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第5章 決戦!クライマックス・ステージ
61 宣戦布告
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「戸高、俺はお前にレギュラーの座を渡すつもりはない。」
試合後の人気のないブルペンに戸高を呼び出すと、谷口は開口一番そう告げた。
「なんすか。藪から棒に。」
突然の宣戦布告に、戸高もさすがにむっとして答える。こんなときに限って慣用句を使ってしまうのは、ちょうど1年前には教育実習に行く大学生だったからだろうか。
「どうだ。びびっただろ。」
谷口はその様子を見て、してやったりといった様子でいたずらっぽく笑った。
「大事な話って、まさかそれすか。」
戸高はまだ憮然とした顔をしている。野球のこととなると、まったく冗談が通じない性格なのは、谷口も熟知していた。
「わりいって。そんな怖い顔すんなよ。まずはオッサンの話に付き合えって。」
戸高をなだめてベンチに座らせると、谷口はその隣に座って言葉を続ける。
「戸高は大変だよな。俺みたいなでかい壁があって。」
「なんすか、やっぱ喧嘩売ってるんじゃないですか。」
「だから、別に売ってねえってば……まったく、最近の若いもんは、冗談が通じねえな。俺はさ、誰からも学べなかったし、勝ち取った正捕手じゃねえんだ。さしずめ、天から降ってきた正捕手ってとこだな。」
リードと同じように人を食ったような言葉を交えながら、谷口は身の上話を始める。普段の性格がリードに出るとは、よく言ったものだ。
「俺が高校を卒業してドルフィンズに入ったとき、正捕手は不在だった。それまでの正捕手がFAで抜けて、俺を含めた3人の控え捕手がレギュラー争いをしてたんだよ。その中で、俺が正捕手に抜擢されたのは、何でか分かるか?」
「いえ……やっぱり実力があったんじゃないすか。ドラ1だし。」
控えめな口調でぼそぼそと話す戸高を見ると、谷口はあっけらかんとした表情で戸高に言う。
「いーや。単に若いからだ。」
「え?」
「ようするに、誰だって良かったんだよ。誰がマスクかぶったって大差ない。どうせ打たれるリードしかできないメンツしかいなかった。だったら、一番若いやつが伸びしろがあるんだろうってことで、ドラ1だった俺に白羽の矢が立った。」
「そんなバカな……。」
唖然とする戸高を見ると、谷口はまたいたずらっぽく笑う。
「お前、うちを普通のプロ野球チームかなんかだと思って入ったか? 史上最弱球団、湘南ドルフィンズだぞ? FAでせっかく育てたキャッチャーが出て行って、経験不足の控え捕手がレギュラーに繰り上げ当選なんて、うちじゃよくある話だ。」
「でも……谷口さんは実際、成績残してるじゃないですか。」
「そう。俺も必死だった。いきなり正捕手になって、キャッチャーなんてポジションは一度勝ち取ったら、そのままいりゃあ安泰だ。でもな……やっぱりずっとやってきた野球で、負け続けるのはこたえるんだよ。」
谷口はそう言って、自分が分析し続けたスコアシートの束を手に取る。
「これだってそうだ。別に他のやつにポジション奪われないなら、必要ないかもしれない。でも、俺は勝ちたかった。周りに笑われたって、ドルフィンズで日本一になりたかった。」
「そりゃあ、誰だって努力が実るのは嬉しいですよ。なおさらレギュラーを奪われたくないって思うのも分かります。」
態度が融和し、同情的なことを戸高が言ったときだった。
「まあ、この戦いをできてるのは、お前がいるからなんだけどな。」
戸高は何を言っているのか分からないという表情で、そう言った谷口の顔を覗き込む。
「俺も必死でチームを支えてきた。たいした決め球もない投手陣を、なんとかやりくりして失点を抑えられないかって毎日考えてきた。だけど、曲がりなりにも結果が出たときに、戸高、お前が入ってきた。」
戸高は自分の話になったことに驚いたのか、目を見開いて谷口の言葉に聞き入っている。
「やっぱり六大学三冠王は違うって思ったよ。伸びしろも、成長スピードも、元々持ってる素質も、俺とは段違いだ。戸高や立花、神田たちが入ってきて、ドルフィンズは変わった。戦えるチームになった。でもな……」
谷口はそう言うと、大げさにうなだれて見せた。
「いざお前みたいなやつが現れると、しがみつきたくなっちまうんだよなあ……。」
「それって、普通なことじゃないですか?」
そう聞き返した戸高の純朴な視線が胸に突き刺さるようで、視線を合わさずに答える。
「自分のエゴで、チームの成長を止めるわけにはいかねえよ。」
さっきまでとは明らかにトーンの違う、低い声で谷口は言った。
戸高ははっとなって押し黙るが、それを気にしない様子で視線の方向を変えずに言葉を続ける。
「俺がここまで来れたのは、間違いなく出場機会に恵まれたからだ。それでやっと普通のキャッチャーになれた。だが戸高、お前は違う。お前は……間違いなく、ドルフィンズが強豪になるためのキーマンだ。
ドルフィンズは強くなってるが、まだ一過性の域を出ない。これが常勝球団の仲間入りをするためには、替えのきかないキャッチャーが必要だ。そして戸高、それにはお前を試合に出して高いレベルで育成することが不可欠って訳だ。」
捕手の育成には、多くの試合に出ることが不可欠だと言われている。
知識でも、パワーでも、技術でもなく、試合の中で流れを読み、それに適応するというノウハウは、試合に出て実践の中で学ぶしかないのだ。
「戸高、お前にとって、今が一番大事な時期だ。今年日本シリーズに出られなかったとしても、この経験は必ず糧になる。それに……自分を育ててくれたドルフィンズが、自分のエゴでまた弱小に戻る姿は、見たくないからな。」
谷口は自嘲気味にそう言うと、おもむろにベンチから立つ。
「俺は正捕手の座をお前に渡すのは嫌だ。だが、チームを無視してそういうエゴにしがみつくのはもっと嫌だ。だから、俺からはこれまでつちかったすべてのノウハウをお前に教える。ついては、お前をスタメンで出すことを、監督に提案しようと思う。」
なんと言っていいか分からないのか、戸高はうつむいたまま話を聞き、押し黙っていた。
ブルペンに静寂が流れる。
「大丈夫だよ、お前は——」
余りの急展開に動揺したのかと谷口が気遣って、声をかけようとしたそのときだった。
「バカにしないでください。」
戸高はこれまで誰も聞いたことのないような、ドスのきいた声で谷口に言葉を返した。
左手を包み込むように握りこんだ右手はわなわなと震えている。
「俺はいつだって、谷口さんから正捕手の座を奪い取るつもりでやってます。」
戸高にとっても、1年目だからといって控え捕手に甘んじるつもりはなかった。
捕手というポジションは替えがきかず、控えに甘んじることはプロ野球選手としての出場機会というキャリア形成に直結する。成長の度合いにも影響する。
そのことの危機感は誰よりも持っているつもりだった。
「谷口さんがこうやって毎試合、相手の分析を一緒にしてくれてるのはありがたいと思ってます。俺が何かできることよりも、谷口さんが俺に与えるものの方が、圧倒的に多いのも分かってます。
でも……俺はそんな情けをかけられるほど、ポテンシャルの低いキャッチャーじゃないと思ってます。」
「戸高……」
谷口は自分が弱気になっていたことを、このとき始初めて悟った。
「俺、ドルフィンズから指名されたとき、本当は嬉しかったんです。」
「へえ、世間は戸高が契約を拒否するんじゃないかって言ってたけどな。」
「はい、それも知ってます。でも、俺はプロでやるなら、谷口さんみたいな苦しい展開をたくさん知っているキャッチャーにならなきゃ、長生きできないと思ってたので。」
「まったく、最近の若いもんは……。」
このぼやきは今日2度目だった。
「だから、俺は谷口さんからまだ全然学べていません。ピンチの切り抜け方も、苦しいピッチャーの扱い方も、それに、負け続けた経験のある谷口さんにしか分からない『弱者の戦術』も。」
「あんまりはっきり言うなよ。自分で言うならまだしも、人に言われるとさすがにちょっと傷つく。」
「あっ、すいません……。」
急にしおらしくなる戸高の様子を見て、谷口はからからと大きな声で笑った。
だが、すべて戸高の言うとおりだった。
捕手というポジションは、言うまでもなく守備の要だ。
長いプロ野球生活で、ずっと守備が盤石なチームなどない。
チームの守備が危ういとき、何をしても点を取られるとき。チームが一番苦しいときが、捕手の腕の見せ所なのだ。
たしかに、最近はめっきり体の衰えも感じるようになった。
戸高という才能と可能性を目の前で見て、「素材の違い」を認識せざるを得なかった。
「よし、わかった。」
谷口はおもむろに立ち上がると、戸高の方に向き直る。
戸高も思わず背筋を伸ばして、次の言葉を待つ。
「それなら、正捕手の座、俺から力尽くで奪ってみろ!」
「はい! 望むところです!」
明るい口調で挑発し合うと、2人はまた声をそろえて笑った。
◆◇◆◇◆
翌日迎えたCSファイナル3回戦。
トータルでは1勝2敗となるため、この試合を落とすとタイタンズに王手をかけられることになる。
ドルフィンズとしては、絶対に落とせない試合だ。
今日のドルフィンズの予告先発は、新外国人のダグラスだった。
レギュラーシーズンの成績は9勝3敗。
1年間先発ローテの柱としてしっかりと機能してきた。
だがダグラスは昨年までメジャーで出場機会少ない投手だ。久しぶりに年間通してローテを守り、さらにCSファーストステージでも投げたため、シーズンの蓄積疲労が色濃く残っている。
捕手としては、「ダグラスの疲労をごまかしつつ、いかに1回でも長くもたせるか」が課題だ。
戸高と谷口は、いつものように試合前にしっかりとダグラスのリード方針を固めていた。
2人がいつものミーティングを終えてロッカールームに向かうと、ちょうどホワイトラン監督が現れ、スタメンを告げようとしていた。
「じゃあ、今日のスタメンを発表する。」
いつものように淡々とした口調で話し始めるホワイトラン監督。
試合前の準備がいつもよりも順調だったこともあり、戸高はリラックスした心持ちで、タイタンズ打線のデータ資料を見直しながら耳を傾ける。
「1番 センター 金村、2番 セカンド 内田、3番 ショート 新川……」
アナウンサーのように流れるような日本語で、朗々とスタメンを読み上げる。
ホワイトラン監督の外見でこの日本語の流暢さは、今でもどこかアンバランスさを感じる。
「7番 レフト 宮川。」
ここまで言って、読み上げるのが止まった。
戸高は視線を感じて顔を上げる。
「8番 キャッチャー 戸高。」
戸高から目をそらさず、はっきりとした口調でホワイトラン監督が告げる。
「!!」
戸高は息を飲んで、谷口の方を見た。
谷口はこちらを見てゆっくりと一度頷いた。
試合開始前の電光掲示板には、ドラ1ルーキーの名前が煌々と照らされていた。
◆ドルフィンズスターティングメンバー
1番 センター 金村虎之介
2番 セカンド 内田俊介
3番 ショート 新川佐
4番 サード 田村翔一
5番 ファースト フェルナンデス
6番 ライト ボルトン
7番 レフト 宮川将
8番 キャッチャー戸高一平
9番 ピッチャー ダグラス
試合後の人気のないブルペンに戸高を呼び出すと、谷口は開口一番そう告げた。
「なんすか。藪から棒に。」
突然の宣戦布告に、戸高もさすがにむっとして答える。こんなときに限って慣用句を使ってしまうのは、ちょうど1年前には教育実習に行く大学生だったからだろうか。
「どうだ。びびっただろ。」
谷口はその様子を見て、してやったりといった様子でいたずらっぽく笑った。
「大事な話って、まさかそれすか。」
戸高はまだ憮然とした顔をしている。野球のこととなると、まったく冗談が通じない性格なのは、谷口も熟知していた。
「わりいって。そんな怖い顔すんなよ。まずはオッサンの話に付き合えって。」
戸高をなだめてベンチに座らせると、谷口はその隣に座って言葉を続ける。
「戸高は大変だよな。俺みたいなでかい壁があって。」
「なんすか、やっぱ喧嘩売ってるんじゃないですか。」
「だから、別に売ってねえってば……まったく、最近の若いもんは、冗談が通じねえな。俺はさ、誰からも学べなかったし、勝ち取った正捕手じゃねえんだ。さしずめ、天から降ってきた正捕手ってとこだな。」
リードと同じように人を食ったような言葉を交えながら、谷口は身の上話を始める。普段の性格がリードに出るとは、よく言ったものだ。
「俺が高校を卒業してドルフィンズに入ったとき、正捕手は不在だった。それまでの正捕手がFAで抜けて、俺を含めた3人の控え捕手がレギュラー争いをしてたんだよ。その中で、俺が正捕手に抜擢されたのは、何でか分かるか?」
「いえ……やっぱり実力があったんじゃないすか。ドラ1だし。」
控えめな口調でぼそぼそと話す戸高を見ると、谷口はあっけらかんとした表情で戸高に言う。
「いーや。単に若いからだ。」
「え?」
「ようするに、誰だって良かったんだよ。誰がマスクかぶったって大差ない。どうせ打たれるリードしかできないメンツしかいなかった。だったら、一番若いやつが伸びしろがあるんだろうってことで、ドラ1だった俺に白羽の矢が立った。」
「そんなバカな……。」
唖然とする戸高を見ると、谷口はまたいたずらっぽく笑う。
「お前、うちを普通のプロ野球チームかなんかだと思って入ったか? 史上最弱球団、湘南ドルフィンズだぞ? FAでせっかく育てたキャッチャーが出て行って、経験不足の控え捕手がレギュラーに繰り上げ当選なんて、うちじゃよくある話だ。」
「でも……谷口さんは実際、成績残してるじゃないですか。」
「そう。俺も必死だった。いきなり正捕手になって、キャッチャーなんてポジションは一度勝ち取ったら、そのままいりゃあ安泰だ。でもな……やっぱりずっとやってきた野球で、負け続けるのはこたえるんだよ。」
谷口はそう言って、自分が分析し続けたスコアシートの束を手に取る。
「これだってそうだ。別に他のやつにポジション奪われないなら、必要ないかもしれない。でも、俺は勝ちたかった。周りに笑われたって、ドルフィンズで日本一になりたかった。」
「そりゃあ、誰だって努力が実るのは嬉しいですよ。なおさらレギュラーを奪われたくないって思うのも分かります。」
態度が融和し、同情的なことを戸高が言ったときだった。
「まあ、この戦いをできてるのは、お前がいるからなんだけどな。」
戸高は何を言っているのか分からないという表情で、そう言った谷口の顔を覗き込む。
「俺も必死でチームを支えてきた。たいした決め球もない投手陣を、なんとかやりくりして失点を抑えられないかって毎日考えてきた。だけど、曲がりなりにも結果が出たときに、戸高、お前が入ってきた。」
戸高は自分の話になったことに驚いたのか、目を見開いて谷口の言葉に聞き入っている。
「やっぱり六大学三冠王は違うって思ったよ。伸びしろも、成長スピードも、元々持ってる素質も、俺とは段違いだ。戸高や立花、神田たちが入ってきて、ドルフィンズは変わった。戦えるチームになった。でもな……」
谷口はそう言うと、大げさにうなだれて見せた。
「いざお前みたいなやつが現れると、しがみつきたくなっちまうんだよなあ……。」
「それって、普通なことじゃないですか?」
そう聞き返した戸高の純朴な視線が胸に突き刺さるようで、視線を合わさずに答える。
「自分のエゴで、チームの成長を止めるわけにはいかねえよ。」
さっきまでとは明らかにトーンの違う、低い声で谷口は言った。
戸高ははっとなって押し黙るが、それを気にしない様子で視線の方向を変えずに言葉を続ける。
「俺がここまで来れたのは、間違いなく出場機会に恵まれたからだ。それでやっと普通のキャッチャーになれた。だが戸高、お前は違う。お前は……間違いなく、ドルフィンズが強豪になるためのキーマンだ。
ドルフィンズは強くなってるが、まだ一過性の域を出ない。これが常勝球団の仲間入りをするためには、替えのきかないキャッチャーが必要だ。そして戸高、それにはお前を試合に出して高いレベルで育成することが不可欠って訳だ。」
捕手の育成には、多くの試合に出ることが不可欠だと言われている。
知識でも、パワーでも、技術でもなく、試合の中で流れを読み、それに適応するというノウハウは、試合に出て実践の中で学ぶしかないのだ。
「戸高、お前にとって、今が一番大事な時期だ。今年日本シリーズに出られなかったとしても、この経験は必ず糧になる。それに……自分を育ててくれたドルフィンズが、自分のエゴでまた弱小に戻る姿は、見たくないからな。」
谷口は自嘲気味にそう言うと、おもむろにベンチから立つ。
「俺は正捕手の座をお前に渡すのは嫌だ。だが、チームを無視してそういうエゴにしがみつくのはもっと嫌だ。だから、俺からはこれまでつちかったすべてのノウハウをお前に教える。ついては、お前をスタメンで出すことを、監督に提案しようと思う。」
なんと言っていいか分からないのか、戸高はうつむいたまま話を聞き、押し黙っていた。
ブルペンに静寂が流れる。
「大丈夫だよ、お前は——」
余りの急展開に動揺したのかと谷口が気遣って、声をかけようとしたそのときだった。
「バカにしないでください。」
戸高はこれまで誰も聞いたことのないような、ドスのきいた声で谷口に言葉を返した。
左手を包み込むように握りこんだ右手はわなわなと震えている。
「俺はいつだって、谷口さんから正捕手の座を奪い取るつもりでやってます。」
戸高にとっても、1年目だからといって控え捕手に甘んじるつもりはなかった。
捕手というポジションは替えがきかず、控えに甘んじることはプロ野球選手としての出場機会というキャリア形成に直結する。成長の度合いにも影響する。
そのことの危機感は誰よりも持っているつもりだった。
「谷口さんがこうやって毎試合、相手の分析を一緒にしてくれてるのはありがたいと思ってます。俺が何かできることよりも、谷口さんが俺に与えるものの方が、圧倒的に多いのも分かってます。
でも……俺はそんな情けをかけられるほど、ポテンシャルの低いキャッチャーじゃないと思ってます。」
「戸高……」
谷口は自分が弱気になっていたことを、このとき始初めて悟った。
「俺、ドルフィンズから指名されたとき、本当は嬉しかったんです。」
「へえ、世間は戸高が契約を拒否するんじゃないかって言ってたけどな。」
「はい、それも知ってます。でも、俺はプロでやるなら、谷口さんみたいな苦しい展開をたくさん知っているキャッチャーにならなきゃ、長生きできないと思ってたので。」
「まったく、最近の若いもんは……。」
このぼやきは今日2度目だった。
「だから、俺は谷口さんからまだ全然学べていません。ピンチの切り抜け方も、苦しいピッチャーの扱い方も、それに、負け続けた経験のある谷口さんにしか分からない『弱者の戦術』も。」
「あんまりはっきり言うなよ。自分で言うならまだしも、人に言われるとさすがにちょっと傷つく。」
「あっ、すいません……。」
急にしおらしくなる戸高の様子を見て、谷口はからからと大きな声で笑った。
だが、すべて戸高の言うとおりだった。
捕手というポジションは、言うまでもなく守備の要だ。
長いプロ野球生活で、ずっと守備が盤石なチームなどない。
チームの守備が危ういとき、何をしても点を取られるとき。チームが一番苦しいときが、捕手の腕の見せ所なのだ。
たしかに、最近はめっきり体の衰えも感じるようになった。
戸高という才能と可能性を目の前で見て、「素材の違い」を認識せざるを得なかった。
「よし、わかった。」
谷口はおもむろに立ち上がると、戸高の方に向き直る。
戸高も思わず背筋を伸ばして、次の言葉を待つ。
「それなら、正捕手の座、俺から力尽くで奪ってみろ!」
「はい! 望むところです!」
明るい口調で挑発し合うと、2人はまた声をそろえて笑った。
◆◇◆◇◆
翌日迎えたCSファイナル3回戦。
トータルでは1勝2敗となるため、この試合を落とすとタイタンズに王手をかけられることになる。
ドルフィンズとしては、絶対に落とせない試合だ。
今日のドルフィンズの予告先発は、新外国人のダグラスだった。
レギュラーシーズンの成績は9勝3敗。
1年間先発ローテの柱としてしっかりと機能してきた。
だがダグラスは昨年までメジャーで出場機会少ない投手だ。久しぶりに年間通してローテを守り、さらにCSファーストステージでも投げたため、シーズンの蓄積疲労が色濃く残っている。
捕手としては、「ダグラスの疲労をごまかしつつ、いかに1回でも長くもたせるか」が課題だ。
戸高と谷口は、いつものように試合前にしっかりとダグラスのリード方針を固めていた。
2人がいつものミーティングを終えてロッカールームに向かうと、ちょうどホワイトラン監督が現れ、スタメンを告げようとしていた。
「じゃあ、今日のスタメンを発表する。」
いつものように淡々とした口調で話し始めるホワイトラン監督。
試合前の準備がいつもよりも順調だったこともあり、戸高はリラックスした心持ちで、タイタンズ打線のデータ資料を見直しながら耳を傾ける。
「1番 センター 金村、2番 セカンド 内田、3番 ショート 新川……」
アナウンサーのように流れるような日本語で、朗々とスタメンを読み上げる。
ホワイトラン監督の外見でこの日本語の流暢さは、今でもどこかアンバランスさを感じる。
「7番 レフト 宮川。」
ここまで言って、読み上げるのが止まった。
戸高は視線を感じて顔を上げる。
「8番 キャッチャー 戸高。」
戸高から目をそらさず、はっきりとした口調でホワイトラン監督が告げる。
「!!」
戸高は息を飲んで、谷口の方を見た。
谷口はこちらを見てゆっくりと一度頷いた。
試合開始前の電光掲示板には、ドラ1ルーキーの名前が煌々と照らされていた。
◆ドルフィンズスターティングメンバー
1番 センター 金村虎之介
2番 セカンド 内田俊介
3番 ショート 新川佐
4番 サード 田村翔一
5番 ファースト フェルナンデス
6番 ライト ボルトン
7番 レフト 宮川将
8番 キャッチャー戸高一平
9番 ピッチャー ダグラス
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