香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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番外編 貴方の香りに包まれたい2

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「できたあ~」
「よしよし記念すべきアルファの香水、第一号の完成だな」

 翌日の朝早くからお店がはじまるまでの時間、ランは父を農園の館まで迎えに行ってまでして香水店の工房で調香に励んだ。
 昨晩も遅くまで工房にいたことを知る母のアスターは、いつもはおっとり控えめな末息子の珍しく熱中する姿がとても嬉しくて、にこにこ美味しい朝食を振る舞ってくれた。

 そして結果、ついにメテオのフェロモンを模した香水が出来上がってきた。普段は割れ物や液体が沢山ある狭い工房の中で慎重に動くランがぴょんぴょん飛び回っているのがなんだか父もとても嬉しい。しかし流石に朝に強い老アスターもやや疲れ気味だ。

「やれやれ。私はアスターにハーブティーでもいれてもらうとするか。午後まで一度農園の家で休んでからくるよ。ランの香水にかける情熱はよくわかった。まあ半分はメテオへの愛情かもしれんがな。あいつは本当によい番を持てて幸せ者だ」

 メルトは人に見られ続ける仕事をして、手入れを怠らなかった皺が少ない大きな手で義理の息子の頭を柔らかく撫ぜてやった。ランは本当にうれし気な顔をしたまま、大人しく仔犬のようにナデナデされた。メテオにされるとドキドキする仕草も、父にされたらただただ嬉しい。

「父さま、僕のわがままに付き合ってくれてありがとう。昨日からずっと立ったり座ったり。父さま腰が痛いでしょう? 今日はアスター母さまとゆっくりして。僕は一人でも大丈夫だよ。兄さんも明日には帰ってくるし」

 番になってもついつい兄さん呼びをしてしまうが、長年の癖はなかなか抜けない。メテオはそろそろメテオ呼びを定着させていきたいようだが、ランにとってはやはり兄さんは兄さんだ。血のつながらない家族だけれど、昔からずっと変わらずに大切に思っていると溢れる気持ちがそうさせるのかもしれない。

 まあ少し、メテオ呼びするのが気恥しい気持ちもある。なんだろう。これも言葉で言い表せない。多分閨の中で初めてメテオと呼んでしまったせいで、なんだか秘め事のような心地になってしまうのかもしれない。

 アスター家はアスターの妻の名前がアスター・アスターなのもあって、妻なのにアスターやら夫なのに兄さんやら義理の息子は息子の嫁でもあり、いろいろ交じり合ってややこしい一家だ。

 老アスターは微笑みながら瓶を慣れた手付きで素早く片付けていく。ランも手伝うため兄の香水が入った小さなアトマイザーをテーブルに一旦置いた。流石にオリジナルの瓶を作るまでには至らなかったが、少しだけ兄の瞳に似た濃いめの琥珀色の瓶にいれたのだった。

「わがままを言わないランが珍しく私を頼ってくれて、私も香水づくりもお前と新しい香水を作り出せたことも、どちらもとても素晴らしい経験になった。ありがとうラン。お前に父親らしいことなどなにもしてやれなかった駄目な父として、嬉しい限りだったな。だがまあ、些かつかれた。今日はランに甘えてゆっくりさせてもらおうかな」

 年中温かいこの街は寒さを避けて年を越すために観光客が徐々に増えてくる時期だが、昨日の雰囲気ならばラン一人でも対応できるとわかっていたのだ。

 店を引退してからもこうして顔を出したりハレヘで行われる商談の席には顔を出したり、若い二人を影にも日向にも応援している。それでも年にはかなわないと素直に口にする。父の率直で素直なところがランは大好きだ。

 その日は父も見立てていたとおり、客の数はそう多くなく、途中ミリヤ婆さんのパン屋に昼食を買いに行くこともできた。
 少なめの客でも気に入った香水を皆買ってくれたのがランは嬉しい。自分一人の接客でも十分に香水の良さを認めてくれたからだ。それがやりがいに繋がっている。

 夕方の鐘がなり、すっかり日の傾いた黄昏時の空は群青の夕闇に染まる。少しだけ冷えてきたのでランは手早く看板をしまった。

 店じまいしながら香水瓶をまた綺麗に並べなおす。

 一つ一つの香水のストーリー。
 一人一人の人生。

 ひと際鮮やかに輝く薔薇色の香水は、冬に向けてまた復活させた甘い甘い香りの香水。
 薔薇にハチミツを混ぜ込んだような、絢爛たる甘美な香り。
 輝く小瓶はまさに花を模した薔薇色。
 青みの強いルビーにも似た紅色で女性にとても好まれる。ラベルも一新させて、輝く薔薇の花とその花に誘われてやってきた黄金の蜜蜂が箔押されいる。

 一時期は甘すぎる香りが倦厭されていたこともあったが、徐々に国が落ち着き豊かな人々が旅行をして観光客が増えてきたらまたこの香りも好まれるようになった。国が落ち着いたらまた流行ると言っていた父の予言通りだ。

 これははじまりのオメガの香水。
 ランの実の祖母の香り。
 この香りで中央にいた若き美貌の貴族であった祖父を呼び寄せた運命の香り。

 この香水のストーリーの先に母のミカや伯母のエリ。そして、ランが連なっていると思うと不思議な感覚だ。

「僕の香水は…… この香りに似ているのかなあ?」

 春の花園のような香りとクィートに言われた、ランのフェロモンの香り。
 兄からも抑えが利かなくなりそうな、たまらなくいい香りとは言われているけど詳細まで言われていない。
 兄にはランの香水の構想はあるようなのだが、まだ作ってはもらえていない。たまにお店で髪を切ったランの項の噛み痕に気がついた客から、ランの香水もないのか尋ねられることがある。ランは製作中ですとか言ってごまかしてるが本当は、自分が一番自分の香りに興味津々なのだ。

 店の方の明かりを落としてバックヤードを通ると、住居スペースに帰ってきた。番になる前、この店を兄が継いだ時からランとメテオはラベンダー農園の家を出てここで暮らしている。朝早くから夜遅くまで工房にいられるからとは兄の言い分だが、ソフィアリは『早いところランを囲う巣を作っておきたかったんだろう』などと嘯く。
 まあでもともかく文字通りここは二人の愛の巣であることには変わらない。

 あまりこのことを兄から悟られるとまた過保護になって毎日農園の家にかえらされそうでよくないのだが、メテオがいる時といない時では明らかにランの食欲は落ちてしまう。
 メテオがいればお互いに台所に立って食事の用意をして二人で食べる楽しさがあるので張り合いがあるのだが、一人だとどうしても駄目なのだ。
 おざなりというか、なにか明かりが消えたような心細さや寂しさもあってどうしても沢山食事がとれない。
 自分もわかっているので、出張が長い時など二日に一度は農園の家で皆と食事をとったりして工夫をしている。昨日は工房に遅くまでこもってしまったので、この家で親子三人で夕食をとった。母は息子の機微に目ざといのでランのためにさらに今日の分の食事の下ごしらえをしてきたのだ。
 その時に母が持ってきた野菜と塩漬けの肉を細切れにしたスープを朝作ったので、夜はそれにミリヤの店のパンを少し炙り、果物をとってしまいにした。
 今日は食欲よりも何よりも、やりたくて仕方がなかったことがあってわくわくが止まらず食事を手早くとったのだ。

 朝から楽しみにしていたやりたかったことは、二つ。

 一つは明日兄を驚かせるために、香水のラベルもデザイン画を描いて、それを糊で瓶にペタッと張った状態で見せたいということ。
 香水のラベルは日頃は中央やハレヘに在住するデザイナーや画家にイメージを伝えてお願いして描いてもらっている。中央で一括で印刷してもらい、そのラベルの瓶が売り切ったら次のデザインになる。今回の香水は非常にプライベートなものだからランが自分で考えて手書きで一枚だけ描くことにした。
 デザインは頭に何個かできていたけれど、ランは絵を習っていたわけではないし、うまくはないから何か図案の参考になる本を父の元書斎で探したい。

 もう一つは明日になったら兄が帰ってくるから、今日の晩は寝具に香水を振りかけて、その香りに包まれて眠るということをしてみようと思ったのだ。

 るんるんしながら湯あみをしに洗面所に向かって外に繋がる浴室の扉を開ける。外で薪をいれてお湯を沸かし終わり焚口をしめると、浴室にとってかえしてここが建ったとき父の自慢だった大きめの湯船に悠々とつかる。
 普段はお湯が冷めるのがもったいないからと兄と二人で入っているが、今日はとても広々していた。足をのばしていると、昼間工房に行ったとき、兄の制服が壁にかかったままだったのを思い出した。
 なんだかそれがとても気になってきて、手早く身体を洗って、こんなに早く上がるのはお湯がもったいないと思ったが明日洗濯とか庭の花に水を上げて使おうと思いなおす。

 実父のバルクの友人であるとのちに知った、この街在住のデザイナーに作ってもらった二人おそろいの制服。今回の出張は兄は朝からでなく午後まで仕事をしてから出ていったからその時工房で着替えて置いて行ってしまったらしい。
 枚数的にもう洗ったとばかり思っていたのは勘違いだったようだ。

 ざばりとお湯から上がるとランは手早くバスローブをきて、それを工房まで取りに戻った。工房と住居スペースは小さな中庭で囲まれていて夜には街の者もあまり使わない裏の階段の方から来なければ誰も入れないからそんな無防備な格好で飛び出していった。

 目的の制服と作ったばかりの香水を抱えながら思わずくんっとついつい兄の残り香を嗅いでしまう。実は昼間も香水と比べながら何度も何度もくんくんして流石にアスターにそこまでしなくても香水は作れるのでは? それともそんなにメテオが恋しいのか? 心配されたほどだ。

(兄さんの香りと兄さんの香水。トップはまるっきりおんなじじゃあないけど、ちゃんと似てる。移り変わってラストノートまできたら、結構似るかも)

 なんだか両方を嗅いでいると夢うつつに誘われるような雲の上を歩いているような心地がしてきて、風呂上りだけでない身体の温かさが下腹部から這い上がってきた気がした。

 そのまま二階に駆け上がる。そして部屋の明かりをつけると何かに取り憑かれるたようにとろんとした顔のまま、兄のクローゼットをあさり始めた。

 兄のクローゼットは兄の香りとともにラベンダーのサシェの香りが充満していて懐かしい農園の家の寝室の香りにも似ている。子どものころからの思い出の香りだ。実の家族の思い出はもたないし、実際の家族のことなどぴんとこないランにとってはラベンダー畑の香りと、農園のみなに慈しみ育てられたことが幸せの記憶として通じている。この香りでさらに幸福感が増してきた。

「兄さんの香り、大好き」

 いいしな、ランは父が昔使っていた重厚なクローゼットをさらに大胆に大きく開き切る。
 そして大好きな兄の洋服たちをクローゼットから次々に取り出していく。
 この青いシャツは兄も気に入っている。兄の目元と合わせると本当に爽やか。
 暗い色のジャケット。着るとかっこいいけど中央に行くときに着ていった記憶があるから見ると切ない。また下腹部がじゅんっとなった。
 ランとおそろいのシャツ。これは中央にいる、いままでもたまに遊びに来ていた実父のバルクが送ってくれたもの。パパラチアピンクなんて少し気恥しいな、でもランにはとても似合っていると兄はいってくれた。ランは赤い舌を出してぺろっと唇を湿らせ、はたから見たら艶めかしい表情を見せながら、どんどんクローゼットから服を取り出していった。

 下着はクローゼットの下にある小物を入れる籠に綺麗にたたんである。兄もランも割と几帳面な方なので家全体はいつだって整然としているのだ。
 もちろん洗ってあるからあまり香りはしないけれど、ここぞとばかりに今度は香水を振りかける。それもむんずとつかみ上げた。
 そしてちらりとまたクローゼットを値踏みするように眺める。
 着ていない方の制服。これも欲しい。
 続き部屋の寝室へ、山ほどの服をもってランは歩く。
 日頃など衣服の取り扱いも丁寧なランなのに、下の方の服などくちゃくちゃになってしまうが、そんなことをまるで構わない。

 寝室に入ると朝ちゃんと整えて置いた寝台の上にそれらを綺麗に並べていく。
 兄が着ているときのコーディネートを意識しながら几帳面に綺麗に。
 しかしそうすると余計に兄のことが思い出されてランの目からはなぜだか涙が滲んでしまっていた。
 明日には会えるのに何でこんなに恋しく寂しいのか。厚みが増し制服すら作り直した兄の逞しい胸に抱かれて早く一緒に眠りたい。

 ランは着ていたローブを脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ白い裸体を晒すと、折り重なった兄の服の上に飛び込んだ。沢山の衣服を引き寄せては手に握りこんだままだったアトマイザーからまた香水をシュッシュと振りかける。
 すんすんしながら肌触りの良い上質な兄の余所行きシャツに鼻先をすりつけた。ついでに滑らかな生地の上でこすれた胸の飾りが赤く立ち上がり気持ちよくなってしまって無意識に擦り付けてしまう。
 兄に傍にいてもらえているような錯覚を起こし、幸せな気分に浸りたくて。もぞもぞと服の中にさらに埋まっていくが湯冷めして寒くなりそうでああ、あれを着ればいいのだともぞもぞとシャツとパンツを手繰り寄せていく。
 兄の匂いに包まれて、ランは幸せな笑顔を浮かべたままランは小さな寝息をたてはじめた。



















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