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第3章 ワンポイント

25 夢への一歩

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春季キャンプ2日目以降も、楓のメニューは変わらなかった。

個別練習で、とにかく投げ込む、投げ込む。
1球1球を首脳陣にアピールするため、魂を込めて。
日程が進むにつれ、日に日に球数と球種も増やしていった。

2月14日、世間はバレンタインデー。

キャンプ中のドルフィンズの選手にも、少なからずファンからチョコレートが届いていた。
ちなみに、一番チョコレートの数が多かったのは、今年もプロ3年目にして抑えのポジションを不動にした山内修平であった。

いつものように昼休憩を追えて練習場に行くと、普段は閑散としている駐車場付近に人だかりができている。
人だかりの中心からは、聞きなれた声が聞こえてくる。

「いつもありがとうございまーす! 練習見学の方はこちらにお集まりください!」

ユニフォーム姿の希が、ファンたちに声をかけていた。

(そうか、今日はファンクラブのイベントで練習見学会をやるんだった。)

抽選に当たったファンが、1軍と2軍の練習を見ることができる。
もちろんファンたちの目当ては1軍選手の練習だが、2軍練習見学の後に予定されている、希のトークイベントとチョコお渡し会も目玉の一つだ。
2軍練習の見学は、いわばそのお目当て企画の間の時間を潰す、つなぎの企画に過ぎない。

だが、多くのファンと、イベントを取材するマスコミが2軍の練習場に集まることは事実である。

「あ、楓!」

希が練習場に向かう楓を見つけて声をかける。
楓が希に歩み寄ると、珍しい女子選手同士の交流に、ファンたちは2人を囲む形で人だかりを作る。

「楓ちゃん! 握手してください!」

ファンの一人が手を差し出す。
やはりファンの目から見ても、女子選手はまだまだお飾り、「ちゃん」付けで呼ばれるのは仕方がないことだ。

慣れない手つきと不自然な笑顔をたたえながら、楓は突発的に発生したプチ握手会対応をする。

楓には何時間にも感じただろうが、実際は5分程度を経過したころ、希がファンたちに声をかける。

「はい、立花選手はこれから練習ですので、私がダグアウトにご案内します! みなさんこちらへどうぞ!」

プロ5年目なら、お飾り歴も5年目。
希は手慣れた様子でファンたちを楓から引きはがすと、ファンを引き連れてわらわらと希が向かうロッカーとは逆方向に消えていった。

ブルペンに行くと、案の定、多くのファンといつもより多い数のマスコミがいた。
楓は、この日まで温めておいた作戦を、今日実行に移すことにした。

今日の練習相手を務める戸高がミットを構える。

「まず真っ直ぐ! いきます!」

そう戸高に向かって声を張ると、多少コントロールが乱れてもいいくらいの意識で渾身のストレートを投げた。
戸高のミットが甲高い音を立て、ファンたちから「おぉー」という軽く歓声が上がる。
130km/hは出ていたのではないだろうか。
これまでのトレーニングと投げ込みで、プロに入ってから楓の球速はわずかに上がっていた。

「ナイスボール!」

いつもより大きな声とともに、戸高からボールが返ってくる。
この観衆とマスコミだ。戸高自身も今日が楓にとって大事な日になることは、何となくわかっていた。

「次、シンカー!」

そう宣言すると、楓は自身の決め球である大きなシンカーを投じる。
今日のテーマは、「とにかくド派手に」だ。

コントロールよりも変化の大きさを意識して、最後にボールにかかった人差し指で思い切りボールの端を切るように投げる。
強い回転のかかったシンカーは、打者の手元あたりで突然失速と斜めの変化を見せる。

再び観衆から上がる歓声。

そのあと、カット、シュート、カーブを順に投げた。

この順番には、楓なりの意味があった。

まず、女子選手とはいえそこまでストレートが遅くないことをわかってもらう。
次に、自分の決め球を強く印象付ける。
最後に、次々に違う球種を投げ、投球に幅があることを知らせる。

この投球練習は、楓なりに考えたプレゼンなのだ。
その意図をくみ取って、いつもより大きな声で盛り上げてくれた戸高の空気読み力にも感心する。ありがたい同期だ。

これまで明らかにお飾りのはずだった女子選手が投げるボールの心地よいミット音と、シンカーが見せる大きな変化は、観衆を魅了するには十分だった。

試合後には楓の周りに人だかりができ、たくさんのファンにサインを求められた。
楓は以前から用意していた自分のサインを、予定より早く書くことになった。

(やっと、プロ野球選手になったんだ。)

その喜びをかみしめた。

突如発生した楓人気を見た球団職員は、この後に予定されているファンへのチョコのお渡し会に楓も参加させることを決めた。
やはり「広報的な仕事はほとんどない」という入団時の話とだいぶ違う気がするが、自分のプレーを見てファンになってくれた人たちなら、快く接することができる。楓はまったく慣れない不器用な手つきで、希とともにファンサービスを行ったのだった。

◆◇◆◇◆

毎日の充実した練習のせいか、楓はあっという間にキャンプ最終日を迎えようとしていた。
2月26日、キャンプ最終日。
この日は一軍と二軍の練習試合が行われる。

これは単なる練習試合ではない。
二軍の選手が一軍の選手に勝る活躍を見せれば、開幕一軍をその手に引き寄せることができる。いわば、事実上の入れ替え戦だ。
その意味では、一軍選手にとっては緊迫の日であり、二軍選手にとっては下克上を目指すチャンスの日である。

この日の先発マスクは徳岡で、楓と戸高はベンチスタートとなった。希も一軍チームのベンチスタートだ。

試合はやはり実力に勝る一軍が優勢で、4回裏が終わって1-5と一軍がリードしていた。

「立花! アップ入っとけ。次の回いくぞ!」

二軍監督の代田春雄から声がかかる。
いよいよ出番だ。

ブルペンで戸高と肩を作り、楓は5回裏の頭からマウンドに登る。

練習試合とはいえ、プロ初マウンド。
さすがに緊張が指先まで走るのがわかる。

「今日は気負いすぎずに、まずはリラックスして自分のピッチングを心がけて。」

楓の緊張を見抜いたかのように、徳岡がマウンド上で声をかける。
二軍生活の長い徳岡だが、プロ野球生活12年。さすがはベテランだ。

マウンドに立って徳岡のサインを覗き込むと、たくさんのシャッター音がグラウンドに響く。
先日のプレゼン作戦の効果があったのか、それとも単なる女子選手に対する興味本位か。
いずれにせよ、楓が投じる第1球に多くの注目が集まっていることは確かだった。

バッターボックスに立つのは、奇しくも以前対戦した新川佐だ。
期待の表れか、はたまたこれも客寄せ目的か、楓は3番から打順が始まる一軍打線を相手にすることになる。
3番 新川佐(右打ち)、4番 田村翔一(左打ち)、5番 アンディ・ボルトン(左打ち)。
クリンナップだけは球界随一と呼ばれるドルフィンズの超強力打者陣だ。

(さて……初球は……)

徳岡のサインを覗き込む。

(インローに外すストレート)

楓は口を真一文字に結んで首を振った。

(アウトローに外すシュート)

また首を振る。
一瞬球場がどよめくのがわかったが、楓の心は全く動揺しなかった。

楓は、新川との対戦が直前に分かった瞬間から、決めていたことがある。

(あの日ホームランにされたアウトローのスライダー。これで打ち取る!)

一度打たれたボールで打ち取ることで、ホワイトラン監督に成長した自分を見せたかったのだ。
結局4回サインに首を振って、5回目のサインでようやくうなずく。

(あの日からずっと後悔してた……)

セットポジションから足を上げる。

(アウトローのスライダーっていうのは……)

体を大きく沈ませて、アンダースロー特有のモーションに入る。

(こういうことでしょ!!)

思い切りくさいところを狙って、中指の先端をボールの縫い目に最後まで走らせる。

放たれたボールは、右打者のアウトコースに大きくそれる軌道から、急に内側に入る。
ただし、新川に打たれたあの日と違うのは、スライダーの曲がり始めが遅いことだ。
楓が投げたスライダーは、右打者の手元よりもさらに後ろ側で、少し遅れて変化を始める。
ボールはホームベースの右端ギリギリをかすめるように、右打者の新川に寄っていく。

狙い通りだった。

以前完全にとらえた球種とコースに思わず初球から手を出したボールは、新川の想定よりもバットの外側に当たる。
新川の手に鈍い感覚を残し、ボールは力なく一塁線に転がっていった。

「おーし、ワンナウト!」

徳岡が人差し指を立ててナインに向ける。
楓はあの日完膚なきまでに打たれた外のスライダーで、新川をファーストゴロに打ち取った。

そして、次の打者、ドルフィンズ一軍の4番・田村翔一を左打席に迎えた。
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