんや。これぞまさしく、ウィンーウィンやね。」
生え抜きから他球団からの移籍組、果ては外国人助っ人までが代打として登場する展開に、大久保は必死でかわすピッチングを展開した。
ある打者にはクイックでタイミングを外しながら、またある打者には1球たりとも同じ球種を投げずに変化球で押して。
なんとか2死1・2塁までこぎつけると、3番・上尾を迎える。
6人ぶりに迎えた左対左だ。
しかし相手は驚異のスラッガー・上尾。
大久保は一度天を仰いで大きく深呼吸すると、上尾に向き合う。
まだ6回だが、ペース配分などしていられない。
そのことは大久保も、そしてボールを受ける谷口もわかっていた。
(インハイに、ストライクになる真っ直ぐ)
谷口から大久保への、「出し惜しみなしで全力投球してこい」という合図だ。
(まったく、このお人はほんまに人使いが荒いやっちゃな。ほんだら、やったりますよ。)
ピンチになると見せるニヤニヤとした表情を、大久保は今日初めて見せた。
精神的に追い込まれそうなときに、自分を奮い立たせるだけではない。
相手に表情を読まれないように、あえてやっている大久保なりの処世術だ。
大久保がこの顔を浮かべるときは、それだけ追い込まれている証拠であることを、谷口はわかっていた。
だからこそ、ここを切り抜けるには全力投球しかないと察したのだ。
大久保が投じたストレートは、上尾の得意コース、インハイに真っ直ぐ向かう。
チャンスボールと確信した上尾は当然打ちに来る。
ベテラン同士の、力と力の真っ向勝負だ。
力勝負には上尾に分がある。
それは誰もがわかっていた。
しかし、それゆえに上尾の頭の中には、「かわしてくるだろう」という思惑があった。
とっさに出足が遅れたバットと、大久保の今日一番の全力投球に、上尾のバットは空を切る。
上尾のフルスイングが空を切ったのを見てどよめくスタジアムを尻目に、大久保は次のサインを伺う。
群衆の声が気にならなかったわけではない。
気にする余裕がなかったのだ。
息をのむような緊張感を抱えつつ、大久保は丁寧にコーナーを突くピッチングを見せる。
2球目、カット、ボール。1-1。
3球目、チェンジアップ、ストライク。1-2。
そして順調に追い込んだ後の4球目。
大久保としては、ボールカウントに余裕がある今のうちに、勝負を決めてしまいたかった。
(インローに、ボールになるフォーク)
これしかなかった。
大久保は覚悟を決めたように、待っていたサインが出たのを確認して頷くと、ゆっくりとセットポジションに入る。
そして上尾に心の余裕を与えないよう、すぐにボールを投じた。
一見ストレートのような軌道でボールはベースに向かう。
そして、ホームベースの直前で急に失速し、地面に吸い寄せられるように落ちていく。
(よし!)
狙い通りのコースに、大久保は打ち取ったものと確信した。
しかし、上尾にとってはこのコースは何度もロイヤルズ時代の大久保に打ち取られたボールだった。
読み切っていたかのようにひざを折って無理やりバットの芯に当てる。
さすがにインコースを得意とするの上尾といえども、ボールゾーンに差し掛かるコースのボールを長打にすることは難しい。
だが、早い打球を打ち返すには十分なアジャストだった。
打球は真っ直ぐにピッチャー返しとなり、マウンド横を襲う。
(あかん! やってもうた!)
このまま後ろに逸らしたら、また勝ち越し打となってしまう――。
そう大久保が確信した瞬間だった。
今日一番のどよめきがスタジアムを包むと、ボールはマウンド付近を転々と転がっていた。
とっさに大久保が投げ終わった後の左足を出してボールに当てたのだ。
大久保の膝にあたったボールは、力なく一塁方向に転がっていく。
それを前進した内田がすかさず拾って1塁へ。
ドルフィンズは結果的にセカンドゴロに上尾を打ち取り、この回を無失点で切り抜けた。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000 01=1
東京 000 10=1
「大久保さん!!」
しかし、内田が駆けつけたのは、3塁ベンチではなくマウンドだった。
マウンドにはうずくまって左ひざを押さえたまま動かない大久保の姿。
心配そうに集まる内野陣。
3アウトを取った後のため、外野からも選手が集まってくる。
「すまん……とっさにやってもうたわ……。」
アイシングスプレーを持ってきたトレーナーに、消え入りそうな声でそう告げるのが精一杯だった。
「次の1点だけはやりたくなかってな……ピッチャーの本能がこんなときに顔を出しやがったわ。よりによってこの場所とはな……。」
打球が直撃した場所は、大久保の古傷である左ひざだった。
◆◇◆◇◆
「大久保さんっ!」
聞こえるわけもないのに、ブルペンのモニターに向かって楓も思わず叫んでいた。
しかし今日は調整日と決められ、ボールを握ることすら許されていない。
ブルペンで肩を作るリリーフ陣からも蚊帳の外になり、試合を見つめることしかできないもどかしさをかみしめていた。
そこに来て、この展開だ。
叫ばずにはいられなかった。
「河本コーチ……!」
とっさに呼びかけていた。
「私に……私にこの続きを投げさせてください!」
しかし、河本コーチは申し訳なさそうに首を振るだけだ。
大久保から聞いていた、移籍の動機が脳裏をよぎる。
大久保は、古傷を抱えたままリリーフ投手を続けることに懸念を抱いて、ドルフィンズへ移籍したのだ。
「どうしてですか!」
楓はさらに河本コーチに詰め寄った。
プレイボールのコールとともに、谷口が両手を高々と掲げてナインに声をかける。
それに応える野手陣の声も、いつもに増して大きなものだった。
ドルフィンズナインの気合いは、誰から見ても明らかなものだった。
他方、それとは対照的に、大久保の頭は冷静だった。
コーナーを突く丁寧な投球と、打者がいなくともセットポジションからのクイックを織り交ぜて行う変則的な投球で、初回から凡打の山を築いていく。
しかし、打線は気合いが空回りしたのか、ランナーを出すも打ち損じや力の入りすぎた三振を繰り返してしまい、こちらも無得点を続けてしまう。
試合はホワイトラン監督の狙い通り、投手戦になった。
両チームともチャンスを作れぬまま、試合は3回裏までゼロ進行が続く。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000=0
東京 000=0
そして0対0で迎えた4回表、ドルフィンズに転機が訪れる。
この回も大久保は簡単に2アウトを取る。
だが試合開始からの気合いから、はたまた緊張からか。
名手・内田が何でもないセカンドゴロをファンブルして2死1塁とすると、次に迎えた3番・上尾が放ったどん詰まりのサードゴロを、今度はサード・田村がフィルダースチョイス。
一気に2死1・2塁のピンチを迎えてしまう。
そして、味方のエラーでリズムを崩されたのか、大久保も四球を出してしまい、2死満塁となる。
ここで迎えるバッターは、4番レフト・太田。
今日の大久保は決して調子が悪いわけではなかった。
ストレートも走っていたし、スライダーも切れている。
ランナーを背負っても打者のタイミングを外せている。
(大丈夫や。いつも通りやれば、抑えられる。)
大久保は谷口から初球スライダーのサインを受け取ると、セットポジションに入ってふと顔を見上げる。
その視線の先には、3塁側スタンドの中腹で、祈るように両手を合わせる子供たちの姿があった。
「そんなに心配せんでも、かっこいいとこ見せたるって。いつだって俺は――」
ブツブツと独り言を言うと、一瞬静止して、クイックでボールを投じる。
「みんなのヒーローでなきゃいけないんや!」
大久保の左腕が投じたボールは、右打席に立つ太田の膝元で鋭く変化する。
変化の直前までど真ん中に向かっていたボールに、思わず太田も反応しそうになる。
「――っ! アカン!」
大久保が思わず声に出した瞬間、予想よりも大きく曲がりすぎたスライダーが、太田の左すねに直撃した。
当たった場所にはレガースが装着されていたため、ボールは鈍い音を立てて大きく跳ねる。
幸い、太田はなんともないようだ。
レガースを外してさっさと1塁へ向かう。
そして、それを見て手を叩きながら、3塁走者がゆっくりとホームを踏んだ。
反射的に帽子を取って謝罪の意を表する大久保を、タイタンズファンが放つ大きな歓声とブーイングが包み込んだ。
(そりゃあ、すまんことしたけどな……実際痛いのはこっちやわ……)
痛恨の押し出し死球で、ドルフィンズは1点を失った。
「投手戦にするからには、先制点をとっておきたい」というホワイトラン監督のプランは見事に崩れ去ってしまった。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000 0=0
東京 000 1=1
大久保は次の打者をなんとかレフトフライに打ち取り、この回を1点で切り抜けた。
だがベンチに戻る大久保は、心配そうに見つめる子供たちの方を見ることはできなかった。
うつむき加減のままベンチの低い階段をまたぐ。
「大久保さん、さーせんした!」
すかさず内田が駆け寄って頭を下げる。
「ええよ。いっつも内田くんにはファインプレーで助けてもらっとるしな。さっきの差し引いてもお釣りが来るわ。」
こういうときにも仲間を気遣えるのが、大久保のいいところだ。
「俺も……すみません!」
「田村ァ! お前はアカンわ。何回目や! 代わりに次の打席で一発、頼むで!」
ついでに、消極的になりやすい選手には檄を飛ばせるところも。
「は、はい! 打ちます!」
「今言ったな? 絶対やぞ!」
大久保は田村の尻を強めに叩くと、またカラカラと笑ってからベンチにどっかと腰を下ろした。
(しっかし、このままだとまずいわな……タイタンズ打線を勢いづかせんといいんやけど。まったく、かっこ悪いとこ見せてもうたで。)
エラーをした2人を励ました後、大久保は物思いにふける。
普段支えてくれるリリーフ陣のためにも、そして明日の最終決戦を万全な状態で迎えさせるためにも、今日はどうしても完投勝利を挙げたかった。
この試合の先発の重要性を誰よりも知っているのは、大阪ロイヤルズという強豪チームからやってきた者ゆえだった。
その重要性を知ってだろうか。
迎えた5回表、宣言通り田村がソロホームランを放ち、ドルフィンズは瞬く間に同点に追いつく。
「こいつ! ほんまにやりやがった!」
ベンチに帰ってきた田村を、大久保が真っ先に手荒い祝福で迎える。
「だからいったじゃないですか。取り返しますって。」
ひとしきり歓迎を受けた後、田村はもう一度大久保に駆け寄っていう。
まだ20代半ばのその姿には貫禄すらあった。
太田が抜けた後に命を受けた急造の4番打者は、いつの間にか本物の4番打者へと変貌を遂げつつあった。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000 01=1
東京 000 1 =1
「さあて、そろそろギアをあげんといかんな。」
大久保は自分に言い聞かせるように気合を入れなおすして、5回裏のマウンドに上がると、さらなる快投を見せた。
すでに70球を超えようとする球数にもかからわず、この日のMAX147km/hのストレートで先頭打者を三球三振でねじ伏せると、続く打者にも緩急をつけたピッチングで付け入るスキを与えなかった。
この回を三者凡退で切り抜けた大久保は、完全に自分のピッチングを取り戻した。
しかし、それでは簡単に終わらないのがタイタンズが王者たるゆえんだ。
タイタンズ相手にこれまで対策がとられた数だけ、新たな戦術を生み出しては、それを上回ってきた。
今度は左の大久保に対して、ずらりと右打者を並べた代打攻勢に出てきた。
もちろん、ここで出てくる打者も、他球団なら即レギュラーになれる実力の持ち主である。
本来なら1試合のうちに回ってくる4打席のうちの1つのはずだが、彼らはいま控え選手。
この打席で結果を出すしかないと、必死で食らいついてくる。
「やっぱりFAしても、このプレッシャーは変わらんね。」
大久保は自嘲気味につぶやくと、3塁ベンチにちらりと目をやる。
もちろん、ホワイトラン監督は大久保のほうを見てゆっくりと頷くけだ。
「わかってますよ。この試合、俺が完投するぐらいの気持ちでいかんとね。ちょうど子供たちも東京まで見に来とるし、長いこと投げたかったんや。これぞまさしく、ウィンーウィンやね。」
生え抜きから他球団からの移籍組、果ては外国人助っ人までが代打として登場する展開に、大久保は必死でかわすピッチングを展開した。
ある打者にはクイックでタイミングを外しながら、またある打者には1球たりとも同じ球種を投げずに変化球で押して。
なんとか2死1・2塁までこぎつけると、3番・上尾を迎える。
6人ぶりに迎えた左対左だ。
しかし相手は驚異のスラッガー・上尾。
大久保は一度天を仰いで大きく深呼吸すると、上尾に向き合う。
まだ6回だが、ペース配分などしていられない。
そのことは大久保も、そしてボールを受ける谷口もわかっていた。
(インハイに、ストライクになる真っ直ぐ)
谷口から大久保への、「出し惜しみなしで全力投球してこい」という合図だ。
(まったく、このお人はほんまに人使いが荒いやっちゃな。ほんだら、やったりますよ。)
ピンチになると見せるニヤニヤとした表情を、大久保は今日初めて見せた。
精神的に追い込まれそうなときに、自分を奮い立たせるだけではない。
相手に表情を読まれないように、あえてやっている大久保なりの処世術だ。
大久保がこの顔を浮かべるときは、それだけ追い込まれている証拠であることを、谷口はわかっていた。
だからこそ、ここを切り抜けるには全力投球しかないと察したのだ。
大久保が投じたストレートは、上尾の得意コース、インハイに真っ直ぐ向かう。
チャンスボールと確信した上尾は当然打ちに来る。
ベテラン同士の、力と力の真っ向勝負だ。
力勝負には上尾に分がある。
それは誰もがわかっていた。
しかし、それゆえに上尾の頭の中には、「かわしてくるだろう」という思惑があった。
とっさに出足が遅れたバットと、大久保の今日一番の全力投球に、上尾のバットは空を切る。
上尾のフルスイングが空を切ったのを見てどよめくスタジアムを尻目に、大久保は次のサインを伺う。
群衆の声が気にならなかったわけではない。
気にする余裕がなかったのだ。
息をのむような緊張感を抱えつつ、大久保は丁寧にコーナーを突くピッチングを見せる。
2球目、カット、ボール。1-1。
3球目、チェンジアップ、ストライク。1-2。
そして順調に追い込んだ後の4球目。
大久保としては、ボールカウントに余裕がある今のうちに、勝負を決めてしまいたかった。
(インローに、ボールになるフォーク)
これしかなかった。
大久保は覚悟を決めたように、待っていたサインが出たのを確認して頷くと、ゆっくりとセットポジションに入る。
そして上尾に心の余裕を与えないよう、すぐにボールを投じた。
一見ストレートのような軌道でボールはベースに向かう。
そして、ホームベースの直前で急に失速し、地面に吸い寄せられるように落ちていく。
(よし!)
狙い通りのコースに、大久保は打ち取ったものと確信した。
しかし、上尾にとってはこのコースは何度もロイヤルズ時代の大久保に打ち取られたボールだった。
読み切っていたかのようにひざを折って無理やりバットの芯に当てる。
さすがにインコースを得意とするの上尾といえども、ボールゾーンに差し掛かるコースのボールを長打にすることは難しい。
だが、早い打球を打ち返すには十分なアジャストだった。
打球は真っ直ぐにピッチャー返しとなり、マウンド横を襲う。
(あかん! やってもうた!)
このまま後ろに逸らしたら、また勝ち越し打となってしまう――。
そう大久保が確信した瞬間だった。
今日一番のどよめきがスタジアムを包むと、ボールはマウンド付近を転々と転がっていた。
とっさに大久保が投げ終わった後の左足を出してボールに当てたのだ。
大久保の膝にあたったボールは、力なく一塁方向に転がっていく。
それを前進した内田がすかさず拾って1塁へ。
ドルフィンズは結果的にセカンドゴロに上尾を打ち取り、この回を無失点で切り抜けた。
◆試合経過(東京-湘南・CSファイナル5回戦)
湘南 000 01=1
東京 000 10=1
「大久保さん!!」
しかし、内田が駆けつけたのは、3塁ベンチではなくマウンドだった。
マウンドにはうずくまって左ひざを押さえたまま動かない大久保の姿。
心配そうに集まる内野陣。
3アウトを取った後のため、外野からも選手が集まってくる。
「すまん……とっさにやってもうたわ……。」
アイシングスプレーを持ってきたトレーナーに、消え入りそうな声でそう告げるのが精一杯だった。
「次の1点だけはやりたくなかってな……ピッチャーの本能がこんなときに顔を出しやがったわ。よりによってこの場所とはな……。」
打球が直撃した場所は、大久保の古傷である左ひざだった。
◆◇◆◇◆
「大久保さんっ!」
聞こえるわけもないのに、ブルペンのモニターに向かって楓も思わず叫んでいた。
しかし今日は調整日と決められ、ボールを握ることすら許されていない。
ブルペンで肩を作るリリーフ陣からも蚊帳の外になり、試合を見つめることしかできないもどかしさをかみしめていた。
そこに来て、この展開だ。
叫ばずにはいられなかった。
「河本コーチ……!」
とっさに呼びかけていた。
「私に……私にこの続きを投げさせてください!」
しかし、河本コーチは申し訳なさそうに首を振るだけだ。
大久保から聞いていた、移籍の動機が脳裏をよぎる。
大久保は、古傷を抱えたままリリーフ投手を続けることに懸念を抱いて、ドルフィンズへ移籍したのだ。
「どうしてですか!」
楓はさらに河本コーチに詰め寄った。
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