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第5章 決戦!クライマックス・ステージ

59 老兵はただ

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 ファーストステージの勢いそのままに、ファイナルステージの初戦を取ったドルフィンズ。
 マスコミやファンは、万年最下位球団の快進撃にをさらに期待していた。

 高卒以来ドルフィンズ一筋15年目、正捕手の谷口にもその期待は十二分に注がれていた。

「谷口選手、絶好調のドルフィンズ、あと1勝でアドバンテージを得ますが、何か秘策はありますか?」

「初戦では強力タイタンズ打線を1失点に抑える好リードを見せましたが、今日はどのように挑みますか?」

 スタジアム入りした谷口に一斉にマイクが向けられる。

「まあ、1戦1戦、懸命に戦うだけですから……。」

 慣れた様子で、しかし浮かれることもなく、淡々とインタビューを受け流しながら、ロッカールームに消えていく。

「絶好調、か。」

 まだ誰もいないロッカールーム。
 谷口は扉の向こうから声が鳴り止まぬのを尻目に、ため息交じりに独り言をつぶやく。

「おっつかれさまでーす!」

「早くにすみません!」

 谷口が自分のロッカーの前にボストンバッグを下ろすのと同時に入ってきたのは、楓、希、戸高の3人だ。
 どうやら試合前のまだ静かな時間帯に来て、レギュラーシーズンよりも豪華になったケータリングにありつこうという魂胆らしい。

「谷口さん、すみません。騒がしくて。」

 いち早くケータリングを手に取って、男子ロッカールームで女子会を始めた2人を横目に、戸高はばつ悪そうに谷口に声をかけた。

「いいよ。それより、お前はいいのか?」

 谷口はケータリングの方を顎で指す。

「はい。俺は来る前にプロテイン飲んできたんで。」

 新人ながら相変わらずの意識の高さに内心驚嘆したが、ベテランのプライドからそれは隠すことにした。

「そうか。なら、ちょっと早いけど、いいか?」

 谷口は褒め言葉の代わりに、戸高をブルペンに呼び出した。

 ブルペンには、うずたかく積み上げられた大量のスコアシートと、1台のノートPC。
 そのそばには2つのパイプ椅子。

 谷口は慣れた様子で椅子に腰掛けると、

「じゃ、始めるか。」

と切り出した。

 楓がワンポイント起用されるようになってから、試合前に谷口と戸高はミーティングをするのが恒例になっていた。
 楓は毎試合の要所で起用されることになるのに伴って、試合中盤で戸高がマスクをかぶることが増えた。そのため、試合前半の所感を谷口が、後半の所感を戸高がそれぞれ共有するというのが日課になっていたのだ。

「じゃあ、まず昨日の1巡目な。先頭打者の入り方だけど……」

 滑らかな口調で谷口が切り出し、戸高はそれに聞き入る。
 それが終わると、戸高も試合後半の所感を谷口に伝える。

 こうして2人は相手チームの攻め方や癖の情報を共有し、1試合全部マスクをかぶった状態に近づけてきたのだ。

「しかし、それにしても……」

 あらかたの情報共有が終わると、憂鬱そうな口調で谷口がぼやき始める。

「こうも層が厚いと、どこを警戒するとか、そういう問題じゃねえよな。もはや。」

「そうですね……正直切れ目がなさ過ぎて、歩かせてもいいっていうリードができないです。」

 戸高も深刻そうな面持ちで答える。

「これまでは、うちも日替わりヒーローが出てくれてたからな。だけど、短期決戦ともなると、地力の差をリードでカバーするのにはさすがに限界がある。」

「正直、俺は谷口さんが試合を作ってくれているから、そこから外してリードできる分いいんです。谷口さんのリードを意識して、その『予想外』を突けばなんとかなるから。でも……」

 戸高はそこまで言って口ごもる。

 2人は、もうチームの日本シリーズ進出という同じ目標を目指すコンビだった。正捕手争いをするという意識よりも、相手チームをどう抑えるかという意識の方が強くなったのは、何よりチームの快進撃が原因だ。

「戸高。それは、俺も同じだよ。」

 戸高の深刻そうな表情を見かねてか、わざとらしく笑顔を作って谷口が答える。
 本当は、谷口の心中は今すぐに逃げ出したいほど追い詰められていた。

(これまではなんとか、過去のデータの逆を突くリードで要所を交わすことができた。でも、もう作戦のストックがない。)

 谷口の心で、弱気の虫が顔をもたげる。

(それにしても、俺もまだまだ器が小せえよな……。)

 そう思って、戸高の顔を見る。

「なんですか? 谷口さん。何かいい作戦でも思いつきました?」

 視線の先には、キラキラと野球少年のように純粋な顔でこちらを覗き込む戸高の顔。

「いいや、さっぱりだ。」

 プロの捕手経験でつちかったポーカーフェイスを、不本意な形で使いながら、気を取り直して今日の試合の対策を練る。

(ったく、どうすりゃいいんだよ……。)

 戸高とのミーティングが終わっても、谷口の心には釣り針のように強く引っかかるものがあった。

(プロ入り以来、夢にまで見た日本シリーズのチャンスだぞ? 次がいつかも分からない。なのに俺は……。)

 まだ投手陣が訪れる前の無人のブルペンで、2人が走り書きしたメモ用紙を強く握りつぶす。

 谷口の中には、2つの人格が議論を繰り広げていた。

 やっと、日本シリーズに出られるかもしれない。
 だが、タイタンズは生半可な相手ではない。
 勝つためには、戸高と二人三脚でこの戦いを乗り切らなければならない。

 谷口の中にいる、ドルフィンズ一筋のベテラン捕手がそう告げる。

 しかし、1人のプロ野球選手としての自分が、それを問いただす。

 本当は、戸高にスタメンマスクを譲って、自分はサポートに徹した方が現実的なことに気づいているんだろう?
 第1戦でも戸高がマスクをかぶった7回以降は無失点だった。
 打線も、打率が高い、しかも長打もある戸高がいる方がつながる。
 でも……それで本当にいいのか?

 控え捕手として出る日本シリーズに、本当に意味はあるのか?
 他のポジションと違って、一度明け渡したら、もう二度とレギュラーの座は戻らないかもしれないのに?
 まだ自分が潮時だって、認めなくてもいいんじゃないか? せめて誰かに引導を渡されるまでは……。

「ああ、くそっ! 何してんだ俺は……!」

 頭の中に次から次に浮かぶ「余計なこと」に嫌気がさして、谷口は足下にあったベンチを蹴り上げた。
 その拍子で、ベンチの上にあったスコアシートの束が地面に散乱する。

「ったく……。」

 自分にいらつきながら、スコアシートを拾う。

「これは……。」

 ふと拾おうとした手が止まる。

 たまたま手に取ったのは、10年前のスコアシートだ。
 CSに入ってから、タイタンズ打線のすべてのデータを分析しようと、戸高はレギュラー選手の全データを持ってきていた。PCではなく紙で管理されたものもあるため、これだけ大量のシートが必要になっていたのだ。

 それは、谷口が正捕手の座を勝ち取ったシーズンのシートだった。

 思わず手に取って食い入るように見る。

 打者ごと、打席ごとに異なる配球。
 制限回数を目一杯に使ってタイムを取り、投手とコミュニケーションした記録。

 まだ若かりし日の自分が、正捕手の座をつかみ取るために、試行錯誤した跡がそこにはあった。

「スコアだけでも、もう必死じゃねえか。」

 懐かしさに、思わず笑みがこぼれる。

 本当は、自分でも答えは出ていた。

 短期決戦では、捕手としての実績がない戸高のリードの方が意外性で勝ること。
 自分の衰え始めた打撃と比べて、大学三冠王の戸高はセンスが違うこと。
 楓以降のリリーフ投手をリードするのは、もう戸高の方がうまくなっていること。

「でも——」

 スコアシートを束の下の方に戻して、顔を上げる。

「ベテランになっても、簡単にポジションを明け渡す勇気なんて、湧かねえんだよ。」

 苦笑いとも苦悶とも突かぬ表情をした後、ブルペンの出入り口へ向かうと、

「谷口さん! お疲れ様です!」

リリーフ投手の伊藤に声をかけられた。ちょうどスタジアム入りしたばかりのようだ。

「すいません。今日ちょっと肩が重くて。いくつか受けてもらえませんか?」

 さっそく相談を受ける。

「しょうがねえなあ。見てやるから、投げてみな。」

「ありがとうございます!」

 簡単なやりとりをして、ブルペンで球を受ける。

「ああ、お前、今日体の開きがちょっと早えぞ。」

「そうすか?」

「ちょっと膝を内側に踏ん張って、もうひとつ我慢してみ?」

 何年も受けてきたからこそ、チームメイトのコンディションと修正法はすぐに把握できた。

「あ、ほんとだ! すげえ、さすが谷口さん!」

「だろ? 今日も頼むぞー。」

「はい!」

(そうだよ。俺はこうしてドルフィンズのピッチング・スタッフを支えてきた。これでいいんだ。)

 自分に言い聞かせるようにして、ダグアウトの方へ戻っていった。

 CSファイナル第2戦、ドルフィンズの先発はベテランの須藤。
 ホワイトラン監督は、チームで一番須藤のボールを受けてきた男にスタメンマスクを命じた。

◆ドルフィンズスターティングメンバー
1番 センター  金村虎之介
2番 ライト   ボルトン
3番 ショート  新川佐
4番 サード   田村翔一
5番 ファースト フェルナンデス
6番 キャッチャー谷口繁
7番 レフト   宮川将
8番 ピッチャー 須藤克博
9番 セカンド  内田俊介

 安定感のあるベテラン投手と、それを受けるベテランの正捕手。
 誰から見ても明らかに、盤石なバッテリーだった。

 タイタンズにも十分予想できるほどに。
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