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第4章 夢の続き

45 置かれた場所で咲く花に

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「はいブルペン!!」

 怒号のような応答を聞くのは今日何度目だろうか。
 
 大阪ロイヤルズとの3位攻防3連戦の初戦。スコアは8回表を迎えた時点で5対4と1点のリード。
 河本投手コーチが受話器を叩きつけるように置いて、イラつく様子を分かりやすく表現すると、

「立花! 戸高!」

そのまま怒声のような声をかける。

「はい!!」

 楓と戸高もそれに呼応して、ついいつもより大きめの声で返事をしてしまう。

「ごめん! 次の打者で立花いくかも! でもいくかはわかんないって! なんかごめん!」

 怒声のようなトーンと言っている内容のギャップが大きすぎたのがなんだかおかしくて、楓は思わず吹き出してしまった。
 リリーフカーの横で待機していたチアと顔を見合わせて笑う。

「だってしょーがねーだろ! なんだこの試合!」
「わかってますって河本さん。ちゃんといつも通り投げますから、安心してください。」

 選手もコーチも人間だ。予想外のことがあれば、いつもと様子が変わる。
 普段支えてもらっている分、こういうときこそ自分が余裕を持たなければと、楓も気が引き締まる。

 楓は急ピッチで投球練習を進めていき、肩を温める。

(この試合、このまま簡単に終わるわけはないよね……。)

 ブルペンのモニターを見つめる楓の予感は的中した。
 
 ロイヤルズは2死1塁で3番細井がレフト前ヒットを放つ。この打球処理をレフト高橋がもたつき、ランナーは一気に3塁に到達。
 2死1・3塁の大ピンチをドルフィンズは迎え、バッターは4番の福本。

 内野陣がマウンドに集まったかと思うと、再びブルペンの内線電話が鳴る。

「はいはい。立花でしょ。」

 河本コーチが受話器を持ったまま、楓の方を見ると、楓もすでに察してリリーフカーの後部座席に乗っていた。
 戸高の姿も、もうブルペンにはない。どうやらベンチへの通路へ向かったようだった。

「察しが早くて助かるわ……頼んだ。」

 すでに河本コーチの顔は疲れ切っており、少しやつれてさえ見える。

「いってきます!」

 楓は意識していつもより大きめの声で答えた。
 無言のまま、「頼む」といった様子で右手を力なく上げる河本コーチに見送られ、リリーフカーが走り出す。

 楓の名前をコールするアナウンスとBGM、そしてドルフィンズファンの大歓声に後押しされて楓は今日もマウンドに登ると、円陣の中からレフトの高橋を見た。

(あちゃー……どう見ても落ち込んでるよ……。まあ、それもそうだよねえ。)

 まだ青臭さの残る19歳の青年の様子を心配しつつ、コーチと戸高との打ち合わせを終えると、ひとり残ったマウンドで、楓は拳を握ってレフト方向に差し出した。

(ナイスバッティング。高橋くんの頑張りを認めてるのは、金村さんだけじゃないよ。)

 2人のやりとりを見て、本音を言うと自分もちょっとやってみたかったのもある。
 楓の念が届いたのかはわからないが、高橋は外野から一度帽子をとって軽く会釈する。

(さて、とはいっても……8回表の1点差で、このランナー。)

 楓の正面と背中には、1塁と3塁上にそれぞれランナーの姿。

(確かに絶体絶命のピンチだけど、高橋くんと金村さんが作ってくれた1点。私が絶対に守ってみせる!)

 力強くホーム方向を見据えると、気づいた戸高が座ったまま大きく両手を広げる。
 谷口譲りのこの仕草も、もうすっかり板についた。おかげで楓の心も反射的に落ち着く。

 楓は初球のサインを覗き込む。
 左打席の福本の顔色をちらちらと見ながら、戸高がサインを出す。

(アウトコースに、ボールになるスライダー)

 奇しくも、今回の対戦相手は楓の復帰マウンドで投げた福本だ。
 前回はデータにないスクリューで初球から翻弄したが、当然今回は楓のデータもそろっている。

(なるほどね。今日のテーマは「弱気風のかわいい女の子」ってわけね。)

 戸高が「かわいい」まで意図したかどうかは定かでないが、戸高の発する「今日のテーマ」は今回もしっかりと楓に伝わっていた。

 楓が投げたスライダーを福本は微動だにせず見送ってボール。カウントは1-0。
 すかさず、次のサインが出る。

(真ん中高めに、ボールになるストレート)

 サイン通り投げた楓のボールに、少し体を動かしつつも福本は見送って、ボールツー。
 カウントは悪くなっているが、楓にはそれが意図的であることもしっかりと伝わっていた。

 きっとこういうことだよね?
 さすがにプレッシャーがかかる場面で弱気になったかわいい女の子としては、なるべくくさいところで勝負して打ってほしい。
 でも、打ってもらえられなくて、カウントが悪くなった風のところに、仕方なく置きにいく風のボールを投げる。
 いやー、今回のテーマはなかなかの悪女だね、戸高くん。最近演技派に目覚めた私としては、やりがいがあるよ。

(インコース低めに、小さなシンカー。)

 ……そらきた。
 すっかり弱気になった女の子は、シンカーなんて投げないんだけどね。
 インコースに投げるなら、真っ直ぐかカットみたいな、間違ってもボールにならない球種を投げるように見えちゃうよね。


 楓はうつむき加減でセットポジションに入り、いつもよりも小さめなフォームでボールを投じる。
 なお、楓なりに「弱気になっているか弱い女の子」を演出していたようだが、そこまで福本へ届いていたかどうかは不明である。

 あたかもストレートのような軌道を描いたボールは、福本のひざ元へストライクになる球筋を描いて真っ直ぐ進む。これを見て福本はここぞとばかりにフルスイングを試みる。
 次の瞬間、福本の思惑とは逆方向に少し変化したボールは、バットをこするようにして当たり、ボテボテのピッチャーゴロになった。

 これを楓は大事そうに両手でしっかりグラブへ納めると、サイドスローで振り返りざまに1塁へ。1塁手のフェルナンデスがしっかりと押さえて、8回表のピンチを切り抜けた。

 そのまま9回表もクローザーの山内が抑え、ドルフィンズは辛くも5対4でロイヤルズに勝利した。

 これはつまりゲーム差なし。貯金数で3位ロイヤルズに並んだことを意味する。
 「ついに追いついた」、「まだまだ今年のドルフィンズは終わらない」という期待がファンからもひしひしと伝わってくる。
 湘南スタジアムは大いに沸いた。

◆試合結果(7月29日・湘南ー大阪13回戦・湘南スタジアム)
大阪 110 200 000 =4
湘南 020 200 10X =5

 3位ロイヤルズに並んだ事実は、ヒーローインタビューを受ける2人の心も躍らせていた。

「今日のヒーローは、値千金の勝ち越し点を演出した、金村選手と、高橋選手にお越しいただきました!」

 今日の勝利の立役者2人に、惜しみない拍手と歓声が送られる。

「まずは、金村選手。膠着状態を一変させるチャンスを、2塁打で見事に演出しました。」
「ここまでじりじりした試合、精神的にもきついですからね。何とか塁に出ようと思ってました。」
「右投手に対して右打席に入るという、スイッチヒッターの金村選手には珍しい光景も見られましたが、あれには何か意図が?」
「いやー、今日は左でゴロばっか打ってたんでね。気分を変えて右でいってみただけですわ。ま、結果もゴロはゴロでしたけど。」

 スタジアムがユーモアに富んだ金村の返しにどっと笑いにあふれる。
 こういうウィットの利いた回答をしつつ、明らかに意図があった秘策の真相には触れないのが、金村流のインタビューだ。

「そして、金村選手の作ったチャンスを、見事モノにしたのが、もうひとりのヒーロー、高橋選手!」

 スタジアムの歓声が一層大きくなる。

「衝撃のホームランデビューから一変、なかなか結果が出ない時期が続いていましたが、久々のスタメン起用に見事応えましたね!」
「ええっと……なんていうか、僕も必死だったので……」
「チャンスに初球から思い切ったバッティングでタイムリーヒット。打った時の気分はどうでしたか?」
「いや……ええっと……そうですね……あんまり覚えてないんですけど……まあ、その……打ててよかったです。」
「なんじゃそら! 小学生か!」

 間の悪い回答に思わず金村突っ込み、スタジアムに笑いが起きる。
 金村なりの荒い助け舟だったのは、その場にいたチームメイトたちはみな分かっていた。
 そこからいくつかの質問がされたが、高橋の歯切れの悪さはそのままだった。

 最後は金村がインタビュアーのマイクを奪い、勝手にヒーロー・インタビューを締めくくった。

「金村さん!」

 高橋が金村を呼び止める。

「あの……何から何まで、ありがとうございます!」

 脱帽して、深々と頭を下げる。

「おおう。どした。そんな改まって。」
「本当はチームメイトなだけじゃなくライバルなのに……その……」

 もともと野球への情熱は人一倍だが自己表現が得意ではない高橋が必死に何かを伝えようとするのを見て、金村にその思いはもう十分伝わったらしい。
 にやりと人が悪そうに笑うと、

「ま、この貸しはでかいでぇ!」

と言いながら、高橋にヘッドロックしてみせた。

「俺が引退するときは、高橋の代理人でもやらせてもらうわ! 年俸は……1憶やな!」
「そんなあ……」

 年の離れた後輩への「かわいがり」に、ベンチに笑いが起きる。

「それにな——」

と金村が付け加える。

「お前がライバルとか、100万年早いんじゃ!」
「いっててててて! マジ無理! ありえん痛いから!」

 突然若者言葉になって抵抗する高橋に、再び笑いが起きる。

「まあ、感謝しとるんや。お前の存在が、結果的に俺を1番に返り咲かせてくれた。」
「えっ、なんですか? 耳ふさがってて聞こえないです!」
「そんなことより、お前ヒット打ったあと、俺に『いけっ!』ってタメ口聞いたろ!ちゃんと口の動きで分かんで!」
「いやいやいや無理無理無理無理しぬしぬしぬしぬ!」

 さらに締める力を強める金村。ともすれば親子近く年が離れている2人はじゃれ合い続けていたが、楓には金村の言葉がしっかりと届いていた。


 その日から、高橋は代打起用される合間を縫って、ときにスタメンで起用されることが増えた。
 1番金村、2番高橋という超攻撃的1・2番編成という、ドルフィンズの布陣にバリエーションが増えたのだ。

 金村は金村で、これまで通り5番や6番で起用されることもあるが、人が変わったように単打中心のヒットを量産した。
 長打率は下がったが、持ち前の勝負強さは健在で、それは結果的に金村の打点を押し上げた。

 このまま3位争いを続けるドルフィンズナインには、誰の目から見ても、追い風が吹いているように見えた。
 少なくとも、打線においては。
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