香りの鳥籠 Ωの香水

天埜鳩愛

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番外編 ヒート休暇のお店番 8

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「ラン! 迎えに来たぞ。メルトおじさん。二人で祭りと花火にいきたいので、ランをお借りします」

 ランはショックから一瞬音すら聞こえない世界にいたが、その静寂を破るようにリアムが声をかけてきた。
 パン屋の混雑はまだ続くような時間だというのに、早々にランのもとに馳せ参じたようだ。

 メテオの顔色が変わり、ランのもとに行こうかととっさに身体が反応しかけるが客の手前それはできない。
 手を伸ばせば届きそうなのに、出店のテーブル隔てられた愛しい弟が今はとても遠くに感ぜられた。

 誰より柵なく素早く動いたのはやはり父のメルトだった。
 驚くランの両肩を握りリアムの方へ向き直らせて返事を返す。

「リアム。さっきはランを助けてくれていたね。ありがとう。出店はもう私と妻とで切り盛りするから遊びに行くといい。花火をみたら農園の家にランを送り届けてくれるかい?」

「父さん!」
  
 そう言うとメテオの非難する声も聞かずにランを店の中へ戻すと裏の勝手口にまわってそこから準備をして出るよう二人に促した。

 兄を心細げな表情で振り返りながらリアムと父に促されて店の中に消えていくランを、大勢の客を背に引き連れたリアムは歯噛みしながら見送ることとなった。

 よく似た背格好の父が戻ると無言で睨みつけるが、父は何も言わずに中央からの一行に向かい合った。

「皆さん! よくぞ遥々お越しださいました。こちらが奥に工房を併設したメルト・アスター香水店です。本日は海の女神まつりの特別営業中ですが息子のメテオが店内と工房をご見学にお連れします。その後は領主ソフィアリの夜会と桟敷席から見上げる海の女神と天の火の神の邂逅の花火をご覧いただきます」

 客たちからは賑やかな歓声が上がる。
 メテオは顔には努めて出さないようにしながらも胸にくすぶる嫉妬の炎までは消せずにいた。

 メルトはそんな息子に向けにやにやと人の悪い笑みを浮かべいる。言外にからかっているかのようだ。

 (何か目的だか知らないが余計なことを…… クソ親父)

 何を考えている? 何を試されている?

 脳裏ではどのタイミングで夜会を一時抜け出そうか。そんなことばかりを考えながらも同時に簡単に仕事を投げだそうとした自分の考えの甘さに思い当たりメテオは壁癖した。

 考えてみればこの程度離れたぐらいで切れるような絆ならばとても番になどなれないだろう。

 ランはああみえて、外側は柔らかくとも内面は強い意志をもっている。
 譲り続けているように見えて、一番大切なところはしっかりと守ろうとする。そういう肝の据わったところがある。
 ランを信じつつ、しかし仕事をできるだけ和やかかつ速やかに切り抜けて、丘の上から花火を見物するはずのランの元へなんとか向おうと思った。



 ランは店舗内を通り抜けるようにして住居スペースにあるダイニングキッチンにつくと、作業用の茶のエプロンを外し、置いておいた小さなカバンを肩にかけた。

 ランが後ろ髪を引かれたとは兄のことだけでない。思い入れのある出店に並べた品物たちに、最後の一個まで行き先が決まるのを見たい気持ちもあったのだ。

 店舗の方を振り向いて立ち止まるランのほっそりした指先をすくうように、リアムが大きな手の中に柔らかくしかししっかりと握りこんだ。

「ラン、どうしても行きたくない?」

 それは兎に角強引だと思っていた青年の、意外なほど弱気な一言だった。パン屋の制服でなくこざっぱりした私服姿は年相応のやんちゃな若者らしい。
 太い眉を下げ、ランのお伺いを立てるように覗き込んでくる。

「俺ばっかり浮かれててごめんな。ずっとランとゆっくり話してみたいと思ってたし、中央に行ったら中々ハレへに戻ってこれないからいい機会だと思ったんだ」

 下手に出られると心根の優しいランはとても嫌とはいえない。リアムの大きな目が散歩に行きたがる大型犬のように期待を込めてこちらを伺ってくる。こんなに大きな身体なのに少し縮こまって。妙にそれがちょっぴり可愛く見えた。そう。リアムはやっぱり憎めない男だ。

 ランは吐息をつくと、にこっと小さく笑って首を縦に動かした。

「わかったよ。そうしたら…… 僕、海の市場で探しているお店があるからそこに一緒に行ってくれる?」

 やっと自分の方を向いてくれたランに、リアムはこれは風向きが良くなったと手を引きながら歩き出す。 

「もちろんいいぜ。海の女神に捧げる舞踏があるだろ? 海の市場の広場に舞台を作ってやるらしいから店によってから見に行こう」

 海の女神へ捧げる舞踏はこの祭りがこれほど大きくなる前からこの地域に伝わるものだ。

 昔は乙女がラベンダーの一房を持って舞い踊り一箇所に集めた花の束を小舟に乗せて海の上で火に焚べ、海に沈めて豊穣な実り豊かな漁場の安全を願う素朴な田舎の祭りだった。

 まだランが小さかった頃の祭りで興奮した観客が乱入し、共に舞い踊ったことを契機にいまも観客が最後大きな輪になって踊る。参加型スタイルが定着したのだそうだ。

 踊りの輪の周辺は大混雑のため怪我したら危ないからと家族に心配されランはその輪に入ったことはない。
 今日は参加できるかもしれないとランの気持ちは少しだけ上向いた。

 舞台を見て兄への贈り物を買ったら花火は見ずに母の待つ農園の家に帰ればいい。そんな風に軽く簡単に受け止めることにした。
 胸はまだ兄とあの綺麗な女の人の姿を覚えていてつきつきと痛んだままだったのだけれど。

 裏口から出て店の正面側のように坂道でなく、海の市場までの近道になる裏の階段を降りていく。こちらは商店街の人間だけが使う私道のようなものなので各店舗の裏に小さな門があり、階段に通じる。狹くて店によっては荷物おきにのようにもなっていて少し歩きにくいが、観光客はほぼ間違いなく歩いていない。
 坂の向こう側とこちら側両方にそうした階段が整備されているのだ。

 坂道の入り口の横にひょこっとでて門を締めると通りは日頃けしてみることがないほどの人で溢れかえっていた。

 観光客は遠方からだけでなく身近なキドゥやサレへからも来ている。
 少しやんちゃな若者同士の小競り合いもまあ有るにはあるがそのために警邏隊が揃いの白い制服に帽子姿で歩いて回っているのだ。

 少人数でも弾けるような音を出す賑やかな楽団が通りで演奏をしていて、陽気な人はすでに軽くステップを踏んで踊っている。電柱にくくりつけられた垂れ下がる貝殻の飾りと青いリボンがたなびき、子どもたちは大きな目が覚めるような色をした棒付きの飴を口をベタつかせながら食べて歩いていた。少しずつ日は傾き風も涼しく吹いてくる。

「迷子になるぞ。ラン、離れるな」

 日頃兄は離れるな、といわずともランの歩調にうまく合わせて歩いてくれる。しかし今はリアムについていくためにトコトコ小走りになってしまう。遅れがちなランの手をリアムが自然な仕草で繋いだ。大きな後姿は堂々と人混みをかき分けて進む。

 海の市場は普段の生鮮品を売る店の立ち並ぶ市場とは違い、港の波止場近くまでキドゥとハレへの人気の店が多数出店していた。

 祭りに出慣れた店はこのために小さな小屋まで立てて店先には青と白の花で飾り付けた海の女神の像を設置し飾り立てて注目を集めていた。

 食べ物を売る店の芳しい香り。子どもたちが沢山取り囲む中央のおもちゃを売る店。
 先に出店場所を仲間に聞いていたリアムはまずはやはり同業の食品店の偵察をしていた。

 今日だけ特別にお行儀悪く色々買い食いしながら、二人はそれぞれ自分の家の店の参考にしようとあれこれ話しながら店を回っていった。
 それは若い二人がまるで一端の店主になったような。新鮮で暫しの間何もかも忘れられるような胸踊る経験だった。

 しかし残念ながらあのブローチを売る店が中々見つからなかった。人に尋ねるために先程頂いたブローチを見本に持ってくればよかったが、無くしたくなくて店においてきてしまったのだ。舞台が終わると花火の時間までは半刻あまり。その間に出店は一部飲食店を残して終了となる。

 再び焦りから気落ちしたランの為、リアムは意外と粘り強く探してくれたが申し訳なくなってランは諦めかけていた。
 夕刻を告げる、日頃は商店街の店じまいの合図の鐘がなった。今は夏の終わりだからまだまだ日は長いが少しずつ周囲が薄暗く白白とした薄紫色に染まってきた。
 互いに汗をかいた掌を気にしつつもリアムの手を引っ張り返して、女神広場の方を指差す。

「リアム、もういいよ。朝早くからずっと働き通しで疲れているのにありがとう。もうすぐ舞台が始まっちゃうだろうから。広場にいこう?」

 ランのこういう相手を尊重しようとするところをとても好ましくリアムは感じていた。
 今回のヒート休暇の店番だけでない。ランは以前から婆ちゃんの膝を心配して、坂の上から海に近い市場まで駆け下りて頻繁に買い物の手伝いをしてきてくれていた。痛みで祖母が膝を庇うと、優しい手つきで膝を擦ってくれる。ランはそんな少年なのだ。

 春の日だまりのように穏やかで愛らしい子。オメガの娘を片親で育て、この街に流れ着いた。辛酸を舐めて生きてきた辛口のミリヤをおし、そう言わしめる天性の素直さがリアムの心をも打つ。

 太鼓や笛、弦楽器。楽団の華々しい演奏音と人々の歓声が聞こえてきた。
 今度はランの肩から腰を包むように腕を回し、周囲から守るようにして歩き出す。
 ランは腰を攫われたようになり驚いて目を見張り、少しだけ身体を離して不満げな顔をしてリアムをみやる。
 さっきまでお店のこれからなど熱くあれこれ語り、なんとなく対等な友達になれたのに気分だったのに。

「もうっ! 子どもじゃないからちゃんと歩けるよ」

 そういってふっくらと頬を張らせるのは可愛らしさしかないが、リアムを男として意識してもらうには程遠いようだ。

  女神へ捧げる舞踏の会場につくとたっぷりとした裾の白い衣をたくし上げて玉座に向かい弓なりに並んで礼の形をとった20名ほどの乙女と今年の海の女神役が人混みの間から少しだけ見えた。

 かつてはソフィアリが何年も連続でつとめたという海の女神役だが、今年はラグが総指揮官のハレへ・キドゥ警邏隊にΩで初めて入隊した女性がその大役を担っている。

 本人は今日の祭りの警備に参加したかったらしいが、警邏隊のいいアピールになると仲間の励ましと勧めがあったらしい。

 白い古式床しいドレスに青いリボンが編み込まれた金髪は薪火に赤赤と照らされて夜目にも目立ち神々しく見える。乙女役が一斉に立ち上がる。楽団の音楽に合わせて片手にラベンダー、もう片手には二人一組で長い青いリボンをもち、リボンを組み合わせて図形を描くようにしたり、波打たせたりしながら舞い踊る。

 舞台裾にはラベンダーが刈り取られ積み上げられているため芳香も伝い聞こえるようだ。

 突然音楽が変わり、激しい太鼓のリズムの後に火の神の子に扮した若者たちが目に新鮮な黒い服に赤い仮面をつけて走りより、乙女役の両手を取った。
 一対になるとラベンダーを女神の前の黄金の花瓶に挿し入れに行く。音楽に変化がみられた。
 放送で聞いたことのある中央のクラシカルな音楽が夢見るように演奏される。
 乙女と火の神の子は二人一組でくるくると踊りだした。
 すっかり日は暮れ、広場の周りの街灯にも光りが灯る。

 踊る演者のステップは古の中央の貴族が夜会で踊っていたような優雅なもので、白いスカートの裾が花びらのように広がって円を描き、黒い服に内側が赤のマントを翻した火の神の子とが舞うたびに周りからため息が漏れる。
 皆暫し幽玄な雰囲気にひたってうっとりとしていた。

「ねぇ! すごい綺麗だね。兄さん」

 人垣の間から見るため、一生懸命つま先で立つランは、揺れる体を固定しようとリアムの腕を強く掴んで支えていた。そしていつもの癖でうっかり彼を兄さんと呼んでしまっていたのだ。
 しかし言い間違いに気づかぬほど目の前の光景に魅了されているようだった。
 内心落胆しながらもリアムは炎の光を浴びてより赤みを帯びたランの愛らしくも美しい横顔を見つめ、思わず言ってしまった。

「ラン、こっち見て」

 汗ばむほどの人混みの中、横から熱い身体に抱き寄せられ切なげな声色が耳を打つ。ランがリアムを見上げた瞬間、唇にしっとりと熱く、しかし柔らかなものが押し当てられた。


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